わたしの1冊 第19回
『ベルツの日記』

トク・ベルツ/編
菅沼竜太郎/訳
(岩波書店、1979年)

(株)中沢ヴィレッジ代表取締役会長
中澤 敬

 

「日本の近代医学の父」と言われたドイツ人医師、エルヴィン・フォン・ベルツは、初めて草津温泉を訪れた時の印象を次のように記している。(ベルツの日記より)
〝草津は狭い盆地にある。初めてこの地を訪れた者には、日本の町と言うよりは、むしろオーストリアのチロル地方の村落が念頭に浮かぶ。雨風で黒ずんだ木造二階家、張り出した屋根、その屋根の重しなど、一般的にこの国では珍しい風景を呈している。街の真ん中には湯気を立てて猛烈に臭う硫黄を含んだ熱湯の大噴水がある。更に草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある。こんな地がもしヨーロッパにあったなら、カルルスバード※よりも賑わう事だろう。〞(※現在のチェコ共和国、カルロビバリ)
 以降ベルツは、草津温泉の研究と開発に情熱を持って乗り出した。中でも世界でも希な、草津伝統の高温入浴法「時間湯」に魅了され、その研究は日本滞在中のライフワークとなり、次々と研究成果を日本そしてドイツの学会に発表した。研究が進むに連れて、ベルツの中で新しい草津温泉開発構想の夢が膨らんでいった。それは温泉街を中心とする町の外周すなわち郊外に新しい街を作る計画であった。個人でその計画用地まで取得し、温泉引湯許可を町に申請したが、当時の町の議会は、その許可を出さず拒否した。並々ならぬ決意でこの計画を進めていたベルツは激怒したが、結局この一大構想を断念せざるを得なかった。その後、無念のうちに帰国の途に就いたベルツは、帰国前に東京大学医学部に多額の寄付をし、彼に代わって引き続き草津温泉の研究を進めるよう頼んでいた。
 ベルツはそもそも明治9年から26年間、東京大学医学部のお雇い教師で、ドイツのライプチヒ大学より前任者の後任教授として招かれた。滞在後半には、当時ご病弱であられたのちの大正天皇の相談医であった。ベルツほど広範にかつ長きに渡り日本社会に影響を及ぼした外国人はそうそういないであろう。東京大学構内に建てられた銅像が彼の功績を物語っている。ベルツは日本を深く愛し、多岐にわたる研究の成果を生みだし、当時の日本に新しい方向性を示唆したのであった。
 私がスイスに留学していた頃(1972-1979)、当時草津町の首長であった我が父は、海外視察のため、よくドイツを訪問した。特に温泉地の視察と姉妹都市交流には熱心であった。ベルツの生誕の地、南ドイツのビーティッグハイム・ビッシンゲンと草津町は長きにわたって姉妹都市提携をしており、その交流の度に父は私をドイツに呼んだ。私はそこで地域の人々に触れ、各地の温泉地巡りに同行してベルツの功績に深く触れたが、当時はそこまでピンときていなかった。
 そののち留学を終え、地元草津に戻った私は、あまりの環境変化と地域の風習等に馴染むことができず、自身の将来の方向性に迷い悩んでいた。そんな時、ふと私は「ベルツの日記」を手にしたのだった。読み進めるうちに、彼の純粋な異国「日本」への興味、情熱、探求心に新鮮な驚きを感じ、私は自分が余りにも地元草津について無知であったことを思い知らされた。ベルツが自書でそれ程までに褒め称える草津温泉とはどんなものか、もっと深く学ぶ必要性を強く感じ、その気持ちはやがてこの地で宿を経営していく一人として郷土の歴史や伝統文化を次の世代に伝えていかなければならない強い使命感へと変わっていった。
 実はベルツの帰国後も、彼の残した意志と計画は草津に根差し、地元の先人たちに脈々と受け継がれていた。現在、草津温泉は日本を代表する温泉地となり、人口7000人にも満たない小さな田舎町にもかかわらず、年間340万人の来訪客で賑わっている。一言で近代草津の繁栄の要因は何かと言えば〝多様性〞という言葉が思い当たる。つまり草津温泉は、多くの観光客の多様なニーズに応えられる二つの顔から成り立っているのだ。一つは、湯畑を中心とした一般に広く名の知れた伝統的な「湯の街草津」、もう一つの顔は草津の外周に発展した自然豊かな「温泉リゾート草津」である。歴史を辿れば、かつてベルツという外国人が外部の視点を以て客観的に評価した草津の新たな価値を、先人たちが受け入れ磨き上げてきたからこそ、今の草津がある。さらに言えば、この多様性を生み出した外部からの客観的な視点こそが、今後の草津温泉の発展にも大きく関わる重要な部分ではないかと考えている。
 かつて「ベルツの日記」によって、郷土への想いを新たに、地元に根差して生きることを決意した私は、縁あって一時期、地域のリーダーとして草津温泉の旅館組合長、草津町長、観光協会長を歴任させていただいた。良い時も悪い時も、ただ真っ直ぐ草津温泉の発展のために尽力してきたが、要職を退いた今もなお、私たち草津温泉に対してベルツが残してくれた功績に深謝し、長い歴史の中で私たちに根付いた〝ベルツマインド〞が末永くこれからの草津温泉を率いる若者へと受け継がれるよう願い、精一杯努力していきたい。

 

 

 

 

 

中澤 敬(なかざわ・たかし)
(株)中沢ヴィレッジ代表取締役会長、草津温泉観光協会顧問、(一社)日本温泉協会常務理事。群馬県草津町生まれ。立教大学社会学部観光学科卒。ローザンヌホテルスクールに学びジュネーブでホテル業に従事。その後、(株)中沢ヴィレッジ専務取締役、草津温泉旅館協同組合理事長、草津町長、(一社)草津温泉観光協会会長などを歴任。「自立と共生のカリスマ」として観光庁から「観光カリスマ百選」に選ばれている。