視座
ガイドは持続可能な観光振興の旗手となる

寺崎竜雄(公益財団法人日本交通公社・常務理事)

1.ガイドとは

概念整理

 ガイドとは、旅行者を連れだって観光地を案内したり、そこでの諸体験を補助する等によって、観光旅行の楽しみを増大しようとする者の総称である(1)。他にも、案内人、解説者、インタープリター、インストラクター等の呼び名があり、目的や経緯などを踏まえて厳密に区別して用いられることもある。また、ガイドが同行・案内する一連の行程は、ガイドツアーまたはプログラムと呼ばれている。
 ガイドの具体的な活動には、町なかの散策・案内、草花や小動物などを含めた自然環境の解説、風景の鑑賞、工芸や郷土料理作り体験、ラフティングやカヌーなどのスポーツ体験、キャンプなどの野外体験の補助等がある(2)。案内・解説の対象は、原生的な自然、里地里山の自然、神社や仏閣などの建築物、歴史の痕跡、地域特有の産業、祭りや季節の行事、伝統的な芸能や技法、それらの景観等さまざまである。特徴的な構造物や風景など目に入るものだけでなく、歴史上のエピソードや、伝承されてきた知恵や生活文化なども素材となる。まさにガイドの視点と工夫次第である。
 本稿は、旅先でのごく一般的な観光活動に注目しているので、スキーやダイビングのスクールで見られるような、技術向上や安全管理に重きを置く活動への配慮は薄いかもしれない。また、ガイド業という産業に注目するために、ツアー参加者から対価を得ることによって継続的に業務に取り組むガイドに焦点をあてており、ボランティア的な活動(3)はあまり考慮していない。
 このように概念規定を試みたが、本誌をここまで読み進めていただくとわかるように、ガイドは実に多様・多才、ガイドツアーもまた多様・多彩である。

発展の経緯

 次に、我が国におけるガイドツアーの芽生え、普及に至る経緯を概観する。大まかな傾向を見るための客観データ(4)として、環境省主催「エコツーリズム大賞(5)」の歴代受賞団体の設立年を参照する。ガイド活動に絞った指標ではないが、「ガイダンス」の実現がエコツーリズム成立の要件(6)であることを考慮すると、概況は示しているようだ。ここではグラフの分布形状をもとに便宜的に10年ごとに区切り、平成に入る(1990年頃)までを「前史」、1990年代は「黎明期」、2000年代は「普及期」、2010年からは「定着期」に分類した(図❶参照)。

(前史)

 1980年代は、2度のオイルショックから観光需要が拡大に向かう頃。後半はホテル、スキー場、ゴルフ場、テーマパークなどの施設開発により誘客を目指そうというリゾート開発全盛期である。
 こうした中で、北海道では全国に先駆けてアウトドア体験観光を具現するガイド事業が萌芽した。﨑野隆一郎や小林茂雄らが、周遊観光バスで訪れる団体観光客に大自然を体験してもらうために、遊覧船と手こぎボートしかなかった然別湖に大量のカナディアンカヌーを持ち込んだのが発端だといわれている。1987年夏に然別湖ネイチャーセンターを設立し、カヌーツアーを開始。さらにナイトウオッチング、森の散歩、マウンテンバイクなどのプログラムを開発していった(7)(8)。
 また同じ頃、カヌーや気球などの道具を使わずに、深い知識と独特の語り口で参加者を魅了するガイドが活躍し始めた(9)。

(黎明期)

 1990年代になると、競うように進められてきたリゾート開発はなりを潜め、国内旅行市場は「安・近・短」と表現された。より手軽な旅行スタイルとしてアウトドア・レクリエーションが人気となり、旅行先では地域の特性を活かした体験観光が普及し始める。
 1993年、屋久島と白神山地が世界自然遺産に登録され、日本を代表する自然地域での観光に目が向けられた。この年、松本毅ら三名は有限会社屋久島野外活動総合センター(略称はYNAC)を設立。ガイドとともに自然地域を楽しむ体験プログラムをエコツアーと銘打って商品化した(10)。なお、その前年に策定された「屋久島環境文化村構想」(11)には、地域産業の創出にむけた自然体験型観光のプログラムづくり、ガイドの養成が既に書かれている。
 YNACの活動はガイド業の成立を予感させた。屋久島ではその後も起業が相次ぎ、今では屋久島観光協会ガイド部会登録のガイド数は130名にのぼるという(12)。
 同じ頃、小笠原や慶良間では冬期の誘客の目玉としてガイドが案内するザトウクジラのウオッチングツアーが始まった(13)。
 1990年代後半になると長引く不況を背景に、地域経済の牽引役として観光への期待が徐々に高まってくる。全国、あるいは地域を代表するような観光資源や、大規模な施設開発に頼るのではなく、身の回りの自然環境や、地域固有の生活文化を体験観光の素材として積極的に活用しようとする動きが目立つようになった。地域資源を発掘し、磨き上げによって魅力・価値を高め、体験を加えることによって、全国どこでも誘客は可能になるという考え方である(14)。

(普及期)

 2000年度、国土交通省総合政策局観光部(現、観光庁)は、観光地での滞在時間を増やし、旅行者の消費機会を増大させる手段として「インタープリテーションプログラム(自然ガイドツアー)」(15)を提唱した。特徴は、観光対象とする地域資源にガイダンスというソフト価値を加えることによって、地域資源の観光経済価値(16)を高めようとする点にある。同事業ではガイド養成研修会を開催しているが、参加者からは「これまで自然の中でのガイド活動にはうしろめたい気持ちがあった。この研修会では国が自然でお金を儲けても良いと言ってくれた。画期的だ」という声が聞かれた(17)。
 その後、観光振興は国の重要政策課題となり、観光立国にむけた取り組みが本格化する。体験型・交流型の要素を取り入れた地域主導による新しい形態の旅行商品をニューツーリズムと表現し(18)、普及を加速させた。
 一方、環境省は2003年11月にエコツーリズム推進会議を発足。ガイドツアーは日本を代表する自然地域だけでなく、既に多くの観光客が訪れている観光地、里地里山等の資源の活用によって地域振興を図ろうとする地域にも広く浸透した。エコツーリズムの成立には「ルール」と「ガイダンス(19)」が不可欠だという考え方を示すとともに、「エコツーリズムの理念は気高く尊いが、実現は簡単ではない。ガイドという人による情報提供、体験を促す観光形態は、人件費の高いわが国での普及は容易ではない」(20)と、今も続くガイド業の課題にも言及している。
 2000年代は、こうした背景のもとで、ガイドになろうとする動き、ガイド業の起業が活発化した。

(定着期)

 2010年代にはいると、インバウンド誘致を核にした地域活性化の取り組みにいっそうドライブがかかる。
 そうした中、東日本大震災後には、被災地をめぐるガイドツアーが行われたり(21)、ガイド養成とプログラム作りが試みられるなど(22)、ガイドの活動は復興のツールとしても活かされた。
 また、これまで観光利用には消極的な側面もみられた文化財の活用促進が顕著になってくる(23)。人文資源の観光利用の勘どころは、対象物の背景にある歴史的な出来事の解説や、複数の素材をつなぎ合わせたストーリー作りであり、そこにガイドの役割がある。
 一方、テレビの旅番組では、ふらっと訪れて地域の日常に踏み入る様子を紹介する場面が増えてきた。地域住民の暮らしに触れたい、出会いを楽しみたいというニーズに応えるガイドツアーも見られるようになった。こうしたプログラムでは、地域の人たちとツアー参加者の間合いを図ることが重要になる。そこに暮らすガイドだからこそ企画・催行できることである(24)。
 こうしてガイドツアーの可能性はいっそう広がった。地域の中でも徐々に理解・認知がすすみ、ガイドの活動は定着した。ガイド数はこの先も増加するだろう。

2.ガイドの役割

提供する商品

 ガイドツアー、プログラムとは、ガイダンスを伴う体験観光商品である。ガイドは言葉による説明に加えて、図鑑やガイドブックなどの解説本、写真、標本などを見せたり、ホワイトボードで絵解きをしたりしながら、参加者の理解を補助する。伝える技術を駆使してツアー参加者の感覚を呼び覚まし、さまざまな地域の素材にふれて興味を引き出し、それらの因果関係を解き明かす(25)。
 ガイドツアーには、あらかじめ体験内容や行程と参加条件を明示して、幅広く参加者を募る主催型のプログラム、参加者の意向に沿って個別に組み立てるもの、限定的に実施するイベント型のもある。2時間程度の短時間のプログラム、半日から一日がかりのもの、宿泊を伴うものまで、所要時間はさまざまである。
 こうしたツアーの魅力は、行きづらい場所への案内、ガイド無しでは見られないものとの遭遇、深い知識を得ること。さらにガイドとの出会いや和やかな時間の共有も商品価値となる(26)。
 商品価格に目を向けると、本誌で扱うガイド業が出現するまでは、例えば山岳ガイドの場合にはガイド一人いくらという提示だった。日当で雇うという考え方である。一方、YNACは創業時から参加者一人あたりのツアー価格を提示した。ガイド業は情報産業であり、プログラムは道案内ではなくエンターテイメントだという見方である。また、この時に参加者一人あたりの価格を15000円という高額に設定したことも話題となった(27)。これを前例に、屋久島では相場感が形成されていき、さらにこうした高品質かつ高価格なツアー展開は全国に広まった。
 ガイドは演じ手だと言うが、演出家、プロデューサーでもある。観光業で最も総合力が必要だという評価も聞く。ガイドというヒトそのものが商品である(28)。

ガイダンス・伝える技術

 ガイドの主な役割は、専門的な知識と技術を駆使して地域の素材をわかりやすく印象深く解説すること。解説対象に関する深い知識、興味を引く話術だけでなく、ツアー参加者の安全管理や、半日や一日を通して案内するプログラムを構成する能力も必要になる。
 ここでガイドに求められる力を、「知識(頭)」「技術(腕)」「意識(心)」の3つに整理してみる。さらにそれぞれの能力の水準をプロのガイドとして最低限備えておくべき力、つまり免許証に相当する基準(定量的に示すことはできないが)と、その上で鍛錬を重ねることによって際限なく伸ばすことができる高度な能力に区分する(図❷参照)。

(知識:頭)

 ガイドには、圧倒的な知識と情報量が不可欠であることは言うまでもない(29)。ガイドの知見そのものが地域の観光資源になるという見解もある(30)。
 解説対象の名称や特徴などの基礎情報だけでなく、なぜここにあるのか、なぜこうした状態なのかといった理由等、一般的な資料・文献類からは得られないような専門情報、独自の観察調査や経験もふまえた分析的な知見も必要である。
 さらに、その事象に関する知識にとどまらず、例えば地場産業との関連、人々の暮らしぶりに継承されていること(31)、目の前に起きている現象の背景にあるエピソードなどを持ち合わせていると良い。自然環境であれば「進化論」のようなこと(32)、歴史的なことであれば「ものの道理」のようなこと(33)まで伝えられると、参加者の満足度はいっそう高まるだろう。

(技術:腕)

 NHKの人気番組『ブラタモリ』は、冒頭にお題を提示し、ガイドの案内で現地をめぐりながら少しずつ回答に近づく構成となっている。ある素材に関する解説では、ガイドは「何かちょっとおかしなことに気付きませんか」と働きかけ、それでは「触ってみてください」「匂いをかいでください」などと体験行為を促す。そうして参加者が自ら疑問をもち、興味を抱いた上で、解説による種明かしをする。さらに必要に応じて解説を深めていく。ガイドの役割は、「①働きかけ」「②体験行為」「③発見・興味」「④解説」「⑤発展的な解説」という構造(34)である。
 ガイダンスでは「何を言ったか」ではなく、「何が伝わったか」ということが重要になる。参加者の興味を引き出し、答えに飢えた頃に印象深く伝えることによって、驚きと感動は高まる。体験行為では、五感を活用して気づきを導くことがポイントである。前述したように、参加者の感覚を開く、呼び覚ますこと。さらに参加者の想像力を広げることが大切である(35)。
 また、同番組のおおよその展開は、地質を探り、その上に作られた地形を目で追い、さらにそこでの人々の営み、生活文化を伝えることによって、それらの関連性や必然性を説いていく。こうしたシナリオ展開もガイドに必要な技術である。

(意識:心)

 かつてガイドには科学的な高度な知見や、専門的な話術こそ重要であるという論調をよく耳にした。ところが最近は、ガイドにとって大切なのは、「常に参加者のことを気にかけて思いやり、行動するホスピタリティである」、「思い出に残る楽しい旅になるようにサポートすること、おもてなしこそガイドにとって最も重要だ」といった意見が大きいように感じる。「ガイドに会うために再訪する」、「行き先ではなく、そのガイドが案内するツアーに参加する」という声もある(36)。
 さらに、楽しかった思い出を作り出すのはヒトそのものの魅力だという。例えば、「ガイドの案内によって石仏の見方がかわった」という声は、これまで気にかけなかった素材の面白さに気づいたからだというが、それを伝えようとしたガイドの熱量、石にむけた情熱に引き込まれたことにも起因している(37)。学芸員の専門的かつ圧倒的な情報量に驚いたという意見も、自分が暮らす地域のことは全て知っていると言わんばかりの堂々とした振る舞いが心をうったのだろう(38)。
 こうしたことは表面的な技術で補えるものではなく、これまで暮らしてきた中で身についた人格であり、こころざし、さらには当地に対する愛情(39)ではないだろうか。
 そもそもガイドとは、「自然環境や文化財を相手にする仕事ではなくヒト相手の仕事だ」という言葉に集約されている(40)。

3.ガイドを取り巻く課題

ガイド個人の能力を磨く

 地元の観光協会にガイドツアー参加者から、「ガイドの言動が不快だった」というクレームが寄せられたと聞いたことがある。急激な気象の変化に対応できなかったり、急峻な地形の往来時に参加者を的確に誘導できず事故が発生した事例もある。
 ガイド業はガイド個人の能力に依存する業務であり、自己啓発、人材育成、能力開発が肝になる。このところ行政等が主催するガイド養成講座が頻繁に開催されているが、実績を積んだガイド目線では、一人前のガイドになるには3年程度の実践訓練が必要だという(41)。
 後述するように容易に起業・参入できる業種だが、ツアー参加者の安全と満足感を保証し、商品力を備えたガイドとして活動するには、相応の準備と投資が不可欠である。

生産性の限界に対応する

 ガイドツアーは一般的なサービス商品同様に在庫がきかない。プログラムの質を確保するには少人数での催行とならざるを得ない。一定期間内に案内できる人数は限られるので、一人のガイドが稼ぐことができる額は自ずと限られる。
 ガイドツアーの善し悪しはガイドの力に依存するとは言うものの、解説の対象となる素材やフィールドの特性は関係ないとは言い切れない。とりわけ観光の特質である季節性の影響は小さくない(42)。さらに休日と平日による繁閑もある。
 こうした観光サービス特有の課題に対して、コロナ禍の経験から、オンラインツアーへの挑戦がみられるようになった。観光旅行本来の楽しさを提供するものではないが、プロモーションとしての効果もでているようだ(43)。

地域主導のビジネスにこだわる

 じっくり時間をかけて当地を楽んでもらうプログラムに対し、旅行会社から所要時間短縮の要求があったと耳にしたことがある。他にも立ち寄り箇所を増やすことによって旅行商品の価値を高めたいということらしい。
 旅行会社がガイドツアーの販売に乗り出すようになり、価格設定に発言力をもちはじめた事例もみられる。旅行会社がガイドらと契約を結ぶ場面では、自社で設けた独自基準、枠組みの提示があるだろう。ガイドツアーの商品力向上、市場規模の拡大によって販売経路は広がり、まさにビジネス上のやりとりが増えてくる。
 こうした局面においても、客観情勢を踏まえつつ、ガイドとしてこだわりのある対応を心がけたい。後述するように、持続可能な観光振興には地域主体の取り組み、地域主導のビジネスが肝要である。

地域資源の観光経済価値をコントロールする

 ガイドが同行することによって、従来は行くことがなかった場所にも立ち入るようになった。かつては数社しか行かなかったが、評判を聞きつけてガイドツアーが激増した場所があると聞いた。ガイドが注意深く案内するとはいえ、自然環境への利用圧が高まった事例が散見される。
 また、ガイドツアーが頻繁に訪れるため混雑するようになり、利用者の心理的な快適性、満足感が低減した事例も耳にした。清々しさを楽しむような場所、静寂の中で資源と対峙することによって強烈なメッセージが届くような場所であればなおさらである。
 自然環境などの地域資源はガイドにとっての商売道具である。ガイドは資源が発するメッセージの媒介者として、フィールド内で起きていることには常に敏感でなければならない。負のインパクトが顕在化したような状況になれば原因を探り、対処する必要がある。資源の魅力が十分伝わるように、利用環境を適正に保つことも重要である。ガイド業の醍醐味は、ガイダンスとフィールド管理を通して地域資源の観光経済価値をコントロールすることである。

地域住民の気持ちにも配慮する

 ガイドが同行して町なかを歩き、その土地のありのままの生活を間近でみたり、住民との会話を楽しんだりするようなプログラムが増えてきた。祭りや、信仰につながるイベントを案内することもある。来訪者との接点が増え、かつ濃密になることによって、安心・安全な生活環境が壊されたと感じる住民がいるかもしれない。また、無配慮な発言には心を痛めることもあるだろう。
 保全の対象は、目にする地域資源にとどまらず、地域住民の気持ち、意識や心、慣習なども含まれる。こうしたことにも配慮した取り組みが必要である。

ガイド間で話し合う場をつくる

 ガイド業を始めるにあたり、何らかの資格や許認可は不要である。カヌーなどの道具・機材を用いなければ、携帯電話さえあれば始められる仕事だとも言われている。故に、参入障壁は低く、廃業も容易である。こうしたことが、産業としての理解の遅れにもつながっている。
 一部地域ではガイドの登録・認定が制度化されているものの、この枠組みにとらわれずに活動するガイドは多い。また、いわゆる業界団体のような組織・ネットワークもあるが(44)、ここへの加盟も必須要件ではない。あえてこうした団体や枠組みに所属しないことによって、自分の個性を主張することを好むガイドもいるようだ。
 とはいえ、ガイドの活動が正当に伝わり、地域社会に対して責任のある産業として見られるには、ネットワークと協働による諸活動が助けになる(45)。例えば、相互監視によって不手際を注意し合ったり、フィールドの状況を共有する。何よりも事故や災害発生時には、ガイド間の協力体制が不可欠である。連携によって行政や外部に対する発言力も高まるだろう。
 ガイド同士で連絡会をつくる、観光協会や商工会にガイド部会を設置する、さらに登録・認定制度を設ける地域も見られるようになった。何より、日ごろのコミュニケーションこそが大切であり、さらに話し合う場が常設されていることが望ましい。

4.今後に向けて

持続可能な観光振興の旗手に

 地域の中で「ガイドがいるから観光が成り立っている」という声が聞かれるようになった。「地元の子供たちを巻き込んだ取り組みによって意識が変わり、外に出ずに漁師を目指す子もでてきた」「地場産業を維持するために1次・2次産業の技術を見せてお金を得、厳しい過渡期をしのぎ、活性化することにも貢献できる」といったガイドの活動が地域に根付き、地域振興に貢献する具体例が各地でみられるようになった。
 さらに「旅行先に選ばれるには、地域の宝を磨いて魅力を高め、そこに行くことが目的となる必要がある。ガイドは、地域内の関係者らと協働して地域の魅力を作り、売っていく」、ガイド業は「地域と旅行者をつなぐ仕事」として地域振興の牽引者になる。加えて「気候変動などの危機や社会のゆらぎにも、現場目線で柔軟に対応できる」という(46)。
 筆者は、持続可能な観光振興の要諦は「地域主体の取り組み」と「現場関係者らの協働」だと考えている。ここまで述べてきたように、ガイド業はこれを日常的に体現するものである。ガイドは持続可能な観光振興の旗手となるだろう。

子供たちが憧れる仕事に

 こうしたガイド業が誕生し、活動が定着したのは比較的最近のことである。これまでになかった観光の業態であり、無店舗営業も多いことから、活動の実態は充分に理解されてこなかった。地域の中に不信感がありクレームもあった。ガイドが増えれば増えるほど、マイナス面が目立つようになったとも耳にした。
 しかしながら、時間の経過とともに、ガイド業は普及し、地域経済の中で大きな役割を果たす観光地もでてきた。ガイドが地元の学校の教壇に立ったという話を頻繁に耳にする。移住してきたガイドは、そこでの暮らしを楽しみ、その地をこよなく愛しているようだ。家族とそこで暮らし子供たちも大きくなった。パイオニアとしてガイド業を作ってきた第一世代から、次の世代への変わり目を迎えているところもあるという。ガイド業が地場産業として着々と地歩を固めつつある。もちろん、こうした局面に至っていない地域もあれば、そもそもガイドツアーが定着しなかったところもあるだろう。
 以前から聞いていたのだが、本誌を作り上げていく過程でも、子供たちが憧れる仕事にしたいという声を多数耳にした。これは、先駆者として歩んできた人たちの共通の思いであり、宿題である(47)。
 そのためにも、ガイドツアーの面白さを理解し、「ガイドをつけて楽しむともっといい旅になる」と考える旅行者・ツーリストを増やすうねりを作らなければならない(48)(49)。地域主体の取り組みが前提だが、筆者らにできること、すべきことも意識したい。
 そして憧れの仕事として広く顕示するためにも、ガイド産業という何らかの枠組みが必要な時期に来ているのではないだろうか。

おわりに

 筆者は30余年にわたり、体験観光やエコツーリズムの文脈でたくさんのガイドにお会いし、教わり、ときには課題を議論し、発展の方向性を探ってきた。そこで得られた知見の断片は、小論やシンポジウム、各種講座等でお伝えしてきた。
 そして今般、さらに調査を加えて、ガイドの登録・認定制度を整理・分析しようと準備をすすめていた。『観光文化』ではガイドツアーの流通・販売を特集したことがあったので(50)、それに続く位置づけにしようと考えた。ところが、あらためてデータを集めはじめると、ガイドやガイド業の活動ぶりがあまりに知られていない。話がかみあわない。そんなものか。まずは、そのことを多くの人にお知らせすることが重要だと思いこの特集を企画した。
 現場の実情は伝わっただろうか(掲載できていないこと、踏み込めていないことが多々あるのは承知しているが)。

 ご協力いただいた皆さまに心よりお礼申し上げます。

寺崎竜雄(てらさき・たつお)●公益財団法人日本交通公社 常務理事。博士(農学)。専門領域は、持続可能な観光のための地域資源管理、エコツーリズム。近年は、旅行者の行動を調整・制御するローカルルールに興味を持ち、相変わらず現地調査に励んでいる。

(1)…寺崎竜雄「ガイド・インストラクター事業」林清編『観光産業論』原書房、2015年、204〜219頁、を参考にしている。
(2)…仲七重・五木田玲子「国内旅行におけるガイドツアーの参加経験と参加意向、求めること」(本誌25〜28頁)の表に主な活動が整理されている。
(3)…いわゆるボランティアガイドといわれる人たちにも少額だが有料で活動する事例は多い。プロとボランティアの線引きは難しいが、例えば、本誌の座談会1(以下は「本誌の」を省略)では投資の有無による違いを述べている。
(4)…ガイド業を行うための資格や許認可は不要であり、いわゆる業界団体も無いので、活動状況を包括的にとりまとめた資料類や産業としての統計データはほぼ無い。
(5)…エコツーリズムに取り組む事業者、団体、自治体などを対象に、優れた取組の団体・個人を表彰し、広く紹介するもの。2005年の開始以降、1年に1度実施されており、2021年度で17回目となる。(環境省ホームページ(https://ecotourism.gr.jp/award/)。)
(6)…環境省はエコツーリズム成立に必要なものは「ルール」と「ガイダンス」としている(環境省自然環境局『エコツーリズム推進会議記録』2004年、112〜113頁)。
(7)…丸谷一三郎「体験観光の旗手たち、そのロマン!」『北海道なんでも体験観光』北海道新聞社、1998年、13〜50頁。
(8)…小林茂雄「60歳からのガイド人生。「じじいサポートガイド」を目指す」(本誌30〜31頁)。また、小林は「カヤックではなくカナディアンカヌーにしたのは、北米周遊時に公園のボートのようにカナディアンカヌーを楽しむ人たちが多数いるのを見たから。濡れないし着替えの場所が不要なため。」と述べている。
(9)…本誌の座談会2(以下は「本誌の」を省略)の三木昇は先駆者の一人である。
(10)…座談会1の松本の発言を参照。
(11)…鹿児島県総合基本計画の戦略プロジェクトのひとつとして1992年に策定された構想。(公益財団法人屋久島環境文化財団ホームページ(https://www.yakushima.or.jp/concept/)。)
(12)…座談会1および屋久島観光協会ホームページ(http://yakukan.jp/play/guide.html)を参照。
(13)…小笠原では1988年に小笠原諸島返還20周年記念事業のイベントとして行われた。これは日本で最初の商業的なホエールウォッチングといわれている。座間味では1991年に始まった。
(14)…寺崎竜雄「自然体験と持続可能な観光」『レジャー・レクリエーション研究』Vol.87、2019年、29〜34頁。
(15)…国土交通省総合政策局観光部『インタープリテーションプログラム(自然ガイドツアー)による地域の誘客戦略づくりに関する調査報告書』2001年。
(16)…旅行者の観光行動の対価、観光消費の対象となる価値に相当する概念。筆者による造語。
(17)…筆者が同事業の受託者として研修会の企画・運営を行った際に、参加者に対して行った聞き取り調査より。また、三木は「自然でメシを食うことに批判的な見方があった。」と、同様なことを述べている(特集2)。
(18)…観光庁観光産業課『ニューツーリズム旅行商品創出・流出ポイント集(平成21年度版)』2010年、139頁によると、産業観光、エコツーリズム、グリーンツーリズム、ヘルスツーリズム、ロングステイ等をテーマとした旅行商品を総称する概念である。
(19)…ガイドによる解説行為だけでなく、案内板や諸資料などによるセルフ・ガイダンスも含めている。
(20)…環境省・佐世保地区エコツーリズム推進協議会主催「第2回全国エコツーリズムセミナー(2006年2月17日開催)」における中島慶二の発表「いま、どうしてエコツーリズム?」。
(21)…公益財団法人日本交通公社『観光文化』Vol.229およびVol.249参照。
(22)…環境省は2012年度からの4年間、東日本大震災の被災地3県6市町において復興エコツーリズム推進モデル事業に取り組んだ。
(23)…「明日の日本を支える観光ビジョン(2016年3月策定)」では文化財の積極活用を提言している。また、文化財をまちづくりに活かすことなどを目的に「文化財保護法」が改正された(2018年6月)。
(24)…例えば、江崎によるガイドツアー(座談会1)。
(25)…三木は「地域の風土をみんなで確かめながら「知る楽しみを満たす旅」を心がけている」と言い、「ガイドとしてのミッションは「地球のことを考えない?」というメッセージを伝えることだ」と言っている(座談会2)。
(26)…松田は「一番意識しているのは「時間と空間と瞬間の提供」」と言っている(座談会1)。三木は「ガイド自身がさまざまな事象についてお客様と一緒に面白がることが重要」と述べている。川﨑は「ツアー参加者とは友達や知人のように和気あいあいと付き合っている。」と表現している(座談会2)。
(27)…座談会1の松本の発言を参照。
(28)…座談会1の江崎の発言を参照。
(29)…座談会2では、「地元の学芸員の情報の深さに驚き感激した。そのような話は滅多に聞けない」という感想が重ねて述べられている。
(30)…飯島は、「我々のような文化財担当者が持っている知識や経験、専門的な話が観光資源になり得ることを実感した」と言っている(座談会2)。
(31)…大西かおり「ガイドとは、地域のタイムカプセルを紐解き、未来へのヒントを手渡す仕事」(本誌46〜47頁)を参照。
(32)…川村祐一「自然の中に踏み込む「扉」を探して」(本誌32〜33頁)は、コケの観察を通して「植物進化を軸に森の植物を見ている。」と言っている。
(33)…来山は「新たに視野が広がるのが知識豊富なガイドと行く旅行のいいところだ。」と言っている。また、そのとき案内した川﨑は「特に重要なことは「象徴性」だ。景色やそこに住む人たち、目に見えるすべてのものの中に精神が宿っており、その精神の部分を伝えるようにしている。」と述べている(座談会2)。
(34)…前掲の(15)。
(35)…本藤は「知識を充足させてもらえるかどうかはもちろん大事だが自分の想像力をさらに広げてもらえるかどうかが重要。」と言っている(座談会2)。また、加々美貴代「センス・オブ・ワンダー〜原点は子どものころの記憶〜」(本誌42〜43頁)はガイドの仕事は見えないものを感じて伝えることだと述べている。
(36)…小町は「今ではガイドに会うことが旅の目的になった。」と言っている(座談会2)。
(37)…座談会2の「いしじょ」のくだりを参照。
(38)…水野は「旅行会社は眼差しやバックボーンの面白さに着目してガイドを選ぶ。」と述べている(座談会2)。
(39)…須田泰臣「いつまでも発展途上のガイドでいたい」(本誌36〜37頁)、澤井俊哉「この価値を、伝えたい、守りたい、もっと高めたい」(本誌38〜39頁)、近藤光一「富士山を、今よりもっとよい状態で未来に返したい」(本誌40〜41頁)には、地元への愛情が強く描かれている。
(40)…松本は「「自然相手の仕事でいいね」と言われるが、ガイドとは人間相手の仕事だ。」と述べている(座談会1)。
(41)…松本は「本当に安心して任せるには3年はかかる」、松田は「今以上の値付けをするには5年、10年の経験が必要だ」と述べている(座談会1)。
(42)…安倍輝行「森を散策して給料貰えるようにならんかな?」(本誌34〜35頁)は、季節ごとの商品展開を紹介している。
(43)…山部茜「好きになって、何度でも訪れてもらいたい」(本誌44〜45頁)と、大坪弘和「いつの日か、座間味のエコツーリズムをテーマに歌をつくりたい」(本誌50〜51頁)は、オンラインガイドツアー実施の状況を紹介している。
(44)…例えば、公益社団法人日本山岳ガイド協会や一般社団法人日本エコツーリズム協会。
(45)…松本は「ガイドの地位を高めていくにはガイドの組織化が必要だと言われた」と発言している。また、「最初は行政が「悪いガイドを切り捨てろ」という観点だったが、ガイド全体のクオリティを上げていくための組織が必
要だという考え方を通した」と言っている(座談会1)。
(46)…特に座談会1を参照。
(47)…島袋裕也「ガイド業を、子供たちの憧れの職業にしたい」(本誌48〜49頁)を参照。
(48)…特に座談会1を参照。
(49)…三木も「ガイドが増えないと、業界として成り立たない。業界になれば社会的にサポートされる存在になり、若者が働ける場所となる」と述べている(座談会2)。
(50)…『観光文化Vol.224』(2015年1月発行)では「地域発観光プログラムの流通・販売―「売れる」とは」を特集テーマにしている。

○環境省ホームページ「エコツーリズム」(https://www.env.go.jp/nature/ecotourism/try-ecotourism/)および、受賞した各団体のホームページ、電話による聞き取り調査等をもとに筆者作成。
○第1回(2005年度)から第17回(2021年度)までの受賞団体が対象(これまでに約100団体が受賞)。中には複数回の受賞歴がある団体もあるが、いずれも一団体としてカウント。
○当初はガイド関連事業とは異なる業務を実施するために設立された団体は除外している。