特集④ 【座談会】 世界をリードする京都市観光の実現に向けて

〜コロナ禍が観光・文化にもたらしたものと未来への展望〜

約3年に及ぶコロナ禍は、国内屈指の観光地であり文化都市である京都に大きな変化を与えた。
実際どのような状況だったのか、そこで見えてきた課題やもたらされた変容とは何か、またコロナ後の世界において、京都市観光はどのような未来を志向すべきなのかを語り合った。

コロナ禍で露わになった
観光・文化産業の脆弱さ

山田 2023年の夏以降、私は北米、欧州、オセアニア、そして沖縄を巡り、観光が力強く戻ってきたことを実感しているのですが、一方でコロナ禍の前と後では異なる動きも感じます。本日はまずコロナ禍において京都で何が起きたのか、そして現状はどうなのか、それぞれの立場から話していただけますか。
植垣 コロナ禍、市民からは「観光の混雑がなくなって良かった」という声も上がる一方、観光消費額が年間1・2兆円、税収390億円だった京都市における観光産業は大打撃を受けました。
 2022年の観光客数は4361万人、コロナ禍前の2019年比でマイナス18・5%、宿泊客数は969万人、2021年比で87・5%とかなり戻ってはいます。
2023年7月の市バス乗客数は2019年比でマイナス10%、地下鉄がマイナス7%と一定程度戻った印象です。
赤星 コロナ禍においては国内外の観光客が霧散し、観光業界存続の危機であったものの、政府・行政からの業界中小企業に対する手厚い補助金等、各種施策が功を奏し、企業単位では何とか継続できた所も多かったのですが、一方で非正規雇用の方の多くは退職を余儀なくされたケースも散見されました。一例ですが、京都市内の高齢のタクシー運転手の一斉退職の余波で現在、担い手不足によるタクシー稼働台数の減少など、深い爪痕が残っている状況ですね。
山田 文化庁のお二人に伺います。人の来ない3年間、文化財は保全の面では良かったかもしれませんが、人に見てもらってこそといった面もあると思います。実際どんな状態だったのでしょう。
丸岡 文化事業全般が、深刻なダメージを受けたと思います。伝統工芸では観光による購買が一気に止まり、入場料で回っていた美術館などは収益構造を見直さざるを得なかったようです。
ドイツでは文化は生命維持装置と言われましたが、日本では捉え方が人により異なり、文化庁・観光庁・厚生労働省の支援はあったものの今もダメージを引きずる文化事業者が多い状況です。
原澤 文化財は元々、保存するとともに、活用を図るものとして、文化財保護法にも規定されています。一方、コロナ禍では活用が進まず、入場料収入が激減することで、境内の修理事業の立ち上げが難しくなった寺社もありました。また職人が特定の地域に偏在しているため、工事自体が止まってしまう事態も一部で生じたそうです。年間一定の需要があったのに、修理需要が落ち廃業を決めた職人もいるそうです。
山田 たしかに、伝統文化や文化財は、世間で営利事業的に捉えられていない面がありますね。飲食・宿泊等の観光事業者には「お客が来ないので支援を」という話になりやすかったのとは対照的ですね。
丸岡 文化はインフラのように、多くの人が当たり前に享受するものとして存在しています。ところが、災害時などに失って初めてその存在に気づく。
コロナ禍はまさに文化の危機でした。
文化業界では、例えば一つの芸能に多くの流派があり、多様ゆえにまとまりにくかったのですが、この危機に際してある種の連合体が形成されました。
原澤 そうした背景から、文化庁はコロナ禍において、アーティストや伝統文化・お祭りなどにも力を入れて支援を行っていました。

赤星 業界への支援という意味では、DMOが観光業界のまとめ役としてワクチン集団接種を実施したり、行政に対して観光・飲食業界全般の要望を取りまとめるといった役を担いました。
観光業にとどまらず、幅広い業種の皆さんが同じベクトルに向かう求心力になり得たのは、DMOとして一歩業務ウイングを拡げることができた気がしています。コロナ禍でなければできなかったことです。
山田 業界要望を受ける側の京都市は、ずっと当たり前にあった観光が止まったとき、どのような姿勢で臨んでいたのですか。
植垣 2019年に国連とユネスコが共同開催した「国連  観光・文化京都会議」で「観光に関わる方の理念を高める行動規範の必要性」が「観光・文化京都宣言」に盛り込まれました。この宣言に基づき、2020年に京都市及び公益社団法人京都市観光協会(DMO KYOTO)が共同で、持続可能な京都観光を実現するために観光に関わる事業者、観光客、市民とともに大切にしたい行動基準「京都観光モラル」を策定しました。今後の京都観光をどういう考えに基づき進めていくのかを関係業界と共に固める期間となりました。
山田 海外でもコロナ禍、観光客がいない期間を活かして住民、事業者、それぞれの視点から話を聞き、マネジメントプランを再構築したという話を多く聞いています。

 21世紀に入って国際旅客数は急激に伸び、観光は揺るぎない成長産業だと認識され、まさかこのような分断があるとは誰も想像できませんでしたが、UNWTO(国連世界観光機関)ではどのように捉えていましたか。
大宅 たしかにコロナ前の観光は、発展途上国の成長などに伴い予測以上のスピードで伸び、人気の観光地では住民との軋轢や自然環境の破壊が問題になっていました。ところが2020年すべての移動が止まり、観光客がいない世界を皆が体験しました。ここで観光がいかに脆弱な産業であるかが明らかになり、持続可能で強靱な観光を目指そうという国際的な共通認識が醸成されたと思います。
 一時は観光客が世界で8割以上減少したなか、日本では手厚い経済支援があった一方、自国政府の支援を望めない発展途上国もあり、観光産業を守る観点から、UNWTOとしては、パンデミックの発生当初、まず観光産業のプライオリティを上げる試みを行いました。当方の事務局長がWHO(世界保健機関)の事務局長と会談を行い、科学的根拠に基づき必要以上の移動制限をしないよう各国政府に働きかけました。
また旅行者心理として各国の状況が分からなければ旅する気にはなりませんから、各国の具体的措置を一元化して見られるデータセットを作りました。
山田  UNWTOの資料は我々も頼りにしていました。ようやくインバウンドも戻ってきていますが、コロナ禍による断絶のあとは、少し違う世界に来ている気もします。
大宅  日本は丸2年止まりましたが、ヨーロッパでは2021年の後半頃から観光客数は戻っています。2023年に入り、世界全体ではコロナ前の84
%で、アジアも急速に回復し、中東は最も速い伸びでコロナ前の120%。
コロナ前からのテーゼは、持続可能でインクルーシブ(包括的)でレジリエント(柔軟で強靱)な観光であり、数で見れば順調に回復していますが、足元ではインフレが起こり、またロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ紛争といった地政学的なリスクも生じています。
山田 文化庁ではこの2〜3年を経て、以前と変わったことは何かありますか。
丸岡 コロナ禍中の2020年5月、文化の価値を伝え、文化の担い手に経済的還元をきちんと行って持続可能性を高めようとする、文化観光推進法が施行されました。観光庁の政策にも「持続可能な観光地域づくり」が掲げられ、本当に嬉しいです。コロナ禍による強制的なシャットアウトのために、文化も含め地域全体が大事だという共通認識が広がった。これは良い変化だと思いますね。
原澤 国宝や重要文化財の建物は、一度なくなれば、もう二度と元に戻せません。様々な観点からレジリエンスを高めていく必要があり、例えば、本来、過去から被災を免れて残ってきたものですが、頻発・激甚化する自然災害で今年はすでに全国200箇所以上の国指定等文化財が被害を受けています。
反面、少子高齢化社会にあっても、年々、文化財の指定は増えていきます。
これらを社会全体で支え続けるためには、文化財は観光資源にもなり、将来に向けて残すべきものだという共通認識を持つことが大事であり、文化観光の取り組みによって、観光行政と文化行政が一緒に、文化財の抱える様々な課題に取り組めるようになったのが現在地だと思っています。

文化と観光が互いの支えに気付き歩み寄る

丸岡 コロナ禍で、多くの文化関係者も、観光に支えられてきた事実に気付きました。それまでは観光をネガティブに捉え、距離もあった多くの人が集うきっかけになったと思います。コロナ後のほうが観光業界と文化業界の関係性は良くなり、文化側から歩み寄っている雰囲気も非常に感じます。
山田 文化財はどちらかというと守る、観光は消費するといった側面が強かったですが、今回のコロナ禍で人の動きが止まると、守ることが難しくなるのに気がつきました。実は守るためには動かしていくことが重要で、動かすエンジンが観光だという認識が芽生え、お互いが歩み寄れたということでしょうか。
丸岡 はい。さらに言うと観光は異文化ほど面白くなる。異文化として体験していただくとき、面白いと感じてくれる人ほどその体験に対して適正な対価を支払ってくれる。となると海外から来る方のほうが、より価値を感じて頂きやすく、文化と観光は相性がいいという共通認識も広まってきたと思います。
植垣 京都市も実はコロナ前から「量より質、持続可能な観光を」とうたっています。ただ持続可能性が大事だと言い続けていたものの、消費のほうに振れていた状況はあったと思います。そこがリセットされ「京都観光モラル」が生まれ、持続可能な観光を行政だけでなく市民も、観光客も、観光事業者も皆が主体的に取り組もうという方向性を打ち出せたのは大きいと考えています。
赤星 コロナ禍での変化といえば、良い意味でデジタルに関する抵抗感が一気に薄れたことですね。例えば京都では寺院の事前予約やネット予約がこれまではけしからんという風潮もあったのですが、密を避け、計画的に行動制限をという要請を受けパラダイムシフトが起こった。需要を事前にコントロールする動きはコロナ禍のようなものがなければ、なかなか進まなかったと思いますね。

進む「懐」の二極化高付加価値が響く富裕層

山田 京都ではお祭りなどで有料観覧席が設置され、きちんと循環するようになっていますね。無料で見られるものでもお金を出して深く楽しみたいというお客様がかなり顕在化し、「懐」の二極化がパンデミック以降目立つようになったのではという気がします。
赤星 祇園祭山鉾巡行のプレミアム観覧席を買ったのは、やはり富裕層の方です。それなりのバリューのあるものには糸目を付けず、新しいインスピレーションを受けるものには対価を惜しまない。円安なので安く感じるという側面もあると思いますが。
山田 京都の宿泊施設は大規模なところから民泊レベルまで多様ですが、利用のされ方はコロナの前後で変わりましたか。
赤星 民泊が増えた頃はそれなりの稼動があったはずですが、京都市が「上乗せ規定」(住居専用地域における営業規制や、管理者の駐在等を義務付ける条例)を作り、結果的に違法民泊は根絶し、民泊そのものの総施設数は減りました。
その後、高価格帯の宿泊施設が比較的数を伸ばしていますが総施設数は令和3年をピークに微減しています。
山田 高価格帯の宿泊施設は、環境問題への配慮やセキュリティの強化に力を注いでいます。学歴や社会的地位も高い高所得者の求める価値観が、強くマーケットに出始めていると感じます。
そういう変化のなかで文化庁ではどのような取り組みを強化していますか。
原澤 まず我々文化庁が、京都に来たのが大きな変化だと思っています。京都は観光課題の先進地域として取り上げられていますが、そもそも文化財に溢れる豊かな場所であり、我々自身が生活の中で文化を学んでいます。京都では文化財を守りながら次世代につなぎ、かつ人を呼んで楽しんでもらう仕組みが絶妙で、世界遺産の二条城や仁和寺、銀行建築や学校建築などモダン建築における取り組みが目を引きますが、文化庁としても早朝・夜間の活用、ユニークベニューとしての活用、宿泊施設や集客施設への改修をはじめ、こうしたうまい活用法を、文化財の価値の保存と両立した形で全国に広げたいと思っています。インバウンドの富裕層にとって「文化財は好奇心のゴール」ともいえるものですから、その土地や建物の歴史や、海外の建築様式など他国の文化と比較した鑑賞など、視点を広げつつその価値を伝え、保存に貢献してもらえるような取り組みを進めていきたいです。
丸岡 そうしたなかで私達が観光側の方々に大切だと伝えたいのは、収益の活かし方への意識です。ある種のトレーサビリティで、お客様からいただいたお金が文化財に対してどこでどう使われるかを開示すれば、さらなる集客にもつながる。逆に文化側には収益を増やすことは悪ではない、海外に目を向けたり、魅力あるコンテンツを開発して販売したりと収入を増やす方法は限りなくあると伝えています。有料桟敷席や保存を前提とした非公開エリアの活用など、観光庁とも連携して多くの地域で実現しつつあります。

保存→活用→保存
文化財のエコシステムを実現

植垣 2023年の祇園祭のプロジェクトで、京都市観光協会が訪日外国人観光客に向けて「プレミアム観覧席」を40万円で売り出したのもそうした一環です。資産をお持ちの方や取り組みに賛同していただける方から費用をいただいて文化財の保存、文化・歴史の継承へ活用することは、京都市としても引き続き取り組みたいところです。ただ高付加価値のコンテンツをどうマネジメントしていくかは、たしかに課題です。
赤星 保存↓活用↓保存の循環プロセスが大事なのですよね。私たちDMOやコンベンションビューローも以前は文化
財の活用事例ばかり報告していたという反省がありますが、文化財の観光活用による収益が文化財の修復事業などへ有意義に使われることを開示すれば、観光便益の可視化にもつながります。
丸岡 成功事例を発信したとき、活用の部分だけが切り取られると、とりあえずお寺を使えばいい、寄付を集めればいい、あるいは高単価にすればいいといった誤解が広まり、かえって混乱を招くリスクもあります。ですから保存から活用、活用から保存への再投資という、循環のサイクルを含め丁寧に発信したいと思っています。
山田 京都はある意味、その循環ができていたから今があるのでしょう。例えば寺社が得たお金は、造園や建物の整備などを請け負う事業者へ渡り、地域経済が回っていた。それが、観光規模が大きくなり、地域経済の外となる別枠に商業消費的な部分ができ、それが再投資に還元されないとなると、もともと地元コミュニティとの関係性を大事にしていた人達はタダ乗りされたような不満を感じ、観光への不満につながる、そんな構造があるのではと感じました。

地域コミュニティと観光との調和を探る

赤星 「観光客が多く、バスが混むから何とかして」といった住民からの声が上がるなど、京都では2018年頃から観光課題が顕在化しておりました。そこで京都市とともに、観光課題対策施策に着手しているのですが、そのひとつに、観光効果を可視化するための冊子を制作しました。しかしそれだけでは不十分で、観光業界における多様な働き方、多様なスキル取得といった、雇用面での観光産業がもたらす利点をより強く打ち出す必要も感じています。
植垣 観光は京都の大きな産業の一つだという共通認識を持っていますが、市民との調和は大事にしたいと考えています。そこで「京都観光モラル」を前面に出し、時期・時間・場所の分散化や旅マエから旅ナカまで一貫したマナー啓発などに取り組んでいます。
 海外への情報発信に関しては、京都市・DMO KYOTOの海外情報発信拠点を通じてマナーやモラルの啓発を行っていますが、中国には、現在、情報発信拠点がないため、JNTO(日本政府観光局)と連携して情報発信しているところです。
山田 全世界で同じような課題はあり、コミュニティとの調和がなければ観光はやっていけない。その一方で観光は経済のエンジンとなり、重要だという認識も共有されてきています。ところが表向きは観光消費額が上がっているが、経済効果が地元でうまく循環しないというケースが今後もっと極端になるのではという危惧があります。
丸岡 目に見える・見えない、ハード・ソフトをマトリックスで整理した時に、目に見えない世界が増えており、目に見えないハード(仕組み・システム)、目に見えないソフト(価値観・倫理)をどう育てるかが必要になってきているように思えます。

パンデミック後の観光投資を向ける先は 

山田  ヨーロッパではオーバーツーリズムの課題はかなり前から指摘され、いま観光の動きが戻る中で再び批判の声も上がっているかと思います。
UNWTOとしてはどのようなアプローチをしていますか。
大宅  世界共通の課題として特定の場所への集中があり、日本の京都のように、スペインはバルセロナ、イタリアならローマ、ベネチアなどに観光客が集中しています。それ以外にも素敵な村はたくさんあり、世界にはアフリカや南米、アジアなどまだ知られていないけれど素晴らしい自然や、独自の文化のあるデスティネーションがあります。そういうところにもっと旅しようというキャンペーン(Tourism Opens Minds)を、今年のワールドツーリズムデー(世界観光の日、9月27日)から始めました。
 またUNWTOで促進しているのが、レジリエントな観光地域づくりのための投資です。近年グリーン投資(環境問題に配慮した経済活動への投資)が注目されていますが、観光産業には中小企業が多いため、こうした企業が高付加価値層が求めるグリーンな基準を満たし、また、産業全体としてデジタル化を進めるには、中小企業へいかに投資を振り分けるかが課題です。先進国に偏っている投資が、発展途上国や中小企業にもっと向かうよう、UNWTOとしても国別の投資ガイドラインを作り、また、スタートアップコンペティションを開催するなどしています。
山田  投資を分散し、DX(デジタルトランスフォーメーション)やGX(グリーントランスフォーメーション)とあわせて中小企業を育てる。EUのなかにはそういった方針を明確に打ち出し、実現した事例も出ていますね。

観光・文化を担う人材確保・育成のために

山田 日本では高齢化で団塊世代の人がお客様側にも働き手側にも少なくなり、今後もさらに深刻な人手不足になることが予想されていますが、京都市も同様でしょうか。
植垣 まさにそうです。問題回避には多様な働き方を認めたり、DXを進めて業務効率化したりといった工夫が必要になると思います。実際コロナ禍をきっかけにDXを進め、少ない従業員で仕事が回せるようになった事業者もあります。DX支援も大事ですね。
赤星 京都は人口の10%が学生です。かつては学生が飲食店や旅館でよくアルバイトしたものですが、最近は学生バイトが採れないと聞きます。いよいよ人が足りないとなれば、国内外の他地域からの積極雇用も考えなければならないでしょう。担い手不足は喫緊の課題ですね。
山田 文化財の分野では、飲食店・宿泊施設のような刹那的なアルバイト人材でなく、それなりの経験・技術を備えた人材を集積しなければならないのではとも思うのですがいかがでしょうか。
原澤 ちょうど文化庁では2021年から「文化財の匠プロジェクト」を進めています。少子高齢化が進んでいますので、文化財そのものだけでなく、その上流にある用具・原材料の生産や文化財を守る技術などを含め、トータルパッケージで支援しようとする取り組みです。危機に瀕する原材料のリスト化や、修理するナショナルセンターの京都設置など、文化財を守るエコシステム全体を支えようとしています。
赤星 ただ、文化財や観光産業に携わる人の賃金は概して低い。やはりそれなりの社会的なポジションと収入が担保されないと、人材育成はなかなか難しい気がします。
丸岡 文化庁の文化観光推進分野では、人材育成を重視し、例えば美術館の企画者が、ラグジュアリーイベントの運営チームと共に観光コンテンツをつくって販売し、顧客の声を聞いて学ぶといった実践的な取り組みもはじまっています。結果的に単価が上がり、コスト削減の目利き力が身に付けば、その人自身の付加価値が備わることになり、給与アップの可能性も生じます。
植垣 宿泊事業でいうと、これまで多くの旅館が家族経営で、繁忙期のみ季節労働の人を雇うという業態でした。
しかし今後は例えば、京都の旅館で経験を積めば他にジョブホッピングできるといった付加価値を与えるような仕組みがあってもいいかもしれません。
山田 現場で課題を解決する知識・技術が学べ、習得した人たちに高評価を与える枠組みはたしかに必要かもしれませんね。

2030年を見据え京都が発信すべきこと

山田 最後に2030年頃を見据え、京都観光の将来性や実現したいことがありましたら聞かせてください。
植垣 祇園祭では山鉾の曳き手も不足していますが、他の地域・国からの旅行者が京都を好きになって繰り返し訪れ、彼ら自身が文化の担い手になれたら美しいなと思います。山鉾に象徴されるように、京都の文化は京都の人達だけでつくってきたのではなく、外からの力や時代の流れを受け入れ、醸成されてきました。この先、新しい京都の文化をつくるエンジンの一つが観光となり、文化を守り育てる形が2030年にできていればと願います。
赤星 京都の北部の大原地域で農業体験を提供するベンチャー企業と、市内で新たにオープンしたタイ資本のラグジュアリーホテルが提携し、ホテル従業員が大原の畑でパクチーを育てて収穫し、それをホテルのラウンジでパクチーモヒートにして提供しているのだそうです。パクチーをサラダや薬味として使うのではなく、お酒として商品化することで、地産地消を訴求でき、かつ、1杯1000円程度の値づけができる。まさにこれが高付加価値化だと感心しました。このように新しいインスピレーションから付加価値を生み出すことが、今後の観光を考える上でもますます重要になるだろうと思います。
原澤 日本は課題先進国と言われますが、その中でも都市部・地方部を問わず津々浦々に存在し、所有者や職人も高齢化が著しい状況にある文化財は、困難な課題の多い政策分野だと思っています。かけがえのない我が国の宝を将来へ継承するには、個々の文化財で、サステナビリティとレジリエンスを強化するシステムを構築することが重要です。京都市観光協会には、京都の誇る文化財と多様な分野とを結び、将来への継承に向けて共創を進めることにご尽力いただいています。我々も関係省庁や文化財所有者の方々などとあらゆる知恵を出し合って、持続可能な文化財の保存・活用の全国展開を進め、その結果、2030年頃には、京都をはじめとする各地の文化財が観光の魅力的な目的地として保存継承されているように、力を注いでいきたいです。
丸岡 2030年、良き事例として京都が発信されていてほしいですし、目に見えない仕組みや、価値観・美意識などにおいて京都で良き基準が作れたらと願っています。その源はまさにカクテルを作るように、立場を超え人が協働していくことにあり、今まで官と民、文化と観光と分かれていたものがコロナのおかげで仲良くなってきたので、「ぜひ、このまま進もうよ」と強く思っています。それを後押しするのが文化庁であり、これからも、皆が笑顔になるような仕事をしていきたいですね。
大宅 UNWTOの目的は、責任ある持続可能な、誰もが参加できる観光の促進ですが、ただ、持続可能性をどう実現するかは、それぞれのデスティネーションによります。持続可能な観光の実現には、社会文化・経済・環境の三つのバランスが重要ですが、今日、京都では保護すべき文化財のリストが作られ、それを観光客に伝える工夫がなされ、守るべき資源を観光収入でまかなう仕組みを作ろうとしていると伺い、まさに文化の側面の観光の持続可能性を感じました。究極は住民の幸せにつながるかどうかです。「住んでよし、訪れてよし」で、住民が満足している地域に、観光客も来て満足して帰るのが理想でしょう。京都は既に文化面で良い循環ができつつあるので、2030年にはそれを先進モデルとして世界へ示していただきたいと思います。また、観光客の無責任な行動に悩む都市は世界各地にありますから、連携してメッセージが発信できるといいかもしれません。
山田 「京都観光モラル」の世界展開が、新しい軌道を作る可能性は高そうですね。移動がたやすくなり、旅が日常生活の延長のような感覚になっている今、観光の考え方や価値の置き方を社会全体でアップデートできれば、それが様々な問題解決につながるのではないかとも思います。本日はありがとうございました。

*京都観光モラル… 京都市及びDMO KYOTOが、持続可能な観光をこれまで以上に進めていくことを目的に2020年「京都観光行動基準(京都観光モラル)〜京都が京都であり続けるために、観光事業者・従事者等、観光客、市民の皆様とともに大切にしていきたいこと〜」を策定。
https://www.moral.kyokanko.or.jp/


植垣浩太朗(うえがき・こうたろう)
京都市役所産業観光局観光MICE推進室観光戦略担当部長。東京大学経済学部卒、シカゴ大学(公共政策学)修了。
2008年国土交通省入省。鉄道局等を経て、2022年7月より京都市役所に出向。京都市の観光戦略に関する業務に従事。


大宅千明(おおや・ちあき)
国連世界観光機関(UNWTO)駐日事務所副代表。東京大学文学部卒業、シカゴ大学(公共政策学)修了。2008年国土交通省入省。観光庁(国際関係・MICE)等を経て、2022年7月より現職。


原澤優介(はらさわ・ゆうすけ)
文化庁文化資源活用課 専門職(企画担当)。東京大学経済学部卒。2018年国土交通省に入省。都市局都市計画課、総合政策局地域交通課等を経て、2022年7月より文化庁に出向。文化財に関する法制度や、京都移転を契機とした政策立案を担当。


丸岡直樹(まるおか・なおき)
文化庁文化観光推進コーディネーター。東京大学経済学部卒。2015年バリューマネジメント株式会社入社。文化の継承、まちの活性化のため、歴史的資源を活用した観光まちづくりを推進。2017年〜2019年観光庁観光資源課出向。2021年より現職。


赤星周平(あかほし・しゅうへい)
公益社団法人京都市観光協会(DMO KYOTO)事務局次長・公益財団法人京都文化交流コンベンションビューロー事務局次長。1998年広告代理店に入社。2012年4月より京都文化交流コンベンションビューロー・京都市観光協会にて観光・MICE振興施策に従事。

進行:山田雄一(公益財団法人日本交通公社 理事・観光研究部長)
座談会撮影○増田えみ 構成・文○永野 香(アリカ)