ガイドという仕事…❸栃木・奥日光
「森を散歩して給料貰えるようにならんかな?」そんな不届きな事を、一時真剣に考えていた。

安倍輝行(奥日光小西ホテル コンシェルジュ・ネイチャーガイド)

プライベートツアーのリクエスト

 多少の語弊はあるが、私の生業はネイチャーガイドだと思っている。所属をしているのは、日光湯元温泉に立地する奥日光小西ホテル。ロビーに専用の案内デスクを設置し、顧客からの様々な質問への対応や、有償のトレッキングツアー、無雪期の週末には湯元を歩く無料のショートツアーを実施している。
 ホテル独自の取り組みとしてガイドを活用した有償ツアーを始めたのは2009年のこと。当初は募集イベント型だったが、現在はプライベートツアーへと移行している。開花期には時速1㎞程の花の観察ツアー、夏には歩道を外れて落差100mの滝を目指すツアー、秋にはモーターボートと組みあわせた紅葉ツアー、冬にはスノーシューツアーが人気で、四季を通じた奥日光の魅力を紹介している。

 全てのツアーは顧客のリクエストを聞いて策定するオーダーメイドのため、コースと内容は都度異なる。無料のツアーやデスクでの質問にお応えした方が、正規ツアーのお申込みをして下さることも少なくない。花の名前を知りたい、子供に冒険をさせたいというオーソドックスなものから、初心者だけれどルートの無い山の中を歩けるようになりたい、アウトドアが嫌いな超インドア派のパートナーと冬のフィールドで遊びたい、図鑑の虫は好きだけれど本当の虫を見ると泣く子を何とかしたい等という、一見無茶なリクエストもあった。ツアーのお客様には、「リピーターにならなくても良いですからね」とお話をするのだが、有難い事に繰り返しご依頼を頂けている。
 ガイド単価はこの10年でおよそ3.7倍に、ガイドの参加者数は約4倍に伸びているが、自社ツアーの稼働日数としては年間90日程度。この数値のみで考えると、「ガイドが生業」と言うには幾分憚られる。

宿付きガイドになるまで

 現在でこそ「ガイドがいる宿」とPRをしているが、元々は単なる温泉宿で自然に特化した取り組みは無かった。私の採用と共に始めた事だが、私自身宿でガイドを行うとは思ってもいなかった。
 ガイドであろうと思ってから凡そ20年が経つ。当初は特筆すべき技術も知識も無いまま、漠然と「自然保護に関わりたい」と思っていたのだが、縁あって湯元の自然系施設に採用された。そこでの活動を通し、普及啓蒙により自然保護に関わる道を知った。同時に長期的に続ける事が困難である事も思い知らされていた。その後、現職に落ち着くまでに勤務先が3度変わる。
 最初に問題となったのは、雇用が安定しない事だった。当時2か所の公立に近しい自然系施設に雇用されていた。いずれもフィールド活動は行えたが、日給月給の単年契約職員としての雇用であり、ワーキングプアと呼ばれる状態だった。関係者に幾度か掛け合ったものの、状況の改善見込みは無く退職。その後、湯元の宿からの依頼によりガイドとして正社員契約を結んだのが2005年秋。体制の変更により2008年に退職し、その後現在の職場と契約をする。正社員となったことで、給与体系こそ多少改善されたものの、次の問題が生じた。
 第二の問題は、ガイドの根幹ともいえるフィールドワークの時間が確保できない事だった。自然系施設では業務の一環として行っていた野外での活動だが、単純な対価を生み出さない活動は、宿での業務としては見てもらえなかった。ツアーの下見でさえも容易ではなく、業務の大半をフロントとして過ごしていた。
 幸いにも、当時の奥日光地域では修学旅行生に対するガイド需要が急速に高まり、関係各所からの依頼が増えた。またテレビのロケ依頼が相次ぎ、何より顧客からの評判が良かった事を追い風として、徐々にガイドに軸足を移すことが出来るようになっていった。
 いざガイドを主軸にと考えた時、第三の問題が顕在化した。地域的に学生へのガイド需要が高く、またボランティアベースで活動するガイドが多かった為、地域のガイド単価が非常に安かったのだ。この問題は地域での話し合いを続けた結果、随分と解消されてきている。
 実は、かつての私同様に第一の問題に悩み、自然系施設から他地域の宿へと籍を移した後輩達もいた。だが、第二の問題を解消できずにいずれも辞めてしまった。個人技から脱却できずに若手が育たない、第四にして最大の課題だ。

宿付きガイドの面白さ

 宿でのガイド業務も自然系施設の業務と変わることはないのだが、顧客の性質は大きく異なる。後者は既に自然環境に興味があるのに対し、前者は必ずしも自然に興味があるとは限らない観光客であるという点だ。中には、ご自身が国立公園の中にいるという事さえ知らぬ方も少なくない。国立公園であると知っている方でも、それが手つかずの大自然だと思っている。一方で観光に来ている事から、感受性は高まっている。
 「ガイドが同行したら安全で楽しいのは当然として、ツアーの間だけでは不十分。ツアー参加後には見える世界が変わる。自立できる。啓蒙なのだから、その位でありたい」常々その様に考えている身としては、実に好都合だ。
 手を変え品を変え、切り口を変え表現を変え、その人の琴線に触れるものを探す。終了時刻を迎え、「もうそんな時間!?」と言われればしめたもの。
 参加した子供たちは、自発的にゴミを拾い始める。一見の観光客だったはずのお客様は、会うたびに装備が整っていく。宿泊をしている夜に、他所のフィールドに行ってきたと楽し気に報告を聞かせてくれる。一人でフィールドを歩いていると、リピーターだったお客様とばったり遭遇し談笑する。時にフィールドで見かけた不条理への憤りを聞かせてくれる。
 あの日のツアーが変化のきっかけになったのだと、ガイドがいなくてもフィールドと親しみ慈しむ術を見出してくれたのだと思え、実にガイド冥利に尽きる。

地域との連携

 地域の宿泊施設の連合も、有名な観光スポットに依存した誘客からの脱却を目指し、滞在時間の延長や宿泊客の呼び込みの手段としてガイドツアーに着目。会議に招かれ、様々なツアーの企画実施をするようになった。
 折しも、日光ではガイドの質の向上や利用の増加、エリアの持続的な活用などを目指し、地域に根差すガイド事業者17団体により、日光自然ガイド協議会を設立。副会長を務めている。
 2021年11月より、湯元の旅館組合からの要請を受け、事務局長を請け負い兼務している。その目的は利用者への地域情報の発信と魅力作りにあり、宿泊施設と周辺の自然観光資源の双方に明るいガイドに白羽の矢が立てられたのだ。生憎とコロナにより中止となったが、2月には日光自然ガイド協議会との連携イベントを企画し、また無雪期の地域の利活用法も共に模索している。
 日光地域は宿泊以外にも、自然、歴史、文化、ガイドツアーなどのアクティビティ、飲食と様々な観光要素が豊富にある。宿泊施設にとっては周辺の観光要素を複合的に活用できるガイドは有意義な資源の一つであり、ガイドにとっては自然にあまり興味のない観光客が潜在的な顧客であるのは実体験からも明らかである。しかしながら、まだ個々が結びついているとは言えず、故に伸びしろは大きい。
 ガイドに対して、ツアーでの売り上げ以外の新たな役割が期待されるようになった今、改めて考える。
「もっと沢山の若手が、森を散歩して給料貰えるようにならんかな?」