〝観光を学ぶ〞ということ
ゼミを通して見る大学の今

第7回
文教大学 国際学部

海津ゼミ

 

 

 

 

海津ゆりえ(かいづ・ゆりえ)
文教大学国際学部国際観光学科教授。立教大学理学部卒、農学博士(東京大学)。専門はエコツーリズム。フィールドは岩手県宮古市、鹿児島県奄美群島、東京都八丈島、ガラパゴス諸島、フィジーなど。著書に『エコツーリズムを学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2011年)、『日本エコツアー・ガイドブック』(岩波書店2007年)など。NPO法人日本エコツーリズム協会、日本ガラパゴスの会、湘南ビジョン研究所などの理事も務める。第1回前田弘記念観光学賞受賞。

 

はじめに-「大学で一番忙しい」ゼミ!?

 学生Sが学内報のインタビューを受けた。掲載号が発行されたというので、学部事務室で読み始めようとしたら、いつも朗らかな事務スタッフたちが筆者の顔を見てクスクス笑い出す。なんとSは、冒頭の挨拶で「私は大学で一番忙しいゼミに所属しています」とドヤ顔で(想像)口上していたのである。根拠もなしによく言うよねぇと同意を求めようとしたが、彼女たちは首を振る。事務方には出張書類の数という、動かぬ証拠があったのだ。少なくとも〝学部1か2忙しい〞ゼミであることは事実らしい。そんな文教大学国際学部・海津ゼミナールの紹介である。
 まずは本ゼミの位置づけから説明しよう。文教大学国際学部には国際理解学科と国際観光学科の2学科がある。教員も学生もどちらかの学科に所属するが、3年次から開講される専門ゼミナールの選択においては、学生は所属学科に関係なく選ぶことができるようになっている。グローバリゼーション・スタディーズを学ぶ国際学部の全ての学生に向けて、各専門ゼミナールは開くという方針である。学生は学科の専門の学びを基盤に、興味があるゼミの門戸を叩くことができ、各自のキャリアを磨いていく。国際観光学科教員の筆者のゼミナールには両学科の学生がいる。国際理解学科は専門科目で多文化理解や異文化コミュニケーション、国際協力などを学んでいるので、国際観光学科の学生は大いに刺激を受けるようだ。だがそこは学生、すぐに溶け合ってゆく。
 大学の学期をセメスター(業界用語で「セメ」と略す)と呼ぶが、本学は春・秋の2学期制である。1年次春の1セメに始まり4年次秋の8セメに終わるので、大学では学年・学期をこの「セメ」で言い換える。ゼミは5セメ〜8セメの期間開講される必修科目(履修しないと卒業できない科目)である。在学期間の半分を過ごす専門ゼミナールは、学生生活上で重要な存在と言えるだろう。
 筆者のゼミは、配属が決まった4セメ中から、プレゼミや先輩の活動への参加、春休みの合宿を行っているので、事実上5セメ期間に亘るの各学生との関わりとなる。相互に与え合う影響は大きいが、〝せっかく選び・選ばれたのだから楽しく実りある2年間にしようよ〞〝先生もね!〞という「合意」を形成して、共に忙しい時間を過ごしている。

ゼミのテーマはエコツーリズム

 さて、筆者が文教大学に着任したのは2007年で、翌2008年に国際観光学科が誕生した。早いもので現在の3年生は14期生である。現役・OB合わせて同窓生はやがて200名に届く。
 ゼミのテーマは一貫して「エコツーリズム」である。エコツーリズムを学ぶ、創る、始める、エコツーリズムに何ができるかを考えるなど、エコツーリズムを出発地点にすることもできるが、筆者のゼミでは、エコツーリズムというキーワードに代表され、表現されるモノ・コトの本質を学ぶことに力を入れている。
 エコツーリズムは、訪問先地域の自然や地域社会、文化を尊重し守りながら、ガイダンスを受けて一歩深く学び楽しむ観光の概念であり、21世紀の観光とされるサステナブル・ツーリズムの実践形である。従って、その本質とは地域社会や資源に寄り添い、魅力を発見し(宝探しと呼んでいる)、現場から考えることにある。ツーリストやビジネスに注力する観光学ではなく、地域に軸足を置く観光学を徹底的に追求している。
 その先に目指しているのはエコツーリズム・プランナーの育成である。学んだことを心に携えて、いかなる職業に就こうともそれぞれの現場で生かしてほしい、いつかは自分の出身地域に還元できる人材になってほしいと思っている。
 余談だが、学生たちは学外の友人や保護者等にゼミの説明をしようとすると、相当苦労するらしい。それもまた良い経験である。着任後の数年は毎年、マレーシアのサバ州やマカオなどの海外に学生を連れて行っていたが、その後東日本大震災に遭遇したり、地域からの要請があったりが続く中で、エコツーリズムの学びは地域を選ばないことに気づき、現在は学生も行きやすい国内に学びの場をシフトしている。お金を貯めていつかガラパゴス諸島に行こう、という合言葉は残してあるが。

〈ゼミナール活動の紹介〉

 ゼミでの学びは、①文献購読による理論研究、②実践研究、③個人課題、④卒業研究などの定常的な活動の他、⑤有志を募って継続的に取り組むプロジェクトなどに分類できる。ここでは、②③⑤について代表的な活動を紹介しようと思う。

● 茅ヶ崎学(実践研究)

 文教大学は埼玉県越谷市と神奈川県茅ヶ崎市にキャンパスがあり、筆者がいる国際学部は後者に当たる。着任3年目の2009年から茅ヶ崎市を題材に調査研究を進めて提案・実践に結びつける「茅ヶ崎学」を開始した。テーマやカラーは毎年異なるが、社会調査によって資源調査結果を地図やフェノロジー・カレンダー(※1)にまとめ、学外での発表を行うことを基本スタイルに活動を続けてきた。2012年からは、アウトプットとしてエコツアーの実施とマップの制作・印刷に落ち着いた。ツアーが催行できるのはどうしても12月や1月になってしまうのだが、「天候は安定しているし、富士山も綺麗に見える」とポジティブに捉えている。
 「茅ヶ崎学」の副産物として、茅ヶ崎市観光協会や市の社会教育課が事務局を務める市民団体「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会」との連携が強固になり、様々な活動連携が進んだ。2010−2012年度には茅ヶ崎市観光協会が文化庁から獲得した「大山道」の資源調査事業をサポートし、2012年度からは発掘されたウォーキングコースを活用した「大山道ウォーキング」のガイドをゼミ生が務めるようになった。ガイド経験ほぼゼロの学生達を育ててくださるのが、上記の「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会」の重鎮の方々である。地域の大先輩に育てていただく経験を通して、学生たちの目の色はどんどん変わっていく。

●『奄美群島の残したいもの伝えたいもの』(実践研究)

 ゼミとして委託事業を請けることもある。このような場合はゼミ全体で関わっていく。その代表例となったのが奄美群島広域事務組合による「環境文化を活用した地域振興事業」(2015−2018年度)である。これは、世界自然遺産登録を目前に控えて〝奄美群島とはいかなる地域か〞を顕在化する仕事である。
 世界自然遺産申請に先立って国立公園に指定された奄美群島では、国立公園のコンセプトを「生物多様性」+「環境文化」としていた。環境文化が意味するのは、奄美群島の各集落に色濃く伝え残されてきた暮らしの文化と、その背景となる自然とのつながり・かかわりのことである。世界遺産にならんとする今、奄美群島の価値は環境文化にあることを明確に顕し、それこそ守っていくべきものとして伝えていこう、という意思表明がこの事業の趣旨であった。
 この仕事が筆者のゼミに委託された経緯は少し説明がいる。2013年度に設立した奄美群島エコツーリズム推進協議会の委員を務めることになった筆者は、同じ委員で「奄美遺産」の提唱者であった故・中山清美先生と知己を得、ゼミごと先生の弟子入りを志願した。いいですよと認めていただき、先生が指導されている大島北高校の「聞き書きサークル」の活動にゼミ合宿を充てて高校生とともに聞き書きに参加したのである。広域事務組合はこの活動に着目して、8島12市町村から1集落ずつを選んで聞き書きを行う壮大なプロジェクトを企画し、本ゼミナールに任せてくださったのだ。1集落3名のチームを組み、年に2回の調査を実施した。台風シーズンや学期中を除いて現地調査を行うため、期間は3ヵ年に亘った。4年目は冊子『奄美群島の残したいもの伝えたいもの』に編集し、印刷物として発行し、群島全集落に配布した。関わった学生は50名近くに及んだ。中には卒論の対象地に選んで何度も足を運んだり、卒業してからチームで再訪したりする者もいるなど、学生と島の交流は今も続いている。
 島からすれば、神奈川県の大学に通う学生はよそ者であるが、島の子どもたちは高校や大学がないため早い時期に島を出てしまう。島口(方言)もよく理解できない若者たちと島を出た子どもたちが重なって見えるのかも知れない、と調査監督を務めながらしばしば思う。学生たちも話をお聞きする方々と身近な人や、親・祖父母を重ねて見ているようだ。このような経験から彼らは〝自分に何ができるのか〞という問いの答えを手繰っていく。

 事業は完了したが、昨年度からは夏季ゼミ合宿として奄美群島を訪問している。合宿期間中に先輩たちの足跡を訪ね、集落の方々を訪問することが狙いである。残念ながら今年は無理そうだが、オンラインでの対話だけは続けている。

● 岩手県宮古市での東日本大震災復興支援研究(プロジェクト)

 ゼミ内有志が参加する形の「プロジェクト」が多数あるのも本ゼミの特徴である。最初からそのように計画したわけではなく、筆者の研究活動や個人的な相談に学生を巻き込んでいたら、いつの間にか増えていた。だが震災被災地との関わりは別格である。宮古市との出会いは、当時の二戸市長の小保内敏幸さんからのアドバイスと宮古市長へのご紹介が始まりである。
 2011年5月には日本観光研究学会から調査予算を得てプロジェクトチームを組み、旧川井村に調査拠点を確保して8月に1週間の合宿調査に入った。本学学生のほか、立教大学観光学部の学生や二戸市の若手職員も一緒に、まさに〝一つ釜の飯を食い〞ながら、宮古市に伝わる黒森神楽や黒森神社、漁業関係者、料理研究家などに出会い、お話を聞いた。震災や津波は多くのものを流し去り、破壊してしまった。だが残されたものや、こんな時だからこそ見つめ直せたものがあるのではないか。それを教えていただきたいというのが趣旨である。

 学生たちの聞き書きをベースにフェノロジー・カレンダーを作り、2本のエコツアー(黒森神社編・田老海岸編)を企画した。翌年10月にはモニターツアーを催行し、2013年度からは黒森神社ツアーに絞ることに決め、宮古市観光文化交流協会主催の形で神社例大祭に合わせて開催されることとなった。学生たちはサポートスタッフとして事前の草刈りと当日のツアーに参加し、現在に至っている。当初は熱意だけで関わり始めてきたが、ここ数年は学生自身が地域の若者との交流を広げ、先輩から後輩に引き継がれながら地域との立体的な関わりが展開されている。

● 一人旅(個人課題)

 このような活動の傍らで、3年生は「一人旅」の課題に挑まなければならない。この「一人旅」は、筆者が大学着任が決まった瞬間に思いついたゼミ活動メニューである。一人旅をせよ、というだけのシンプルな指令であり、期間も場所も問わない。タスクは、自分で企画すること、自分なりの「チャレンジ課題」を設けること、滞在中は極力スマホを使わないこと、絵や歌などを創作して来ること、ゼミで成果報告をすること。
 これまでのチャレンジ例としては、「京都で居酒屋に入り、カウンター越しにマスターと話をした」「房総半島を自転車で一周し、出会った人に座右の銘を書いてもらった」「ヒッチハイク日本一周」など。毎年度末の報告会はポップコーンを投げたいぐらい面白い。一人旅の課題に取り組みたいからと本ゼミを志望する学生もいる。一人旅をするだけなんだからゼミに入らなくてもできるじゃないの、とも思うが、追い込まれないとしないのが現代の学生である。この一人旅企画は研究者仲間にも受けがよく、すでにいくつかの大学に飛び火しているようだ。

コロナ禍のゼミ活動

 2020年度はこれらのフィールドワークのほとんどが実行できなくなった。4月から今日までゼミ活動はすべてオンラインである。3年生は春合宿の鳥羽行きも、夏合宿の奄美行きもお預けとなった。対面授業も当分は叶わない。さぁどうする。いやこんな時だからこそできることがあるはずだ。「地域に寄り添う」というゼミのコンセプ
トは、今こそ求められている。逡巡の挙句、まずは問題を直視し、エコツーリズムの本質である「宝探し」をしようと決め、大学授業が再開される5月を待たずに4月2週目からゼミを再開した。お散歩圏での宝探しの個人作業と発表、文献講読発表に加え、「コロナウイルスとエコツーリズム」と題してグループ研究に取り組んでもらった。
 オンラインの副産物もフル稼働させている。zoomを活用したゲストスピーカーの招聘である。ゼミ卒業生や、インターンでお世話になった方々、合宿で訪れる宿の女将、山北町に移住した裏ゼミ生、そして筆者の先輩研究者など様々な方に参画していただいている。対話とグループワークは学生を活性化し、徐々に彼らに笑顔が戻った。いつまでも続くことは避けたいが、新しい学び方に出会えたという実感は学生も筆者も掴んでいる。目下の課題の4年生の卒業研究計画も、この辺にヒントがあるのではないかと考えている。

おわりに

 ゼミ活動と言いながら、要素分解すると筆者が教えることはほとんどなく、学生たちが学びのリソースとしているのは、現場=地域や様々な縁をいただいた方々であり、学生自身である。その交わりの場を心地よく、楽しく、輝く日々であるようにメンテナンスすることがゼミナール管理者の役割であろうか。エコツーリズムというのはそういうものであることを本稿の執筆を通して、今、実感している。

※1)フェノロジー・カレンダーとは、自然と人文の季節暦のこと。