〝観光を学ぶ〞ということ
ゼミを通して見る大学の今

第15回 獨協大学外国語学部交流文化学科
山口ゼミ

よりよい観光は「まち」や「ひと」をつくり、そして「せかい」をつくる。ツーリストのリテラシーを実践し、「観る」ことを探究するゼミ。

1・観光を学ぶ価値

 なぜ観光を学ぶのか。しかも貴重な四年間と500万円近い学費をかけて、大学で観光を学ぶ価値とは何か――コロナ禍もあり、この問いに答えることは難しいです。
 私が担当するゼミには、3年生と4年生が各10人程度、あわせて20人あまりのゼミ生がいます。自分の学生時代を忘れたくなるほど、みんな真摯にゼミの研究活動に取り組んでいます。それでも卒業後に観光系の仕事に就職するゼミ生は3割ほどで、多い年でも半数を超えることはありません。観光を学ぶゼミとしては、失格かもしれません。
 たとえば卒業生のうち、観光系の仕事は外資ホテルや客室乗務員が多く、それに旅行会社などが続きます。一方で非観光系の仕事は多種多様で、新聞記者をはじめテレビ・広告・出版などのメディア関係が多く、商社や製造業がそれに続き、大学院に進学する人や外務省の専門職員になる人もいます。
 そうして卒業したゼミ生の何人かが、ときどき「里帰り」します。現役の後輩たちへ手土産ぐらい持参すればいいものを、だいたい手ぶらで来ます。むしろ有給休暇を取得して、数時間のゼミに参加して、終了後も後輩たちと話し込む人が多い。学生のころにはみえなかったことが、「里帰り」するとみえてくるそうで、それを伝えようと熱っぽく語ります。このとき、大学で観光を学んでよかった、いまの仕事に活きている、という人は、観光系よりも非観光系の仕事に就いた人に多いように思います。
 そんな「里帰り」のときに話を聞き、またメールや手紙でも活躍する様子を知らされると、冒頭の問いに対する答えのようなものを、卒業生たちから教えられているような気になります。
 よく見聞きする言い回しで恐縮ですが、観光を大学で学ぶ意義は、観光系の仕事に就くか否かではなく、観光的なものの観え方や考え方を身につけることにある――これをわれわれの言葉でいいかえれば、ツーリズム・リテラシーの修得こそが観光を大学で学ぶ意義であり、なかでも「ツーリストのリテラシー」の高度な実践が独自の価値になる、といえます。

2・ツーリストのリテラシーとは

 ツーリズム・リテラシーとは、「よりよい観光を実践するための技法と思考」を意味します。獨協大学に所属する須永和博・鈴木涼太郎・山口誠の3人が『観光のレッスン――ツーリズム・リテラシー入門』(新曜社、2021年)で提起した概念であり、それは①ツーリスト(観光者)のリテラシー、②メディエーター(観光業)のリテラシー、③コミュニティ(観光地)のリテラシーの3層から構成されます(図1、2)。

 これまで観光教育では、第2層のメディエーター(観光業)のリテラシーが主役でした。ホテルや旅行会社をはじめとする観光業の現場で求められる実技と思考、あるいは持続可能な観光業の開発と経営など、観光という事業のよきプレーヤーでありメディエーターとなるための教育が、日本を含む世界各地の大学でおこなわれてきました。こうしたよりよき観光業のリテラシーは、ポスト・コロナの時代にますます重要になると思います。
 また近年では、観光まちづくりの教育と研究が、いくつかの大学で実現されています。これは第3層のコミュニティ(観光地)のリテラシーと関わる新たな潮流であり、観光による地域振興の経済的な効果だけでなく、文化的かつ社会的な価値を生み出すことができれば、他の学術分野では成しえない独自の貢献を達成できると期待されます。
 こうして実績のある観光業のリテラシー(第2層)や、注目を集める地域づくりのリテラシー(第3層)と比べたとき、なぜか第1層のツーリスト(観光者)のリテラシーは見過ごされ、大学教育だけでなくカルチャーセンターなどの社会教育でもほとんど放置されてきました。ときに有名人や知識人が自らの旅を体験的に語ることはあっても、「よりよく観光するためのリテラシー」を実証的に研究し、その学的成果を体系的に教育する機会は、他の2層と比べることさえ難しいほど、じつに少なかったように思います。
 しかし第1層のツーリストのリテラシーは、観光業に従事する人、また地域振興に取り組む人はもちろん、そうした観光系の仕事に就くか否かを問わず、すべての人に関わる基幹的なリテラシーです。なぜなら観光は、楽器の演奏や語学の学習と同じく、独学でも「できるようになる」部分はありますが、しかし優れたメソッドと一定の時間をかけてしっかり学び問うことで、高度に実践できるようになる、文化的活動の一つだからです。
 ツーリズム・リテラシーのうち、第1層のツーリストのリテラシーは、しっかり修得すれば一生ものの財産になります。よりよく観光するためのリテラシーを大学で学び、よりよい次世代のツーリストになることで、私たちはさらによく世界を観ることができ、もっと多様で豊かな行き方=生き方を実践することができるかもしれません。
 そうして、いままで見えなかった「世界」を「観る」技能や、見えていたのに気づかなかった「世界」を「観る」技能――すなわち「世界」+「観」としての「世界観」を高度化するツーリストのリテラシーは、大学の4年間でこそ体系的かつ学術的に修得すべき知です。それは卒業後に就く仕事が観光系か非観光系かを問わず、変化し続けるこれからの世界で活躍する人びとにとって価値のある、優れて21世紀型のリベラル・アーツとすることができる、と考えられます。
 こうした考え方から、私たちのゼミではツーリズム・リテラシーの修得を目指して、とくにツーリストのリテラシーを実践するメソッドの研究に取り組んできました。いま挑戦しているのは、museuming tourism(ミュージアミング・ツーリズム)という新たな観光のスタイルを模索するプロジェクトです。

3・museuming tourism ―世界を「観る」実験

 ミュージアム(美術館や博物館など)で作品や展示品と向き合うとき、人は「何か」を見出そうと意識を集中し、非日常の濃密な時間を過ごして「対話」を試みます。そんなミュージアムで「観る」行為は、ツーリズムの「観る」体験とよく似ています。
 するとミュージアムの中でじっくり「観る」ように、ミュージアムの外の世界もしっかり「観る」ことができれば、きっといろいろなモノやコトが観えるようになる。それは新たな世界観を創出し、多様でワクワクする行き方=生き方を実践できるツーリストの方法とすることができるかもしれない――これがmuseuming tourism(ミュージアミング・ツーリズム)の考え方です(図3)。

 これは2021年の夏にゼミ生たちが考案したアイデアをもとに、ゼミで実験と議論を積み重ねている「新しい観光のかたち」です。ここで重要なのは、ただ世界を「観る」だけで終わらず、その「世界観」を写真と文章で表現することと連結したことにあります。具体的には、ツイッター、インスタグラム、ブログなどのSNSを活用し、わたしの「観る」を表現して、その世界観を発信することを試みます。そうしてわたしの「観る」ことが誰かの「観る」と結びつき、多様な世界観を表現できる新たな観光のかたちを求めて、実験と考察を重ねています(写真1)。

4・よいツーリストは、別のよいツーリストを生み出す

 museuming tourismをはじめ、このゼミでは学生のアイデアをもとに、できるだけ新しい研究活動をゼロから構築します。担当教員は他大学の研究者や企業の専門家から助言をもらい、ゼミで実験できるプロジェクトとして具現化することに奔走しますが、ひとたび動き出したら、あとはゼミ生たちの創意工夫にお任せです。
 すると、こちらの予想をはるかに超えたゼミ生たちの自由な実践を、よく目撃することになります。迫真の文章や独自の写真がゼミでシェアされたとき、まるで旅先で息をのむ光景を目撃したかのような感覚に包まれます。それは小さいながらも一つの「世界観」が誕生し、共有された瞬間であり、私たちはその「観光の表現」へ心から敬意を表します。
 他方で実験が空回りして失敗が重なり、ゼミ生も教員も疲弊する日々が続くこともよくあります。それでも歴代のゼミ生たちはくじけずに研究活動に取り組み、優れた研究成果を遂げたときには観光系の学会で発表したり、新聞や雑誌に寄稿したり、さまざまなアウトプットに挑戦してきました。いまはmuseuming tourismを修学旅行や研修の一プログラムとして実装できないか、また公開講座や観光地でのレビュー(クチコミ)実験に応用できないかなど、その具体的な方法を検討しています。
 ゼミの研究プロジェクトは3年生を中心に実行し、4年生になると後輩をサポートしつつ卒業論文の執筆や写真集の制作などに取り組み、そして卒業していきます。やがて卒業生の誰かが「里帰り」して、新たな後輩たちと語り合い、いろいろな世界の観方を伝えてくれます――よいツーリストたちは、別のよいツーリストたちを生み出すことも、私はこのゼミでよく目撃してきました。
 よりよく世界を観ることが、さまざまなツーリストたちによって実践されていく。そうして多様な世界観が表現され、他のツーリストたちと共有されていくことで、観光こそが多様で豊かな次世代の世界を生み出す希望となることができる。よりよい観光は「まち」や「ひと」をつくり、そして「せかい」をつくる――ここにツーリズム・リテラシーを修得する価値があり、そして観光こそを大学で学ぶことの意義がある、と考えます。
 よりよいツーリストのリテラシーを高次に実践することを目指して、これからも私たちのゼミはワクワクする観光のレッスンに取り組んでいきたいと思います。(写真2)

museuming tourismの作例❶

 たとえばゼミ生のみんなで美術館を訪れます。学生の特典制度のおかげで常設展を無料で鑑賞できる所も多く、集合時間を決めて自由に展示を観てまわり、それぞれが一つの作品やテーマを選びます。そして100字で思い想いの「観たこと」を表現し、可能なら写真を撮り、ゼミのツイッター・アカウントへ投稿します。再集合の後、全員が全員のレビューを読んで投票し、その結果を参考に議論し、観光から生まれたばかりの表現とその世界観を共有します。場所やテーマを変えて繰り返していくと、「観る」リテラシーが個人でも集合でも高まっていくことが実感できます。(作例❶はミュージアムそのものを「観る」ことに挑戦した3人のレビューです。)

作例❶
お弁当箱

東京都美術館(上野)

 「お昼休みが始まったから、お弁当を食べよう」
 そんな感覚で、あいている時間があれば、東京都美術館(都美)を訪れてみるのもいいかもしれない。都美では常に複数の公募展が開催され、無料で鑑賞できるものも多くある。お財布さえ持たずに楽しめる芸術が、そこにある。
 1926年に日本で最初の公立美術館として開館した都美。そこでは画家にとっての登竜門とされる院展・二科展・文展(今の日展)が開催されていた。2007年には国立新美術館の開館に伴い、それらの大規模な団体展は会場を移した。この影響を受け、都美の代名詞は失われたように思われたが、より一層身近な作品発表の場となった。
 現在は、週単位で様々な団体が絵画・彫刻・書道・ジュエリーなど、幅広い作品を展示している。また、小学生から大学生まで、学校で製作した作品の展覧会も開催され、誰もが芸術に触れられる場となっている。過去のものではない、自由で新しい作品が展示されている都美は、開館当初からギャラリーとして、日本の「今」をみせ続けてきた。
 どんな芸術作品も展示する都美。この美術館は、ただの箱だ。公募作品は入れ替わり続け、そのとき限りのラインナップを揃えている。この箱はまるで、その日のおかずを詰め込むお弁当箱のようだ。
 この「お弁当箱」は、芸術作品であれば何でも入れられ、誰でもそれを食べることができる。
 それぞれが得意とする一品を持ち寄ってできた、みんなの「お弁当」。そんな箱の中では、優劣も可否も存在しない。年齢も職業も全く異なる芸術家による、唯一無二の作品が数多く集まる都美。そこは誰もが興味を超えた作品に出会うことができる場である。たとえば多くの公募展が集まった箱の中に、決められた順路はない。自分なりの順序とペースで館内をみてまわる。この芸術の楽しみ方は、お弁当の味わい方と同じだ。
 自分でつくって持っていくもよし、誰かがつくったものを楽しむもよし。
 この「お弁当箱」は全ての人を芸術家にも、観る者にもさせる。両者にとって美術の世界と出会える場、いわばアートへの入り口としての美術館である。
 お弁当箱に何が入っているかは、蓋を開けるまで分からない。都美という箱の中身も、足を運んでみなければ分からない。美術館に入った先でどんな作品が待っているのか、どんな作品に出会えるのか。ワクワクしながら正門をくぐり、都美という「お弁当箱」の蓋を自分の手で開けることができる。都美には新しいアートの楽しみ方が詰まっているのだ。
 都美は誰でも受け入れる。
 誰もがつくり手にも受け取り手にもなれるこの箱で、アートの新しい遊び方が生まれる。何でも入る箱の中から広がるアートの世界は無限だ。これほど広いアートの世界に出会えるのが東京都美術館である。
 上野にある「みんなのお弁当箱」。その中身は入れ替わり続けている。訪れる度に違う順番でお箸を進め、満腹になるまで味わう。都美の開館時間は、お弁当を味わうためのお昼休みである。夢中になって食べる時間はあっという間だ。
山本理子、佐々木花恵、柿沼 伶

museuming tourismの作例❷&作例❸

 museumingの応用として、都内に多数ある現代アートのギャラリー(画廊)を各自で自由に訪れ、同じ時代を生きる表現と出会い、その表現者たち(作家、画廊関係者、他の鑑賞者など)と交流し、そこから「観たこと」を100字レビューで表現するプロジェクトmuseumingcontemporaryに挑戦中です。評価の定まった過去の名画ではなく、他ならぬ〈いま〉の表現について「観る」レビューをSNSで共有すると、どのような「観光の螺旋」が生まれるのか(生まれないのか)を実験しています。この他にも大学のキャンパスや日常生活の場でmuseumingをおこない、ミュージアムの外の世界もよりよく「観る」メソッドを研究しています。(作例❷と作例❸は2022年9月の合宿でゼミ生がSNSにアップしたレビューです。)

作例❷
museumingcontemporary

by 吉海冬那

作例❸
museumingcontemporary

by 吉田真稀


山口 誠(やまぐち・まこと)
獨協大学外国語学部交流文化学科教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(社会情報学)。専門は観光研究、メディア研究、歴史社会学。著書に『客室乗務員の誕生』(岩波新書)、『ニッポンの海外旅行』(ちくま新書)、『グアムと日本人』(岩波新書)、『英語講座の誕生』(講談社選書メチエ)、共著に『観光のレッスン』(新曜社)、『「地球の歩き方」の歩き方』(新潮社)などがある。