特集⑤ 自然公園における体験への気候変動の影響

愛甲哲也
北海道大学大学院
農学研究院教授

 国立公園をはじめとした自然観光地では、山、海、川、湖などの自然景観を舞台として、様々な活動が展開される。そこでの自然体験は、他の場所や活動では得られない、自然観光地ならではの価値を与えてくれる。しかし、環境収容力を超えた利用や、不適切な利用方法がとられること、受け入れる側の施設や体制の不備、自然環境の特性を無視した施設整備やサービスが、その体験を毀損してしまう。さらに、最近ではこれらの魅力的な場所の多くが、気候変動の影響を受けつつあることが報告されている。その中にはもちろん、温暖化により融解が懸念される氷河や、海面上昇による影響が懸念される海岸などがあり、我が国でも諏訪湖の御神渡りが「見られない光景」になると言われている(Kobayashi,2024)。
様々な自然科学分野の研究で、気候変動による影響が報告され、社会に不確実性をもたらす要因として考えられているが、公園利用や観光の分野での研究はまだ少ない。今後、自然公園等における気候変動の緩和策や適応策を検討するために、研究機関・研究者はどのような役割を果たすべきだろうか。

 国立環境研究所は、大雪山国立公園の「お花畑」の面積の将来予測を行い、現状のペースで温室効果ガスの排出が続けば、高山植生はほぼ消失し、山頂付近まで亜高山帯森林に置き換わる可能性があるという研究成果を報告している (Amagai, et al., 2022)。高山帯に広大にひろがるお花畑、山頂付近のなだらかな斜面が紅葉する風景は、大雪山を代表する景観であり、多くの登山者、観光客が訪れている(写真1)。
温暖化により雪田草原、風衝草原が減少し、ササ群落が増加するという研究結果は、地域の山岳および観光事業関係者の大きな関心事ともなっている。また、近年、大雪山では融雪時期が早まり、それにより高山植物の開花時期も早まっているとの声が関係者からも聞かれる。このような風景を作っている自然環境の変化は、それを目的地とする観光客の行動や観光事業にも大きな影響を与える可能性があるが、その実態の把握と予測はまだ十分ではない。
 ヨーロッパでは、温暖化により特にアルプスでの観光への影響が懸念され、すでに多くの研究の蓄積とそれによる具体的な対応策の検討が行われている。オーストリアでは、1950年以降、積雪期間と積雪深が大幅に減少しており、特にスキーなどのウィンタースポーツとそれに関わる観光事業に大きな影響が及ぶことが予想されている (Pröbstl-Haider, et al., 2021)。
そのため、様々な分野の研究機関と科学者が結集し、気候変動による観光への影響とその適応策を検討して、利害関係者との議論も経て報告書をまとめている。その報告書によると、国家レベル、観光目的地レベル、企業レベル、観光客レベルでの温暖化への適応策が必要とされ、明確なビジョンにもとづき、各セクターが温暖化関連ガスの排出量の削減や省エネルギー、新技術の開発や調達に取り組むとともに、観光客の意思決定を理解した上で適切な情報提供を行うことなどがまとめられている。特に情報提供においては、自然科学分野だけではなく、経済学や環境心理学の分野の知見が必要とされている。観光客がどのように気候変動のリスクや適応策の有効性を認識し、その行動に活かすかという理解、観光事業者への資金援助やインセンティブ、消費者の行動に影響をおよぼすためのコミュニケーション手法、意思決定とトレードオフを明らかにする調査手法の応用などが提案されている。

 我が国では、環境省により2019年に「国立公園等の保護区における気候変動適応策検討の手引き」が発行されている。そこでは、大雪山の高山植生、慶良間諸島のサンゴを事例としてとりあげ、気候変動の影響への適応策を策定する7つの手順を示している(図1)。そこでは、科学的モニタリングと順応的アプローチ、関係者間の合意形成、情報共有や人材育成が必要とされているが、適応策の多くは生態系保全に特化したものとなっている。大雪山ではササ刈りや登山道の管理を登山道からの視認性で優先順位づけをし、慶良間諸島ではサンゴ死亡の予測からダイビングポイントの適地を選択する適応策が事例として紹介されている。基盤である生態系の保全が重要なのは当然であるが、オーストリアの事例にあるような観光事業への経済的な影響、観光客の行動変容についての記述はない。
 知床世界自然遺産地域では、科学委員会において「気候変動に係る順応的管理戦略」の検討がはじまった。特に気温・水温の上昇により、海氷の減少・期間の短期化を招き、それが海棲哺乳類や魚類、海鳥、植生、魚類、陸棲哺乳類に及ぼす影響とリスクを評価し、適応策を検討する仕組みとなっている。この仕組みを可能としているのが、もともと世界自然遺産地域の持続可能な管理のための、アドバイザー組織としての科学委員会、長期モニタリング計画、地域関係者との情報交換・意見交換の場である。
 知床においても気候変動への適応戦略に、観光事業や観光客のことはまだ位置づけられていないが、長期モニタリングにおいて、地域の観光事業者を含む関係者からフィールドの変化などの聞き取り調査を継続して行っている。そこでは、「降雪量や積雪深の減少傾向が認められ、積雪期が短くなっている」「暖冬の影響による(厳冬期知床五湖ツアー)催行可能日数の減少」「温暖化による海水温上昇でエサになる魚が減少し、ウミウ、カモメ等海鳥の断崖での繁殖の放棄」「雪解けが早く、春先のエサだった鹿をクマが狩れない」「リスが隠しておいた木の実等がシカ・クマ等に食べられやすい」などといった記述が散見される。実際に、知床五湖では積雪期の変化により冬期の利用ルートを一部変更した。その他の要因もあり、気候変動による入込数や観光事業への影響まではまだ認識されていないが、継続してモニタリングしていく意義は大きい。
 気候変動の影響を評価するには、長期のモニタリングデータの蓄積、その評価を行う科学的知見、順応的に適応策を実施するための関係者の合意形成が必要となる。しかし、世界自然遺産地域のような体制がとれるところは多くはないだろう。そのため、専門的な知識をもち、経験が豊富な研究機関、各自然観光地を研究対象としている研究者が果たす役割は大きい。日本交通公社では様々な観光動向の調査を実施し、その成果が蓄積・公開されている。例えば、全国の観光資源の評価「美しき日本全国観光資源台帳」に掲載されている景観には、気候変動の影響はあらわれていないだろうか。アメリカの国立公園等では、リピートフォトグラフィーという手法を使って自然景観の経年変化を記録している。筆者も、大雪山などで写真の収集と比較をはじめている(http://lab.agr.hokudai.ac.jp/hsla/aikoh/site/cocoen/index.html)。この将来の予測が難しい時代に過去の変化を振り返り、今後の予測に備えるためには、安定して研究を継続できる組織が必要である。地域の自然環境と景観の変化を記録し、関係者と必要な情報を共有し、一緒に議論をしていく必要がある。自然観光地における気候変動の緩和策、適応策の検討、観光事業の持続可能性を高め、観光客の具体的な行動変容をうながすためには、観光学を含む人文・社会学分野を含む広範な知識が必要とされ、絶え間ない努力と情報発信が求められている。


愛甲哲也(あいこう・てつや)
北海道大学大学院
農学研究院教授
鹿児島県出身。自然公園の収容力、利用者管理、都市公園の計画、市民協働の緑地管理などを研究している。著書に、「自然保護と利用のアンケート調査」「利用者の行動と体験」など。

参考文献○
Amagai, Y., Oguma, H., & Ishihama, F. (2022).Predicted scarcity of suitable habitat for
alpine plant communities in northern Japan under climate change. Applied Vegetation
Science, 25(4), e12694.
Kobayashi, A. (2024) 気候変動により消える可能性のある、世界の「絶景スポット」16選, ELLE,
https://www.elle.com/jp/culture/travel/g46776985/places-may-disappear-soon-240229-hns/(2024.9.9確認)環境省 (2019) 国立公園等の保護区における気候変動適応策検討の手引き, 51pp., https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/library/files/tekiou_tebiki.pdf(2024.9.9確認)
Pröbstl-Haider, U., Mostegl, N., & Damm, A.(2021). Tourism and climate change‒a
discussion of suitable strategies for Austria.
Journal of Outdoor Recreation and Tourism,34, 100394.