ケーススタディ4
「島の未来を創るホテル」
島根県隠岐郡海士町
株式会社海士

1.島民も移住者も挑戦し続ける島

 島根県隠岐郡海士町は、隠岐諸島の一つ、面積33.52㎢の中ノ島にあり、境港あるいは七類港から高速船で約1時間、フェリーで2時間〜2時間30分の距離にある、1島1町の離島の町である。対馬暖流の影響を受ける豊かな海と、豊富な湧水に恵まれ、縄文時代から定住の足跡が残り、奈良時代には御食つ國の一つとして、「干しアワビ」が朝廷に献上されていたことが記録に残っている。また、遠流(おんる)の地としても知られ、遣唐副使や文人としても知られる小野篁(おののたかむら)、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇等の配流の地、北前船の寄港地として、歴史の舞台となった島である(2021年は後鳥羽上皇が海士にお遷りになって800年を迎えた)。また、日本海の波風がつくり出したダイナミックな地形は景勝地としても知られ、北と南の種が共存する特異な生物相が残されており、大山隠岐国立公園、さらに2013年には隠岐諸島全体が「世界ジオパーク」に指定されている。
 一方、海士町においては、1950年(昭和25年)には約7000人を数えた人口は現在では約2300人と急速に減少した。高校卒業後にはほとんどが島外へ移動するため、20〜30代の人口が極めて少なく、高齢化率も41%と、超高齢化社会であり、観光を含めた島の産業も、担い手、後継者の不足等、町の存続が危ぶまれる状況にあった。
 こうした中、海士町は「ないものはない(便利なものはなくてもよい、生きていくための大事なことは、すべてこの島に詰まっている)」を合言葉に、今ある資源を活かすことによる産業振興(稼ぐ)に早くから力を入れ続けた。特に、「今ある資源の価値が下がったわけではない。担い手が不足しているから価値のある産業が衰退している」との視点から、今ある資源を活かした「しごとづくり」、若者との交流による「まちづくり」、教育の魅力化による「ひとづくり」に取り組み、「島留学」「大人の島留学(年間60人ほどの中長期滞在)」「地域おこし協力隊」「移住促進」等、島外人材との積極的な交流や協働を通して、Uターンを含む地元住民とIターン者による地域活性化に取り組んでいる。そうした挑戦によって、17年(2004年から2020年)で移住者779人(558世帯)、定着率46%になり、現在では移住者が人口の2割を占める等、全国的でも数少ない、人口減少に歯止めがかかった町として注目を集めた。
 しかし、産業を担う人材の不足、農林水産業の後継者不足、文化や歴史、島の風土を受け継ぐ人材の不足等、まだまだ課題は多く残っているのが現状であり、さらなる地域振興に挑戦し続けているのが海士町である。そうした中海士町は、コロナ禍であった2021年7月に、海士町としては過去最大の22億円をかけた「隠岐ユネスコ世界泊まれるジオパーク、拠点施設Entô(エントウ)」をオープンさせた。

2.玄関口のホテルのリニューアル議論から生まれた「Entô(エントウ)」

 海士町は離島にあり、その観光は滞在・宿泊が主となる。一般社団法人海士町観光協会を中心に、宿泊施設の魅力を高め、滞在してもらって消費単価を高めるために、島の民宿の魅力を高める「島宿」への取り組み、高齢化した民宿の経営を支えるための「株式会社島ファクトリー」(民宿・ホテルのリネン類のクリーニング工場運営会社。旅行ツアーの企画・造成、島内の民宿・ホテルのサポート、古民家改修B&B宿泊施設の運営等)の設立等に取り組んできた。
 そうした中、島唯一のホテル「マリンポートホテル海士」の老朽化が進み、建て替えるのか、あるいは廃業して島の宿泊施設のキャパシティを減らすのかの議論が起こった。
 マリンポートホテル海士は、1971年開業の国民宿舎「緑水園」から1994年に増築し「マリンポートホテル海士」に改名したもので、海士町の島の玄関口「菱浦港」を望む高台に位置し、訪れるフェリーが最初に目にする島のシンボルでもあった。町が所有し、第三セクターである株式会社海士が運営を担ってきた。
 島根県によるジオパークの拠点施設建設構想も同時期に持ち上がり、「島の玄関口にあるホテルをもっと魅力的にしたい」という島の思いを合わせた複合施設とする方向で、2017年から計画を進めることになった。
 一方、町での議論のポイントは、どのように投資するかであった。「インバウンドを見据えた付加価値のある高単価型のホテルに」「量ではなく質の高い島の観光を」という意見と、「本当に高単価ホテルに泊まってもらえるのか」「どの程度の稼働率が見込めるのか」「公共投資としての意義が本当にあるのか、現在の延長のリニューアルでも良いのではないか」等、様々な意見が出された。こうした議論を受けながら、町がリニューアルの決断をし、観光協会がファシリテーションをしながら2年の議論を経て計画が動きだした。しかし、建設費用の調達や事業計画策定は一筋縄ではいかなかった。金融機関からの融資も、直前で成立に至らなくなったこともあった。マーケティングリサーチや事業シミュレーションでも、再生案件、高単価設定のホテル事例は少なく、十分な分析ができなかったこともあった。運営面にしても、島外の宿泊事業者への委託が選択肢に上がったこともあった。
 しかし、理念に共感してくれる専門家と出会い、協力を得られたことや、町長をはじめ、リーダーの「オーナーシップは手放さない」「外の人はなかなかリスクを取らない。生まれるリスクは自ら負う」といった言葉で後押しを受け、株式会社海士が運営主体となり、プロジェクトを進めることができたのである。

3.「ないものはない」を詰め込んだ

 「ないものはない」とは、あるものを活かすことである。Entôは、島全体の観光を活かすことを目指した。「海士町にとってのEntôとは何か」「Entôによって島のブランドをどう表現し、伝えるか」「島の民宿との関係は」等、島全体としての視点をもって考え、点の活用ではなく、地域全体でビジョンを描き、そのビジョンを共有しながら民間からの投資も進んでいくことを目指した。多くの観光客が訪れる地域ではなくとも、エリア的な取り組みやプロデュースによって、人の賑わいを生みだすことを目指した。
 ターゲットは「島民と町との親和性が高い未開拓の来島者」であり、来島者として求めるのは、探求心や知的好奇心が強く、社会的課題解決への参画意識が強く、合理的だが気前の良いバックパッカー気質のファミリー層としている。

 宿泊施設としての「Entô」は暮らしに溶け込みながらも常に新しい世界とつながる機能を持つ。客室数を減らし、新築の別館「Entô Annex NEST」と、これまでの歴史を受け継ぐ本館「Entô BASE」を合わせ全36室(定員77名)で、すべてオーシャンフロント。「Entô Annex NEST」は眼前に広がる島前カルデラ、行き交う船の姿を眺めることができる。島の風、音、日の光に溶け込むように、全面を大胆なガラス張りとしている。また、ジオ施設である「Geo Room“ Discover”」は、海士町の本物の魅力に触れる予習の場として、海士町の大地と文化、歴史を表現する展示とともに、島民も利用できるミーティング施設、図書館も整えられている。また、宿泊客向けのアクティビティも数多く用意されている。併設されたレストラン「Entô Dining」では、島で採れた野菜や魚、季節の果物、隠岐牛が並ぶだけでなく、スタッフによる生産者の思いや産地をスタッフが丁寧に伝えてくれる等、島の自然、食、歴史、そして人の魅力を伝える仕掛けにあふれている。





 株式会社海士の代表取締役である青山氏は「島の人と宿泊客が交わる導線、場づくり、島の人も行きたくなる環境を建築の力で実現できた」と語る。また、同時に「Entô」の実現には2つの意味があり、一つ目は、「海士町の自然や歴史・文化、島民との交流は、海士町の資源であり、高い満足要因になっている。しかし、触れてもらう、島に来てもらうための誘引要因にはなりづらい。そこで、島の魅力を誘引要因として伝えるために、不動産・ハードの力が必要だった」。二つ目には、「ハード面の整備を通して、自分たちが海士町の魅力を再発見した。海士町の魅力の切り取り方をデザインすることによって、こんな素晴らしい風景の町中で暮らしていたことにあらためて気づいた」と指摘している。

4.「Entô(エントウ)」とともに描く海士の未来

 海士町はもちろん、これまでの隠岐にはない高単価の宿泊施設への挑戦であったが「高い注目度、多くの支援をいただいて良いスタートができた。今のところ、事業計画を遥かに上回る数字が出ている」と、確かな手ごたえをつかんでいる。客室稼働率も想定以上であったが、それ以上に高価格帯の部屋から埋まり、客室単価が伸びたことが、会社の業績を引き上げている。
 一方で、「Entô」だけが利益をあげるのでは意味がない」と青山氏は語る。海士町の観光で重要なことは、地域の魅力をいかにつなげて島全体の魅力として売っていくかであり、Entôだけではなく、島の農漁業、民宿、ガイド、飲食店、パン屋・お菓子屋等、あらゆる産業に好影響を与えることが使命である。開業から一年半、「Entô」の経営を通して、全て実現できているわけではない。例えば、この島に来て満足しやすいのは、視察や取材に来ている人という。なぜなら、観光協会、あるいは「Entô」スタッフがアテンドし、島民の方からも声を掛けられている。そうした「島の人とともに歩く」観光をプログラム化したいと考えている。旧来のガイドとは少し違い、希望するゲスト皆にそれを提供する。望めば一緒に歩けるし、想定していない偶発も生まれる。そうした島の観光を生み出すことが、次のステップの一つである。
 また、「Entô」は雇用の場であるとともに、人材育成の場であることも意識されている。開業して1年半になるが、コロナ禍での営業縮小を経たオープニングにあたっては、8割ほどのスタッフが新しく加わったメンバーで、全国に対して「Entô」で働くスタッフの募集が続けられている。これは、現在の若年層にとっての就職は流動性が高い世界であることを意識し、スタッフが「Entô」で働くことを通して夢を持ち、次のステップに進むことを積極的に支援しているためである。海士町自体も多様な働き方を促すために、観光、教育、産業、行政などの分野で、より早い意思決定とより強い連携を行う「攻め」の政策を担う事業会社として、AMAホールディングス株式会社(代表取締役は海士町長)を設立し、島の未来を創るための地域振興事業にチャレンジする資金援助や事業アドバイスに積極的に取り組んでいる。また、海士町複業協同組合を設立し、複業を含めた多様な働き方を支援している。こうした「働き方のデザイン」は、U・Iターンの人材の還流に寄与するものとして取り組まれている。「Entô」においても、移住・定住人口だけを目指すのではなく、人が入れ替わっていく関係人口、人材の還流を創りだすことを意図している。実際に、1年かけて3つの宿泊施設で働くプログラム「TOUCA(とうか)」にも参加し、順次拡大する予定であり、宿泊施設だけでなく、DMOや大学等との連携も視野に入れている。
 なぜ、大きなリスクを負っても踏み込めたのか。それは町も、町民も、株式会社海士も島の未来に対して高い危機意識を共有しているからだ。その中で、反対意見も当然あるが、当時の町長はじめリーダーが全責任を負って取り組むと決めたことが大きい。「任せる」と言ってから、町長も商工会会長も、まったく口をはさんでいない。「何を言われても止まるな」という指示は非常に貴重なことで、安心感があった。また、海士町は、この20年間継続して社会資本に投資をし続けてきた。これはトライ&エラーの連続でもあり、人材育成の場にもなってきた。青山氏も、決断の際に頼るのは先輩方の思考を辿ることであり、後押し・叱咤激励であると語る。こうして蓄積してきた社会資本、人材があったからこそ、思い切った決断につながった。また、交流は「つながりを作り続ける手段」であり、島外とのつながりから様々な支援があったことも、現在につながっている。「まだ道半ばであるが、期待してくれる人、紹介してくれる人が世界中にいる」と青山氏は語る。それが結果的に島の人材育成にもつながる。
 オープニング時の注目から次のステップへ進み、これからはリピーター、口コミによる集客効果が重要になる。「Entô」を通してこれからの海士町が、島民が、訪れる人、関係する人、移住する人がどのように変化していくのか、挑戦が続く。
(取材・文:観光政策研究部 上席主任研究員 中野文彦)

● 島根県海士町プロフィール
人口………2,273人(2022年住民基本台帳より)
面積………33.52㎢、周囲89.1㎞
● 株式会社海士プロフィール
設立………1992年8月
所在地……〒684-0404 島根県隠岐郡海士町福井1375-1 Entô
事業内容…泊まれるジオ施設「Entô」、レストラン「船渡来流(セントラル)亭」、売店「島じゃ常識商店」、海中展望船「あまんぼう」他
体制………職員28名。他、アルバイトやインターンが在籍。(2022年10月時点)
● Entô概要
敷地面積…約5,666.21㎡、本館5階建/別館3階建
客室数……本館18室/別館18室
開業年月…2021年7月
事業主……株式会社海士(Entôは漢字で「遠島」の意)
○ 取材協力/株式会社海士 代表取締役・青山敦士氏