私は元々真面目な文化人類学者であったが、40年ほど前に突然、観光研究にシフトした。ところが当時の日本では「観光」は今とは比べものにならないほど、社会的・経済的・政治的・文化的に軽んじられていた。観光は「余暇」の一つであり、ただ単なる「遊び」の一つに過ぎない位置づけだった。
 私は30年ほど前に「観光革命論」を提起して、「2010年代のアジアで観光ビッグバンが生じる」ことを予測した。なぜ「観光革命」という大仰な概念を打ち出したのかというと、「観光」の重要性を社会的に強くアピールしたかったからだ。そのお蔭で、私は2003年に小泉政権の下で内閣官房に設置された「観光立国懇談会」のメンバーに加えられ、何度も首相官邸に出向いて議論に参加し、観光立国の理念を起草する機会に恵まれた。
 その後に私の予測が的中して、文明史的必然としてアジアで観光ビッグバンが起こり、安倍長期政権の下でインバウンド観光立国政策が上昇気流に乗り始めた最中にコロナ禍が発生し、観光は不要不急と決め付けられて、観光産業は極めて苦しい状況に落ち込んでいる。政府は観光を基幹産業の一つとして発展させるために「2020年にインバウンド4千万人」という数値目標を掲げて強力にサポートした。しかし昨年12月に中国・武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症の大流行によって、日本の観光立国政策は大幅な見直しを迫られている。
 観光産業は「フラジャイル(脆い、壊れ易い)な産業」であり、戦争や自然災害や疫病や経済的不況などの影響を受け易いために基幹産業には不向きだ。現政権は数値目標を明確にして、「観光国富論」の観点で観光政策を推進してきた。しかし観光は本来、数多くの人びとに様々なかたちの民福(感動、幸せ、歓び、癒し、学び、創造、自己の再発見など)をもたらす営為であり、「観光民福論」も重要だ。また観光は地域社会が抱える様々な課題を解決し得る営為であり、「観光地域創造論」も極めて大切である。
 コロナ禍を経験した日本各地で「持続可能な観光」を推進していくためには「FECT自給圏の形成」が不可欠になる。Fはfoods「農林水産・酪農業による食料」、Eはenergyとeducation「再生可能エネルギーと教育」、Cはcareやcure「介護や医療」、culture「地域文化」、Tはtraffic「交通」、tourism「観光」など。今後は、一つの地域でのFECTの自給自足が極めて重要になる。
 観光現象は様々な要素が絡む「複雑系システム」で機能しているので、各地におけるFECTに係わる諸課題が円滑に解決されていないと観光を持続的に推進できない。為政者が「観光立国」と叫んでも、市井に生きる人々は先ず自分たちの日々の暮らしに直結するFECTに係わる諸課題の解決が最優先と感じている。コロナ禍を通して「観光ファースト」よりも、もっと大切な物事が軽んじられてきたことが明白になった。要するに地域との「共存共栄」が実現されていないと、地域観光の持続可能な推進は極めて困難になるということだ。