わたしの1冊 第33回『大黒屋光太夫』
吉村 昭・著
新潮社
江崎貴久
有限会社菊乃
代表取締役
(旅館海月女将)
伊勢志摩の「鳥羽(とば)」という地名は、「船の泊り場(とまりば)」が元と言われている。
この本は、私にとって、そこに行きかう船、その乗組員やそれをもてなす人々などが活き活きと暮らす鳥羽港の様子が具体的に想像できるようになったきっかけの事実小説である。ある国家公務員の方に、吉村昭さんの『高熱隧道』を推薦していただいたことから続いて出会った一冊である。
本の時代背景は江戸時代。鎖国中のため、船は大航海に備えたものではなかった。そのため、廻船が嵐で遭難し、ロシアに漂着するケースがいくつかあったが、日本に帰還できた人は皆無だった。そのような中、回米船・神昌丸は、伊勢湾の奥にある白子浦を出帆し、遠州灘で暴風雨に遭遇、漂流してしまう。沖船頭の光太夫は、日本に帰還した初めての日本人である。
伊勢湾奥にある白子浦は、当時、伊勢商人の物流も担いながら、紀州藩や彦根藩などから江戸藩邸に送る物資も運ぶ廻船が40艘以上もあったらしい。伊勢湾の入り口にある鳥羽港は特殊な港で、島々に囲まれた港は、伊勢湾から出てきた廻船だけでなく、江戸へ向かうために大坂や兵庫からの廻船も、遠州灘を無事に通過するため、どの船も日和を見るために必ず停泊する港であった。今でも、沖が荒れている時には、鳥羽湾内に船が停泊し夜を明かす避難港として機能している。私は、海女やタコツボ漁や一本釣り、刺し網漁の他、黒ノリやワカメやカキの養殖など漁業はもちろん、海運業やレジャーも盛んなこの鳥羽の海を見ながら育った。現在旅館の女将として5代目であるが、家業の2代前までは、江戸時代から続く「久助や」という屋号の造船業との兼業で、旅館業は船大工たちの宿として始まった。そんな血が流れているせいか、子供の頃から、この海で嵐の夜、明かりをつけて停泊する船を見るのが好きなのである。
主人公の光太夫を含めた17人は、7カ月生き延びて、アリューシャンの小島にたどり着く。日本に何としても戻ろうと光太夫は、女帝エカテリナに帰国を請願するため、カムチャッカ半島から、モスクワよりさらに北西にあるペテルブルグに向かう。光太夫達の馬車移動の中で、寒さのため息が水蒸気になり車内に氷柱ができ、それを崩しながら長旅をする描写が印象的だった。女帝エカテリナに謁見を果たすころには、飢えと寒さにより、仲間はわずか5人になっていた。生き残りをかける場面が続くのだが、海での脅威には、一致団結した決断がされる一方で、ロシア領土での決断となると部下はそれぞれの決断をしていく。その違いは当然のことなのだが、漁業と観光業の違いに似ていて、漁観連携を進める私にとっては、興味深い。そして、光太夫達のロシア横断は、人から人へとチャンスをつないでいく。彼らのチャレンジは、地元のロシアの人々にとってもチャレンジであり、それをつなぐバトンとなる。日々、人々のお世話になりながら、前に進もうとする観光まちづくりにも重なる気がするのである。
そして、ロシアはこれを日本との通商を求めるチャンスとして政策転換し、光太夫は使節に伴われ、10年ぶりに日本へと帰還する。彼らの旅は、生きて帰ること一筋が目的だったが、その間に国と国とをつなぐに至った。
この漂流の背景には、鎖国政策による大船建造規制があり、帰還にはロシアの政策転換がある。官民一体となり、取り組んでいく方々にはぜひ、お勧めだ。
江崎貴久(えざき・きく)
1996年京都外国語大学英米語学科卒業、2023年三重大学大学院生物資源学研究科において博士号取得。1997年家業である旅館海月の経営を行う有限会社菊乃を設立。2001年観光事業拡大のため、有限会社オズを設立し、離島をフィールドに自然や生活文化を通して環境と観光、教育と環境を一体化させたエコツアー「海島遊民くらぶ」を展開。現在、観光や環境に関わる行政委員や、地元の伊勢志摩国立公園や鳥羽市のエコツーリズム推進協議会会長、観光協会副会長を務め、鳥羽磯部漁協の海業の立ち上げを行っている。