特集⑥ 不確実な世界を記録し議論し試行錯誤する
〜変わらない風景と変わる地域・人から考える〜
山本清龍
東京大学大学院
農学生命科学研究科准教授
変わらない風景が生み出す誇り
団塊ジュニア世代の筆者にとって、かつて音楽界を席巻したヒットメーカー小室哲哉は避けたくても避けられない存在である。古い話だが、2016年の末に彼が自身のサウンドの原点となった英国ロンドンを歩き、曲作りの秘話を振り返るテレビ番組が放送された。彼に対する好き嫌い、評価はさまざまあるとは思う。しかし、彼が番組の中で語った「(ロンドンは)歳を取ることが嫌じゃないって思わせてくれる」という言葉が絶妙だったのである。小室も歳を取ったなあと思いつつ、何とも味わい深い言葉である。日本は歳を取ることを悪いことだと思わせてしまう国なのか。近年は累積債務、少子高齢化、人口減少、地方の疲弊・消滅、地域資源の管理の担い手不足などの問題が繰り返し語られ、いかにも国の将来は暗い。とくに人口ピラミッドを見れば、誰しもが、将来予測として示される高齢者と生産年齢人口の比率のアンバランスに悲鳴を上げたくなるだろう。年寄りが若い世代に負担をかけることが一目瞭然の構図である。これでは、まったくもって加齢が悪となりかねない。
しかし、一般論で考えても加齢そのものは悪ではない。年寄りは家の宝、医者とみそは古いほど良い、ということわざのとおりである。経験に裏打ちされた知恵はなかなか捨てがたい。2014年の3月、フットパス(歩くことを楽しむための道:footpath)を視察するため英国を訪れる機会を得た。感染症拡大前には毎年のように、学生と一緒に3週間ほど米国の国立公園歩きをしていたこともあり、訪問前の私は明らかにアメリカかぶれだった。英国に対し筆者が持っていた印象は、歴史上最も領土を広げたかつての帝国、まじめな国民的気質、おいしくない食事、山のないつまらない国。しかし、ロンドンで車を借りて高速に乗った瞬間から驚きの連続だった。まず、高速道路にはコンクリートが見当たらない。正確には、見えないように工夫されているのだが、一般道に出ても日本によくある白いガードレールがない。
狭い道のカーブに差し掛かるときちょうめんに積まれた高さのある石垣が迫り、怖さを感じるものの、走っても走っても気になる人工物がないのである。
聞くところによると、訪れたコッツウォルズ地方(写真1)では、地域のボランティアらが年々風化する石垣を維持・管理し、丁寧に新たな石を積み直しているとのことだった。かかるその費用も相当なもの。しかし、それゆえに、近景から遠景までのびやかに素晴らしい田園風景が続き、石を基調とする古い街並みと調和する。地域における文化的景観の持続性の強さ、強靱さがある。2018・2019年の統計によると住宅の耐久年数は、日本で39年、米国で56年、英国で79年という調査結果がある。短期間で劇的にスクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた日本の街並みでは到底かなわない。さらに、パブに入ると、地場のハーブを使った食事とともに地方自慢を聞くことに。
当時筆者が住んでいた北東北に比べ、大した農産物もないくせにと内心では思いつつも、パブを出て、顔が認識できないほどに暗い照明の町の通りを歩きながら、「ロンドンの何が面白いの」と言わんばかりの老夫婦のわが町への誇りに触れるとさすがにこたえた。が、同時に、うらやましくもあった。
2011年の東日本大震災からの復興に取り組む中でずっと感じてきたことではあるが、人は自身の生きた場所、空間に変わらないものを求め、また必要としている。英国で見た簡単には変わらない風景は、緻密な維持、管理によって長い時間をかけて少しずつ変わりゆく風景でもある。しかし、明らかに、生きることへの安心感、地域に対する誇りの醸成に一役買っている。変わらない=時代遅れ、と思いがちであり、ともすると変わらないことへの不安すらある。ところが、変わらない風景を見ることは、自分自身を長い時間軸の中で相対化し、定置することができ、そのおかげで楽しく歳を取っていけるのではないか、そんなふうに思わざるを得ない。
変わる地域と人の意識・志向
前述のコッツウォルズ地方の体験からちょうど10年が経過した。
実は今、イングランドの田舎町に滞在しこの原稿を書いている。都市部とは異なり、郊外・田舎の自然風景は相変わらず霧と17世紀に成立した牧羊地が多く変わらない印象であるが、レンタカーはガソリン給油と充電の併用の車が見られるようになった。また、フットパスの起点に位置する駐車場の料金支払機では、一部でまだ現金のコインのみを扱うものの、多くはスマートフォンのアプリと連携してキャッシュレスで支払う仕組み(写真2)が導入されている。さらに、城や宮殿などの人気観光地は予約制が導入され、行き当たりばったりでは受け入れてもらえない。英国の高齢者たちも見事にアプリを使いこなし、町や大自然を楽しんでいる。知らぬ間に、大なり小なり観光地の旅行者受け入れの仕組みは確実に変化したという印象である。
この10年を振り返ると、自然災害の発生、新型コロナウイルス感染症(COVID‐ 19)の流行(パンデミック)、戦争の勃発、物価高騰など、観光をとりまく環境には予測不能な事象が数多く発生し、観光産業だけでなく旅行を楽しむ人も大きく影響を受けてきた。とりわけ、パンデミックでは旅行が制限され、観光産業が大きく停滞し、日本の観光地の多くの宿泊施設、飲食店が閉業に追い込まれたことは記憶に新しい。また、筆者もしかりであるが、世界全体を覆うほどの暗い影と向き合うことに驚かされ、落胆した人は多いと思う。その一方で、その後の急速な観光の復興、旅行者の急増は世界各地で様々な問題を引き起こし、パンデミック前から議論されていたオーバーツーリズムをもう一度捉え直そうとする議論が盛んである。事実,今年8月末にダブリンで開催された国際地理学会では、オーバーツーリズムに苦慮する観光地において新たな来訪者管理制度を導入する事例や規制の強化を図る事例が数多く発表された。観光地は重要な資源の保護を図りつつも、コロナ禍を機にIT化、ICT化、DX化等を進めている。地域が独自の財源を確保するだけでなく、来訪者の意識や行動をデータ化し、来訪者管理戦略を立案できるようになりつつある。その観点から、日本はどこまで前に進んだのか気になるのは私だけではないだろう。
変わるのは、観光地を訪れる人の意識も同様である。産業革命後には自然回帰の意識が萌芽したことはよく知られるところであり、わが国では明治維新と廃仏毀釈の後には文化財保護の必要性が叫ばれ、一部は近代的保護制度の基礎となっている。また、高度経済成長と自動車観光の一般化の中で日本の国土の多くがリゾート開発の対象となったが、批判と同時に、当時の国民意識としてそうした空間が求められていたことも理解する必要があるだろう。さらに、大規模な地震、津波などの自然災害の後には安全に対する意識が高くなり、自然が持つ恵みと脅威にどのように向き合っていくのか、態度の変容を迫られることになる。このように、社会変革や自然現象が人の意識を変えてきたことは歴史が示すとおりである。観光の領域においても大量消費から持続可能な消費へ、見るからする(体験)へ、周遊型から滞在ふれあい型へなど、人や社会が求める変革が運動となり、旅行者の志向が変わってきたことは周知のとおりである。
不確実な時代の研究者と「学」の役割
予測が難しく不確実な時代において、観光に関わる研究は何をすべきか。たとえば、危険事象には地震、津波、火山噴火、疫病等があり、さらに、気候変動に関連して台風、豪雨、干ばつ等は極端な事象となるだけでなく頻度が増加し、リスクが増大する。観光学がこうした事象の機序の解明に関わることは少ないが、前述のパンデミックは特定の業種、産業に大きな負の影響をもたらしており、影響の大きさや講じられた対策の効果を記録、検証しておく必要があるだろう。そうすれば、次のパンデミックが起きても影響の最小化、早期の復興を図ることができる。
また、風景計画、観光地計画の立場から考えると、一見変わらない風景を維持し支えているのは人々の生活や生業、産業であるが、そうした地域の営みの変化は見えづらく無自覚になりがちであり、危険事象に対しても脆弱である。筆者は阿蘇(写真3)の草原再生、観光復興への貢献を意図した研究に取り組んだ経験があるが、牧畜、野焼き、採草の活動の低下により草原が縮小する中、熊本地震、パンデミックが観光産業に打撃を与え、現在もまだ復興途上である。地域に関わる際には、旅行者が訪れる地域が持つ価値は何か、守るべき価値は何か、その価値に対する脅威は何か、これらの最重要の論点に関わる議論を喚起することに研究者の役割がある。
さらに、人の意識や志向と観光地の受入体制は相互に関係性があり変化する。研究者はその変化に敏感である方がよいと思われるが、「学」としては経験を知識や知恵として体系化し、他の事例に応用可能かについての試行錯誤を後押しすることが
重要である。たとえば、英国の国立公園は日本のそれと同様に公園内に人が居住する地域制であり、公園内に進入できる道路が多数あるため米国で見られるようなゲートはなく入園料を徴収していない。しかし、先に触れた駐車場の料金はアプリと連携して支払いやすく工夫され、自然保護に役立てられ、訪問者に経済的負担をお願いする仕組みがある。実際には壊れていたり不完全なシステムと思われる箇所がいくつもあったが、ある程度のエラーは許容するぐらいでよいのではないか。2022年の北京オリンピックの女子カーリング決勝は日本と英国で争われ、緑茶と紅茶を愛する島国同士の戦いと揶揄されたが、英国は2021年のコロナ禍のまっただ中にサッカーの試合を開催し、感染者数の拡大を検証する社会実験を行っている。英国には試行錯誤を許容し挑戦する社会があり、日本にはないと小言を言いたくなるのは私が歳を取りすぎたせいかもしれない。
山本清龍(やまもと・きよたつ)
東京大学大学院農学生命科学研究科准教授
1973年高知県生まれ、51歳。東京大学大学院農学生命科学研究科助教、岩手大学農学部准教授を経て、2017年10月より現職。東京大学博士(農)。造園学と観光学を専門領域とし、世界遺産、国立公園等の保護地域、観光地を研究フィールドとして環境保全、空間計画の方法論について研究を進めている。現在、日本観光研究学会常務理事・学術委員会委員長を務める。
主要参考文献○
1…日本造園学会・風景計画研究推進委員会監修、古谷勝則・伊藤弘・高山範理・水内佑輔編集(2019):実践風景計画学:朝倉書店、45-48
2…山本清龍(2017)変わらない風景ー地域の誇り醸成に一役:デーリー東北新聞2017年1月31日三社面
3…西村幸夫(2005):都市風景の生成ー近代日本都市における風景概念の成立:ランドスケープ研究69(2),118-121