特集⑦ 観光研究が果たすべき役割

〜因果関係の厳密な捕捉という観点からの考察〜

守口 剛
早稲田大学
商学学術院教授

 筆者はマーケティングの領域で研究を行っているが、マーケティングを含む社会科学全般で、因果関係の厳密な捕捉ということが大きな課題となっている。観光領域においても、企業や自治体が展開している観光マーケティング施策や観光振興策と観光者行動との因果関係を的確に捕捉することは重要な課題だと思われる。
そこで本稿では、こうした因果関係を的確に捕捉することが観光研究および観光研究者が果たすべき重要な役割だということを、マーケティング研究者の視点から考察する。
 多くの企業が消費者の行動や態度の変容を促すためにさまざまなマーケティング活動を展開している。また、近年では、実務の世界で消費者の購買履歴データや行動履歴データが蓄積されており、マーケティング研究においてもそれらのデータが盛んに利用されている。一方で、こうした現実世界のデータから、施策と反応との因果関係を厳密に捕捉することは、通常は非常に難しい。
 例えば、多くの企業は顧客をターゲティングしてクーポンや割引を提供するといった販促策を実行している。この販促策を実行した結果、クーポンを配布した顧客の売上が配布しなかった顧客に比して大きく増加したとしても、両者の差のすべてがクーポンの効果であるということはできない。企業が販促策を実施する場合には、通常は対象製品を買いそうな顧客をターゲットとするはずであり、それらの顧客はたとえクーポンが配布されなかったとしても高い売上を達成した可能性がある。このように、現実のデータを利用して施策効果を測定する際には、施策自体が偏った顧客に対して実施されているといったバイアスが存在することが通常であり、そのことを考慮した分析が必要となる。
 このようなバイアスの存在を考慮しながら、マーケティング活動と消費者反応との間の因果関係を的確に捕捉するためには、因果推論と呼ばれる分析手法を適切に利用することや、調査・実験を精密に計画・実行することが必要となる。一方で、これらを実行するためには高度な専門知識が必要となるため、因果関係を厳密に捕捉することは研究者が果たすべき重要な役割の一つだと考えられる。
 因果関係の厳密な捕捉の重要性は、例えば医学では古くから強く認識されており、RCT(Randomized Controlled Trial: 無作為化比較試験)などの方法論が発展してきた。RCTは、対象者を完全にランダムに複数のグループに分割し、テスト群には調査対象となる薬を飲んでもらい、コントロール群には偽薬(プラセボ)を飲ませて、その上で二つのグループの比較によって薬効を検証するという方法である。
 RCTの一例として、ファイザー社による新型コロナワクチンの臨床試験を紹介する。ファイザー社は臨床試験によって、約2万人のワクチン接種群と同数のプラセボ接種群における接種後の発症者数や重症者数などを確認した。その結果、観察期間中に新型コロナを発症した人がワクチン接種群で8人、プラセボ接種群では162人だったという。ワクチン接種群の8人という数値は、プラセボ接種群の162人の約5%であり、ここからワクチンの有効性= 95%という値が算出された。これは、ワクチン接種によって、新型コロナの発症リスクが95%減少したことを意味している。
このような効果を厳密に測定するための最も優れた方法がRCTだとされている。
 近年は社会科学全般の領域においてRCTを利用した研究が増加している。例えば、2019年のノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジー、エステール・デュフロ、マイケル・クレマーという3人の経済学者は、世界の貧困削減に対する政策評価をRCTの手法を用いたフィールド実験(ランダム化フィールド実験とも呼ばれる)によって検証してきた。マーケティング研究においても、ランダム化フィールド実験が近年非常に多く利用されている。
 インターネット業界の多くの企業は、A/Bテストと呼ばれるランダム化フィールド実験を日常的に行っている。例えば、特定の製品の説明ページとして、AとBの2種類を作成し、サイト訪問者に対してランダムにどちらかのページを提示する。そして、2つのグループのクリック率や購入率を比較することで、ページデザインの効果を見ることができる。
 もちろん、クリック率や購入率は、ページデザイン以外の要因、例えば、訪問者の属性、訪問者の嗜好や選好、サイトを訪問した曜日や時間帯、利用したデバイスや通信速度などの、さまざまなことに影響される。しかし、AかBかへの割り付けをランダム化することにより、理論的にはこれらの要因はグループ間で同等となる(ただし、各グループ内の人数が少ない場合には偶然の偏りが生じる可能性が少なからずあるため、ある程度多くの人数が必要となる)。そして、理論的に偏りが生じないという利点は、観測可能な属性だけではなく、観測不能な要因についても成立する。したがって、実験の結果得られた購入率などの結果をグループ間で比較することによって、バイアスのない要因効果を測定することが可能となる。
 A/Bテストを用いてWebサイトを改善した有名な事例として、2008年のバラク・オバマ陣営の大統領選挙キャンペーンがあげられる。彼らは、キャンペーンサイトのトップページの画像とコンバージョンページへの誘導ボタンのデザインを、A/Bテストによって検討した。この結果、オリジナルのデザインに比して、改善されたデザインのコンバージョン率が約40%向上したという(出典:Optimizely社Webサイト)。
 このように、ランダム化フィールド実験は、現実のフィールドにおいて消費・購買を行っている消費者をランダムにグループ化した上で、要因と結果とのクリアな関係を捕捉する方法であり、多くの優れた性質を有している。
一方で、現実の場面では対象者をランダムに分割して実験を実施することが、物理的または倫理的な問題で難しい場合も多くある。そのため、属性や条件が類似しており比較可能なテスト群とコントロール群を既存データから選定するマッチング法、通常の環境でたまたま生じた実験のような状況を利用する自然実験などの多くの代替的方法が研究されている。また、既存データを分析する際に上記のようなバイアスを排除するための手法について、因果推論などの領域で研究がすすんでいる。
 上述したように、因果関係を厳密に捕捉することは、学術と実務を問わず多くの領域における極めて重要な課題であり、このことは観光領域でも同様のはずである。日本経済における観光産業のウエイトが大きくなるにつれ、観光振興策の重要性が高まるとともにオーバーツーリズムなどの問題も顕在化している。これらを解決するための施策がさまざまに講じられているが、その効果を正確に把握し改善効果を向上させていくことは、観光産業だけではなく日本の社会全体にとっても重要な課題である。このような観点からも、観光に関連する施策効果を厳密に測定することは、観光研究および観光研究者が果たすべき重要な役割だと考えられる。

*本稿は、守口剛(2018)「消費者行動の実証研究に関する現状整理と課題」『消費者行動の実証研究』序章(中央経済社)の一部を参考として執筆したものです。


守口剛(もりぐち・たけし)
早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学政治経済学部卒業、東京工業大学大学院博士課程修了、博士(工学)。立教大学などを経て、2005年より現職。早稲田大学商学研究科長、日本消費者行動学会会長、日本商業学会副会長などを歴任。主な著書に、『プロモーション効果分析』朝倉書店、『マーケティング・サイエンス入門』有斐閣アルマ(共著)、『消費者行動の実証研究』中央経済社(共編著)など。専門はマーケティング、消費者行動論。