わたしの1冊
第31回

『料理人にできること』
深谷宏治・著
柴田書店

桑野和泉
由布院玉の湯代表取締役社長

 由布岳の麓に広がる小さな温泉地・大分県由布院温泉。阿蘇くじゅう国立公園に位置し、別府から阿蘇へ走るやまなみハイウェイから見る風景の美しさは、小説『波千鳥』の舞台にもなった。舞台となった飯田高原には、川端康成の石碑が立ち、碑面には「雪月花時 最思友(雪月花の時、最も友を思ふ)」と刻まれている。
 私が子どもの頃、1960年代の湯布院町は、エネルギッシュな大人たちが集まり、まちの未来を語り合い、夢に向かって走り出し、いつも風が起こっているような、ワクワクときめく空気感があった。
 そんな町で生まれ育った私が、初めて自分の町以外に出合った「まち」が函館だった。1980年。
当時、高校生だった私にとって、そこは、見るもの食べるもの、すべてが異国であった。歴史ある洋館、坂の街、真っ白な雪、扉を開くと暖炉の世界……。温かいボルシチ、そして初めて食べたレモンパイ。「こんなステキな街には、どんな人が住んでいるのだろうか」と憧れが広がった。
 それから数年後、函館を再訪する機会が訪れた。そこで出会ったのが表題の本の著者・深谷宏治さんだった。「函館の街は、港町として栄華を極めた歴史のある建物がたくさん残っている。
それを大切にすれば、きっと素晴らしい価値が生まれる」。当時は聞いたこともなかったバスク、サンセバスチャンの街などたくさんのことを話してくださった。
 その当時、東京はバブル期。
ただ幸運にも私は、地方に出かける機会に恵まれた。内子、三春、美瑛、どの「まち」も、大人たちが迎えてくれたことが、いまも鮮明に、風景とともに心に残っている。
 私の町「湯布院」も、同じように、人を迎える町であった。
1970年代半ばから始まった映画祭や音楽祭、牛喰い絶叫大会など様々なイベントもそうだが、日々なにかが起こり、大人たちは熱く語りあってきた。私の湯布院のまちづくりの記憶は、「人」であった。
 そんな私が、街に関わりたいと、自分のまちを意識したのは、函館の街、人との出会いがあったからだ。とりわけ、函館の街の未来を熱く語っていただいた深谷宏治さんとの出会いは大きかった。
 『料理人にできること』。この本は、「若い料理人、町おこしに関わる方、同年代の人に読んでもらいたい」というのが深谷さんの願い。1985年に函館にスペイン料理店「レストランバスク」を開き、いち早く「バスク料理」を日本に伝えた深谷さ
んはすでに伝説の人でもある。
 「バルイベントにおける町おこし」「世界料理学会」「食を通じて、人と人がつながる」「料理人が社会に貢献する」「人が街を作り、街が人を作る」。それらをつなぐものとして、身近に「食」があってほしいと願う人。自分のルーツは日本、函館。
「サンセバスチャンを世界一の美食の街にする」という空気の中で育った人。
 この一冊は、深谷さんの人生から学ぶことも多いが、潤いのあるまちづくりを考える上でも大事なことが学べる。現場でいつも立ち位置を確認したい私にとって、そばに置いておきたい一冊だ。


桑野和泉(くわの・いずみ)
株式会社玉の湯代表取締役社長/1964年大分県湯布院町(現由布市)生まれ。家業の宿「由布院玉の湯」の専務取締役を経て、2003年より代表取締役社長。由布院温泉観光協会会長を12年勤め、現在は(一社)由布市まちづくり観光局代表理事。(公社)ツーリズムおおいた副会長。北九州市立大学特任教員。道守大分会議代表世話人ほか、市民グループの代表、世話人も務める。