“観光を学ぶ”ということ ゼミを通して見る大学の今

第17回 立命館大学ビジネススクール(大学院経営管理研究科)
牧田ゼミ
経験の舞台装置としてのゼミ
– よき「場所」を求めて人は旅する –

学生たちに「場所」はあるか?

 私たちは、日々の生活を通じて身の回りの空間や環境に意味を与えている。
このとき、自らの直接的な経験によって意味づけ、分節化した空間が「場所」(place)である。例えば、映画「愛と死をみつめて」の中で、互いをマコとミコと呼び合うふたりが愛を誓った「誓いの丘」がそれである。いや、場所は、それがたとえ漫画「ドラえもん」に登場するような空き地であっても、のび太たちにとっては、具体的意味をもつ唯一無二の、大人への過程である種の「公共性」を培う「場所」である。
ジェイコブスのいう「街路」(Jacobs1961)や日本のかつての商店街は、場所に満ちていた。路地裏も含めて、そこには人びとの生活(暮らし)があった。それが今ではショッピングモールやコンビニという、効率的な消費のための制度的装置にとって代わられてしまった。「消費社会は場所なき社会である」(間宮1999:246)。「没場所性」(Relph 1976)は、眼前からの場所の喪失を意味するだけではない。場所のもつ意味を認めない私たちの態度でもある。私たちはいつの間にか、有能な消費者として躾けられてしまっている。
 Tuan(1977)は、空間が「場所」になるのは「経験」を通じてだと説いた。
それでは、今どきの学生はどうであろうか。およそ、自宅とキャンパス、コンビニ、バイト先を行ったり来たりするだけの日常の中では、「場所」という感覚をもつことは難しい。COVID‐19の拡大は、活動範囲をさらに狭めた。彼/彼女たちに、社会やコミュニティの未来を託そうとするならば、それ相応の「経験」の舞台装置が用意されなければならない。クラブでもサークルでも何でもよいが、大学のゼミやフィールドワークもそうした舞台を提供しうるものと筆者は考えるし、これまでにもそれを実践してきた。

商店街を拠点にゼミ活動 ― APUでの経験

 さて、会計学をそもそもの専門とする筆者が、観光やまちづくりをゼミのテーマとするようになったのは、大分県別府市の立命館アジア太平洋大学(以下、A P U)の教員であった2010年からである。2005年頃から「ハットウ・オンパク」(別府八湯温泉泊覧会)を手伝うようになり、アートプロジェクトにも首を突っ込むようになって「混浴温泉世界」という現代アートの祭典の運営にも関わった。
当時、別府市では中心市街地活性化基本計画のもと、空き店舗のリノベーション事業が展開されていた。そうした中、大分大学の福祉系の研究プロジェクトの拠点として利用されてきたコミュニティカフェを引き継いで欲しいとの声がかかった。アートNPOであるBEPPU PROJECT がプロデュースする形で大学を含む複数の団体が連携して、「platform」(プラットフォーム)と名付けられた8つのスペースを運営する取り組みは、全国的に注目を集めた。2010年5月、「platform03まちなかカフェ」はAPUに引き継がれ、筆者のゼミが運営することとなった。
 なぜ、カフェを運営しようと考えたのか。まず単純に、学生たちのゼミ教室が街なかにあったら面白いだろうと考えたからである。観光やまちづくりの分野で毎日汗をかいている当事者の生の声を、その活動エリアである街なかで聞くことは、イメージがしやすく、よりリアルに理解することができる。
同時に、APUの学生たちが「下界」と(愛情を込めて)呼ぶ街なかに、ネット環境があり、学生たちが気軽に立ち寄れることができ、コーヒーを飲みながら、コミュニティの人たちや観光客と交流できる拠点をつくりたい。そういう思いから、エスプレッソマシンを設置して本格的なコーヒーが飲めるカフェとして営業許可も取得した。
 ゼミのクラスは、ひと月に最低1回はカフェで行った。まちづくり関係者、街歩きガイドとして活躍している地元紙の記者、市役所の担当者、政府系銀行の大分事務所長など、ゲストを呼んで話を聞き、ディスカッションをした。
その後は決まって交流会となった。

 他方、飲食店としてのカフェ事業は、ビジネスに関心があるグループとまちづくりに関心があるグループとの間で対立が生じた。就活を理由に活動から離れていくゼミ生もいた。結局、カフェの運営はゼミ活動から切り離して、他のゼミに所属していたT君に任せることにした。彼は、高校時代からロータリーの地域活動を経験してきたこともあり、上手くやってくれた。彼が「店長」時代の2年間でカフェの利用者は1万人を超えた。
 カフェでのゼミ活動をどうしていくのか考えていた時、「街なかにぎわいプラン」という大分県の補助事業に応募してみないかとのお誘いを受けた。
これは、一般枠と学生枠の応募区分ごとに、商店街の魅力や集客力の向上のためのプランを競うものであった。ぜひ、チャレンジしようとゼミ内で立ち上げたのが「ブック・フェスタ・プロジェクト」である。
 プロジェクトの代表を務めたHさんは、大分県の広報誌のインタビューに次のように語った。「客数の減少は、多くの商店街で共通課題だと思います。
私は、大学生ならではのやり方で、もっと人の流れをつくりたいと思い、『本』をキーワードにしたイベントを考案しました。『本』に着目したのは、活動の拠点である『platform03まちなかカフェ』が、子どもから大人まで気軽に集まれるようにと、絵本から経済学まで500冊程度の本を集めたブックカフェとしてリニューアルしたことがきっかけです」(大分県広報誌『新時代おおいた』(No・79,2011年11月)。
 こうしてゼミ生たちが企画したのが「ブック・フェスタ・ベップ」である。

このイベントは複数の企画から構成されていた。まずは「一箱古本市」。商店街の軒先で屋号をつけ、誰でも段ボール1箱分の本を持ち寄って対面方式で売る「本屋さんごっこ」である。また、別府の中心市街地の商店等で気軽に本が読める「ブックスポット」を点在させる企画も考えた。
どちらも、街なかを周遊しながら別府の魅力やお気に入りのスポットを発見してもらい、「本」という切り口から新たな層を呼び込むきっかけにしようというねらいがあった。そのほか、学生たちによる絵本の読み聞かせ会や街歩きガイドツアーなども企画した。
 コンペは、企画の内容はもとより、Hさんのプレゼンテーションが群を抜いていると評価され、無事、最優秀賞を勝ち取った。開催に向けての準備の過程で、ゼミ生たちは様々な経験をした。もちろん、よく?られた。商店街だけでなく市内の有力書店が協力的であったのが幸いして、「ブック・フェスタ・ベップ」は大盛況のうちに終わった。
 その年、プロジェクトに参加したゼミ生の多くは、中心市街地や商店街の再生に関わるテーマを選んだ。もちろんHさんもそのひとりであった。ちなみに彼女は卒業後、福岡県内の銀行に就職したが、現在は千葉県浦安市のテーマパーク運営会社に勤務している。
 その後、8箇所の「platform」は予算削減のため統合話が持ち上がり、また筆者がAPUの役職に就くことになった等の理由からカフェの継続は難しくなった。
2013年3月、「platform03」は日頃から交流のあるまちづくりNPOに引き継がれた。

ビジネススクールでのゼミ ―― 現在

 あれから10年、筆者は現在、立命館大学ビジネススクール(RBS)に在籍している。当スクールは、学部に基礎を置かない独立研究科であり、社会人院生を対象とするマネジメントプログラムと、実務経験のない学部卒生を対象とするキャリア形成プログラムからなる。
 RBSでは、2年次に「課題研究」という演習科目(ゼミ)を必修科目として課しており、修士論文ではなく「課題研究レポート」を作成・提出することを修了要件としている。社会人院生は、仕事上の課題や新規プロジェクトに関するテーマを選ぶことが多く、学部卒生ではビジネスプランや業界・企業動向の研究が多い。筆者のゼミでは自由にテーマを設定してもよいとしているが、そのぶん、個人的な興味関心から抜け出せない院生も多い。そこを上手く軌道修正して、研究課題へと導くことができるかが、指導教員の腕の見せ所である。例えば、アイドル好きでとくに「坂道系」が推しの院生には、「クリエーターエコノミーの出現がコンテンツ・ビジネスに与える影響」というテーマへの誘導に成功している。
 ところで、社会人院生にせよ、学部卒生にせよ、多くの院生たちにとって観光とは、消費対象としてのそれである。
ところが最近、観光に関するテーマに関心をもつ院生が増えているが、どういうわけか、ほぼ例外なく中国からの留学生である。昨年の例では「フードツーリズムによる湖州の地域振興」をテーマにレポートを書き上げたゼミ生がいた。また、別のゼミ生は、上海など大都市にある5つ星ホテルのフリークエンシープログラムを取り上げ、その特長や有効性について分析検討した。
 現在2回生で、日本企業が中国での展示会に出ても上手くいかないのを何とかしたい、という問題意識から入学してきた院生がいる。彼女は昨年、筆者が担当し、エリアマーケティングとエリアマネジメントをテーマとする「フィールドワーク」を受講し、「大阪城エリアのMICE計画」をテーマに最終レポートをまとめた。「ザ・ガーデンオリエンタル・大阪」などストーリー性のあるユニークベニューを活用しながら、それを大阪公立大学やビジネスエリア、さらには宿泊施設などとつなぎ、大阪城エリアを大阪におけるMICEの一拠点として育て上げようという提案である。フィールドワークの中でレトロな街並みが残る北船場エリアを歩いたことが着想につながったようである。優秀な院生なので、レポートの完成まで見届けたいとの思いはあったが、このほど着任した新任教員に指導を任せることにした。
 最近のことだが、現在、指導している院生と研究テーマを巡ってこんなやりとりがあったので、紹介しておこう。
「留学生の友達の間で、富山が話題になっていて、SNSでもいろんな写真が投稿されている。外国人に富山の良さを知ってもらい、たくさん来てもらえるようにするには、どうすればいいのか考えたい」。
 確かに、チューリップ畑から眺める立山連峰は美しい。だが、それだけでは研究課題にはならない。
「あなたの言う観光って、観光ツアーに行ったり、爆買いしたりするような観光じゃないよね。ヨーロッパで普通のまちに住む人は普通のまちを訪れ、
普通の村に住む人は普通の村を訪れる。
そういう人たちは、敢えて言えば、滞在先で何もしない。そこで暮らす人たちと同じように朝を迎え、同じものを食べる。非日常というより異日常を体験する旅。そういうことかな?」
 現在、彼女は、「普通の田舎の観光振興」をテーマに事例研究を行っている。ビジネススクールに相応しい課題研究に仕上げなければならないので、飛驒古川の「美ら地球」やWalk Japanといった地方で高付加価値型サービスの創出に成功した事例も取り上げさせ、現地に足を運んで当事者にヒアリングさせたいと考えている。
 日本はアジアの「お庭」である。しばらくすれば訪日者の数は回復するであろう。だが、その輝きを求めて地方にまで足を運ぶという状況をつくり出すには、いくつもの課題を乗り越えなければならない。では、彼女はこの難題にどう切り込んでいくのか。

おわりに

 問題発見と言えばそれまでだが、地域であれ、組織であれ、そこでの問題の本質や解決すべき課題が何であるかを問うことは、分野に関係なく重要である。こうした作業の一環として、現地に出向き、何が「場所」を成立させているのか、すなわち場所の「場所」たるゆえんを探ることは、自らの「場所」への感覚を取り戻すことにもつながる。本稿は、大学のゼミがそのための「経験」の舞台装置を用意しうることの一端を示したに過ぎないが、学ぶ人に「場所」への感覚がもっとも求められるのが観光だと言えよう。よき「場所」あってこそ、よき人生であり、よき「場所」を求めて人は旅するからに他ならない。

 

 

〈参考文献〉
Jacobs,J(. 1961)The Death and Life of Great American Cities.
Random House.
Relph,E(. 1976)Place and Placelessness. Pion,London.
Tuan,Y(. 1977)Space and Place: The Perspective of Experience.
University of Minnesota Press.
牧田正裕(2010)「地域を磨き、人を磨く、
別府八湯のまちづくり―オンパク、混浴温泉世界、
そしてAPU」『地域研究交流』(地方シンクタンク協議会)26-1.
牧田正裕(2012)「アートプロジェクトと『まちづくり』:
別府からのレッスン」『都市計画』297.
間宮陽介(1999)『同時代論―市場主義とナショナリズムを超えて』岩波書店.

 

 

 


牧田正裕(まきた・まさひろ)
立命館大学ビジネススクール(大学院経営管理研究科)教授。1969年福井県鯖江市生まれ、石川県金沢市で育つ、中学高校時代は名古屋。
立命館大学大学院経営学研究科博士後期課程中退後、小樽商科大学助手、立命館大学政策科学部講師を経て、2000年4月開学と同時に立命館アジア太平洋大学(APU)へ。
2019年4月より現職。博士(経営学)。