〝観光を学ぶ〞ということ ゼミを通して見る大学の今

第9回 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻
都市デザイン研究室
都市デザインやまちづくりに携わっていくモチベーション、まちに向き合うマインドを育ててくれるのは、現場であるまち、地域そのものである

研究室プロジェクトと観光

 東京大学都市デザイン研究室は、ランドスケープアーキテクトの宮城俊作教授、都市論・都市計画史を専門とする筆者、建築および都市設計を専門とする永野真義助教の3名の教員と、修士課程大学院生19名(うち留学生3名)、博士課程大学院生6名(うち留学生1名)、さらに社会人大学院の修士課程7名、卒論生5名が所属する大所帯である。教員それぞれの専門性を生かした多角的なアプローチで都市デザインの研究・教育を展開しており、学生の関心も多様である。研究室活動の特徴は、プロジェクトと呼ばれる具体の地域、まちでの協働研究や実践活動を複数、並行して展開している点にある。主に修士課程の学生たちがプロジェクトに参加し、チームとして活動を行っている。プロジェクトには教員も参加しているが、学生については、主体的な参画を基本とし、参加するかしないかは学生の自由意思に基づいている。具体的には春先に各プロジェクトが一堂に会して、学生たちが昨年度の活動成果の報告を行い、それを聞いて、新入生が参加したいプロジェクトを自分で選んでいる。なお、プロジェクトに一つも参加しない学生がいても全く問題ではない。
 現在進行形のプロジェクトは、1)宇治(歴史的市街地でのアーバンデザインセンターの設立・運営)、2)上野(都心歓楽街・仲町通り周辺の空きスペース活用)、3)手賀沼(首都圏郊外の沼辺空間のリノベーション)、4)富士吉田(歴史的市街地での道路拡幅に伴うまちづくりビジョン策定とプロセスデザイン)、5)高島平(計画的市街地でのアーバンデザインセンターの活動展開とヘリテージ活用)などである。この他にも、当研究室と関係の深い同じ専攻の地域デザイン研究室(窪田亜矢特任教授)が長年関わっている小高プロジェクト(原発災害からの復興デザイン)、東京都市大学都市空間生成研究室(中島伸准教授)の三国プロジェクト(歴史的市街地でのアーバンデザインセンターの活動展開)、大学キャンパスのおひざ元で地域関係者とともに進めている本郷プロジェクトなどにも院生たちは自由に参加している。また、これらの研究室プロジェクトには、都市デザイン研究室の学生だけでなく、他研究室や他大学の学生も参加しているし、プロジェクトの殆どは、地域組織や行政、他研究室、様々な専門家との協働体制の中で進められている。学生もそのようなより広いチームの一員として、自らの役割を果たすことになる。★1
 概略的に示したテーマからも分かるように、実は観光そのものを直接のテーマとしているプロジェクトはない。基本的にまちづくりはそこに暮らす人たち、営む人たちが主体となって、自らの環境を主体的に整え、育んでいく行為なので、私たちのプロジェクトもまずは日常の生活や営みがテーマとなることが多い。しかし、何れの地域も大変魅力にあふれたところで(あるいはそうした魅力が発掘されるのを待っているところで)、観光客を含め、様々な来訪者を惹きつける。従って、地域、まちに出れば、自然と観光に向き合うことになる。常に、都市デザインやまちづくりの観点から、観光について考えることになる。
 なお、当研究室の前任教授である西村幸夫名誉教授は「観光まちづくり」の実践を強く推進してきた。地域をしっかり見つめ、地域資源を発掘するという基礎は、現在のどの研究室プロジェクトにも継承されている。また、西村名誉教授の薫陶を受けた研究室OBOGの中には、東京都立大学、和歌山大学、立教大学の観光学科/コースの専任教員となっている者もいるし、JTBFにもこれまでに何名かのOBOGが就職し、観光まちづくりの促進に携わっている。

まちを見つめ、文化資源を発掘する

 では、こうしたプロジェクトを通じて、学生たちは何を経験しているのだろうか。以下、研究室プロジェクトのうち、この4年ほど私自身も関わっている上野プロジェクトをとりあげて、研究室での学びがどのようなものなのかを伝えてみたい。
 上野プロジェクトの発端は、都心北部一帯の文化資源の保全、活用による新しい東京再生像構築を目指す東京文化資源会議の一部会・上野スクエア構想検討委員会の活動である。上野は同会議が対象とする東京文化資源区の要の位置にある。検討委員会は、ある種勝手連的な立場から、やや先走って不忍池の隣接街区の再開発や中央通りの広場化などを盛り込んだ第一次構想を提案し、発表した。しかし、地元との連携がうまく取れていなかったこともあって、「大企業による再開発が本当の狙いではないか」という警戒心を持たれ、地域から反発を受けていた。筆者が座長として関わり始めた2017年は、そのようなことで、仕切り直しが求められていた時点であった。地域をしっかり見つめ直さないといけない。研究室の永野助教や院生たちと一緒に取り組んでみることにした。引き続き、上野の関係者や有識者たちとの検討委員会を開催していったが、その会議の運営や議論の素材を生み出す調査は学生たちが中心となって進めていくことになった。
 上野にはたくさんの観光客が訪れている。しかし、その殆どは上野の山と呼ばれる上野公園内の各種博物館、美術館を目的としているのであって、決して上野のまちにはやってこない。観光面で、山からまちへという動線をいかに生み出すかが上野の長年の課題であった。しかし、動線といっても、肝心の上野のまちには、アメ横のような個性的な通りを除けば、その歴史文化的な蓄積に比して魅力の発現に乏しく、そこをわざわざ訪れる理由を見つけづらくなっていた。そして、山とセットである不忍池とまちとの繋がりが不十分であった。
 2018年にまとめた『第二次上野スクエア構想』でコンセプトとしたのは、施設からではなく、場所から上野を捉えなおすということであった。具体的には、上野の山の文化資源が施設型であるのに対して、上野のまち自体を非施設型=開放系の文化資源の集積地と捉え、それをもとにビジョンを練ろうというものであった。その際に学生たちが作成した文化資源マップは、文化資源を広くとらえ、昼の顔と夜の顔の二面性という地域の特徴をうまく表現していた(図1)。とりわけ上野の夜の顔=歓楽街を、もともと花街を起源としているという歴史的な文脈を踏まえつつ、現在の多国籍文化が入り混じる上野ならではの文化資源と認識した。学生たちが頑張った不忍池のアクティビティ調査に基づく空間再編提案を含む、スクエアの骨格づくりや個々の場所の改善を提案した報告をまとめたところで、その次のアクションのポイントとなるのは、実際に地域で活動することであった。つまり、「地域を動かす」こと。この提案を実際に地元の中でもんでもらい、まちの環境保全や改善の力に変えていくことであった。

 

まちで地域とともに動く

 検討委員の中には、不忍池の南側、仲町通りの老舗の組紐店の店主Aさんや、商店会長さんらがいた。彼らは自分たちのまちに大きな課題があると感じていた。仲町通りは上野の歓楽街の中心であるが、近年、風俗店の増加(路面展開化)、特に客引きがたむろすることで安心感が大きく損なわれ、多くの人を受け入れてきたまちの性格が変質しつつあった。また、ビルの上層階は従来、小規模なスナックが数多く入居していたが、得意客の減少もあり、空きテナントが目立つようになっていた(そのことも、学生たちが一つ一つのビルを実見調査して初めて確認できたことであった)。そうした課題を抱えるこの通りだからこそ、先に示した文化資源の捉え方を基礎に解決に向かってまちづくりを進めていくことが大事なのではないかと考え、この通りに集中して取り組んでいくことにした。引き続き、研究室メンバーと検討委員会の運営を担ってくれていた都市計画コンサルタントのBさん、そしてAさんが声掛けして拡充した地元メンバーでまず考えたのは、風俗店の増加も空きテナントの増加もいずれもそのフロアの貸主であるビルオーナーと直接関わる問題なので、まずはビルオーナーとのつながりをつくり、そこから空きスペースをどのように使っていくのかを検討していこうということであった。商店主やテナントの方々は商店会組織を通じてつながりがあるが、ビルオーナーは地元にいない人も多く、ビルオーナー同士のつながりは特にないとのことだった。
 そうして、学生たちがプロデュースするかたちでビルオーナーたちを対象とした空スペース活用ミーティングを定期的に開催することになった。その際、ただ議論を重ねるだけでなく、半年後に何らかの社会実験を行うという目標を先に立てて、話し合いを進めてみた。その結果、2019年9月の週末に、スナックが撤退したあとの空きテナントスペースに、この界隈に蓄積されてきているものの、これまでまちなかには顕在化していなかった文化・芸術・学術コンテンツをかけあわせてみる社会実験として、アーツ&スナック運動を開催することになった。通り沿いの6カ所の会場(居抜き状態)の空きスナックで、落語、歌手コンサート、スナックママのトーク、Vtuberスナック、アートワークショップ・インスタレーション、伝統技術体験、研究展示などが行われた(図2)。この企画を通じて、ビルオーナーをはじめ、この通りや周辺に関わりのある方や東京芸術大学のメンバーなどとの様々なつながりが広がっていった(図3)。学生たちもそのネットワークが広がっていくプロセスに立ち会いながら、来街者アンケートによる客観的データの取得・評価分析などの大学ならではの役割を担いつつ、初めてみるスナックとアーツとの掛け合いを楽しみながら活動を展開した。



 2020年は、地元リーダーとなったAさんを中心として、このアーツ&スナック運動のさらなる展開を考えていた矢先に、コロナ禍の状況となってしまった。上野の歓楽街はそのダメージを最も大きく受けた。特にスナックは三密空間の最たるものであった。地元メンバーと戦略を練り直すことになった。第1回アーツ&スナック運動で付加的に実施した路上のライブパフォーマンスが道行く人の足を止め、広場の風景を生み出したことが強く印象に残っていた。コロナ禍対策としてもオープンエアの活用、つまり街路や屋上等で何かできないかを皆で検討を行っていたところ、6月になって、国土交通省がコロナの影響を受けた店舗を支援する目的で道路占用許可の緊急措置を発表した。その制度に則って、仲町通りでも街路を使って、コロナ禍で困っている飲食店を支援する企画を立てることにした。永野助教が商店街の財産である街灯を使って仮設のテーブルをつくる「ガイトウスタンド」を発案した。その具体化、特に制度の適用については、永野助教とAさん、コンサルタントのBさんらが台東区と交渉を重ねた。学生たちはコロナ禍の緊急事態宣言下でなかなか動きづらい中でも、この発案から実施に向けたプロセスを一緒に走っていった。ガイトウスタンドの花びらのようなデザインは、学生のアイデアが基となった。そして、2020年10月から11月の週末に実際にこのスタンドを通りに設置してみることになった(図4)。ここでも、沿道の店舗のテイクアウトメニューの提供、近隣のメイドカフェのメイドさんによる清掃などの具体的な協力関係の構築を通じて、まちの中で関わる人のネットワークはさらに多様な広がりを見せていった。学生たちも、その広がりゆく輪の中でのそれぞれの得意なことや関心を活かして役割を見出し、各種紙もののデザインや実際の使われ方の調査の立案などを行い、それを速報的なレポートや学会論文にまとめ、今後の課題について明らかにしていった。

 

研究室プロジェクトを超えて

 以上、上野プロジェクトの4年ほどの具体的な展開を紹介した。地域の文化資源の発見や活用提案を行うというフェーズから、地域の課題に対応し、社会状況の変化に合わせながらアイデアを柔軟に実行していくフェーズへという展開に、教員も学生も同じように新鮮な気持ちで関わり、経験していった様子が伝わっただろうか(修士の学生は2年間という限定した期間の経験であるが)。当初は勝手連的な取り組みであったが、次第に地域との関係を深め、関わる人も増えていき、学生もその広がりゆく輪の中の一員ということになると、自分たちができること、やるべきことは何かを自ずと考えていくようになった。地元からのダイレクトな反応は学生にとって大きな刺激となった。教員としては、学生に何をやりたいのかを常に問うようにしてきたし、一方でいわゆる定型の仕事(もちろんそれは誰かがやらないといけない)よりは試行錯誤が可能な、いや試行錯誤が求められるようなことの方へ少し誘導してみたりしながら、進めてきた。何れにせよ、刻一刻と変わっていく現場の状況そのものが、学生が経験する最も大事なことがらである。そして、その中で、スキルを身に付けるというだけでなく、むしろまちが動いたり、動かなかったりする仕組み、地域の人々が抱えている課題や思い、本音を実感してもらうこと、さらに、できれば各自の研究テーマへのフィードバックに加えて、将来の自分の仕事をまちや地域への様々な働きかけの中で相対化しながらイメージしてもらうことを願っている。なお、学生たちがこれまで体験してこなかったような環境、地方や郊外育ちであれば都心、東京育ちであれば地方、国内育ちであれば海外、あるいは普段行かないであろう上野のような夜の街など、そうしたところに身を置いて、自分の感覚を相対化してもらうのも大事なことである。
 ただし、最近では、それでは満足しないというか、もっと問題意識を強く持ち、地域にさらに深く向き合う学生も出てきている。プロジェクト対象地に休学して移住する者、あるいは卒業したあともその地域と関わり合いを持ち、何らかのかたちで貢献を続けようという意識が見られる。大学が行う研究室プロジェクトは、地域の寛容さに甘えているところも多々あるが、そのことを最近の学生たちはしっかり自覚し、自分も一人の実践者として参画することで、甘えから脱却しようとしている。正直、プロジェクトを通じて、大学教員は自分の限界や足りなさを自覚することが多いが、同時に、学生の可能性というか、自分にはないものを見出させてくれる機会も多くなってきた。そうした学生たちの都市デザインやまちづくりに携わっていくモチベーションやまちに向き合うマインドを大きく育ててくれるのが、プロジェクトの現場であるまち、地域そのものである。プロジェクトを基盤とした研究室活動を展開する理由はそこにある。

 


中島直人(なかじま・なおと)
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻 准教授(都市デザイン研究室)。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学助教、慶應義塾大学准教授等を経て、2015年4月より現職。専門は都市計画。著書は『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共著、東京大学出版会、2020年)、『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)、『都市計画学 変化に対応するプランニング』(共著、学芸出版社、2018年)、『都市空間の構想力』(共著、学芸出版社、2015年)、『白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか』(共著、学芸出版社、2014年)、『建築家大髙正人の仕事』(共著、エクスナレッジ、2014年)、『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』(東京大学出版会、2009年)など多数。

 

★1 当研究室のプロジェクトに関する学生たちの関わりや意識については、学生たちが自主的に発行している「都市デザイン研マガジン」(http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/ja/blog/)に詳しい。ぜひ、ご覧頂きたい。