オンライン座談会【3】…開催日:2020年6月24日
⑤ 知床・小笠原・屋久島で考えた観光のゆくえ

(寺崎)今回のコロナ禍の経験から私たちは何を学ぶべきでしょう。
(松本)腹をくくる。
くくった先にあるのは、転換。覚悟を決めて観光を新たに作り直していく。

 

コロナ禍における地域や事業の状況

松本 屋久島でエコツアーガイドを始めて27年目になります。この間に、世界遺産になるという大きな変化を経験しました。今回のコロナもまた屋久島の観光に大きな変化をもたらすでしょう。3月までの屋久島は、割と人ごとのような感じでしたが、3月中旬くらいから「島に感染者が入ってきたらどうなるんだろう」という危機感が、高まってきました。
 島には徳洲会という病院がひとつあるだけ。どこかでクラスターが発生したら、医療崩壊するのではという恐怖感、緊張感のようなものが走りました。そういう中で鹿児島県が緊急事態宣言に応じてゴールデンウィーク明けまで自粛を依頼し、休業要請があり、補償もしますと言ったので、島の中の観光業は一気に休業に向かい、4月からゴールデンウィークにかけて観光客を受け入れない方がいいという雰囲気が広まっていきました。
 屋久島では感染者が出ていないこともあり、島の人たちの生活は、スーパーには普通に買い物に行ったり、自粛の反動でゴールデンウィーク以降は割と普通の生活に戻った感じでした。ただ、いつもと決定的に違うのは、観光客が全くいない。
 とりあえず6月19日までは特に県外からの来島は自粛を要請し7月1日からは全ての地域のお客様を受け入れると宣言し、平常に戻しましょうということになっています。
 これを受けて、民間では7月1日から営業再開しようという機運が高まっているところです。
寺崎 一気に臨戦態勢に入った変わり目が緊急事態宣言だったのですね。
松本 遠い別の世界の話だと思っていたのに東京以外の地域でも感染者が出てきた。これは広がって行くんだ、今にも入り込んでくるんじゃないかという危機感がそのあたりから強まりました。
寺崎 そうした危機感は、観光業者、住民、他のさまざまな立場の人もみな同じような感覚でしょうか。
松本 観光業者は、急激にキャンセルが出てきたので、世の中の動きが止まっていくんだろうと肌で感じていました。観光業に関わらない人は意外と他人事のようで、鹿児島県が休業補償や持続化の補償をすると言った時に、観光協会が行政に「4、5月は90%キャンセルが出ているんだ」とアピールしたところ、島民から「そんなひどいことになってるんですか」という反応がありました。それで4月、5月はほぼ観光客ゼロということを島全体が知り始めた感じです。
 町長も観光を重要視しているのでなんとかしなきゃという思いはあったんですね。ただ、鹿児島県を通り越して屋久島町に来てくださいとは言えないので、県の動きに合わせる形でどの段階で解除するか、検討しました。
寺崎 東京は日常生活がどんどん変化し怖さを実感したけど、屋久島では観光業が島民にそれを伝えたんですね。松田さん、知床はどうだったんですか。
松田 私は、1〜3月は他県への出張が続いて地元のことを十分に把握していませんでした。ただ、1月中旬頃からまずいことになると思いスタッフにもそう話していたのですが、なかなか実感を持って行動してくれない状況でした。他の地域で「今年は大変なことになる」と話しても、2月いっぱいくらいまではピンと来てない感じでした。
 変わってきたと思ったのは3月に入ってから。知床ではお葬式が外で焼香のみという形になり、気にし始める人が増えたと感じました。ただ、私がいる地域は車社会なので特に冬は町を歩く人がいない。どこまで外出自粛されていたかはわからないところがあります。
 観光関係の動きを振り返ると、地域としての話し合いはあまりなかったですね。自粛しようという声が出たのは4月中旬くらいからで、それまでは行政から自粛してくれといった話は全然なく、観光客を呼び込もうという雰囲気がありました。国立公園内の各施設を閉めるという話もありませんでしたが、ゴールデンウィークの5日ほど前に、駐車場を全部閉鎖するという話になりました。
 私は、行政側に町民と対話して欲しいと言っていました。観光客を呼んでいいのか、町民がどう思っているかを考えるべきだと。でも行政も最初はピンと来ていなかった感じがします。
 ゴールデンウィークは観光客がゼロではなかったけれど、ほとんどいませんでした。宿は2軒だけ開けていて、あとは全部閉まっていた。5月中旬頃から観光客がぽつぽつ来始めて、6月中旬は少し動き出している感じです。
寺崎 その間、一番何を気にしていましたか。
松田 観光客がコロナをこの地域でうつしてしまうことですね。そういう意味で、観光客は入れられない。観光客が持ち込んだという話になると、今後の観光に大きな影響を与えることになる。斜里町の中心部でも3月下旬に2人ほど感染者は出ていますが、そこから広がってはいないです。

行政より早く来島自粛を出した小笠原村観光協会

吉井 僕は1992年に海好きが高じて小笠原に移住しました。マルベリーは2000年に創業し、今年3月で20周年になります。
 小笠原の2〜3月は、ホエールウォッチングがあり、山歩きにもいい季節なので比較的ハイシーズンです。1月後半までは特に影響はなく、2〜3月の定期船おがさわら丸の乗船客数は、2〜3割落ちていたようです。それ以外にも色々なクルーズ船が寄港しますが、2月以降はずっと全部キャンセルで、営業的にはかなり痛い状況です。
吉井 団体や旅行会社は個人客よりもキャンセルが早く、4月最初の1、2便は多少お客様が来ていましたが、それ以降から今までほぼ観光客はゼロです。定期便の乗客は仕事の方と島民がそれぞれ数十人、他に、3便以上の長期滞在の観光客が少数いる、という状況です。
 7月から来島自粛が外れますが、満席で800人くらいの定期船を7〜8月の繁忙期は400人に抑えると聞いています。夏もそんなに忙しくならないでしょう。7〜8月は減便もするので、船のキャパだけみても来島者は例年の半分になるでしょう。
寺崎 小笠原では来島自粛要請を、先に観光協会が出し、少し遅れて村が出しましたね。行政が先に出す方が一般的なのに、観光協会が先だったのはどうしてだったのでしょう。
吉井 主導は父島の観光協会で、私はホエールウォッチング協会の会長として観光協会から打診を受け、ホエールウォッチング協会、商工会と父島・母島の観光協会の4団体が合意して来島自粛を出しましょうということになりました。
 観光協会の役員ではないので、細かい機微はわかりませんが、協会が早く動いて村が少し遅れたのは、タイミングの問題だけだと思います。みんな島民として、来島自粛要請を出すことにそんなに抵抗はなく、コロナ感染者を入れたくないという気持ちがあって、それはやはり医療問題が大きいと思います。
寺崎 観光事業者である前に、自分たちは島民、地域の住民であるという意識が先にあったということですね。
吉井 そうです。
松本 屋久島観光協会は宣言は出さなかったけど、観光客がウイルスを持ち込んだら、まず自分たちが矢面に立つことになるという危機感から議論が始まりました。来てほしいけど、そうもいかないという苦悩は強かった。
寺崎 なぜこの話を突っ込んで聞くかと言うと、これまで観光関係者らの話をうかがってきた中で、地域の中の観光業という感覚が聞けてないんです。何がその違いなのか。小笠原とか屋久島、知床は地域的に特殊だからなのか。そうじゃない気もする。今日話していきたい核の部分なのです。
吉井 離島の感覚って、隔てられているので、外のものに対する危機感や恐怖感はある。今回ならコロナ。検査すらできない状況なので、島民全体が危機感を持っています。小笠原や沖縄の離島などの隔絶された離島というのは、基本的にコロナフリーにしておかないと、一人でも感染者が出ると島が壊滅的になる恐れがあるので、絶対に出さないというのが前提にありますね。そうは言いつつ、仕事の方は少なからず来ていますし、島民も帰ってきます。帰島したら2週間の自粛要請をしていますが、誰も監視していませんし。完璧じゃない部分もあり、心配なところはありますよね。

観光客の受け入れ判断についての迷い

寺崎 この間に皆さんが一番心を砕いたのはどんなことでしょう。
松崎 ナショナルランドは、私の父が始めた小笠原専門の旅行会社で、創業42年です。今回のコロナ危機では小笠原の人と同じ危機感を持っていて、1月に武漢で問題になっていると聞いた時から日本に来るかもしれないと感じ、2月のダイヤモンド・プリンセスの件で、クルーズは厳しくなるとその時に思いました。
 来年までは通常に戻らないという危機感があり、お客さんが減るのは目に見えていたので、とにかくコスト削減に尽力しました。3月はまだ観光客の予約が残っていましたが、勘のいい人は自分でキャンセルしてきました。4月は大体キャンセルになりましたが、悩んでいる人に対しては、「無理して行かないでください」と伝え、島から自粛要請が出た時には完璧に抑えようと思い、お客さん全員に「行かないでください」と連絡しました。
 すごく嬉しいのは、小笠原はリピーターや島が好きな人が現状を理解してくれるので、すぐキャンセルしてくれる。他の旅行会社から入ってくるお客さんとは直接話せないので、一生懸命、エージェントをくどき落として、最後まで粘ってゴールデンウィークは、送客ゼロにしました。おかげで5、6月の売り上げは去年比100%減ですが、島にコロナを入れてしまったら大変なのは目に見えていたので、うちの役目だと思って必死にやりました。
 小笠原の場合インフルエンザでも誰が持ってきたかわかるので、うちのお客さんから絶対入れないぞという気持ちもありました。自分たちも感染しないよう外出は控えるように、気をつけていました。
 小笠原は台風で欠航になることもよくあり、お客さん全員に連絡して事情を説明して旅行を取りやめてもらうことに私たちも慣れていたので、すぐにこういう行動がとれたのだと思います。私たちも特段苦ではなかったです。
 7月から自粛要請が解除され、送客できるようになりましたが、行政が来ても良いと言っても、島にはかなり恐れている人もいて、本当にお客さんを送っていいかどうか、まだ悩んでいます。お客さんも悩んでいて、予約の時に「本当に行っていいんですか」と聞かれます。今すぐと言わなければ、もう少し先にしてください、とは言っていますが、強制力はないので気をつけて行ってくださいと伝えています。東京でも今日感染者が55人出ていますし、本当に送っていいか、難しい立場だと思います。逆に島から「もう一ヶ月待ってくれ」と言われた方が楽な気がします。
寺崎 お客様を送る旅行会社が来ないでください、行かないでくださいということを直接語りかけているという話は、今回初めて聞きました。ある面では、観光協会、DMOのような役割を果たす地域密着型の企業です。屋久島や知床では事業者の動きはどうだったのでしょう。
松本 観光協会として、来ないでくれと要請してほしいという話はありませんでした。僕らも事業者としてどうするかと考え、ゴールデンウィークまでは新規予約は断ろうということにしました。今入っている予約はどうしようかと話していたら、こちらからキャンセルをお願いする前に、お客様からどんどんキャンセルの連絡がありました。宿からキャンセルすると言ってきたので旅行を取りやめますというケースもありました。宿は結構気にしていたみたいです。
 キャンセルしない人も少しいましたが、こちらからどうするかを聞くと「キャンセルします」と。本人も悩んでいて、きっかけが欲しかったみたいです。そういう意味ではお客さんも行っていいか迷っていたので、何としてもやめてくれという感じではなかったです。
松田 観光協会からは自粛してくれという要請はなかったのですが、ホテルの方が休館すると言ってくれて助かったところはあります。一斉に休館したのではなく大きな宿の一軒が休館すると言い、周りも続くという形になったので直接お客さんに断りの電話を入れずに済みました。
 私もお客さんをどのタイミングで断るかどうか結構悩んでいました。もしホテルが閉めなければ断ろうと思っていましたが、観光業者みんなが不安な中でうちが先に「自粛します」と出してしまうと、地域の観光関係の方々の雰囲気が悪くなると言うか、バラバラになるという危惧もありました。なので周りの様子を見ながら最終的に決めようと思っていました。
松本 屋久島では、事業者からどうしたらいいのかという声が出てきました。キャンセルしていない人を受けていいのか、断った方がいいのか。ゴールデンウィークに向けて、県が休業要請をしてきて、町自体が観光客受け入れを自粛しましょうという宣言を出したので、お客さんには「町と県がこういう自粛を要請しているので、申し訳ないが今は自粛してください」と言えるよねと、お互い励ましあいました。行政が方向性を示してくれたのは良かったと思います。

観光に対する住民の理解の重要性

寺崎 質問を変えて、松崎さんの悩みにどう答えますか。つまり、松本さんがおっしゃったように、行政から自粛要請があったのでお客さんに言いやすかったというのがこの4、5月の状況ですが、6月19日からは県境をまたいだ移動制約の要請がなくなり、小笠原も7月から観光客を受け入れるという。
松崎 観光業以外の人たちの話もいろいろ聞くと、子どもたちを観光客に近寄らせるなという声もあったりします。旅行業は送るのが仕事ですが、ウェルカムでないところにお客さんを送っても大丈夫なのかなという心配もあります。
松本 おそらく要請が解除されて、行き来が戻ると、きっと島にもコロナは来るだろうと思っています。医療面、隔離のための民宿の確保など、態勢がだいぶ整ってきているので、その時には今までのようにパニックにならない準備が必要ですね。今のまま全くの無傷を守り通そうというのは、かなり精神的にも経済的にもしんどいので、いずれ入ってくるということを前提に対策していくことがこれから必要だと思っています。
 行政も医療関係者も、今までは危機感を煽ってきましたが、時間かけて一生懸命対応してきたので、入ってくるという前提から始めることが重要でしょう。
松田 私もいずれはコロナが入ってくると思っており、そのための準備が必要だと思います。なぜ私たちが観光客を通してコロナを入れないようにしていたかというと、歴史を紐解けば斜里町のウトロ地区は漁業中心で、どちらかという漁師からすれば観光客は邪魔者でした。今は観光も大事だと言ってくれる漁師さんも増えてきたので、その関係を壊したくない。漁師は年配の方が多いのでかなり不安だったと思います。そういう面でも気をつけていかなければいけないと思っていたので、自分の会社では1月下旬にマスクと消毒アルコールを大量に購入して、玄関のノブやトイレは1日6回消毒していました。
 将来的に観光客に来てもらうための条件の一つは松本さんがおっしゃったように何かあった時に対応できるような態勢ですよね。入ってくるのは時間の問題だとしても気をつけるという雰囲気を作るしかない。いろんな方と対話をして慣れていってもらう。経済的な面でも、観光客が来ないと魚が安い、売れないという話も出てきている。やはり経済活動は大事だということを少しずつ皆さん実感している。
寺崎 松田さんの話を聞いていて、観光振興が持続的であるためには観光がそのまちにとってどういう位置づけであり、観光以外の人達から観光がどういう風に思われているかを気にかけていく必要がある。そうしないと観光事業が持続可能に行えないと感じました。
松田 そう思います。知床が世界遺産登録に向けて動き出した時は漁師の人たちは最初は反対しました。海域まで世界遺産エリアにされてしまうと漁業活動が制約される可能性がある。そうすると観光なんて、という話が出てきました。世界遺産になっても漁業活動が規制されてはいないのですが。地域の人たちの理解と協力がなければ持続的な観光は成り立ちません。仕事だけでなく普段の生活の中でも周りの人達に助けてもらって、それで成り立っているところもありますから。
寺崎 住民の人たちの健康、つまり安心で安全な生活を考えない観光はあり得ないと。小笠原もかつては漁業が主流でしたね。
吉井 この間に、漁協の組合長に聞いたら、小笠原の魚は基本東京方面に出荷するんですが、影響の少ない魚種に変更したので、そんなに漁業には影響は出ていないと言ってました。島内の飲食店に出すような魚は控えているようです。農業では、今の時期だとパッションフルーツがかなり売れますが、観光客がいないので送料無料のキャンペーンをして、通販で買ってもらうように策を練っていますね。
寺崎 松崎さんが気にされているのは地域の人や既存産業ということでしょうか。
松崎 そうですね。小さな島なので、観光以外の知り合いもいるので、そういう人の声も聞きます。何かあったら、東京なら医療崩壊ですが、島では社会全体が崩壊してしまう可能性がある。それが脳裏にあります。歴史的にみると、島がアメリカから返還されてすぐに観光は始まっているので、島民や他産業の人から観光に対する拒否反応は小さいと思いますが。
寺崎 松本さんはそれまで地域の自然や生活文化を直接の素材とした観光で食べている人がいない中で、屋久島ではパイオニアとしてあらたな観光を開拓されてきました。風当たりも強かったと思いますが、住民として永く暮らしてきた中で、観光と住民とのかかわりが変わってきたように見えますが。
松本 若いガイドさんの方が結構神経質になってるなと感じます。観光業で食べている人とそうでない人の意識はかなり違いますが、観光業で食べている中でもガイドさんは「危機感があるならやめた方がいい」とあっさりと状況を受け入れているところがあります。なんでだろうと思ったのですが、ホテルなどはランニングコストがかかるけど、個人ガイドではそんなにかからない。バイトに出たりして何とか食いつないでいるんですね。なので無理してお客さんを入れなくてもいい。小さな子供がいるガイドは自分がコロナに感染する危機に晒されたくない。自分を守るためにガイドを控えることに抵抗がないのかもしれません。大きなホテルは危機感もあるけれ、周りからのプレッシャーもあって自分からやるとは言えない。県や町の要請もあるので赤字を抱えても休業しているところが当然あります。持続化給付金は個人のガイドさんも100万円もらっています。ガイドさんにはありがたい額ですが大きなホテルからすれば全然足りない額です。その辺の感覚がだいぶ違うと思いますね。

ガイド業への支援策

寺崎 補助金の話が出ました。松田さん、北海道ではガイドは事業者としての制度的な位置づけが不明瞭で手続きが難しいという記事を見ましたが。
松田 国の持続化給付金はそれほど難しいことはないですが支援対象にはなってなかった。
寺崎 こういう状況で、業態として国や行政と会話できる産業がある一方で、皆さんの仕事は地域や行政からどのように見られていたのでしょう。この点にも、今回学ぶべきポイントがあると思ったのですが。
吉井 東京都の休業要請は店舗に協力金50万円が出ますが、店舗がなくても遊漁船やボートを持っているところは認められます。うちも数年前に事務所を閉めて自宅に戻りましたが、そういう状態だと協力金はもらえないですね。持続化給付金と10万円、あとは小笠原村の給付金の3つが、いただける形です。
寺崎 僕が思うほど、社会の中でガイド業が他の観光事業と違うということではないんですね。
松本 屋久島は、県と町で全然対応が違ったんですね。県は吉井さんが言ったように、店舗や施設があるところに休業要請をして補償するので、うちは事務所があり、資源などの紹介もしているので展示スペースということで申請できました。ダイビングショップは店舗があってスクールをしていると言ったけど、最初は認められなかったようです。ダイビングショップで事務所を持たないガイドは当然対象外でした。
 ところが町の助成金は、ガイドに関しては町条例としてのガイド登録制度があるので、最初はこの制度に登録しているガイドに限定するのではと心配していたのですが、意外とおおらかで、観光協会に所属していればいいとか、事業者組合が証明すればいいと言った形で広く対象になりました。屋久島町は町条例にしているくらいなので、ガイドをちゃんと認めている。そういう意味では非常に良かった。逆に県は、そこまで認めていなかったという違いが非常によく見えましたね。
寺崎 とても面白い事例です。ガイド制度についても、実情に応じて現場で仕組みを作る。その有効性が示されたのだと思います。
松本 屋久島町の考え方として、これからは観光立島だという中でガイドは非常に重要な役割を担っているという認識がある。ガイドさんに対してしっかりケアしたいという姿勢が見えました。今までガイド業界として一生懸命頑張ってきた成果だと思いました。
吉井 小笠原村の場合は、観光事業者に特定せず、村民の中で収入が減った人という考え方です。でもこの期間に収入が減ったのは観光なので、実質的には観光事業者向けになったと思います。
松田 北海道の給付金は、うちの事務所は対象外でした。町は色々支援策を考えてくれ、商工観光課はガイドが支援対象から抜け落ちているという認識は持っていました。ただ、町としては、みんなが困っているから、みんなに行き渡るようにということで、斜里町が行ったのは水道料金の免除などに限定されています。(会談後に斜里町のガイド事業者などを対象としたクーポン券の販売が決まった)

DMOなど観光地域経営に必要な取り組み

寺崎 松崎さんのところは地域限定の旅行業ということで、ある意味DMOの販売部門を担っているようにも僕には見えます。ご本人にそういう意識はないでしょうが、地域と一蓮托生になってやられていているのですが、観光協会と松崎さんの会社とは意識は違うのでしょうか。
松崎 観光協会より前にうちの会社ができていたということもありますが、観光協会は地元に来たお客さんをどうするかということ。我々は全国から小笠原にどう人を集めるかで、分業はできていると思います。
寺崎 今、他の観光地ではDMOがコロナ禍の後を見据えてアグレッシブに活動していますが、吉井さんや松田さんから見てDMOや地域限定の旅行会社などにもっとこうしてほしいというのはありますか。
吉井 難しい質問ですね。小笠原では10年以上前にランドオペレーター的に村内の観光事業者をまとめるツアーデスクが作られたのですが、そこが解散してナショナルランドや村内の民間のランドオペレーターにうまく波及しました。いまは、村の中にPR部門を担当する観光局ができています。
松崎 ツアーデスクができる時に村から相談を受けました。自分の食い扶持をあげてしまったようなものですが(笑)、宣伝は村がやってくれた方が信用度が大きいのでありがたい面もあります。ただお客さんを受けるのは、うちと村内のもう一社しかなく、宣伝しすぎると船も宿も足りなくなり、逆に断る仕事になる。バランスがすごく難しいと、つくづく思います。小笠原は団体向けの島でありません。ひとりふたりで行く方が小笠原らしさを楽しめると思います。お客さんが少なくて仕方なく団体を入れた時代もありましたが、今はもうそんな時代ではないと思うので、島のガイドさんや宿を結ぶ通訳としての立場を強化していきたいと思っています。
寺崎 松本さんと松田さんにお伺いします。DMOや観光協会のように地域を取りまとめて発信する人たちに対して、7月以降に期待する役割はなんでしょう。
松本 屋久島は世界遺産で人気があり、たくさんのお客様に来ていただいていたけれど、実質的に観光客は20万人ちょっとです。これで観光としての経済がそれなりに動いていたんです。
 今回のコロナの影響で「とりあえず屋久島に行くか」という人は減ると思います。飛行機や新幹線などを使い、わざわざ高い旅費を払って、リスクを感じても屋久島に来てくれるのか。今までのようになんとなくツアーで募って、なんとなく人をかき集めて来る時代ではなくなってしまうと感じています。
「それでもやっぱり屋久島に行きたい」という人は来てくれると思います。どういう人たちをターゲットにするかを考えた時に、幅広くたくさん数を集めるのではなく、確実に屋久島を選んでくれる人にしっかりと情報を提供してケアをしてきてもらうと。逆に言うとそういう人たちをちゃんと大事にできる受け入れ体制を作っていくべきだと思っています。名所を巡る旅としての屋久島ではなく、居住や生活も含めた島での滞在を受け入れる。今までとは違った価値観で島の良さをアピールしていくことが、これから必要になってくると考えているところです。

松田 今の状況をみると「お客さんどんどん来てください」という風になってきましたよね。そうした中でのDMOの役割は何なのか。今回、地域のリーダーらが集まって、どうしていくべきかを話し合う場がなかった。それをDMOに求めるかどうかですが、できればそういう場所とか、人を集める役割がすごく重要だと思いました。
 今回の知床は、横を見ながらなんとなくの雰囲気で自粛し、各自が決めていった感じです。今も何かを解除してお客さん来てくださいと言っているわけではないのですが、なんとなくみんなが集客し始めている感じです。でも今後を考えると、いっぺんに来てしまうより、少しずつ観光客を入れて、観光客が来ることに地域の人たちが慣れていく期間が必要だと思っています。そういう意味では、どんどん集めるのではなく、様子を見ながら集めた方がいいのではと思います。
松崎 「観光客に慣れる」というのは、やはり重要です。東京とか内地は、経済活動がかなり動きはじめ、隣に人が来てもマスクしていれば安心という気持ちですが、島の人たちはまだ知らない人と会うことすら怖がっている。7月で乗船客が今までの40〜50人から一気に10倍の400人くらいになる。最初は怖がりながら接しているうちに、だんだん慣れてくると思うので、その後に島の人から「もう少しお客さん呼んでよ」とか、「もう少し受け入れられるよ」という声が聞こえてくると、送りますねと言える。行政なり観光協会で、島の人が少しずつ慣れてもらうようにして、受け入れた後も反省とか対策などを話し合い、「ここまでだったら安心」となれば、ウィズコロナでお客さんの受け入れもできるのかなと思っています。
 島の人たちは多分1月頃の東京ぐらいの状態なので、シールドをかぶっている人が町の中にいる光景も知りません。そういうギャップを埋めるような話し合いを徐々にしていってもらいたいし、そのギャップを調整するのが自分の会社の役割だと考えています。
寺崎 僕が思ったのは、本来DMOは、外から来る人と、地域の中で活動する人との距離感をうまく調整することが重要だということです。よく観光地経営とか言っているけれど、アクセルを踏み、集客するだけが経営ではなく、ブレーキ、つまり生産調整や、どういうパーツから出していくかということを地域の中で協議し、みんなの理解を得ながらやっていくことが大切だと思います。

今回の経験から学ぶこと

寺崎 皆さんにお聞きしたいのですが、現場からみて、持続可能な観光とはどのようなものか、その実現には何をすべきかをお聞かせください。
松田 自分たちも移動できないので、どうやって人と情報交換をしたり、話し合いをするかに悩みました、特に、意見を集約して、国などに届ける方法を私たちは持っていないと思いました。ガイド業を持続可能に行うためには、業界団体を作る必要性があると思いました。
松崎 日本はもう右肩上がりの成長ではないので、お客さんをどんどん送るという考えは捨てて、島を気に入ったお客さんに何回も来てもらうとか、長く滞在してもらう。旅行というより長期滞在とか、自分の新しい故郷を作るような形で、うまく地域と溶け合うようなもの、観光という言葉がふさわしいかどうかかわからないけど、新しいものになるのかなという気がしています。徐々に現場から変わっていき、最後に大きな流れになればいいなと思っています。
松本 観光というもの自体の考え方が、観光客も観光業者も変わっていくんだと思います。たくさんの人が来てお金を落としてくれればいいという時代は終わり、思いがあって、その地域を自分の故郷のように思い、最終的にはそこに住んでしまおうというようなつながりができる。そうしたものを観光として位置付けていかないといけない。
 今回、テレワークできる人たちがいることもわかったので、そういう人たちが都会を離れ、自然環境の中でクリエイティブな仕事ができるというのも考えられる。都会と地域が結びついて繋がっていくことが観光だという時代になるといいと思います。
吉井 ワゴン車に9人乗せていたのを減らす。繁忙期に受け入れを制限しないといけなくなる。そうすると自ずと一人当たりの単価を上げる方向にならざるを得ない。そうできるという決断を今はできていないですが、そういう方向になるのかなと思います。
 オンラインでもいろいろなことができますが、やはり直接行ったり人に会う体験は全然違う。コロナがあったとしても、観光というのは人に来ていただくこと、人と向き合うことだと考えながら、やり続けるしかないと思っています。
寺崎 ありがとうございます。では最後にお聞きしたいこと。今回のコロナ禍の経験から私たちは何を学ぶべきでしょう。観光業に限らず、どんなメッセージを感じ取り、観光振興においてどう意識して今後行動していくべきだと思いますか。
松田 正直、努力して頑張っても勝てないものがあることを学びました。実際、マスクやアルコールなどの対策用は準備していましたが、解決策にはならなかった。今までもある程度は予想していました。観光をやっている上で、自然災害、洪水や地震、こうした感染症は5〜10年に1回は訪れるだろうと思っていました。人生の中で、かなり大きなことが起きるだろうということは歴史を振り返りながら想像はしていました。ただ、会社としても準備はしていたけれど、準備不足だった。こういうことに耐えるために、財務面をどう立て直すのかが悩みです。そういう意味では、会社としての体力をきちんとつけておかないとダメだと思いました。
 これは1年以内では終わらない。その中でどうやって持続的に観光を進めていくかについての答えは出ていません。長期的に解決策を考えなければならないと思っています。
松崎 観光を意味するサイトシーイングのシーイングにはルッキングではなく「見る」「知る」「会う」という意味があり、この3つをうまく融合して初めて観光と言えるのかなと常々に思っています。今回の経験で、お客さんは、観光地のことを考えてくれていることを痛感しました。島のパッションフルーツが売れないと聞いたので、うちの方で売り出したら、小笠原のことが心配だというお客さんが何かしようということで380箱も買ってくれたんです。観光と言っても行くだけでなく、島のものをお客さんとうまく結びつけるのも役割だと思っています。繰り返しになりますが、仲人や通訳のように島の人とお客さんが何を欲しがっているかをうまく結んであげられるような立場になれたらいいなと思っています。
吉井 気づいたことが3点あります。1つは日本各地にある小笠原のように医療面が整っておらず、コロナフリー・リスクゼロのために閉めるという対応をしているところも、いずれは制限を緩めていく。リスクゼロではなくなった先が全く見えず、未知数の怖さがあるということ。
 2点目は、観光は、お土産や農産物など、いろんなところに影響を及ぼしていることを改めて実感しました。そういう意味では、多くの人が観光の大事さを感じてくれたと思うので、より皆さんと連携しやすくなると思います。
 3点目はガイドに関して。お客さんと直接接する仕事なので、非常に密になりやすい。仲良くなるほど握手したり、ハグしたりと距離感も近くなります。場合によってはサポートのために手を添えたりする。今後の対応が不安です。
松本 僕も東日本大震災の時は気仙沼に行ってボランティア活動をしたりしましたが、今回は全国民が被災したんですよね。今まではボランティアで助けてあげようと言っていましたが、そうではなくて、みんなが助け合わなければいけない立場に変わってしまった。これはすごく大きな意識の変化を生んだのかなと思っています。
 自然というのは、地震もそうですし、今回のウイルスもそうですが、抗えない理不尽な試練を与えてくる。その時に我々が、そこでどう対応するかが問われていると思います。そういう意味ではもう腹をくくるしかないというのが信念としてあります。下手に抗っても太刀打ちできないことがあるんだと。自然を見ている人なら、きっとそこは感じる壁みたいなものがあるんですね。
 腹くくった次にあるのは、転換。切り替えていく覚悟が生まれる。屋久島に観光に来てくれる人の質が変わってくる。だったら屋久島の観光をこういう風に変えていこうぜと、覚悟を決めて島の観光を新たに作り直していく。これが僕は復興なんだろうなと思います。
 復興というのは、決して復元ではない。元に戻すことが目的ではなくて、新たに起こしていかなければいけない。つまり変わった環境の中でどうあるべきかを考えて覚悟をもって興こしていくことが復興なんだと思います。今までは被災地で復興と言われていましたが、復興は元に戻すことではないんだと今回すごく感じました。今後、屋久島の観光を含めた産業がどうあるべきか。覚悟を持って、これから来る第2波、第3波に備え、何年もかかるかもしれませんが、次の屋久島を構築していく、復興していくことが必要なんだと思いました。
寺崎 どうもありがとうございました。また、皆さんと実際にお会いしてお話できる機会を楽しみにしています。

 

 

 

 

 

松本 毅(まつもと・たけし)
(有)屋久島野外活動総合センター(YNAC)代表取締役。1957年神戸市生まれ。1987年10月屋久島に移住。同年ダイビングショップ「ワンダーランドダイバース」開業。1993年YNACを創立、現在に至る。屋久島ガイド連絡協議会・観光協会ガイド部会・屋久島スキューバダイビング事業者組合などの立ち上げにかかわる。日本エコツーリズム協会ガイド部会長、屋久島観光協会理事、岡山理科大学非常勤講師。

 


 

 

 

 
吉井信秋(よしい・のぶあき)
小笠原・父島陸域専門ガイド「マルベリー」代表。大阪生まれ。北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒。数年間のサラリーマン生活の後、小笠原・父島に移住、2000年に「マルベリー」を設立、現在に至る。主な執筆に「原色 小笠原の魂」(分担執筆、小笠原村、2018年)、世界自然遺産の島小笠原諸島におけるエコツーリズムの展開(日本沿岸域学会誌第27巻第4号P64〜P70、2015年)など。

 


 
 

 

 

松田光輝(まつだ・みつき)
(株)知床ネイチャーオフィス代表取締役。北海道斜里町生まれ。(財)日本野鳥の会、(公)知床財団を経て、2006年に(株)知床ネイチャーオフィスを設立、現在に至る。日本エコツーリズム協会理事、環境省エコツーリズム推進アドバイザー。著書に「知床の自然保護」(共著、北海道新聞社、2010年)、「知床の鳥類」(共著、斜里町/北海道新聞社、1999年)など

 

 

 

 

 

松崎哲哉(まつざき・てつや)
(株)ナショナルランド代表取締役。1973年伊豆大島生まれ。千葉県市川市で育つ。幼少期から小笠原への往来を重ね、日本大学商学部卒業後は東アジアのランドオペレーターとして旅行業を学び、2007年に(株)ナショナルランド入社。2011年に創業者・松崎明の跡を継ぎ代表取締役に就任。世界自然遺産登録後の小笠原観光の変化を経験する中で、人間と自然が共生する持続可能な観光のありかたを模索中。趣味は全国の城郭めぐり。

 

 

 

 

 

コーディネーター
寺崎竜雄
(公益財団法人日本交通公社 理事・観光地域研究部長)