視座 京都市から考えるポスト・パンデミック

 山田雄一 公益財団法人日本交通公社 理事・観光研究部長・旅の図書館長

我々はどこにいるのか

 SF映画の定番となっている「タイムトラベルもの」は、過去に戻った主人公等の行動によって時間軸を変える(未来を変える)ことが、物語の中核を占めるのが一般的だ。当事者以外の人々は、変わった過去によって時間軸が変わったことを知らずに「現在」を過ごしている。
 唐突ではあるが、私は、コロナ禍(パンデミック)の後、我々は、こうした改変された時間軸にいるのではないかと、感じることがある。
 その理由は、パンデミックの前後で「同じようなのに、少しだけ違う」からだ。
 欧米では2022年、アジアでも2023年からパンデミックからエンデミックへと社会は変化し、観光需要も戻りつつある。これに伴い、いわゆるオーバーツーリズムも再燃しており、各所で、その対策が求められるようになっている。これは、パンデミック前にも生じていたことであるが、パンデミック後においては、地域での反応がより強く、時に過敏なものとなっているように感じる。
 例えば、アムステルダム市議会では2023年7月に、市中心部へのクルーズ船の寄港を禁止する決議を取った。これは、同市への年間来訪者数がパンデミック後に増大しており2022年時点で同市が上限値としている2000万人に達していたことが背景にある。ただ、同市の寄港ターミナルへのクルーズ船の寄港数は、パンデミック前は約2000回で推移していた(Martin Placek, 2022年)ものの、パンデミック中、数百にまで落ち込み、2023年7月時点でも寄港数は114にとどまっている(トラベルボイス・ 2023年7月25日)。
つまり、クルーズ船の寄港が、同市への年間来訪者数増大の主な原因ではない。にもかかわらず、議会が本件を決議したのは、同市がクルーズ船、クルーズ客に対して否定的な感情をもっていることに起因していると考えられる。
 また、ハワイ州では、パンデミック後の新たな観光振興の方針として「リジェネラティブ・ツーリズム」を打ち出し、地域ごとにデスティネーション・マネジメント・アクションプランを策定したが、それらの取り組みを展開しリードしていくべきDMO(HTA/ハワイ・ツーリズム・オーソリティ)は、ハワイ州議会より十分な活動予算を得られない状態となっている。
 いずれの事例も、議会、すなわち、地域コミュニティから観光に対し「ノー」が突きつけられた状態にある。
 21世紀に入り、インターネットの普及、発展途上国の経済発展、LCCやライドシェア、民泊など移動や滞在に関わる新しいビジネスモデルの普及拡大などにより、観光市場は急速に拡大してきた。この市場に注目し、その恩恵を取り込もうと、日本を含む各国・地域は観光振興の取り組みを展開してきた。そこには、地域コミュニティにおいて、観光振興に取り組んでいくことに対する一定の同意があったと考えられる。
 しかしながら、アムステルダムやハワイ州の事例は、地域によっては、その同意が崩れてきていることを示している。
 また、需要側についても変化を感じている。パンデミック後、観光需要は順調に回復してきているとは言え、航空座席数は未だ限定され、ウクライナ侵攻によって移動制限がかかる国があり、さらに、中国市場の回復は大きく遅れている。すなわち、需要の絶対量はパンデミック前の水準に達していない状態にある。しかしながら、一部の地域にはパンデミック前を上回る観光客が訪れるようになっており、それが地域でのハレーションを起こす原因となっている。振り返れば、20世紀後半、ジャンボジェットなどの登場や、旅行エージェントの隆盛によって団体旅行が勃興。地域に大きな影響を及ぼすマスツーリズムとして、忌避される対象となった。その後も、国際線旅客数は増大を続けてきたが、時間経過と共に旅行者の旅行経験値は高まっていき、主な旅行形態は団体旅行から個人旅行へと変化し、旅行対象や目的は分散し、地域へのダメージが大きいマスツーリズムは衰退し、オルタナティブツーリズムへと転換されてきたはずであった。多くの形容詞観光(例:エコツーリズム、グリーンツーリズム、ガストロノミーツーリズムなど)が提唱されてきたのも、その表れであった。
 しかしながら、特定の地域に多くの人々が集まり、その行動も問題となっているという現在の状況は、20世紀後半に生じたマスツーリズムのそれに近く、まるで、先祖返りしたかのようだ。
 ただ、かつてのマスツーリズムと大きく異なる部分もある。その一つが、同じ場所に来ている人たちでの間で、消費額が大きく異なるという点だ。民泊など、安価な選択肢は健在であるが一方で、一泊、数十万円のホテルの供給量も増大し、かつ、稼働率も高い傾向にある。オンライン会議の普及によって稼働低下が懸念されていた国際線のビジネスクラスも、方面・路線による違いはあっても概ね高い稼働率となっている。燃油価格の上昇もあり、パンデミック前の2〜3倍という高額な運賃になっているのにもかかわらずである。多くの人々が、特定のデスティネーションを目指しているが、その内実は非常に多様であるということだ。
 産業領域にも変化が生じている。観光需要の復活に伴い世界で生じているのは「人手不足」である。その理由として、共通して指摘されるのは「パンデミック中の離職者が戻ってきていない」ということだが、多くの国で失業率は低位にとどまっている。パンデミック後に大きく伸長した産業(=雇用を新たに吸収した産業)があるわけでもないことを考えれば、「人手」がどこに消えたのか。なお、国内では人手不足の理由として、報酬の低さが指摘されることも多いが、他国でもパンデミック前から観光産業の報酬は相対的に低く、報酬の相対的な低さだけを現在の人手不足の理由とすることはできない。実際、米国の観光事業者は給与アップだけでなく、短大などの授業料(奨学金)や医療保険料などを付与し、人手の確保に取り組む事例が出ているが、決定打とはなっていない。
 人手の総量そのものが、一つの飽和点を迎えたと考えるべきだろう。
 また、パンデミック前から、国際的なホテルチェーンの競争力は高かったが、それが更に高まるようになっている。特に、高価格帯については、独壇場に近い状態となっている。これは、パンデミックによる需要激減が、中小事業者に多い「所有と経営が一体」の宿泊事業者を直撃したものの、運営に特化したホテルオペレーターは、相対的にダメージが低く、堅調にパンデミックを乗り越えたという背景もある。パンデミックを経て企業経営においてDX、GXが当然に求められるようになったことも、地域に多い中小事業者と、国際的な大手事業者との差を広げる要因ともなっている。このため、観光消費によって生じた付加価値の流れの不透明さが高まってきている。
 いずれも、パンデミックを境に、それまでの連続的な環境変化とは異なる動きが生じているように見える。冒頭で、「タイムトラベルが行われ、時間軸が改変されてしまったのではないか」と述べたのは、これが理由である。
 我々は、どこに来てしまったのか。それについて検討を深めたいというのが、本号を企画した理由である。

持続的に求められる環境変化への対応力

 現在の状況を理解するには、現在を見るだけでは不十分である。変化とは相対的なものであり、現状を理解するには、過去を知り、相対的に整理することが重要だからだ。そのため、本号では、国内において、最も長く観光振興に取り組んできた京都市を対象として選定した。
 実際、特集1で示したように、京都市は、その時々の環境に合わせ、これまで体制を組み直し観光振興の取り組みを積み上げてきた。まさしく、京都市の観光政策の歩みは、我が国における観光振興の取り組みの軌跡そのものだろう。
 このことからわかることは、過去においても、非連続的な変化が何度も生じているということ。京都市では、その変化をいち早く掴み、その変化への対応を進めると同時に、全体でのバランスを取ることによって持続可能性を高めてきたのである。
 域外の人々がイメージする京都市は「古都」であり、日本の中でも変わらない文化を持ち続ける地域であるが、実際の京都市は、その本質的な部分は維持しながら、その時々の状況に合わせ柔軟に対応を変えてきたことがわかる。それが、今なお、京都市が強力なデスティネーションたり得ている理由である。まさしく、強者生存ではなく、適者生存とダーウィンの進化論にあるとおりと言えよう。
 変わらないことが重要なのではなく、環境に適応していくことが重要だということだ。
 その適応力の一端は、特集2でも示されている。特集1でも「情報」が重要であることは指摘されているが、実際、現在の京都市観光は、定量的な「データ」によって、その実態が詳細に記録、蓄積され、推移をたどることが出来るようになっている。これによって、問題の発生と所在を早期に把握し、それへの対応を行ってきている。
私が前述した「変化」についても、京都市内の状況としていち早く、かつ、的確に把握しており、地域を挙げて高付加価値路線に政策を展開することで、人手不足の問題解決にも取り組むようになっている。さらに、データを元に、観光による「効果」を見える化していくことで、市民の観光に対する理解醸成も行っていくことが示されている。これには、諸外国で生じている観光と地域コミュニティとの断絶を抑制していく効果が期待できる。
 本稿冒頭で私が述べたことは、私自身が国内外の多様な地域を俯瞰し感じたことであるが、京都市内の継続的、かつ、広範なデータ収集・分析の結果が示す事項が、同様の帰結となっていることは興味深い。

多様な主体で構成される地域

 一方で、これらの「認識」は、京都市内であっても、それぞれの立場によって異なっているということを示しているのが特集3である。特集3では、京都市内の団体、組織にインタビューを行っているが、変化を感じとり、パンデミック中から準備を進め、新たな対応を行っているところもあれば、従前の時間軸の中で対応しているところもある。また、変化を感じているところであっても、その捉え方は統一的なものではなく、対応する行動も、また、異なっている。
 これは一見、方向性の分散、戦略性の欠如のように見えるが、否定的に捉えるべきことではない。一つの事実を、それぞれの立場から多面的に捉えることは、事態への対応力の冗長性を高めるからだ。
 経営学の領域で近年、キーワードとなっているのはVUCA(ブーカ)である。
これは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という4つの単語の頭文字をとった言葉であり、現在の経営環境は非常に不確実性が高く不透明であることを示すものである。従来の常識は通用せず、どこに向かうのかもわからない。今、正解と思われるものが、来年には全く役立たずとなってしまっているかもしれない。そういう時代に、我々はおかれている。
 特集2で示されている課題と方向性は、科学的で合理的であり、京都市関係者が参考とすべき指針となり得る。
しかしながら、熟慮したものが、必ずしも有効な方策とならないというのが、VUCA時代でもある。この時代に対応していく際に重要なことは、「変化」についての感度を高め、それぞれの立場で状況を観察し、変化を感じること。そして、変化への対応として必要であれば、従来の常識にとらわれずに行動していくことである。結果として、これらの取り組みがプランB、プランCとなっていき、地域の「持続可能性」を高めていくことになるだろう。
 今回の各所でのインタビューからわかるように、地域は多様であり、人の考え方も行動も多様である。この多様性もVUCA時代への対応力を高めていく力になると考えていくことが必要だろう。
 そして、京都市や京都市観光協会といった組織においては、地域内の多様な主体が感じ、行動している事項も「定性的なデータ」と捉え、自らの環境分析、意思決定に活かしていくことが望まれる。これにより、更に戦略のレジリエンスを高めていくことが出来るだろう。

観光による成長を実感できる社会へ

 これらをふまえ、特集4では、京都市、京都市観光協会、文化庁、そして、UNWTOの関係者を招き、京都市を主体に、中長期的な時間軸から観光に何が起きているのか、どこに向かっていくべきなのかについて議論を行った。
 ここで示されたことは多種あるが、その中の一つが、観光から得られた効果を、しっかりと地域が獲得し、成長と再投資につなげていくことの重要性である。
 パンデミック前の観光は、市場拡大という好環境にあったが、持続可能性という点においていくつかの課題を抱えていた。その一つは、観光客の来訪による地域コミュニティとのコンフリクトである。観光が地域に及ぼす影響は多様だが、地域が観光振興に取り組んできたのは、観光を手段とした経済政策という側面が大きい。観光消費による経済波及効果の乗数(消費額と波及効果の比)が大きく、かつ、その効果が幅広い業種に及ぶことが示されていたからである。しかしながら、観光振興に成功した地域が、豊かな地域となったのかといえば疑問は残る。統計上は、観光客、消費額は増え、地域振興につながるはずだったが、そうした成長実感を得られた地域コミュニティは少なかったというのが実情である。
 これでは、当然、地域コミュニティの理解は得難く、反発が高まりやすい。
この反発はパンデミック前にも潜在的に存在していたが、パンデミックによって平穏な日々を体験してしまったことも大きいだろう。もちろん、観光経済が止まったことで、痛みを感じた人々も少なくなかったが、地域の魅力的な空間や時間を独占できたことに楽しさ、嬉しさを感じた人々も多かっただろう。そうした人々にとって、パンデミック後の需要急回復は苦痛であり、観光に対する反感の増大につながるのは、当然の帰結と言える。
 ただ、地域コミュニティの観光に対する意識がかたくなであっても、観光需要は戻ってくるし、観光経済は再起動していく。この新たな環境に対応していくには、観光活動、人々の現地での行動をよりレスポンシブルなものとしながら、そこから得られた効果を地域コミュニティが実感できる形で地域が獲得していく方策を考えていく必要がある。
 文化庁が考える文化財の保全―活用―保全に関わるエコシステムについては、その突破口であるが、観光に関わる地域の中小企業育成、地域の観光産業育成も重要な視点となるだろう。EU委員会は、地域の中小企業をDX、GXを通じて振興させることで観光の効果を地域経済に強く結びつける方針を、パンデミック後半に打ち出している(First transition pathway for tourism, 2022年2月)。EUの動きは、地域に産業を興すことで、米国を主体とした圧倒的な競争力を持つ国際的な観光事業者へ対抗するものと解釈できる。
 また、私は、2023年8月から10月にかけて、カナダ、アメリカ本土、ハワイ州、スイス、オーストリア、ニュージーランドのDMOなどを回ってきたが、そこで異口同音に指摘されたのは、これからは、マーケティングからマネジメントに移行するということだ。実際、少なくない地域(DMO)はDMP(デスティネーション・マネジメント・プラン)を作成し、パンデミック後の取り組みを始めている。
※これらの海外視察については、観光文化260号にて報告予定
 これまで、我が国に限らず、多くの観光政策は、マーケティング、すなわち、観光需要をどのように呼び込むかが重視されていた。しかしながら、今後は、観光消費を地域の活力に展開するプレイヤーとなる事業者、産業を育て、それを実感できる地域の成長へとつなげていくことが、観光が「成功している」という状況なのだという潮流に変わってきていることは認識しておくべきだろう。

最後に

 近年注目されるサステイナブルツーリズムは、様々な文脈をもっているが、もともとはマスツーリズムが爆発的に増えた1990年代に、一種のアンチテーゼとして提唱されたものである。
 時代は変わり、旅行者の行動単位は団体ではなく、個人の場合が多くなったが、パンデミック後の世界は、30年前の状況に近い。このことは、我々が、時代の転換点にいることを示している。
 1990年代のマスツーリズムへの対抗は、オルタナティブツーリズムの提唱であったが、今日における問題は、観光需要の集中だけにとどまらない様相となってきている。問題が変われば解き方も変わる。我々は、転換点にいることを意識し、視野を広げ、今後のあるべき観光地マネジメントについて検討、実施を進めていくことが必要だろう。
 本号で取り上げた京都市は、こうした「新しい観光地マネジメント」の実践に取り組んでいる地域の一つである。課題は少なくないが、京都市での取り組みが進み、また、その知見が他地域での取り組みにも波及していくことを期待したい。