特集③ 地域でのアクションをベースとした観光まちづくり研究
中島直人
東京大学大学院
工学系研究科
都市工学専攻教授
戦術的な都市づくりの潮流
私が専門とする都市計画やまちづくりの分野では、ここ10年でタクティカル・アーバニズムと呼ばれる取り組みが定着した。小さなアクションから都市を大きく変えていく方法である。従来、都市を変えていくための方法は、まずは都市のあるべき姿を議論し、そのあるべき姿を長期的なビジョン、計画というかたちにはっきりと打ち立て、その具現化に向けて事業を積み重ねていくというものであった。しかし、ビジョンや計画は立案されたものの、それを実現させる道筋が見えず、実際の動きが見られないケースが多々あったり、あるビジョンや計画にそって時間をかけて取り組んでいる間に、都市をとりまく状況が大きく変化してしまい、ビジョンや計画があるべき姿からずれてきてしまうというケースもあった。タクティカル・アーバニズムの「タクティカル」は戦術という意味で、戦略に対置される。大きな視野で全体を見すえて決める戦略に対して、現場の状況に合わせてその場で選択するものが戦術である。これまでのビジョンや計画に基づく戦略的な都市づくりの方法に対して、戦術としての具体的なアクションを先行させ、その成果の先にビジョンを見出し、都市を変えていく方法として提起されたのがタクティカル・アーバニズムであった。先行きが見えない時代に適合した方法であり、都市に関わる様々な主体が能動的に都市づくりに関われる取り組みである。
広場や街路などの公共空間を、専門家のみならず住民や市民が素早く、簡単に、安く変えていく「プレイスメイキング」や、仮設的、時限的に環境を変えて、その成果や課題を評価する「社会実験」といった言葉とともに定着している。
こうした都市づくりの潮流において、研究者あるいは大学研究室が地域で果たす役割も変わってきた。地域の課題や資源を調査し、それらを解決したり、活かしたりするための計画を地域の方々とともに立案していく取り組みが、依然として研究者や大学研究室が地域に関わる際の基本となっている。しかし、調査や計画立案だけではなく、地域で具体的なアクションを行っていくこと、上記のプレイスメイキングや社会実験を企画し、実施することが増えてきたのである。つまり、研究者や学生もまちづくりのプレイヤーとして活動することが増えてきている。ともに考える、ともに行動する、そうした役割が地域から求められているし、研究者や大学研究室も具体的なアクションによって初めて得られる実践知を求めている。
富士吉田市
下吉田駅周辺での観光まちづくりの調査研究
私は2010年以来、慶應義塾大学と富士吉田市との連携協定に基づく研究活動として、まちづくりに関する調査研究を続けている。現在では、慶應義塾大学特任教授として、本務校の東京大学の私の研究室(都市デザイン研究室)の学生やOBで建築家の田中大朗氏、慶應時代の研究室出身の宮下貴裕武蔵野大学助教とその研究室の学生とともに、下吉田駅周辺を対象に、2021年度から調査研究を行っている(表1)。テーマは、観光まちづくりである。下吉田駅は新倉山浅間公園の最寄り駅である。新倉山浅間公園には398段の階段を登り切ったところに忠霊塔が建っている。この忠霊塔越しの富士山への眺望は、タイ人のSNS投稿を発端として、2016年頃から「JAPAN」を代表する風景として知られるようになり、訪日外国人たちが多数、訪れるようになった(図1)。もともと春の桜、秋の紅葉のシーズンを中心に国内観光客が訪れていたところに訪日観光客も加わって、年間50万人が訪れる一大観光名所となった。
しかし、写真を撮るだけで満足するのか、あるいは階段を上り下りして疲れるのか、ここから別の場所へ、まちへという行動は殆ど見られず、観光とまちづくりとはうまく結びついていなかった。
私たちが「忠霊塔を訪れている観光客のインパクトをまちづくりへつなげるために何をすべきか」を検討する調査研究を始めてから今年で4年目に入っている。もともと富士吉田市内の他の地域で調査研究を行っていたときから継続している調査研究の枠組みは、小さなアクションの実施と大きなビジョンの策定を相互に循環させるというものであった(図2)。先のタクティカル・アーバニズムの考え方を応用したものである。実際に駐車場の一部広場化の実験や空き家のギャラリーへの再生といったアクションを実施しながら、まちづくりの将来ビジョンを最終的にとりまとめた。下吉田駅周辺の地域でも、同様の枠組みで、進めている。その際に核となるのは、やはりアクションであり、社会実験である。
振り返ると、私たちが関わり始めた2021年度は、まだまだコロナ禍の最中であった。現地は東京からの訪問を受け入れられる状況にはなく、現地調査に伺うことがなかなかできなかった。そして、いざ、ようやく現地調査を行うことができても、現地には訪日観光客は1人もおらず、駅前は寂しい雰囲気であった。新倉山浅間公園に国内観光客がちらほらいるという程度であった。最初の1年は地域資源の調査に終始した。2年目の2022年度になると、現地にも通えるようになり、また、国内観光客も戻ってきた。私たちはようやくアクション、社会実験として、新倉山浅間公園に主に自家用車で訪れている国内観光客にまちへ足を伸ばしてもらうために、まちまでのルート上に目的地、あるいは滞留場所となるような場所を創出してみた(図3)。
この最初の社会実験で得た知見は、人々はなかなか歩かないため、何かモビリティツールが必要であるということや、公園から一歩を踏み出すためには至近距離に目的地の設定が必要であるといったことであった。次の2023年度にはこれらに対応しようと新たなアクションの企画を練り始めたが、練っているうちから、ついに訪日観光客の数が回復しはじめ、円安もあいまって、その数はあっという間にコロナ禍前の水準に戻った。訪日観光客は国内観光客と異なり、鉄道を主とした公共交通かツアーバスでやってくる。皆、下吉田駅前に降り立つので、駅前が大混雑する。これまでにまったく見たことがない光景が生まれていた。2回目の社会実験は、市で進めていた自動運転バスの社会実験と重ねて、この駅に降り立った人たちに徒歩、レンタサイクル、そして馬という3つのモビリティツールの選択肢を提供するとともに、公園から一歩踏み出してもらうために空き工場を活用した場づくりを行ったのである(図4)。
2024年度に入っても、訪日観光客の増加は一向に止まらず、コロナ禍以前よりも多くの人が下吉田駅前に降り立ち、忠霊塔を訪ねるようになっている。また、忠霊塔のある新倉山浅間公園とは線路を挟んで逆方向に、駅から歩いて10分弱の商店街のとある交差点が、富士山のビュースポットとしてやはりSNSを通じて訪日観光客に知られるようになり、そのスポットを目指して少なくない観光客がまちへ足を運ぶようになった。車道の中央から写真を撮りたい観光客の行動が交通安全上の問題となり、市は警備員を配置せざるをえなくなった。場づくりやモビリティを提供する社会実験では人の流れを大きく変えることは出来なかったが、インスタ映えするスポットの出現は、それをみごとに実現させたのである。しかし、ビュースポットを求める観光客がまちを回遊し、お店に立ち寄る機会はまだまだ少ない。そうした状況の中で、私たちの研究室は、地域の方の日常利用に加えて、鉄道駅に降り立ち、帰り際には駅の待合から溢れる観光客、かなりの頻度でやってくるツアーバスとそのピックアップを待つ観光客などで、様々な動線が錯綜し、かつ、鉄道やバスの待ち時間を快適に過ごせる場所が限定的である駅前広場を中心としたえきまち空間の改善・改良をテーマとして、関係者が集う連続研究会を続けている(図5)。観光とくらしが交差するこのえきまち空間を中心としたエリア一帯の将来ビジョンを考えるとともに、11月に駅前交通空間や滞留空間の再編、回遊のしかけづくりを中心とした社会実験を行う予定で準備を進めている。
小さくて、柔らかくて、分散的な取り組みへ
この4年の間に行ったアクションの内容は以上のとおりだが、調査研究を通じて感じたのは、観光まちづくりのビジョンや計画の前提となる観光客の動向が極めて流動的であるということであった。もちろんコロナ禍という特別な事情が絡んでいたわけだが、それだけではない。円安の進行も含む様々な社会経済的動向や周辺観光地の取り組みなどの影響で、観光客の数は変化していく。その変化に対応しながら、観光まちづくりのありかたを検討し、施策を実施するということが求められる。主に定住人口に主眼を置いていた都市計画やまちづくりも、人口減少下の近年では観光客や関係人口を視野に入れるようになった。そこで改めて思い知らされるのは、定住人口は自然増減と社会増減の双方を勘案してもそう極端な動向の変化は示さず、ある程度長期的な予測ができるのに対して、観光客の動向の変動可能性は大きく、変化のピッチも短く、長期的な予測が難しいということである。都市やまちの環境的なキャパシティを、そこにくらし、訪れる人の数に対応させるということを計画の基本とすれば、観光まちづくりにおいては「計画する」ということ自体が非常に難しいと感じている。だからこそ、観光まちづくりにおいてはより戦術的な方法を磨き、そこから長期的なビジョンや計画を徐々に導き出していくプロセスを開発していく必要がある。研究者や大学研究室はその方法やプロセスの実践的開発によって、地域への貢献を果たしていきたい。
富士吉田市では、コロナ禍以前から、中心市街地の空き家となった建物のリノベーションによる新たなまちづくりの動きがすでに各所で行われていた。
夜のまちの一角の放棄された路地全体に手を入れて、再生させるプロジェクトも実施されていた。こうしたリノベーションによるまちづくりは、現在ではあらゆる地方都市で見られるが、従来の大規模な拠点型投資による開発とはまったく異なる、1つ1つは小さな投資で、分散的で漸進的である。コロナ禍が明け、訪日観光客の増加とともに、空き家の再生もまた、勢いを増している。富士吉田市では、ふるさと納税を基金として、空き店舗改修・再生のファンド(富士吉田市まちづくりファンド)をつくり、助成を始めている。タクティカル・アーバニズムの文脈での観光まちづくりとは、単に公共空間や公共交通を対象とした社会実験だけを指すのではなく、こうした民間の1つ1つの応答も含む。もちろん、1人1人にとっては銀行のからの資金借り入れから始まる相当な決断が必要な投資に違いないが、まち全体としては、変化に柔軟に対応する、小さくて、柔らかくて、分散的な投資である。結果として時代の変化に対応できず、各地に数多くの廃墟を残すことになったかつての大規模な観光開発とは一線を画す。まちづくりで蓄積されてきた漸進的にまちを変えていく方法や潮流は、将来が不透明ななかでの観光まちづくりでこそ積極的に適用される。これらを現象論に留めずに、計画論、政策論として組み立てるための支援もまた、研究者や大学研究室に求められているのであろう。
なお、観光客の動向は確かに流動的で、様々な条件によって左右される。
しかし、観光客といっても当然一様ではなく、その中には地域の歴史や文化、生活に関心をもち、何度も訪れて、それらを深く知ろう、地域と交わろう、とする層が必ずいる。変化に対応することも大事である一方、そうした層に着実にリーチし、リピートする人たち、あるいは変わらずにファンで居続けてくれるような人たちを大事にしていくことが何よりも観光まちづくりの基本であることは、念のため付言しておきたい。
中島直人(なかじま・なおと)
東京大学大学院
工学系研究科教授
専門は都市計画。主な著作に『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年)、『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共編著、東京大学出版会、2020年)、『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)、『ニューヨークのパブリックスペースムーブメント 公共空間からの都市改革(編著、学芸出版社、2023年)。