わたしの1冊
第16回『外食産業創業者列伝』
牛田泰正 著/路上社2018年
学校法人トラベルジャーナル学園
ホスピタリティツーリズム専門学校 校長 中村 裕

先日、大学の英語部の後輩である牛田泰正氏(弘前医療福祉大学短期大学教授、弘前大学非常勤講師)から一冊の本が送られてきた。彼は長年日本の外食産業を研究し、数多くの外食産業の経営者並びに創業者と親交を深めてきている。その縁で出来たのがこの『外食産業創業者列伝』だ。
この本には多くの創業者が紹介されているが、中でも鉄板焼き「ベニハナオブトーキョー」の創業者ロッキー青木氏の話が、私には深く印象に残った。
本の紹介というのがこの連載の趣旨だが、私の知人でもあったロッキー青木氏についてのエピソードを紹介することで、この本の概要と創業者の姿を感じていただければと思う。
ロッキー青木氏は学生時代にレスリング日本選抜の一員としてアメリカに遠征したのだが、そのままアメリカに残って経営学を学び、起業した。アメリカで一番成功した日本人とも言われる人物だ。
1964年、鉄板焼きレストラン「ベニハナオブトーキョー」1号店をニューヨーク、マンハッタンに開業。パフォーマンスを取り入れた鉄板焼き
が人気を博した。この1号店を皮切りに、「ベニハナ」を、アメリカ国内の約80店舗含む100店舗以上の世界的レストランチェーンに成長させている。
日本に帰国した際も、新しい商品づくりや商品そのものを日本からアメリカに持ち帰るべく研究をしていた。当時、ロッキー氏がよく宿泊していたロイヤルパークホテル内の鉄板焼きレストランでは、鉄板焼き寿司を新たなメニューに加え、大好評を博していた。
ビーフ、フォアグラ、あるいは白身の魚等を寿司の具として供していたのだが、ロッキー氏は目を輝かせ、アメリカのベニハナでも是非メニューに入れたいと言う。ホテル側も快くそれを受け入れた。
数か月後、アメリカの鉄板焼きのコックさんはイメージができず、どうしても同じものができないということで、再来日。今度は準備から完成品までを動画に収め、帰国した。
半年後また来日し、やはりだめだ、諦めた、との話を聞いた。試行錯誤の末に日の目を見なかった事例ではあるが、彼のエネルギッシュな仕事の取組みを感じさせるエピソードである。
ロッキー氏は2008年7月に他界している。東京の病院に入院するためにとりあえずアメリカに帰り、長期不在の準備をし、東京に戻る予定だったが、帰国前に容体が急変し、日本に帰ってくることはなかった。
氏は「ベニハナオブトーキョー」の経営者としてのみならず、気球で太平洋を横断した冒険家、バックギャモンのプレーヤーとしても有名で、多彩な趣味を持ち、〝人生は死ぬまで挑戦だ〞と言い続け、また、ビジネスも冒険も成功の秘訣は夢を持ち、手段を考え抜き、命がけでやることだ、とも言っている。
ベニハナオブトーキョーとロッキー青木の名は、これからも日米で語り継がれることだろう。今は夫人が青木氏の後を継ぎ、世界中のベニハナを配下に収め多忙な毎日を送っているようだ。

 

中村 裕(なかむら・ゆたか)
1940年東京都生まれ。 1963年明治大学政治経済学部卒業後、東京ヒルトンホテル入社。
グアムヒルトン営業支配人、東京ヒルトンインターナショナル総支配人などを歴任。 1988年、三菱地所入社、ロイヤルパークホテルに出向し、総支配人。 三菱地所常務取締役、ロイヤルパークホテル社長・会長、
ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ社長、一般社団法人日本ホテル協会会長などを経て、2011年からホスピタリティツーリズム専門学校校長。
著書に『しゃべれない人のホテルでの英語│一流ホテル自由自在』(KKベストセラーズ、1986年)、『ホテルの基本は現場にあり!』(柴田書店、2010年)、『理想のホテルを追い求めて』(共著、オータパブリケイションズ、2014年)。