ガイドという仕事…❶北海道・南富良野
60歳からのガイド人生。「じじいサポートガイド」を目指す

小林茂雄(NPO法人南富良野まちづくり観光協会 理事)

 長野に育ち子供の頃から自然好きだった。中高生時代は野鳥観察に熱中した。探鳥会のリーダーとしての経験を重ねる中で「野鳥を見て自分が楽しむより、野鳥を見て楽しむ人を見て楽しむこと」に開眼した。大学時代は北海道帯広で野生動物管理学を学んだが、それよりも熱中したのがカヌー、登山、熱気球だった。1980年夏、先輩と2人でカナダ・アラスカのユーコン川1600㎞をカヌーで下った。その後、1985年南富良野町へ移住、木製カナディアンカヌー製作とカヌーガイドとして起業した。
 ガイドの仕事は手探りだった。釧路湿原を下る5日間のカヌーツアーなどを企画したが、参加するお客様はほとんどいなかった。転機は1987年。然別湖でカヌー、自然観察、熱気球の体験ツアーを行う然別湖ネイチャーセンターが設立され、私がカヌーを輸入し、﨑野隆一郎さん(現・ハローウッズ)と観光客向け体験ツアーの企画運営を行った事だった。これは現在の北海道でのアウトドア体験観光、修学旅行体験の先駆けとなった。1988年には札幌在住のスウェーデン人、スタファン・エンストロームさんと、「The Hokkaido Adventure Tour」の名で、カヌー、MTB、登山とキャンプで大雪山を一周する7日間のツアーを国内在住の外国人7名を集め実施した。また1990年と1991年にはアルパインツアーサービス(株)の手配で、ユーコン川12日間ツアーにカヌーガイドとして同行した。この時期は10名近くのアウトドアガイドを雇用しラフティング、カヌー、犬ぞり、ワカサギ釣りなどの体験ツアー会社を南富良野で運営していた。自らは1993年からトマムリゾートで7月、8月の毎朝、1時間の自然観察ツアーを10年間行った。
 それらの経歴から2000年から2009年まで、北海道アウトドアガイド資格の創設に関わり、北米のアウトドア資格視察、カヌーガイド教本の執筆、そしてカヌーガイド審査会長をさせていただいた。
 2007年からは現場を離れ、NPO法人南富良野まちづくり観光協会理事として「ガイドの仕事を作る仕事」をしている。しかし「人を遊ばせるには、自分が遊ばなくては」がモットーなので、道内はもとより京都・芦生、小笠原、御蔵島、屋久島、慶良間諸島、西表島に赴き、さらにスイスでは「スイス・モビリティ」、台湾では自転車事情等の視察と称して遊んだ。ここ4年はアドベンチャートラベル(AT)の機運に乗り、「ATって、1990年代に我々がやろうとしていたことのインバウンド版じゃないの?」と考え、地元ガイド30名と共にATツアーの造成を行っている。

経験を活かせる次のキャリアは何か?

 さて、北海道のアウトドアガイドの第一線で働ける年齢は、私見であるが以下の通りだ。ラフトガイド20〜40代、カヌーガイド20〜50代、山岳ガイド30〜60代、自然ガイド30〜70代。かく言う私も、この春で63歳。観光協会の仕事は先が見え、カヌーガイドに戻るには体力が落ち過ぎた。そこでここ数年、今までの経験を活かせる次のキャリアを考えてきた。
 ヒントとなったのはカナダ、コスタリカ等でラフティングガイドを11シーズン行ってきた札幌在住のカナダ人、グレッグ・ブリュイエールさんの話だ。彼の故郷オタワ川のラフティング会社では、マッチョな若いガイドと共に、送迎バスのおじさんドライバーが人気者だ。出発地点でラフトガイドがツアー準備をする間、おじさんドライバーが楽しい話でお客様をまとめ、リラックスさせる。人気者のおじさんドライバーは実は伝説的なラフトガイドで、ガイド引退後はバスドライバーとしてツアーを支えているのだ。そしていざ事故が発生すると、彼らの経験を若手に伝えて救助の援護をするとのことだ。
 同じような経験もしてきた。コロナ流行前の2年間、外国人サイクリストを対象に1日100㎞を数日間続けて走行するサイクリングツアーの伴走車の運転手を5回行った。当初は伴走車の運転だけと思って引き受けたが、必要なことがたくさんあるのに気付いた。1日100㎞走行するとなると、お客様はもちろん、サイクルガイドも消耗する。給水や休憩時にガイドが自らお客様の接待をしていると、自身の給水や栄養補給ができず、脱水症状やハンガーノックアウトとなってしまう。そこで運転手はサポートガイドとして、給水や補給食の準備、椅子テーブルの設営を先回りして行い、撤収もする。併せてツアー中の写真や動画の撮影を行う。ツアー中は豊富な地域ネタ、雑学ネタでお客様を楽しませる…などである。私は日本らしさを演出しようと、休憩時には作務衣を羽織り、手ぬぐいを頭に巻き、アウトドア用野点セットを使って抹茶を点てて提供している。自転車の修理まではまだできないが、万が一の救護やコミュニケーション等は、現役ガイド時に培ってきたものが活きている。一昨年からは自身もロードバイクに乗り、サイクリストの気持ちがわかるようになってきた。目指すは現役のアドベンチャーガイドのツアーを裏方として支える、「じじいサポートガイド」という目標が見えてきた。
 2021年12月、素敵な「おじいガイド」と出会った。沖縄・渡嘉敷島のアドベンチャーガイド・池松来さん(サニーコーラル)の主宰するアドベンチャーツアーにモニター参加した時のこと。金城肇さん(70歳)は、民宿経営の傍ら、渡嘉敷島のアドベンチャーツアーのサポートガイドとして、島料理の講習と阿波連集落の街歩きのガイドをしている。生まれも育ちも渡嘉敷島阿波連集落で、島の自然、食文化、風習、戦後の歴史を詳しく知っている。肇さんの話は楽しくわかりやすい。地域の歴史や風習を、押しつけがましくなく、易しく話してくれる。そこまでなら、どこにでもいるボランティアの地域ガイドなのだが、肇さんは一味違う。肇さんは安全管理と時間管理ができる。ツアーの最初に注意点をきちんと伝え、街歩き中にはチラッと時計を見て時間を調整している。肇さんは盛り上げ役に徹する。調理の最初は自分が話の中心に居て話を盛り上げるが、参加者どうしが打ち解けてくると、さっと引いて片付けをしている。肇さんはサポートガイドに徹する。メインガイドを立てつつ、タイミングを見計らって肇さんがガイドを代わり、メインガイドが休んだり、次の準備にあたれるように心がけている。ただ者ではないな、と肇さんのバックグラウンドを探ると、40年以上前から長らくダイビングやホエールウオッチングのガイドをしていたとのこと。なるほどお客様をひきつけ、安全と時間の管理ができるのはこの経歴があるからだ。

ガイド人生、お楽しみはこれからだ

 北海道のアウトドアビジネスが始まってから約30年。初期のアウトドアガイドは50〜70代の中高年ガイドとなっている。そろそろ年齢的に転機を迎えている。本来ならアウトドアガイドからアドベンチャーガイドへと、歳を重ねる中でアップグレードしていかなければならなかったのだが、未だにアウトドアガイドで止まっているガイドがほとんどだ。アドベンチャーガイドには、技術・経験・体力・語学力だけでなく、日本・海外の両方の文化を理解していることが必要となる。
 北海道では山岳・バックカントリー・サイクル等でアドベンチャーガイドに値するガイドが出て来ているが、それをサポートするサポートガイドは見当たらない。それならそれで私が「じじいサポートガイド UncleいやGrandpa Shigeo」で頑張るか!ビジネスモデルがないなら創れば良い。まずは海外のアドベンチャートラベル会社の北海道ツアーのサポートガイドとしての契約を目指そう。60歳過ぎてのガイド人生、お楽しみはこれからだ。