【特集】…③ 岩手県釜石市
夢の続き
表には現れない、「ラグビーのまち釜石」のレガシー

新日鐵釜石時代から続く釜石とラグビーの熱愛関係。ラグビーワールドカップ2019日本大会でピークを迎えたかと思いきや、さらに世界とつながろうとしている。釜石の夢は続く。

釜石市文化スポーツ部スポーツ推進課

ラグビーのまち釜石

 〝北の鉄人〞と呼ばれ、日本のラグビー史に偉大な足跡を残した新日鐵釜石製鐵所ラグビー部は、昭和54年(1979年)から昭和60年(1985年)までの日本ラグビーフットボール選手権大会7連覇を含む、通算8度の日本一に輝いた。
 当時、誰一人として大学出身のFWはおらず、BKを含め、そのほとんどは高校時代は無名だった選手。偉業の陰には、東北人特有の忍耐強さと、地域、社会を挙げての温かい声援があった。同部が連覇を重ねるごとに、市内のラグビー熱はさらに上昇し、選手団が選手権大会で優勝後に帰郷した際は漁師町ならではの、色とりどりの大漁旗に迎えられ、市内で凱旋パレードまで開催されるほどの人気となった。釜石市民がラグビーを応援し支える文化が始まったのがこの頃と言われている。

 その〝北の鉄人〞の誇りを受け継ぎ、新たなクラブチーム、釜石シーウェイブスRFCが平成13年(2001年)4月25日に設立された。釜石シーウェイブスRFCは岩手県、釜石市、そして東北のスポーツ振興と普及に貢献する地域に根付いたクラブ作りを目標とした。新日鐵釜石ラグビー部時代から続く釜石伝統の大漁旗による応援は今も健在。〝北の鉄人〞が残した足跡により、釜石市民の生活には、ラグビーが地域の誇りとして受け継がれ、企業クラブが、市民を始めとした多くの人々に支えられる地域のクラブチームとして再スタートしたことで、「ラグビーのまち釜石」として広く認知されるようになる。

被災地でのラグビーワールドカップ2019日本大会開催

 当市は、2011年3月11日、東日本大震災による甚大な被害を受けた。この被災により市民1000名以上が犠牲となったほか今なお行方不明の市民もいる。
 多くの被災者は、住み慣れた地域から離れた場所へと移り住み、家族や親類のほか、仕事やそれまでのコミュニティ、普段の生活そのものまでもが失われた。

 震災直後から、国内外の多くの支援者による救援物資や震災関連の見舞金が寄せられ、多団体による復興支援のイベントや国からの生活保障制度が充実してくる一方で、癒えることのない心の傷を抱えたまま、夢や希望を失った多くの市民が苦しい生活をしていた。
 この様な状況において、日本でラグビーワールドカップ2019日本大会が開催されることが決定されており、これまでラグビーを応援し支えてきた被災市民は、「釜石でラグビーワールドカップが開催されたら夢のようなのに。」と想うようになり、その想いが声となり、やがて大きな希望となった。
 釜石市は、ラグビーワールドカップ2019日本大会を誘致・開催することにより、釜石市民の元気を世界に向けて発信し、これまでの復興支援に対する感謝の気持ちを伝えるとともに、復興に伴う基盤整備事業の加速と、大会開催を契機とした市民の心の復興を目指すことを開催の意義とした。
 誘致決定と同時に、スタジアムを有していない釜石市は、スタジアムの設計・施工に取りかかり平成30年(2018年)7月30日に釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムを完成させた。
 誘致決定とスタジアム建設については、当時、市民の中にも賛否の声があり、「スタジアムを建設する財源があったら生活再建に使うべき」という声が多々あり、特にスタジアム建設場所である鵜住居(うのすまい)地区では反対する被災者も少なくはなかった。このため、ラグビーワールドカップの誘致・開催を進める市民団体は、鵜住居地区での座談会の開催や、被災者が入居する仮設住宅を1軒ずつ訪ねては、ラグビーワールドカップ2019日本大会釜石開催への誘致・開催の意義とその効果を丁寧に説明してまわった。スタジアムの完成とその後のテストイベント開催時には、当初反対した市民が「どうせやるなら最高の雰囲気で。」と積極的なボランティア活動を行うまでになった。
 平成31年(2019年)9月25日、観客数1万4025人を迎えたこの日、ラグビーワールドカップ2019日本大会釜石開催「フィジー対ウルグアイ」が開催され、市民の悲願は達成された。秋晴れの上空をブルーインパルスが展示飛行し、市内全小中学校14校の約2200人が震災復興支援への感謝の気持ちを歌にした「ありがとうの手紙「Thank you From KAMAISHI」を合唱。両国の国歌斉唱の前には東日本大震災犠牲者へ黙禱を捧げるなど、感動の空間を創出する事ができた。

 同年10月12日、令和元年台風第19号(ハギビス)が日本に来襲し、東日本を北上。公共交通機関の乱れや土砂災害の可能性など、観客の皆様、選手、大会を支えるスタッフ・ボランティアなど全ての関係者の安全を確保する事が困難であると判断し、残念ながら、10月13日開催予定だった「ナミビア対カナダ戦」の中止が決定された。しかし、物語には続きがあった。試合を見る事が出来ない、スタジアムにも入る事が出来ないにもかかわらず、鵜住居駅周辺には大勢の人々が集まってきた。
 「みんなで大漁旗を持ってスタジアムまで行進しよう。」
 キックオフの12時15分にあわせて、台風一過の青空の下100旗以上の大漁旗が振られた。何かを応援するように。
 一方、洪水に襲われた地区では、土砂の除去作業などのボランティアに従事するカナダ選手たちの姿があった。試合以上の大切なプレーを私たちに魅せてくれた。もしかしたら、これこそがラグビー精神なのかもしれない。

 2019年11月2日、南アフリカが優勝トロフィーであるウェブ・エリス・カップを掲げ、ラグビーワールドカップ2019日本大会は幕を閉じた。翌日に行われたワールドラグビーアワード2019において、ラグビーの価値を社会的に高めたとして、12の開催都市の中で唯一、当市が「キャラクター(品格)賞」を受賞した。
 また、ラグビーワールドカップ2019日本大会の統括責任者であるアラン・ギルピン氏は、「これまで200試合以上のラグビーワールドカップの試合を観てきた中で、釜石の試合が間違いなく最高の試合であり誇りになった日。」と述べた。当市の震災復興としてラグビーワールドカップを誘致・開催した事が世界的に評価され、12の開催都市の中では一番小さな試合会場であったにもかかわらず、とても大きな開催レガシー(遺産)を得る事ができた。それは物と言うよりも心のレガシー。チャレンジし続ければ何事も成し遂げられるという希望。最初は小さなワンチームも、諦めなければ大きなワンチームになってゆく。子供達にも大切な事を伝えられた釜石開催となった。

東京2020大会「復興『ありがとう』ホストタウン」の取組み

 当市は、平成29(2017)年11月に、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、オーストラリアの「復興『ありがとう』ホストタウン」に登録した。
 登録のきっかけは、東日本大震災の時に、釜石のラグビーチーム、釜石シーウェイブスRFCに所属していたオーストラリア出身のスコット・ファーディー選手が、帰国せずにチームメイトと一緒に市民の為に支援活動を行い、ファーディー選手からたくさんの勇気と感動をいただいたこと、もう一つは、2015年から当市の中学生が海外体験学習事業でビクトリア州の学校に受け入れていただいていることなどによるものである。
 「復興『ありがとう』ホストタウン」事業での取組みとしては、平成30(2018)年3月、スコット・ファーディー選手を釜石に招いて、市民との交流を行った「“Welcome Home Scott Fardy!”おかえりファーディー!釜石ラグビータウンミーティング」を開催し、市民とともに東日本大震災当時を振り返りながら釜石の今後についての語り合いの他、市内の小学校では東日本大震災時の経験の話とタグラグビーで交流し、また、市内高校のラグビー部では世界トップレベルの指導により参加した生徒からたくさんの歓びの声があがった。
 2018年と翌2019年の秋には、オーストラリアの小学生を招待し、市内の小学校との国際交流や、タグラグビー大会等での交流を行い、国境を超えた友情を育むことができた。
 ラグビーワールドカップ2019日本大会釜石開催では、オーストラリアの高校生と、地元の高校生が市内でラグビーの交流、両国の食材を使ったおむすびを握り、一緒に食べるなど、スポーツと食文化の交流も行った。
 平成31(2019)年9月に発生したオーストラリア森林火災の災害支援のため、1月から3月までの約2カ月間にわたり募金活動を行い、市内の小中学生で構成する「かまいし絆会議」や市民からの募金、市外の方々から寄せられた約130万円を、在日オーストラリア・ニュージーランド商工会議所(ANZCCJ)を通じて、オーストラリア赤十字社に届ける活動を行った。
 2020年は、新型コロナウイルスの影響で、オリンピック・パラリンピック競技大会の延期や、予定していたオーストラリアとの交流活動も残念ながら中止せざるを得ない状況が続く中、今までの取り組みや、育んできた友情を継続できるように、オンラインを通じた交流を取り入れ事業を実施した。
 1つ目は、2019年9月から同年11月までの2カ月間、オーストラリアオリンピック委員会主催の「ともだち2020」パイロットプログラムに参加し、南オーストラリア州の中学生約10名と、市内の中学生が2週間に一回程度、オーストラリアの学校と、お互いの文化や日常生活、学校生活、防災学習などを紹介するオンライン交流とした。
 2つ目は、オーストラリア大使館等と連携し、オーストラリアの各地と東京、釜石市の各地をWebでつなぎ、文化・スポーツ・音楽・食等を通じたオンライン交流を行う「KOALACAMP(コアラキャンプ)」を実施、メインスタジオの在日オーストラリア大使館からオーストラリアンフットボール体験、ワイルドフラワーの製作、ワイン講座、サテライトポイントのオーストラリアシドニーからはヨガ体験と菓子作り、ハンター・バレーからワイナリー紹介、ゴールド・コーストからはバーベキュー実演、メルボルンからジャズ演奏、釜石スタジオの根浜海岸キャンプ場ではそれぞれの実演を行うなど、インターネットを介して様々な交流体験をした。
 また、オンライン以外には、ホストタウンを紹介する取組みとして、令和元(2020)年10月に釜石鵜住居復興スタジアムで開催された「いわて・かまいしラグビーメモリアルマッチ」の会場内においてオーストラリア紹介交流事業を行った。会場では、オーストラリアンフットボールやクリケットのスポーツ体験、アボリジナル伝統楽器ディジュリドゥの演奏、ワイルドフラワーの制作体験、ミートパイ、コーヒー、ワインなどの食を紹介し、来場者にオーストラリアを満喫してもらった。
 2021年1月には、オーストラリアのティーツリーハニーとマカダミアナッツ、釜石のミルクジェラートと当市の特産品である甲子柿を掛け合わせたジェラートを開発した。試食会で好評いただき、同年9月のオリンピック・パラリンピック期間終了まで市内の観光施設の店頭で販売された。
 その他にも、新聞紙面広告、ホストタウン交流の映像制作、そしてホストタウン周知グッズの作成や装飾を行うなどホストタウンとしての醸成に努めた。
 今夏開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催期間中には、7人制ラグビーの試合が行われた7月26日から31日まで、釜石市民ホールTETTOで、パブリックビューイングを行い、オーストラリアチームを応援することで、東日本大震災の時にオーストラリアの方々をはじめ、世界中の方々からいただいたご支援に対する感謝と、復興した元気な釜石の状況を発信した。
 いまだ続く新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、直接の交流は難しい状況ではあるものの、オンライン交流も行いながら、オーストラリアとの継続した交流を行いながら、ラグビーのまち釜石は、国際大会を契機とした子どもたちへのレガシーを伝え続けてゆく。

今後の取組み

 今年度、当市は、令和3年度から令和12年度までの10ヶ年を計画期間とする第六次釜石市総合計画をスタートさせた。計画には、10年後のまちのあるべき状態を表す将来像を『一人ひとりが学びあい、世界とつながり未来を創るまちかまいし』とし、この姿を実現するための姿勢を表す将来像を〝多様性を認め合いながら、トライし続ける不屈のまち〞としている。
 そこには、東日本大震災からの復興やラグビーワールドカップ2019日本大会釜石開催のプロセスにおいて、日本中・世界中とのつながりを育む機会に恵まれた経験を生かし、更に新たな世界を広げることで、一人ひとりの可能性、地域の可能性を広げ、希望が連鎖し、活力ある未来を創り続ける姿を重ねた。
 今後、この将来像を実現していく中で欠かせないことの一つとして、国際スポーツイベントを通じた地域振興が挙げられるが、これには、課題が山積しており、行政施策各般からのアプローチが不可欠だが、その一つに多文化共生社会の実現もあると考える。
 当市では、第六次釜石市総合計画と歩調を合わせ、多様な国際交流活動の実践により「海外から訪れた人をやさしく受け入れるまち」「世界とつながる人材が育つまち」「違いを認め合える市民が暮らすまち」でありたいとの強い思いから、釜石市多文化共生推進プランを策定し、「世界とつながるKAMAISHI」を目指して取組んでいく。
 10年後には、国内外を問わず当市においてラグビーをはじめ各種スポーツイベントが盛んに開催され、スポーツの「する・みる・ささえる」が一体となり市民がワンチームとなり参画している姿の夢をみる。

夢の続き

 ラグビーのまち釜石の夢は苦難の路でもある。
 新日鐡釜石ラグビー部は無名選手の集まりであったが、ぶつかって倒されても、直ぐに立ち上がり前へ進む。
 倒されても倒されても、なおも立ち上がり、また倒され続けたある瞬間、「諦めるな!」
 誰かが言ったその声に、倒されながらもパスを出す。
 そのパスは大きな波となり、日本一に向かって走り出す。
 未曽有の震災を経験するも、
 「釜石でラグビーワールドカップができないだろうか。」
 誰かが言ったその声は、多くの人の心に響き、やがて、大きなうねりとなって広がり大成功を収める。震災からの絆のパスは、ラグビーワールドカップを経て、その後の東京2020ホストタウン交流事業へとつながり続ける。釜石で組まれたラグビーワールドカップは、開催12都市の中で最も少ない2試合だったが、そのうちの1試合、ナミビア対カナダ戦は、台風19号(ハギビス)の来襲により中止となると、
 「釜石の力になりたい。」
 カナダ代表の誰かが言ったその声で、道路や民家に流れ込んだ土砂を掻き出すボランティア作業が行われ、それは、ラグビーワールドカップ2019日本大会のハイライトになった。
 声、それは、見えない心の絆。
 声と共に立ち上がり、声に勇気づけられて進んできた夢の路。そして、また、希望を灯す誰かの声。
 「ナミビアとカナダにまた釜石に来てもらって、試合をしてもらえたらいいな」
 その声は、どんどん大きく広がり、ラグビーワールドカップのレガシーを、次の世代へつなぐための企画が生まれた。
 2020年10月10日、釜石が、世界の『KAMAISHI』になったあの日から1年。
 ラグビーワールドカップ2019日本大会開催1周年記念「いわて・かまいしラグビーメモリアルマッチ」開催。
 ナミビア対カナダの再試合実現がほぼ決まった矢先、世界をパンデミックが襲い、両チームの来日は不可能になった。
 「それでも、メモリアルマッチはやりましょう!」
 釜石の復興を支えてきた釜石シーウェイブスRFCと、震災直後から釜石を訪れ、ラグビーや復興支援活動を通して釜石を勇気づけてきたクボタスピアーズからの心強い声が届き、未来への希望をつないでくれた。
 観客の数は、収容人数の半分以下に設定され、歓声も、子ども達の歌声もボランティアのハイタッチも無い。しかし、釜石とスタジアムは、静かな熱気と期待に包まれながら輝いた。
 新しい生活様式に合わせた様々な取組みも行われた。
● 釜石ラグビー応援団設立
● YouTubeラグビーのまち
 釜石チャンネル開設・ラグビー試合の無料配信
● スタジアムへのスポーツ合宿等誘致
● 釜石ラグビー神社移設
● 小中学校でのラグビー教室開催や、小学校対抗タグラグビー大会開催

 など、様々な子ども達向けの企画も開催され、県内のラグビースクール人数や釜石シーウェイブスJr.の人数は増加し、ラグビーワールドカップ日本大会をきっかけに生まれた熱は、これからを担う子ども達の中にしっかりと息づいている。
 声、それは、想いと想いをつないでいく希望の証。
 そして、釜石ラグビーを愛するみんなの声。
 「ナミビア対カナダ戦の実現は諦めない!」
 それは、たくさんの人々の心の声であり、表には現れない釜石のレガシー。無数の声をチカラに、一歩一歩、歩み続けながら、ラグビーワールドカップのレガシーを誇りに。
 『ラグビーのまち釜石』の夢に終わりはない。