活動報告 第28回 「たびとしょCafe」

「『気づき』が旅のカギ〜渋谷でダイチを感じる旅〜」を開催

 2022年7月22日(金)、「『気づき』が旅のカギ〜渋谷でダイチを感じる旅〜」をテーマに、第28回たびとしょCafeを開催しました。ゲストスピーカーには、風の旅行社【風カルチャークラブ】企画担当の水野恭一氏をお招きしました。
 2020年から続くコロナ禍の影響によって、風の旅行社でも大きな打撃を受けました。風の旅行社は、主にネパールやモンゴルへの個人向け海外旅行ツアーを手掛けていますが、コロナ禍以降は国内のテーマ型ツアーにも積極的に取り組んでいます。
 今回は水野氏が旅行商品を考えるにあたって、どのようなテーマ・イメージで企画を構築していくのか、各ポイントの歴史や背景を基にどのような事実が隠れているのかを探す視点や、その対象の背景に対する見方について学びました。そのために、前半は渋谷を舞台とした「ダイチ(台地)」を感じるミニツアーを行い、後半は今回のコースや旅行商品を作るにあたっての考え方などについて、意見交換会を行いました。ミニツアーは、代々木八幡駅に集合し、遺跡の残る代々木八幡宮や独特の地形がわかるポイントを通り、代々木公園から渋谷駅まで歩くコースです。
 コロナ禍では対面での開催が難しかったためオンライン開催のみでしたが、この度、約2年ぶりのリアルでの開催となりました。その様子をお届けします。

【第1部】ミニツアー

 今回のミニツアーにおいて、水野氏がツアー企画者として旅行商品を考えるにあたってのポイントとした見どころは、次の通りである。

代々木八幡宮

 代々木八幡宮には、縄文時代に人が住んでいた痕跡が残る代々木八幡遺跡(渋谷区指定史跡)がある。境内の片隅にある出土品陳列館には、当時の暮らしを表現した模型と縄文時代のこの地の様子を描いた絵がある。この絵には丘陵地にある集落と海が描かれているが、実は、ただ絵を見るだけではわからない気づきが隠されている。それは高低差と時代の変化である。
 まず、高低差について見てみる。代々木八幡駅の標高は約22m、代々木八幡宮の標高は約37mと、思いのほか高低差がある。この高低差を感じながら歩くと、代々木八幡宮が武蔵野台地の突端であることが分かる。参加者は、実際に駅から八幡宮まで約250mの距離を歩いて高低差を体感し、台地の突端に自分の足で立つという体験ができる。
 続いて、時代の変化は、隆起や堆積、海進による高低差や地質といった地学的な観点に加え、竪穴式住居や出土品を見ることによって、この地に集落があったこと、食料を調達しやすく見通しの良い場所であったことを参加者に解説することができる。
 このように、歩く→見る→学ぶのように順を追って解説することで、なぜ代々木八幡駅から代々木八幡宮に来たのかを説明でき、コーステーマの「ダイチ」に接することができる。

春の小川記念碑

 作詞家・高野辰之は、代々木村を背景に童謡「春の小川」を作詞したといわれている。1番の歌詞には、現在のこの地とは結び付かないことばが入る。「小川」「れんげ」だ。「小川」とはかつてこの下を流れていた河骨川(こうほねがわ)のことであり、「れんげ」は主に水を抜いた田んぼなどに咲くことから、このあたりは水田だったということがわかる。
 以上のことは、明治初期から中期にかけて関東地方を対象に作成された「迅速測図」からも読み取ることができるため、このような往時の資料も参考としたい。往時の資料との見比べや歌詞に隠された当時の背景を見ることで参加者は往時の情景を思い浮かべることができる。また、今回の場合、「小川」や「れんげ」といった単語から連想される当時の様子をクイズ形式で出すことで、参加者とのコミュニケーションに繋がる。なお、「春の小川」の認知度には世代・地域差があるようだ。参加者の世代や出身地が異なる場合は、話題提供の一つとしてこのようなポイントにも注目する必要がある。

代々木公園

 代々木公園は、かつて「陸軍代々木練兵場」や「ワシントンハイツ(在日米軍場施設)」などが置かれていた地である。代々木練兵場は終戦を迎え、米軍に接収されワシントンハイツとなるが、公園内には当時の木造平屋の住居が一つ残されているので、今も見ることができる。
 代々木公園内には、1910(明治43)年12月に徳川好敏陸軍大尉と日野熊蔵陸軍大尉が日本で初めての飛行機飛行に成功したことから「日本航空發始之地」という石碑が建てられている。飛行ができるということから、当時は現在のように木々が生い茂っていない様子だったことがうかがえる。
 代々木公園を出てケヤキ並木を抜け交差点を右に抜けると、二・二六事件慰霊像がある。渋谷区役所周辺が「陸軍刑務所」だった時代、陸軍青年将校のクーデター未遂事件で死刑となった
15名を弔っている。なぜここに航空に関する碑が立っているのか、往時に練兵場や刑務所があったという土地や歴史を見ることによって、参加者に新たな事実に気づいてもらうことができる。

国木田独歩の住居跡

 1800年代後半、作家・国木田独歩は現在のNHK放送センター前に住居を構えていた。随筆「武蔵野」を書いた際に、独歩は武蔵野をあてもなく歩いていたという。武蔵野といえば、渋谷よりもう少し西の印象であるが、独歩の視点からは当時の渋谷村が「武蔵野」として描かれている。
 また、当時の渋谷には牛を飼っている牛乳屋や文人の家があったと記述されている。このように書籍に具体的な内容が記載されている場合は、内容(昔)と今を照らし合わせながら参加者に伝えられるので、往時にタイムスリップしたかのような気分を味わってもらうことができる。
 無国籍通りから、一気に煩雑な通りに入る。この混雑し始める様子が、縄文時代から明治までを歩き、現代に戻ってきた今回のミニツアーの時代の動きをまさに表現している。そして、オルガン坂・宮下公園(旧渋谷川)に向かって下っているので、まさに「ダイチ(台地)」から谷に向かう過程を参加者は体感できる。

宮益御嶽神社

 宮益坂を少し上ると左側に見えてくるのが宮益御嶽神社である。宮益御嶽神社は、旧宮益町の鎮守で渋谷宮益町の由来となっている。階段を上がると、渋谷の喧騒から離れたような神聖な空気に包まれる。周囲はビルで囲まれているが、これが過去と現在を繋ぐ今の渋谷を表しているかのようだ。この雰囲気こそが参加者にとっては驚き・感動であり、新鮮な体験である。
 今回のミニツアーでは始まりと終わりをその土地の神様の元を参拝するという構成をとった。水野氏は、コースルートに神社や土地の産土があると必ず訪れる。神社を訪問すれば、その土地の歴史やいわれを知ることができるからである。
 今回のコースは、①台地を自分で歩きながら高低差を感じること、②縄文時代から明治時代、戦後と時の流れを感じること、この2つの流れを特に重視した構成であった。構成にストーリー性を持たせることは、水野氏が大切にしているポイントである。

【第2部】

 ミニツアー後は、旅の図書館に移動した。水野氏からは、今回歩いたコースの振り返りと、今回のツアーのテーマや着眼点を実際の旅行商品に反映したツアーについてお話しいただいた。その後、参加者との意見交換会を行った。
 振り返りでは、「江戸後期古地図」や「武蔵野(国木田独歩著)」、「迅速測図」と国土地理院地図を比較するサイトなどの資料を用いて、歩いて回った見どころの周辺の様子や台地(武蔵野台地)の全体像を再確認した。
 では、水野氏であれば、今回のミニツアーの「ダイチ」というテーマを発展させ、どのような点に着目して、どのような旅行商品をつくるのだろうか。その疑問に答えるように「シリーズ『武蔵野ダイチ(台地)を歩く』―武蔵野・今昔物語―」(以下、シリーズ)について紹介があった。シリーズは、今回ミニツアーで着目した、武蔵野台地の高低差とそれに付随する〝水〞の流れを更に深掘りした構成をとっている(図)。月に一度開催する全10回の日帰りツアーで、講師とともに武蔵野台地の自然や文化資源を散策しながら「武蔵野」という土地と歴史を感じるツアーだという。プロローグでは、台地の出発地点を武蔵野台地の東端として、今回のミニツアーの道のりを歩く。このツアーについても、参加者から意見が寄せられたので、参考にしていただきたい。

意見交換

参加者…今回のようなツアーやシリーズのような旅行商品は、どのような層の方が多いのだろうか。『ブラタモリ(NHK)』では地理学的な観点から各地の学芸員やガイドが情報を伝えているが、今回の場合はどのようなガイドが案内をするのだろうか。
水野氏…参加者は風の旅行社のツアーに参加してくださるリピーターの方が多い。ツアーには、必ずテーマに沿った講師が同行し、開催場所によってその地域の特性に合った方に解説していただいている。
参加者…参加するにあたって「風の旅行社物語 旅行会社のつくりかた(2008年)」を拝読した。この本の中では、風カルチャークラブのことについても記載があるが、利益を上げる構造になっていないと書かれている。出版から14年が経つが、今までどのようにブラッシュアップして進めてきたのか。また、利益を上げるための工夫があれば伺いたい。
水野氏…シリーズのような日帰り講座を開催することで入り口を広くして、適度な値段の日帰り旅行に参加してもらうことが重要だと思う。そして、講師の話を聞いて興味を持ってもらい、同じようなテーマで宿泊旅行をつくる。その後も、同様の海外へのテーマ型旅行をつくるなど徐々に範囲を広げ、利益が大きくなるような構造としている。例えば、このシリーズの一部では「武蔵野の水みち」をテーマとしているが、更に派生して福島県の安積疏水を訪問する宿泊旅行も作ることができる。対象となる地域の学芸員に参加していただいて解説をしてもらうなどの特別感を付与する、宿泊付きのツアーを作るなどにまで広げていかなければ、利益には繋がらないだろう。
参加者…風の旅行社は海外をメインに販売していた会社かと思うが、コロナ禍で国内旅行の販売を余儀なくされていると思う。旅行内容の組立や国内・海外旅行の違いがあれば教えてほしい。
水野氏…ツアーの作り方で異なる点は、海外旅行の方がテーマを絞りやすく、圧倒的に企画を作りやすいということだ。ネパールの場合、ヒンズー文化もしくは小乗仏教、チベット仏教文化、トレッキングなどのテーマがある。具体的なツアー例を挙げると、小乗仏教のお祭りではチベット学の専門家に同行いただき、四つの観音様を巡りながら、お祭りの起源を知り、現地の方と交流する、そのようなツアーを作ってきた。しかし、国内ツアーでは、既に知識が豊富な参加者が多いため、より特化したツアーをつくらなければならない。また、持続的なツアーでなければならないため大変さもある。
参加者…近年、テーマ型ツアーは他社でも実施しているが、風カルチャークラブだけの強みはなにか。
水野氏…風カルチャークラブの強みは、講師の専門性と案内と解説のスキルだ。この2つの能力に長けた講師を独自に探し、ツアーに同行してもらっている。
参加者…そういった講師を探すコツはあるのか。
水野氏…これは私の分野でもあるがツアー登山を企画する場合、長年の登山の経験があるため、山岳ガイドの良し悪しはすぐわかる。また、海外をデスティネーションとして持っていることがきっかけで、研究者との交流から講師をお願いした場合もある。例えば、チベット仏教に関するツアーだ。風の旅行社では、チベットで博士号を取るために渡航を予定していた方々の手配を担当したことがあった。その研究者の方々に声をかけて室内講座と国内・海外ツアーをつくっていただいたこともある。
参加者…私が所属している観光協会でも歩くツアーを開催している。参加者も多いが、年齢層と日程の設定に迷っている。平日の場合、若い方は参加がしづらいと思うが、今回のシリーズは平日・土日のどちらか。また、今回紹介いただいたシリーズの大きなテーマは「武蔵野台地」で、その地形を歩いて感じながら、歴史や植物などに触れるということをツアー内容としているという理解で良いのだろうか。
水野氏…シリーズは、若い方にも参加してもらいたいので、土日に設定している。ただ、土日に開催するからといって若い方の参加が多いわけではない。聖地巡礼ツアーのようなものでないと若い方の集客は望みにくい。シリーズの大きなテーマは「武蔵野台地」である。今回のシリーズは日帰りツアーのみだが、テーマに合うような宿泊施設があれば宿泊付きのツアーを企画してもよいと思う。
参加者…提示いただいたシリーズでは、毎回花のことについて記載があるが、花に興味を持つ参加者は多いのか。
水野氏…花に関心のある参加者は多い。花は重要なツアーポイントで、里山を歩いて山野草を探して巡る講座を実施するほど人気があり、軽い登山ツアーでも山野草が好きな方が必ずいる。自分自身も何十回と同行するうちに随分と山野草の名前を覚えた。また、巨木も重要なポイントで、里山ツアーに組み込むこともある。地域の教育委員会のサイトを調べると、天然記念物や文化財が一覧化されているので、その中から面白そうな資源を訪ねるようにしている。コロナ禍前は、里山でいろいろな人が作り守ってきた文化財や天然記念物を見ながら歩くことができるツアーを作ったこともある。
参加者…ツアーを組む際の行政や観光協会などとのタイアップについてはどう考えているのか。
水野氏…教育委員会の学芸員の方などは、土地勘もあり深い話をしてくれるので、参加者の満足度も高い。また、大きな神社を訪問する場合は、事前にお願いして神職の方に歴史やいわれなどについて聞いたりしている。質の高い観光協会とは今でもタイアップしている。
参加者…普通に歩いていると通り過ぎてしまうようなものについて今回お話しいただいたと思うが、解説のポイントとなる資源の基準があれば伺いたい。また、ツアーに組み込むポイントがあれば教えてほしい。
水野氏…教育委員会などの文化財がまとめられているウェブページを中心に、資源の基準や見どころ情報を見つけ出している。テーマに沿ったポイントを巡ることがツアーの目的なので、時間配分をしつつその行程の中で、追加で立ち寄りたい文化財や天然記念物を選んでいる。追加の立ち寄り箇所は、講師の専門外の場合があるが、その際は講師や参加者に説明の看板を声に出して読んでもらうなどの対応をする。文字面よりも声に出して読むと耳に入りやすいため、説明看板の音読を得意とする講師もいる。
参加者…それでは、今回のミニツアーでは、「台地」を感じる行程を先に作り、その道のり上にある資源を選んだと考えてよいのか。
水野氏…そうだ。参加者の方には、地形・様相が変わった場所で、当時の台地イメージの喚起をしてほしいと考えていた。それに加えて碑や神社など、台地に関する行程上にあるもので興味深いものを選択した。例えば今回の場合、尾根状になっている代々木八幡宮周辺には、やはり縄文遺跡があった。半島になっているため両サイドは谷になって川が流れており、河骨川から宇田川に繋がる。そして、「春の小川」との関連性も見えてくる。「春の小川」の歌詞の中には、レンゲソウがあることから、作詞された当時は田んぼがあったということがわかる。このように行程を組み、終着点までの距離などを考えながら代々木公園内や国木田独歩の住居跡などを巡った。

おわりに

 参加者の皆さんからは、「渋谷に対する新たな発見があった」、「身近なところを改めて確認できた」などのコメントをいただきました。また、暑い中での開催になりましたが、実地のツアーも好評いただきました。
 企画者自身が自分自身の足で歩き・目で見て・五感で感じることの重要さ、また、直接感じるだけでなく、学び知っていなければ、参加者にその驚きや感動を伝えることができないということを学びました。
 今年度は、一部を「動くたびとしょCafe」をテーマに開催する予定です。今回は、その一環として〝場所が動く〞〝体が動く〞たびとしょCafeをテーマに行いました。自分自身の足で踏みだすことで、今まで見えていなかったことに、気づき・考えることができる、これは観光に接するうえでとても大切なことだと強く感じました。
(文:観光文化振興部 企画室 研究員 仲 七重)

Guest speaker
水野 恭一(みずの・きょういち)
風カルチャークラブ企画担当。1948年2月に文京区雑司が谷生まれ。1970年大学卒業後、子ども英語学習の団体に所属し、3年後長野県小谷村栂池高原にてスキーロッジを開業。その後、宿を売却し、1994年(株)風の旅行社に入社。2002年「風カルチャークラブ」を担当し、現在に至る。