特別寄稿
東京2020大会から、その先へ
多様性を尊重する気持ちが、東京2020大会一番のレガシーだ。増田明美さんの視点で捉えたスポーツイベントが開催地に与える好影響。

増田明美
スポーツジャーナリスト

東京2020大会を振り返って

 夏に開催された東京オリンピック・パラリンピックは、始まる前から長いマラソンでした。コロナ禍で一年延期となり、その間も中止を求める声があり、選手の中には「練習をしていていいのだろうか?」と涙する人も。戸惑いながらも前に進み、心のスタミナを試されたと思います。そして本番は無観客です。声援がない中での競技はなかなか調子に乗れないもの。私は選手の頃、沿道の声援にどれほど背中を押されたことか。この環境の中でメダルを獲得した選手は本当に凄いと思います。またメダル獲得、入賞は出来なくても、自己ベストを出した選手は立派です。
 テレビ観戦や取材、解説をしながら、改めてスポーツから届く偉大な力を感じずにはいられませんでした。ウソやまぐれがないからです。体で紡いだ努力の時間が感じられる肉体で、緊張しながらも力を出し切る。スタミナ、スピード、技、表現力など究極のパフォーマンスを通して沢山の教訓がありました。水谷隼さん、伊藤美誠さんの混合ダブルス大逆転の金メダルから「諦めなければ、最後まで何が起こるか分からない」とつくづく思ったり、スケートボードでの皆で励まし合い、讃え合う姿に、スポーツの語源、デポルターレ(戯れる、楽しむなど)を思い出したり。まだまだたくさん…感動が蘇ります。
 そしてパラリンピックは、母国開催により毎日テレビで選手達の競技に触れられたことで、多くの人の障がい者に対する感覚が変わったと思います。私も日頃から陸上競技の選手とは交流がありました。でも、こんなにたくさんの競技を観たのは初めて。ラケットを口にくわえてプレーする卓球選手や脚で弓をひくアーチェリー選手には驚かされました。また水泳は水着姿なので、両腕がなかったり、脚の長さが違ったりしているのが露わになります。それでも上手にバランスをとって全力で泳ぐ姿に、「失われたものを数えるな、今あるものを最大限生かそう」というグットマン博士(パラリンピックの父)のメッセージが真っすぐに伝わってきました。泳ぎ終わって銀メダルを獲得した山田美幸さんが亡き父に向けて「私もカッパになりました」と。なんて可愛らしい選手なのでしょう。視覚障がいの木村敬一さんが悲願の金メダルを獲得。表彰台で君が代が流れた途端に、身を崩して涙する姿に一緒に泣いてしまいました。そして最後を飾るようにマラソンで道下美里さんが金メダルに。競技中は一時雨も降る曇り空だったのに、道下さんのゴールの瞬間だけお日様がさしました。いつも笑顔の道下さんはお天道様からも愛されているなと感じたのです。選手の皆さん、沢山の感動を本当にありがとうございました。閉会式で、国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長が、選手を「金継ぎ」(日本の伝統的修復技法)に例えてご挨拶されたことも嬉しかったです。
 1964年の東京五輪では新幹線や首都高の開通などハード面でのレガシーや、ソフト面ではピクトグラムやファミリーレストランが誕生するなどのレガシーが残りました。2020東京大会は、国立競技場などの施設はもちろんですが、一番は多様性を尊重する気持がレガシーとして残るのではないでしょうか。正に、「みんなちがって、みんないい」。金子みすゞさんの言葉です。連日のようにパラリンピックをテレビで観ていた甥っ子は「車いすテニスが面白かった」「今度一緒にボッチャしようよ」と、パラという言葉もありません。昭和生まれの私たちよりも今の子どもたちの方が多様性を自然と受け入れることが出来ると思います。
 オリンピック、パラリンピック期間中、コロナウイルス感染のクラスターも発生しませんでした。選手のみならず、審判や運営スタッフ、メディア関係者も全員が2回のワクチン接種を済ませ、かつ頻繁にPCR検査を受けましたが、その成果だと思います。大会側は宿泊療養施設を300室用意していましたが、使用したのは49人で、余剰分は都民の感染者用に転用したそうです。私も毎日検温し、3日に1回はPCR検査を受け、自宅から国立競技場に地下鉄で通いました。東京都内では競技会場の中が一番安全と感じたものです。今後コロナ禍で開催する国際大会のお手本になると思いました。
 さっそく今冬の北京オリンピック、パラリンピックでは観客を自国民に限定することで、世界的な感染拡大につながらないよう配慮しています。観戦ツアーが実施されるのはお預けですが、3年後のパリを楽しみにしたいと思います。

これまで訪れた国際大会で

 私がメディアの一員として参加する国際大会は、オリンピックと世界陸上競技選手権です。現役を引退して初めての国際大会は1993年のシュツットガルト(ドイツ)世界陸上でした。当時のスター選手は何といってもカール・ルイスさん。棒高跳びのセルゲイ・ブブカさんも6mジャンプで会場を沸かせました。女子マラソンでは浅利純子さんが日本女子初の世界大会マラソン金メダルに輝き、解説した私も注目され、今でも浅利さんとは親しくお付き合いしています。ただ、初めての大きな大会の解説で緊張していたせいか、町の様子や食べ物、観光地など、何も覚えていないのが残念です。あ、タクシーがベンツで驚いたことを思い出しました。
 オリンピックは96年のアトランタ五輪から。その後2年ごとの世界陸上と4年ごとの五輪にすべて解説で現地に行きました。野口みずきさんが金メダルに輝いた04年のアテネ五輪では、レース1週間前にマラソンコースの下見に出かけると、工事中で通れないのです。掘ると遺跡が出てきて考古学者が現れ工事がストップ。間に合うかしらと心配しましたが、何事もなかったかのようにレース本番を迎えました。
 なかでも北京へは、07年の北京国際マラソン、08年4月のマラソンテストイベント、8月の五輪本番、15年の世界選手権と4回行きました。世界的なスポーツイベントが開催地にどのような影響を与えるか、身をもって感じたので紹介します。


 最初に北京へ行った時、ホテルの近くを朝ジョギングすると、パジャマ姿で散歩する人に数多く出会いました。パジャマが裕福さの象徴と考えられており、カルチャーショックを受けました。天安門広場に観光に行きましたが、地下鉄でのマナーの悪さには閉口しました。乗降時の割り込み、大声で話す、席に荷物を置いて独占する、挙げたらキリがありません。でも五輪をきっかけに大きく変わったのです。2015年の世界選手権の時には殆どストレスを感じませんでした(車の運転マナーを除き)。世界的なスポーツイベントをきっかけに、色々なことが洗練されるのだと思います。


 2000年のシドニー五輪ではあからさまに人種差別を受けました。レストランでは入り口近くやトイレのそばの席に案内されました。窓際や落ち着いた席が空いているにも関わらず…。それが2015年に旅行でシドニーに行ったときには全く感じなかったので、進歩しました。余談ですが、日本も1964年の東京五輪をきっかけに大きく変わったそうです。例えば立小便禁止。それまでは道端で用をたす男性は珍しくなかったそう。途上国で開催されるスポーツ大会は、開催国の市民の意識改革につながり、旅行者を受け入れる素地が増すと感じています。
 ロンドンパラリンピックもエポックメイキングな大会でした。さすがパラリンピック発祥の国。パラリンピックの注目度が飛躍的に高まったのです。大会前の4月、マラソンコースの下見も兼ねて貯まったマイルでロンドンに旅行へ行った時のこと。ヒースロー空港に着くと通路の右側の壁にオリンピックのスター選手たちが。そして左側には同じサイズでパラリンピックの選手たち。対等に扱われているのです。オリンピックもパラリンピックも現地に行きましたが、280万枚のチケットは完売し、競技会場はどこも満席。陸上競技場は8万人を超える大観衆でした。大会のレガシーという言葉が頻繁に使われるようになったのも、ロンドン大会がきっかけです。

日本の魅力発信

 今回の東京大会は海外からの観客受け入れを断念したため、経済効果は激減しました。来日した選手たちはバブル(隔離)方式のため事前キャンプ地での直接的な市民交流も出来ず、当初予定していたことの多くが省略され、単なる競技会になってしまった側面は否めません。でもリモートで会話したり、沿道で選手の乗るバスに向かってエールを送ったり、各地が独自で工夫した心温まる交流も数多く行われました。競技はテレビやインターネットで中継され、マラソンでは五輪で札幌、パラリンピックで東京の景色が全世界に発信されました。トライアスロンでは東京臨海部の都市美、自転車のロード競技では日本の自然の豊かさも。
 そして何よりSNSによる発信が注目を集めました。選手やメディア関係者による発信が世界中で話題になったのです。自由な行動は出来なかったものの、選手村の部屋から撮った東京湾岸の都市美をはじめとする景色の美しさは数多くの「いいね」を集めていましたし、選手村の料理のおいしさも話題に。福島産の桃が大好評だったのは本当に嬉しかったです。日本人の親切さを紹介するものからコンビニデザートの充実ぶりまで。メディアだけでなく個人が情報発信する時代特有のカタチで日本の魅力が世界中に発信されました。世界各地を転戦しているトップアスリートのSNSは数多くの人が見ています。そんな人が日本の魅力を伝えることは「行ってみたい」という気持ちに直結するでしょう。
 私も日本の魅力発信に一役買おうと、パラリンピックの表彰式のプレゼンターを依頼されたので選手へのお持てなしを決意。朝からヘアメイク&着付けをして、色留袖姿(もちろんレンタル)で表彰式に臨みました。2人一組で行うのですが、もう一人が白い布をまとったような正装のアラブ系の男性。王族と思われるようなその男性と片言の英語で会話しましたが、「私たちはナショナルウエアでいいコンビだ。あなたはキレイ、どうだ、私の7番目の妻にならないか」と(もちろん冗談で)。爆笑でした。来年神戸で世界パラ陸上競技選手権が行われますが、何日かは和装でキメようと思っています。
 日本文化は私たちが想像する以上に海外で高く評価されているんです。私は「世界!ニッポン行きたい人応援団」(テレビ東京系)のナレーションを担当していますが、世界中に日本文化を尊敬し、愛し、学び、日本に行きたい人がたくさんいることにいつも驚かされています。アルゼンチンやシンガポールでは大規模な盆踊り大会があり、ポーランド・ワルシャワでは毎年日本祭りが盛大に行われています。2019年のドバイ世界パラ陸上の時、日本代表ジャージを着ていると、数多くのアスリートから話しかけられました。「来年、パラリンピックで日本に行くことを楽しみにしている」「東京は憧れの街なんです」等々目をキラキラしながら。日本で行われる国際スポーツ大会に参パラリンピック表彰式加することをアスリートたちはとても楽しみにしています。そして日本での大会ならぜひ応援に行って、観光もしようという家族や友人も多くいます。

スポーツツーリズム

 国際的なイベントはもちろん、国内でも全国各地から人が集うスポーツイベントはコロナ禍でストップしています。経口薬はじめ治療薬が普及し、コロナ前と同様に大会が開かれることを切に願います。なかでも経済効果の面からも注目しているのが、ねんりんピックの愛称をもつ、「全国健康福祉祭」(主催:厚生労働省、一般財団法人長寿社会開発センター)。60歳以上のスポーツ大会や文化活動の発表会の目的で開催され、毎年全国大会に出場することを生きがいにしている人も少なくありません。ある程度の経済力と自由な時間が多い元気な60代70代が毎回約50万人参加している一大イベントなのです。
 2009年の北海道・札幌大会の期間中に別の仕事で札幌を訪れた時、新千歳空港で帰路につく選手団を見かけました。メモを片手にお菓子を大量に購入。きっと家族やご近所さんなどに買って帰るのでしょう。15年の山口大会には視察に行きましたが、開会式が始まる前から売店に並ぶ選手の皆さんが。「今から開会式ですけど大丈夫ですか」と聞くと、「フグセットを宅配便で送るのよ。娘から頼まれたから売り切れる前に早く買わないと」とハツラツとした声で。


 そんなイベントの国際版が「ワールドマスターズゲームズ」です。1985年から4年ごとに開催され、前回大会(2017年)はニュージーランドのオークランドで開催され100か国から28、578人の選手が参加しました。30歳以上と銘打っていますが、実際は熟年世代が中心。しかも選手に加えて家族も一緒に観光も兼ねて訪問することが多いそうですので、経済効果はかなりのものになります。その大会が2022年5月に関西で行われるのです。コロナ前に大阪に行ったときにワールドマスターズゲームズと万博のロゴはよく目にしましたが、オリンピック、パラリピックのポスターをほとんど見かけなかったことを思い出します。国際的なスポーツイベントも開催地から離れた地域では盛り上がりに欠けます。
 ぜひ盛り上げたいのが2022年夏に行われる神戸世界パラ陸上競技選手権(実は私が大会組織委員会会長を拝命しています)です。東京パラリンピックで大きな感動が広がりました。パラスポーツを実際に観たい人も多くなっているように感じます。この機運を終わらせることなくパラスポーツを観る、する、支えることが日常になるようにつなげていきたいと思っています。パラスポーツの大会が開催されることは、障がい者や高齢者に優しい街の実現につながります。2014年のソチ大会では街のバリアフリーマップが作成され、その後それを真似てロシア各地の街でバリアフリーマップが出来ました。パラスポーツには社会を変える力があると思います。

スポーツ関連の新たな旅

 イベントからは少し離れますが、スポーツに関係した旅という面から感じていることを少々。アニメやドラマではその舞台を訪問する「聖地巡礼」の旅があります。じゃあスポーツの聖地を巡る旅があってもいいのではないかと。例えば大リーグでMVPを獲得した大谷翔平さん。エンゼルスや大谷さんのファンであれば、幼少期にキャッチボールしていた公園、ランニングしていた遊歩道、部活の後に通っていた食堂など、訪れてみたいでしょうね。NBAで活躍する八村塁さんがランニングしていた河川敷、高校時代にダンクを決めていた県立体育館もどうでしょう。スーパースターの歴史をたどる旅、マラソン選手のスーパースターが出てきたら、私がツアーに同行して解説したいなぁ。
 オリンピック、パラリンピックの舞台となった競技会場自体も魅力にあふれています。開閉会式が行われた国立競技場をめぐるツアー、マウンテンバイクのコースを実際に走れるツアー、そして札幌にはマラソンコースに距離表示の銘板が埋め込まれ(歩道に)ました。同じコースを使ったメモリアルマラソン大会も考えられますが、札幌に行って大通公園からオリンピックを同じコースをジョギングするだけでも、テンションが上がりそうです。
 そしてパラリンピックではぜひ訪れて欲しい聖地があります。別府市の「太陽ミュージアム」です。日本のパラリンピックの父と言われる中村裕さんが障がい者の雇用のために創立した「太陽の家」の歴史やパラスポーツの歴史が分かり、車いすの体験なども出来ます。見学後は温泉でゆったり。心も体も充実の旅になりそうです。

これから

 松坂大輔さんがスーパールーキーとしてデビューした1999年、5年連続首位打者だったイチローさんと初対決する試合。一目見ようと西武球場は5万人の大観衆であふれました。全英女子オープンゴルフで優勝した渋野日向子さんの凱旋試合は過去最高のギャラリーが押し寄せたのです。スポーツを盛り上げるにはスター選手が必要です。実力はもちろん、メディアにも露出して言動も注目される選手であれば、競技会場で「観たい」と思うものです。
 オリンピック、パラリンピックをはじめとする国際スポーツ大会観戦、インターネット中継をスマホで観る人も増えていますが、やはり会場に足を運んで五感で感じて欲しい。多くの人が会場に足を運びたくなるように、競技団体や選手はじめ関係者は努力を続けなければなりません。コロナ禍で無観客だったオリンピック、パラリンピックを無駄にしないためにも、これからが勝負です。

増田明美(ますだ・あけみ)
スポーツジャーナリスト、大阪芸術大学教授。1964年、千葉県いすみ市生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。現役引退後、永六輔さんと出会い、現場に足を運ぶ〝取材〞の大切さを教えられ大きな影響を受ける。現在はコラム執筆の他、新聞紙上での人生相談やテレビ番組のナレーションなどでも活躍中。2017年4月〜9月にはNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の語りも務めた。日本パラ陸上競技連盟会長、全国高等学校体育連盟理事、日本パラスポーツ協会理事。