特集① 縮小する社会と観光
熊谷嘉隆
公立大学法人
国際教養大学
理事・副学長、教授
はじめに
早いもので筆者が秋田県に赴任してから20年が経った。赴任した2004年当時102万人だった県全体人口が直近の統計では90万人を割り込み、2040年には65万人まで減ることが確実視されている。日本全体の人口が減少している事は理屈では理解していたが、秋田に住んでいると身近な地域で住民の数が目に見えて減り続け、高齢者の割合が確実に多くなっていく。県内中山間地域のほぼ全ての集落が存続の危機に直面し、そして県内ほぼ全ての自治体が縮小していることを肌感覚で味わっている。ちなみに秋田県の人口減少率と高齢化率は全国最速ペースで進んでおり、出生率も全国一低い値で推移していることから筆者が感じていることと各種統計値は矛盾していない。
我が国の食糧生産力、居住可能地域面積、人口密度やエネルギー供給量を踏まえた上での適正人口がそもそもどれくらいなのかは議論の余地があるものの、明治維新当初約3700万人だった我が国の人口が約140年間で3倍強の1億2800万人まで増え続けたため、国や自治体の政策や企業の戦略はこれまで人口増加を前提としてきた。ただ、国全体人口が減少に転じて数年、各種戦略が大きく変化していることは周知の通りである。しかし、どの組織、企業、自治体、そして国も有効な手立てを講じきれていないのが現実であろう。特に人口減少で最も危惧されるのは生産年齢人口の減少による税収の減少だ。それに伴い教育、医療、社会保障や社会基盤整備・維持などの各種行政サービスの持続は困難になる。また、若者が地域にいなくなる事により地域から活気が失われ、地域全体に漂う閉塞感や将来を見通せない漠然とした不安感も無視できない。実際、秋田県における若者の地元定着率は極めて低く、県外に教育や就労機会を求めて出ていくことが常態化している。一方、秋田県には国連教育科学文化機関(UNESCO)による世界自然遺産と文化遺産が各1ヶ所、国立公園1ヶ所、国定公園3ヶ所、そして8ヶ所の県立自然公園があり、さらに全国最多となる17の国指定重要無形民俗文化財があり、また、集落毎に継承される200以上の民俗芸能や、東北三大祭りの1つである竿燈まつり、全国三大花火大会の1つである「大曲の花火」全国花火競技大会(今年カナダで行われた国際花火大会で3位に輝いた)、さらに乳頭温泉郷をはじめとする豊かな温泉が多数あるなど、自然及び文化的に極めて豊かな地域であることは間違いない。ただ、日本全国の観光地における東北への来訪者数は少なく、昨今のインバウンド観光で東北地域に訪れる外国人観光客の割合は3%に過ぎない。秋田にいると、このように豊かな観光資源がある一方、人が減り続け、自治体・地域が縮小している現状において、地域振興の起爆剤に成り得る観光が地方の存続に果たす役割は何だろうと考えてしまう。そしてこの問題意識は日本の多くの地方が多かれ少なかれ共有しているものと思われる。本稿ではこのような問題意識を踏まえ「縮小する社会と観光」を切り口とした上で、いくつかの研究テーマを投げかけたい。
観察と問題意識
秋田に20年以上住んでいるとプライベートや仕事で様々な観光を体験する機会があるが、その中で明らかに従来とは異なる傾向、若しくは取り組みが目につくようになった。まず、いわゆる団体旅行客が激減し、個人や家族単位の旅行がそれにとって変わった。この傾向は新型コロナウイルスのパンデミックを契機にますます顕著になり、その結果、県内の元々は修学旅行や団体パッケージツアーを主なターゲットとしていた旅館やホテルはその対応に苦慮している。それら宿泊施設は個人や家族向けに日帰り食事付き温泉メニューや、近隣観光施設との連携プログラムの開発など新たな試みをしているものの、決定的な打開策にはなっていないのが現状である。
次に今まで秋田に来ることのなかった国々からの観光客、例えば中東からの個人や小グループの観光客が県内の一部の地域に来訪するようになった。
これは旅行会社経由ではなく、明らかに個人的に(おそらく各種SNSから)情報収集して自ら旅行計画を立てたものと思われる。これらの旅行客はSNSの投稿やインターネットで提供される情報を頼りに周遊活動を行っているが、言語の問題もあり、その行動範囲はネット上で提供される以上のものではなく、その体験は一定枠に収まっているようである。ただ、これらインバウンド観光客は既存の旅行代理店による観光プログラムを介していないことから、今後の動向が注目される。
3番目に個人や地元の小規模NPOが古民家や空き家を借り入れ若しくは購入して、宿泊施設として提供する傾向がここ数年増えている。秋田県にはもともと茅葺き民家や躯体のしっかりした古民家が多いが、維持管理の大変さや居住者の死去に伴い、空き家化する物件が後を絶たなかった。
これらを借入または購入し、貸切の長期滞在型宿泊施設に改修する傾向が顕著で、そのような宿に対する需要が確実に増えている。しかもそのような宿泊施設の運営は旅行関係者ではなく、比較的若い個人経営者によることが多い。そのような宿の経営者はSNSを駆使して情報発信し、静かにかつ着実に宿泊客を獲得している。全国、特に地方における空き家件数の激増が社会問題化している現状で、この傾向が今後どのような展開を見せるのか注視していきたい。
ちなみに秋田市は宝島社発行の2022年度版「住みたい田舎ベストランキング」で四部門で一位、同2023年度版では六部門で一位を獲得している。特に都市部からの移住が毎年300人以上規模のオーダーで推移している。これら移住者の多くは都市部で子育てする事に対する不安や(保育園の確保など)高額な住居費、毎日の長時間通勤によるストレスを理由に挙げるが、新型コロナウイルスのパンデミックによるテレワークの普及が都市部から地方へ人の流れを加速した面もあるだろう。ちなみにポストコロナにおいてもこのテレワークはニューノーマル化しつつあり、業種によっては週4日をテレワーク、対面出社は1日のみといった企業も決して珍しくない。この流れは今後もある程度加速するものと予想されるが、これが地方の人口動態に及ぼす影響は今後も注視する必要がある。
研究テーマ
これまで秋田県における人口減少と高齢化、それに伴う地域の持続可能性(消滅可能性)、一方で近年みられる新たな観光形態、インバウンドの特徴、空き家の利活用、若年層の秋田市への移住について述べた。これらを踏まえて、地方目線で気になる観光研究テーマを提起したい。
まず、国内人口減少そして縮小する地域において今後はどこをターゲットとして観光推進すべきか?国立社会保障・人口問題研究所の予測によれば我が国の人口は2008年をピークに減少傾向に転じ、2050年には9千万人を割り込むという。高齢化率は全国平均で30%に達しつつあり、地方におけるそれは既に先鋭化している。例えば秋田県では、自治体によっては60%に肉薄している場所もある。つまり、人口は減り続け、生産年齢を超えた年金生活者の数は増加する一方であるため、全体のパイは縮小し続ける。このことから、今後も観光をする人々は都市部に住む生産年齢人口コーホートが主流であり続けるのか、もしくは年金生活を送っている人々に適した観光形態はどのようなものか?が問われるべきである。また、従来の団体旅行に代わって個人で情報を収集し自ら旅行計画を立てる旅行者の数が増えるとしたら、その人々に対して旅行産業がすべきことは何か?
円安の後押しもありインバウンド観光客の総数が2024年にはコロナ禍以前を優に超えた。一昔前の爆買いは一息ついたようだが、インバウンド観光客の消費意欲は相変わらず旺盛で、その興味や観光体験もSNSの情報により実に多様化しているようである。
特に代表的な日本食やB級グルメから、コンビニスイーツ、街の食堂に至るまで、日本人があまり目を向けないコンテンツに対しての興味は逆に多くの気づきをもたらしてくれることさえある。秋田においても中東を含む外国人観光客の来訪については前述したとおりであるが、地方におけるこのようなトレンドは為替の変動にかかわらず今後も増加傾向にあるのだろうか?若しくはこの流れを加速させるためには何が必要なのだろうか?秋田に引き付けて考えた場合、決定的に不足しているのは現地の受け入れ態勢である。それは宿泊施設における多言語対応のみならず、SNSでは情報収集しきれない地域を紹介するためのガイド、何よりも秋田と世界を大手旅行業者を介さないで繋ぎ、地域にお金と雇用を生み出すための仕組み、それを推進する人材であろう。ただ、このようなインバウンド対応の人材育成に関しては秋田のみならず全国的にも追いついていないのが現状ではないだろうか?国内居住者の観光需要が人口減少により縮小を免れない現状で、インバウンドに対する地域そして国家戦略は場当たり的としか思えない。要は円安を追い風に多くの訪日客が増えることに対して基本的には歓迎しつつ、現場でのさまざまなトラブルには応急的な対応で凌いでいるだけだ。オーバーツーリズムによる地域への影響に大騒ぎしているが、その割に地域にインバウンドの恩恵が降りてこないことを秋田に住んでいると強く感じる。そしてこのことは日本の多くの地域で共有している感覚ではないだろうか?
ちなみに秋田を訪れる外国人観光客は日本を既に何度か訪れているリピーターが多く、彼らの行動形態は一カ所に腰を落ち着けてそこを起点に周遊するのが特徴である。その点から前述の古民家や空き家を活用した一棟貸切の長期滞在型の宿泊施設の需要は静かにしかし着実に増えるように思われる。
そのような流れを加速させつつ、地域にお金を還流するためには何が必要なのだろうか?また、このような宿泊施設と従来のホテルや旅館はどのように住み分けしつつ、共存を図るべきなのだろうか?
秋田市への移住者が直面する大きな課題は仕事である。秋田市や秋田県は移住者に対して都内でワンストップの相談所を開設し、住居や食に関するさまざまな支援を行っているが、都市部で得ていた同じ額の収入を県内で得るのは極めて困難である。ただ、移住者の中には以前勤務していた際に身につけたさまざまな仕事上のノウハウやネットワークを活用し自ら起業する人も少なからずいる。前述の古民家や空き家を活用した新たな地域ビジネスの創出に移住者が果たす役割には萌芽的であるものの可能性を感じており、これは全国どの地方でもある適度みられるのではないだろうか?今後はポストコロナにおけるテレワークの浸透、それに伴い労働人口の地理的流動化が進む中で、地域の観光振興に誰がどのような役割を果たしていくのか?も注視したい。
おわりに
秋田という日本で最も人口減少と高齢化が進む地域からの目線で、地域の存続や振興に観光が果たす役割を念頭にいくつかの研究テーマを思いつくままに書き出した。我が国の人口は日々確実に減り続けており、高齢化も日に日に進行している。そのような状況下では持続可能な観光ではなく、持続可能な地域づくりに観光が果たす役割を考えるべきである。まず、地域の将来を見据えた観光を担う人づくり、観光を通じた地域への利益還流と雇用創出を考えなければならない。縮小している地域に住む筆者が考える研究テーマに取り組む人々との対話を今後楽しみにしている。
熊谷嘉隆(くまがい・よしたか)
公立大学法人・国際教養大学理事・副学長、教授
国際自然保護連合・世界保護
地域委員会副委員長(東アジア地域担当)
1960年札幌生まれ オレゴン州立大学森林学部でPh.D.取得後ワシトン州立大学で博士研究員