観光研究 最前線  自主研究報告地域の哲学と観光のあり方に関するインタビュー記録

揺るぎない価値観を構える

世界に通用する個性的な温泉地づくり長湯温泉(大分県竹田市)

近年、世界的な規模で観光旅行市場が拡大し、地域における観光が果たす役割がより重要になっています。
新型コロナウイルス感染症の影響により、その流れは一時停止したものの、回復の兆しが見込まれる今、改めて世界を意識した取組が求められてきます。
今回は、長年、長湯温泉(大分県)で「内に豊かに、外に名高く」を掲げ世界を視野に入れて温泉地づくりを進めてきた首藤勝次氏に、これからも生じるであろう社会経済環境の変化をどのように受け止め、その中で画一化、均質化を避け、どのように地域の個性を磨いていくか、地域が明確なビジョンを持って歩むことの意義についてお聞きします。

世界に誇るべき長湯温泉の炭酸泉

首藤 長湯温泉(大分県竹田市直入町)は、九州本土の最高峰、くじゅう連山の麓にある久住高原に位置し、静かで小さな佇まいの温泉街です〈写真1〉。
まちの中には芹川が流れており、その周辺に炭酸泉が湧出しています。「ラムネ温泉」がその象徴ですが、全身に気泡が付くことが特徴です。長湯温泉だけでも50数本の泉源があり、全ての泉源で炭酸水素塩泉の濃度が250ppmを超えています。ただし、泡付きが見られるのはラムネ温泉だけです。
 1933(昭和8)年、九州帝国大学でドイツを中心とした炭酸泉の活用について研究をされていた松尾武幸博士が、九州の長湯温泉で炭酸泉が豊富に湧いていることを知り、この地に足を踏み入れました。
 同年に作られた長湯温泉のパンフレットでは、「西方独逸のカルルスバード、東方日本の長湯温泉」と謳われています〈図1〉。松尾博士により長湯温泉の炭酸泉は世界に誇るべき温泉だと評価されました。それを受けて地域の人達が熱意を持って作ったのが、このパンフレットです。

 松尾博士は、同年に「飲んで効き、長湯して効く長湯のお湯は、心臓胃腸に血の薬」とも詠まれました。松尾博士は何としてでも長湯温泉の炭酸泉を健康づくりに役立てようとしたのです。ドイツで研修したとおりに地元の方々にも療養泉としての利用(入浴、飲泉)を提案し、その効能を解明するための調査も示唆されました。
 その後、実業家の御沓重徳氏は、松尾博士の提案どおりにウサギを使った動物実験を行い、炭酸泉の効能は科学的に実証されました。

地域遺伝子に導かれてヨーロッパ、ドイツの温泉地へ

首藤 松尾博士による評価は、それまで温度が体温ほどで、冬場は非常に辛い、課題の多い温泉だと思っていた地域の人々に勇気を与えました。その後、長湯温泉には、九州大学の温泉治療研究所の分院が建てられたという歴史もあり、温泉の医療効果を追求してきたという歴史があります〈※注1〉。
 そうした歴史の中で最も重要であったのは、地域が温泉地として今後どう取り組みをするべきかという目標を住民が胸に刻んだということです。炭酸泉という珍しい温泉を持っている、この炭酸泉を大事にして、小さいけれど個性的な温泉地づくりを進めていこうということを90年前に皆で確認をしたのでした。
 しかし、そのビジョンは戦争によって消滅したのですが、地域遺伝子となって浮遊していた。その遺伝子が時空を超えて私の肉体に宿ったのでした。こうして私たちは先人が夢見て憧れていたドイツを目指すことになったのです。

未来を語る者は世界を見ておかねばならない

首藤 1985(昭和60)年に、入浴剤メーカーの花王株式会社が実施した全国調査の結果、長湯温泉が日本屈指の炭酸泉であるということが判明しました。
 その後、1989年(平成元)年に、ヨーロッパの温泉地を見聞してみたいと、ふるさと創生事業の資金を活用して、ドイツに渡りました。そこで見たドイツの実態が、その後の長湯温泉の方向性を決定づけたと言っても過言ではありません。炭酸泉は、飲んでよし、入浴してよし、という名言を生み出した松尾博士の言葉の通りであったということを確信しました。この体験を経て、外湯めぐりの文化と、温泉を飲む飲泉文化をもう一度再構築してみようと立ち上がったのが34年前です。
 この時、私の背中を押したのは、父親の口癖であった「未来を語る者は世界を見ておかねばならない」という言葉です。チャンスがあれば世界に飛び出せというこの言葉は、企画者としての私の胸に刻まれていました。

世界に通用する個性的な温泉地づくり

首藤 炭酸泉の利活用をドイツに学び、出てきたテーマが「世界に通用する個性的な温泉地づくり」でした。ここでは、3つの温泉地を紹介します。
 バート・ナウハイム(ヘッセン州)は、世界最古の温泉療養地といわれています。ヨーロッパの温泉療養に保険が利くという最盛期に温泉療養に取り組み、立ち上がってきたまちです。しかし、ドイツの保険制度が崩壊したと同時にまちは衰退しました。温泉療養に真面目に取り組んだがゆえに病気の人たちのまちというイメージとなり、保険制度の崩壊後に、まちが40億円で売り出されたという悲しい歴史を持っています。
 バーデン・バーデン(バーデン・ヴュルテンベルク州)は、ヨーロッパといわず世界を代表する温泉リゾート地です。カジノの収益の半分が観光振興のために使われているという非常に素晴らしい仕組みを持つまちでした。橋や公園などは、超一流のセンスでまちがつくられています。素晴らしいのは、混浴のフリードリッヒ浴場など世界に通用する古典的、歴史的なものを残したうえで、今にどう生かすかということを考え、新たな温泉施設カラカラ浴場を建設するなど、リゾート地として成功を収めています。
 バート・クロツィンゲン(バーデン・ヴュルテンベルク州)は、温泉療養地とリゾートの両方を理想的なバランスで、病気の療養だけでなく楽しみも含めた温泉地として邁進してきたまち。環境の整った素晴らしい温泉地で、人口が約2万人近くに膨れ上がりました。竹田市の姉妹都市で、2019(令和元)年に交流30周年を迎えました。これまでに850人以上の市民がお互いのまちを訪れてホームステイをしています。
私たちは、向こうのクアハウスを体験しながら温泉療養を学んでいます。

バランス、複眼思考への意識の芽生え

首藤 3つの温泉地から教わったことは、バランスのとれた療養、リゾートの両方の魅力が必要ということです。
バート・ナウハイムのように温泉療養だけに取り組んでいると、申し訳ないですが病人のまちになってしまうということを彼らが教えてくれました。一方で、活気だけで上手くいくかというと違います。バーデン・バーデンも男女混浴の伝統浴場をしっかり維持しながら、世界の人達が勉強だけではなく、身体を良くしたりカジノを楽しんだりというバランスを持ったまちとして発展しています。
 この3つの温泉地を見るにつけ、日本の温泉地、特に長湯温泉は一体どういう方向を選ぶのか。それがこのとき受けた一番の衝撃であり、これから先、温泉地としてどのような目標やビジョンを持って進むべきかを暗に示してもくれました。ドイツの温泉地は、規模は小さいながら、街づくりも泉質活用も、歴史も文化もそれぞれ違い、皆個性的でした。それが私たちの「世界に通用する個性的な温泉地づくり」というテーマに結び付いていったのです。
そして、30年の月日が経ち、長湯温泉は今一つの目標、ビジョンを達成しようとしています。

地域の哲学―残すべきは何か、後世に伝えるべきは何か

首藤 実は3つの温泉地以外にチェコのカルロヴィ・ヴァリ〈※注2〉やマリアーンスケー・ラーズニェ、それからハンガリーのブダペストの温泉地も回りました。カルロヴィ・ヴァリには、非常に素晴らしい飲泉施設(コロナーダ)がありました。その前で現地の人から言われた言葉が衝撃的でした。「あなたたちはこんなものを見て驚いているのか。経済大国の日本人がこんなものを見て観光しているのか」と。もちろん皮肉です。彼らが何を言いたかったかというと、「私たちは残すべきは何か。私たちは後世に伝えるべきは何かということをしっかりしている民族なんだ。あなたたちはどうなんだ。公共事業も公共施設も全部そうだが、私たちは目先の発想で安易な作り方はしないんだよ」ということ。つまり、私たちは彼らから後世に何を残すか、何を伝えるかという理念、哲学をしっかりと持てということを教わったのでした。

外湯めぐりの文化と飲泉文化の再構築

―ここからは、視察後に実施した取組やその成果を教えてください。
首藤 帰国後、外湯めぐりの文化を再構築するために取り組んだのが温泉療養文化館「御前湯(ごぜんゆ)」の建設です〈写真3〉。川の風景を活かした素晴らしい建物で、飲泉文化を取り入れながら進めました。長湯温泉が湯治場として栄えた時代、温泉場には、建物の雰囲気も、温度も異なる3つの外湯がありました。外湯をめぐる楽しみは温泉地ならではの文化であり、その楽しみを盛り上げたのが、居酒屋や土産屋などの温泉街を形成する商店街でした。浴衣姿で外湯めぐりを楽しむ文化こそ、長湯の伝統であり個性であったのです。
 バート・クロツィンゲンとバード・ナウハイムは、御前湯に世界最古の療養の湯船や風見鶏をプレゼントしてくれました。御前湯は、1998(平成10)年の開業で、四半世紀を迎えます。
新型コロナがありましたが、年間10万人を超える入館者数を誇っており、13人の雇用も確保しています。地域に与える経済効果や知名度の向上に関して、今も大きな力を発揮してくれています。
 私は、御前湯の初代館長を務め、2001(平成13)年に直入町役場を退職して挑戦したのがラムネ温泉館〈写真4〉の建設です。テーマは「茶室風呂」。これもそれなりのストーリーがあります。2005(平成17)年の開業で、小さいけれども年間7万人から8万人の入館者数があります。

地域にある機能と共存できるシステム

首藤 観光と商業、さらには農業との均衡ある発展へとつなげるためには、複合的に企画し、複眼思考を持った横断的体制を整え、地域全体で受入環境を整えていくことが重要です。御前湯には食堂、レストラン、売店がありません。利用者は近くの食堂から出前された食事を楽しむことができます。ここには、過去の日本の温泉地における反省点が生かされています。公共の施設が地域にある機能、例えば、食堂やレストラン、土産品の売店などと共存できるシステムを採用することが、地域の経済活動を元気にし、温泉地が風情ある姿であり続けることにつながるという原点のあるべき姿です。設立した出前組合による出前システムが上手く機能したことにより、地域の小さな食堂に元気が出てきましたし、御前湯には手数料が入っています。館内には土産品の売店がないことから、近くの商店が相次いで店舗改装するなど、温泉街に活気が蘇っていき、旅館も宿泊客に外湯を紹介する等、人々の意識も変わっていきました。

文化行政を標榜
―文化は時空を超える

首藤 私は、行政、民間、県議会議員、市長といろいろな立場で温泉文化を基軸にした地域振興なり温泉地づくりに取り組んできました。長年いわゆる文化行政を標榜してきたのです。そこには「文化は時空を超える」という信念があったからです。日本人が構築してきた温泉文化は、世界に冠たるものだと思っています。長湯温泉には、昭和初期の文人たちが来たときの作品群や小説など、いろいろなものがずっと今も息づいて、それらが今でもこの地で花開いています。建物が古くなって味の出るものもありますし、無くなるものもありますが、文化というものはしっかりと受け継いでいくと、地域の大きな財産にもなりますし、未来への宝にもなります。そのことも教えられながら走り続けてきました。

理念を具現する社会システムを創る
―日本初の温泉療養保健システム

―温泉資源を活用した「予防医療・健康づくり」×「新たな観光振興」の複眼思考で取り組む画期的なシステムのきっかけは。
首藤 今から30年前、ふるさと創生のときに使われたキーワード「自ら考え自ら行動する」という言葉があります。
つまり地方自治体が国に頼らず自分たちで考えよということです。だからこそ、政治や政策が重要視されなければいけないと思います。先進性を持って地域が決めて進めていけばよいのです。私は、2009(平成21)年に竹田市長になり、2年後に日本初の温泉療養保健システムを導入しました〈※注3〉。市内に宿泊する人を対象にパスポートが発行され、一定の条件を満たして所定の手続きを行えば温泉療養保健システムに基づく保健適用が受けられます。指定の宿泊施設に半年以内に延べ三泊以上宿泊し温泉療養をすれば一泊に付き500円を竹田市から給付するということにしました〈図2〉。
 大阪観光大学の調査により、同システムの導入は地域経済に対して投資額の20倍の効果をもたらすことが実証されました。効果があるということで、ここで改めて入湯税を活用するという政策が浮上してきました。入湯税の活用の一つに観光振興があり、これを通じて、国民の健康づくりをしたら温泉は面白いぞと。同システムを通じて、「入湯税を長期滞在や療養健康づくりを後押しするために使う」という立場を明確に打ち出しました。2014(平成26)年度から今日まで竹田市はこの入湯税を原資に同制度を運用しています。

新しい政策を展開
―他所から得た財産を活用、還元する

首藤 入湯税の95%以上は外から泊まりに来た人から徴収する税金です。市民の懐にはほとんど影響はないのです。
他所から得た財産を活かしてもう一度観光振興や健康づくり、そして温泉地づくりに還元する。そんな新しい発想の政策展開に役立てる、というのが公共団体の使命ではないかと思っています。そういった意味で、次の戦略にそれを活かすということが同システム導入を通じて明確化され始めました。経済効果を生み出すものであるのであればぜひ実施していったらいいという結論にもなるわけです。
 保健制度の実績として、2011(平成23)年度から毎年の申請者数が分かっています。2016(平成28)年は地震の影響を受けて少し下がっていますが、多くの方々が同制度を利活用してくれています。今では、年間1200冊のパスポートが発行されています。そのことから、外から来た人にとって利点があるのと同時に、こういうシステムこそ全国に先導的に広がって国民の健康づくりに寄与されなければならないと思っています。年々その利用者が増えており、スポーツ合宿や様々な方が「どうせ行くなら温泉地でこの療養をやろう」という風潮も生まれ始めています。

住民の健康づくり
―保健師による証明

首藤 温泉の利活用には、外からの滞在者と市民の両者を対象にどのようなシステムをつくるかという二面性があり、その両面に力を入れていかなくてはなりません〈図3〉。温泉を活用してどのように市民の健康増進を図るか。温泉に入って本当に健康づくりができるのか。この命題に竹田市の保健師が一生懸命頑張って取り組んでくれました。国民健康保険に加入している、いわゆる運動したり温泉に浸かっている人たちと、全くそうでない人たちの一人当たり医療費の差を調べました。
3年間、同じ人を追跡調査した結果、2011年と2014年では、高血圧治療者で入浴していろいろ運動している人たちの医療費はほとんど増えなかったのですが、運動していない、温泉療養していないような人たちは、38万円から57万円と医療費は2011年比で50%増えました。また、糖尿病治療者に関しては、何もしていない人たちの医療費は49万円から54万円に上がりました。運動している人は43万円から39万円と下がっており、温泉は健康づくりにやはり寄与できているのだということを市の保健師が証明してくれました。これによって、竹田市は健康づくりや福祉の関係で全国一の評価をいただきました。

外部評価の受賞とエビデンスの蓄積

首藤 こうした長年の取組により、2016(平成28)年には、NPO法人日本ヘルスツーリズム振興機構主催の第8回ヘルスツーリズム大賞(団体部門)を受賞することができました。
そして、2018年度には、ヘルスツーリズム認証制度の第1期として、竹田市観光ツーリズム協会の健康増進プログラム「こころ・からだ・よみがえる健康ながゆ旅」が認証されました。
 2015(平成27)年には、合併した竹田1市3町全域に温泉があるということで、環境省から「竹田温泉群」として国民保養温泉地の拡大指定もいただきました。市全域でこの指定を受けたことだけでなく、自分たちの誇りだと市民に思っていただいたという意味で拡大指定は非常に影響の大きいものでした。
 同じく2015年には、エビデンス調査を行っています。(一財)日本健康開発財団と慶應義塾大学先端生命科学研究所連携のもと、産学官連携による長湯温泉の飲泉エビデンス調査を行いました。長湯の温泉水を飲むことで日常の血糖状態が改善され、糖尿病の予防効果が期待されることが明らかとなりました。
 療養を推進するために大切ことは、「本当に温泉が体に効くのか」というエビデンスをしっかりと構築しなければいけないことです。私たちが目指すのは、本当の意味での温泉であり、地域資源を活用した国民の健康づくりをどのように普及できるかということです。
そのための成功事例を学ぶため、イタリアのアバノにも行ってきました。アバノは、エビデンスを蓄積し国家予算を予防医療に使うシステムを構築しています。このような事例をもって、国家戦略として本当の意味で国民保養温泉地が国民のための健康づくりに寄与することを狙っていくべきです。

健康増進施設の連携による温泉利用

首藤 2017(平成29)年には、厚生労働省から温泉利用型健康増進施設(連携型)に認定されました〈※注4〉。
一定の条件はありますが、所得税の医療費控除の対象となります。(一財)日本健康開発財団をはじめ、NPO法人健康と温泉フォーラムの方々のアドバイスをいただきながら、まさに温泉が健康によいのだという基礎づくりに取り組んできました。
 (公財)B&G財団からは、運動施設竹田市直入B&G海洋センター体育館をスポーツジムのように改造するために補助を出していただき、施設を充実させていただきました。その結果、御前湯とB&G体育館をコラボさせて連携型で認定を受けることができました。認定されたことを受けて、御前湯内に「温泉利用相談室」が設置され、専門のスタッフが健康増進プログラムを提供しています。

保養地の中核となる拠点施設の整備

首藤 クアオルト構想〈※注5〉を進めるうえで大切だったことは、炭酸泉を活かすために、人材育成、エビデンスの蓄積をすること、中核の拠点施設を持つことでした。そして、2019年6月に、中核の拠点施設としてクアハウスが10年以上の夢を超え出来上がりました〈写真5〉。温泉療養複合施設「クアパーク長湯」は、健康、美容、リゾートなど、多様なニーズに応える施設で、温泉棟、レストラン棟、宿泊棟で構成されています。温泉棟は、湯中運動が可能な浴槽や50mの歩行浴槽を備えています。建設費約5億円のうち約2億円は地方創生拠点整備交付金を活用しています。そうでなければこのようなものは作れません。温泉を活用した健康づくりを今やらなければ、本当に医療費が膨大に膨れ上がります。病気になってからでは遅いので、病気になる前の予防医療としてこのような戦略をぜひ日本で広めていくべきだという話をし、おかげでこのような施設が出来上がり、非常に面白く活用されています。
 ホットタブという会社(正式名称株式会社ホットアルバム炭酸泉タブレット)は素晴らしい入浴剤を作っておられ、特許もとっています。同社が指定管理を受け、クアハウスの宿泊棟とレストラン棟も同時に運営しています。
こちらは長湯温泉の聖地として温泉資源を健康づくりに役立たせるということを日本全国、世界に向けて発信していく施設に育ちつつあります。
 人材育成については、有資格者やインストラクターの養成を複数年掛けて進めました。竹田市には温泉入浴指導員が96名、温泉利用指導者が5人、総合インストラクター(竹田市独自)が52名います。参加者は温泉の効果を全て体得して免許をとっていくので、そのような施設と人材の育成がうまくマッチングしていくと、小さくても世界に通用する個性的な温泉地づくりが必ずできるはずだと確信しています。
このようないくつもの支流が束になり、30年来のテーマが一つひとつ実現しようとしています。

誰もやっていないことに立ち向かう時、大切なのは夢のある展開を信じること

―ここまで過去の取組を振り返ってきましたが、長い年月を掛けた取組の支えとは何だったのでしょうか。
首藤 最近は多くの人たちからそんな質問が投げかけられますが、私がいつも胸に刻んでいる言葉を紹介します。
そのストーリーはこうです。1963(昭和38)年に長湯の温泉では一年間、温泉の枯渇現象が起こり、お湯が出ない時期がありました。なんとか地下を掘って温かい温泉を得たいとある男は望みました。彼は地域の大反発を受けながらも源泉を求めて初めてのボーリングを導入しました。そして、半年後に91メートルという深さで50度を超える高熱泉が出ました。私は当時10歳でしたが、そのときの光景が今でも目に焼き付いています。村人皆から批判を浴びましたが、その温泉が湧いた翌日、今まで批判していた人達が両手に卵を持って「おい、長湯でも温泉卵ができるぞ」と言って喜んでいました。その数日後、その男は日記に書いていました。「よかった。これで村の人達もわかってくれた」と。そして彼はこういう一行を添えています。「誰もやっていないことに立ち向かう時、大切なのは夢のある展開を信じることであり、失敗を恐れて批判家になっている者の言動に左右されないことである。歴史という道は言った者ではなく、やった者の跡にこそ残って消えない」と。本当に胸に詰まる思いがしました。挑戦したその男こそ、私の父親である首藤作平でした。私もいろいろな試練がありましたが、命懸けで自分ができる範囲のことに挑戦してきました。その結果、長湯温泉の炭酸泉は本物で本当に素晴らしいと全国に認められ、より良い泉質を持った温泉地として長湯温泉は生まれ変わっていきました。
 今を生きる私達が一致団結して情熱を持って、世界に通用する個性的な温泉地づくりに取り組んでいる姿を見たら、父親はもちろん、地域に生きた先人たちはきっと喜んでくれるでしょう。
これで未来の子供たちに大きな夢を授けることができる。今はそんな思いでいっぱいです。まさに温泉の新時代を拓く。そのような精神、ビジョンを掲げながらこれからも勇気ある挑戦をしていきたいものだと思っています。

ローカルを磨くためのグローバルな眼を養う

―コロナ前の時代にインバウンドを節操もなく取り込むことについては、地域の大切なものが失われるという点からその危険性を指摘されていました。

首藤 情報不足や感性の問題もあると思いますが、ものの考え方がグローバル化していないのが一番の問題だと思います。グローバル化してないから、ローカルの強化ができていないのです。ただ海外に行くのではなく、ものを見る視点を養うことが重要です。世界に通用するものを探し、自分たちのまちの価値、立ち位置を知るべきです。
海の向こうを見て、異国を見て、異国の文化に触れることで初めて、自分たちが暮らしている土地の素晴らしさ、自分たちが持つ力に目覚めるのです。
自分たちのまちに何があって、何を誇るべきなのかということを知っている住民は自信があり強いです。国際的視野に立った、個性が光る温泉地づくりを目指すコンセプトが決まってからは、急激にエネルギーをもって施策を展開するようになりました。
 インバウンドについては、全く意識してないわけではないです。ただ、そのためにといって「本体が揺さぶられるような戦略」を取ってはならないということは貫いてきました。だから、インバウンドに迎合したり、らしい建物を建てたり、らしい金額で誘客をしたりというようなことはないです。長湯というのは、来てみたら気持ちがいいし、癒やされますよねというのを、いかに自分たちの身の丈に合ったサイズで無理なく継続させていくか、これが一番大切なことです。
 新型コロナによって、例えば、別府、由布院、黒川など、近隣の温泉地ではインバウンドが完全にシャットアウトされました。その地域の人々が本当に困っている姿も見てきました。ただ、長湯温泉の場合は、一時インバウンドが入ったということもありますが、それはほんの一時的なことです。私たちの地域はインバウンドで経済を確立していくというやり方は通用しないだろうと思っています。個人やファミリー、仲間で来てくれる欧米の方々は、日本の景色や自然環境を楽しみながら温泉地で滞在するというイメージを描いています。ただし、これからは日本人の高齢化と旅行スタイルの変化によって、昔のようにお客さんを確保することができない状況が見込まれるので、それなりの工夫はもちろん必要だろうとは思います。

長湯らしさ
―過去の人たちが誰をどのように受け入れてきたかの原点を守る

首藤 文化といえば、やはりアカデミックな刺激は大切です。温泉地にはそれなりの人たちが訪れてきてくれて
います。小説家であれ、画家であれ、たくさんの文化人たちが来てくれている、その足跡を見ていただくというような場づくりをしています。例えば、B・B・C長湯〈写真6〉に林の中の小さな図書館を設けたり、図書館のホールを彫刻家のアトリエ的な空間にしたりしました。ラムネ温泉館では、2階に美術館を設け、川端康成、田能村竹田(南画の大家)などの文豪や画家の作品群を展示し、連綿と続いてきた歴史を皆さんにお伝えしています。
 こうした場で滞在したり、湯上がりをするときに、ほっと一息入れて堪能できるというのは、いい空間だということです。そういった意味では、「振り返れば未来」ではないですが、未来への方向が見えなくなってきたら一度、過去を振り返ってきたらいいと思います。また、過去の人たちが誰を迎え入れてきたか、皆さんが温泉地でどのような楽しみを感じていただいていたか、その原点を守っていけば、長湯らしさは失われずに構築されていくだろうと思います。

自らの文化を再認識することなくして、流行りに迎合してはいけない 

首藤  かつてのディスカーバージャパンには功罪があったのだと思いますが、多くのお客さんが集まるからということで、それまで培ってきた温泉文化を全部削ぎ落として温泉地が大変貌を遂げていったという時代が過去にありました。それが我が国の少子高齢化に伴う観光客の高齢化によりだんだん温泉地が寂しくなってきた時点で今度は外国人を呼び込んでいくという手法に変わり始めました。これも非常に上手くいっていましたが、今回のコロナ禍で全くの崩壊状態になりました。コロナ禍では、温泉地で仕事をしませんかなどと呼びかけて、ワーケーションやテレワークなどを基軸にした売り出し方に移行していきました。
 しかし、考えてみると、そこには一番大切な温泉地の誇り、文化を一体どのように捉えてきたのかが欠落してきた気がします。それぞれに対応していこうという発想はもちろん大事ですが、自分たちが日本の温泉を好む民族として「何を求めてどのような癒しを欲しているのか」という軸、価値観をしっかり構える必要があるかと思います。
 自分達にしか築けない個性を見出し、時代を超えて人々が豊かになったり幸せを感じたりということを軸にして温泉地づくりをしたら、外部要因に揺さぶられずに行ける日本の誇りある温泉地づくりができるのではないでしょうか。自らの文化を再認識することなくして、流行りに迎合してはいけないです。社会的ニーズへの対応という視点は保持しつつも、自らがトレンドの発信地となりうる作業を重ねて、個性に磨きをかけていく姿勢こそが温泉地として時代を超える魅力を創出できるものと考えます。

正確にしっかり伝えられるストーリーテラーが必要

―今後の長湯温泉の展望をどのように描いていますか。
首藤 私個人にしてみたら、先ほどお話しした昭和初期のドラマから、私が取り組んできた40年以上の間に起きた小さなドラマの積み重ね、人との出会いの積み重ね、そういうものをずっと記録に残したり、エッセイに書いたりしてきました(プロフィール参照)。
私の座右の銘は「有由有縁(ゆうゆゆうえん)」です〈※注6〉。温泉地のことや、訪れてくれた人たちのことを面白いエピソードを添えて書いています。それは物語なのです。
 しかし、ストーリーを書いただけではなく、そのストーリーをどう物語るか。つまり、ストーリーテラーとしての役割を果たす人がいないと、なぜここはドイツと交流しているのか、ドイツの標識があるのかなど、そういったことを正確にしっかりと伝えられる手段を失くしてしまいます。だから、ストーリーテラーの存在を意識しなければなりません。

暮らすように滞在するシムテムづくり

首藤 炭酸泉だからこそ設定できるテーマは、いわゆる健康と美容です。今、(一社)竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラムでは、都会で病んだ人たちがここでリフレッシュしながら仕事もできるプログラムづくりに取り組んでいます。テレワークやワーケーションと皆言っていますが、長湯温泉ではずっと以前から、それは湯治の一つのスタイルだったと思います。昔は1週間、1カ月滞在する方々がおられました。
そういう人たちのニーズに応えられるのどかさが温泉地にはあるのです。
 長湯温泉の中心部は、人口150人くらいで高齢化が進み、空き家、空き店舗が増えています。これらをどのように自分たちの財産として取り入れることができるか、という発想と戦略が求められています。長湯温泉では、地域の空き家空き店舗を長期滞在の拠点として蘇らせようと、あるべき姿や仕組みを検討しています。イタリアでは、アルベルゴ・ディフーゾという分散型の宿も誕生しています。新たな動きとして「暮らすように滞在する」旅のスタイルが出てきています。長湯温泉にある空き家を1軒ずつしっかりと住めるような形にして、滞在の貸家として、例えば、1人1泊2000円の料金設定にすれば1カ月滞在しても6万円です。立派なホテルの1泊と同じ金額で1カ月間、滞在できるわけです。あとは、食べる所や楽しめる所を周りに少しずつ増やしていくと、地域経済の発展にもつながっていきます。それをシステム化したいと思っています。

目標がなければチャンスが見えない、ビジョンがなければ決断できない

首藤 地域づくりも温泉地づくりも、それから人生においても、目標がなければチャンスが見えない、ビジョンがなければ決断できません。逆を言えば、目標を持った町、ビジョンが描ける町がいかに揺るぎなくその歩みを進めることができるかということを知りました。そんな一歩一歩を積み重ねてきたなと振り返っています。世の中の流れや経済状況は変わってきました。ただ、長湯という小さいながらの温泉地では、何を基軸にどのような目標とビジョンを掲げて歩むべきかということは全く揺らいでないです。
 世界有数の温泉大国日本には約3000か所の温泉地があります。恵まれた泉質を持った温泉が湧き出ている地域で、生活者の目線、訪問する人たちや滞在者の目線で、本当に心身共に癒やされる場づくりがどうあるべきかを、一つずつ確認しながら、新たな潮流、温泉新時代を全国の温泉地と築いていきたいと思います。

2022年10月19日大丸旅館 茶房川端家にて
聞き手・編集:後藤健太郎
(公益財団法人日本交通公社主任研究員)

取材後記 
本取材は、自主研究「責任ある観光に関する研究」の一環として実施しました。
インバウンド需要が急速に回復し、観光の正負の影響が顕在化する中で、どのような行動を取っていくべきか。その判断、決断の基軸となるのは、地域の目標、ビジョン、観光に対する価値観だと思っています。本体が大きく揺さぶられないよう、地域の意志や望ましい観光のあり方を明確にしていく地道な積み重ねが中長期的には必要です。

※注1…温泉治療研究所の分院の所長を務めたのは、長湯温泉にある伊藤医院の故伊藤孝氏である。
炭酸泉で研究を行い、博士号を取得された。

※注2…カルロヴィ・ヴァリは、ドイツ語名カルルスバート。経済が破綻した東欧諸国の中で、コロナーデ(飲泉場)を守るため、皆食べるパンの量を半分にして税金を納め守ってきた結果、現在のような姿で世界に誇ることができるということであった。

※注3…健康づくりという点から、保険ではなく保健を使用。2011(平成23)〜2013(平成25)年の3年間は、入湯税の活用を視野に入れていたが、有難いことに国の支援(厚生労働省、総務省)を受けスタート。

※注4…厚生労働省が定める一定の基準を満たし、温泉を利用した健康づくりを図ることができる施設。
認定施設を利用して温泉療養を行い且つ幾つかの要件を満たしている場合には、施設の利用料金施設までの往復交通費について所得税の医療費控除を受けることが可能。

※注5…クア・オルトとは、ドイツ語で療養地・健康保養地を指す。

※注6…ノーベル賞作家である川端康成氏が残した言葉。「人と人、人とものごととの出会いに偶然はない。
すべて理由があって縁を授けられているのである。」という意味。


首藤勝次(しゅとう・かつじ)
(前竹田市長、(一社)竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラム理事長)
1953(昭和28)年、竹田市直入町長湯生まれ。長湯温泉の老舗宿『大丸旅館』の5代目経営者。観光カリスマ。大分県立舞鶴高校から同志社大学工学部に進学。父親の死去に伴い、1976(昭和51)年に帰郷。直入町役場に就職し、企画、広報、国際交流、文化振興等に従事。1998(平成10)年、温泉療養文化館『御前湯』の館長に就任。
2001(平成13)年、直入町役場を退職し、2002(平成14)年に大分県議会議員に初当選。3期目の途中で竹田市長選に出馬し初当選。2009(平成21)年から3期連続当選を果たした。2021(令和3)年に市長を退任。座右の銘は『有由有縁』。退任後は、公的事業を推進する(一社)竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラムの理事長として活動。著書に『御前湯日記』『60年先を歩いていた男』、エッセイ集『有由有縁』『一服一幅帖』、『感會』『旅の途中で』がある。