特集④ 「リゾート」研究に関する一考察
〜四方山話から見えてくるもの〜
梅川智也
國學院大學
観光まちづくり学部教授
貧弱なわが国の滞在型観光地(リゾート)
最初に学んだ観光学の初歩は、日本人の旅行には2つのタイプがあり、その1つが「周遊型旅行」、そしてもう1つが「滞在型旅行」であるということ。日本人の旅は、もともと狩猟や修験、参拝に始まり、大衆化した江戸時代には、全国に整備された街道をいかに早く目的地に到着するかが重要であった。従って、宿場町では、疲れを癒やしたら、翌朝には出発するという旅行形態となった。宿場町で2泊も3泊もしていたら何をしているのか逆に疑われてしまう、つまり「一宿一飯」が基本で、今でも観光地にはその名残があるように感じる。
むろん明治以降、日本の観光が鉄道の整備とともに発展していった歴史を考えれば、「周遊型旅行」が基本となっていったことは明白であるが。
一方で、滞在型といえば、これは古い歴史をもつ「温泉湯治」と明治以降の「別荘滞在」である。ただ、これも交通機関の発展や都市化、工業化社会の進展によって、戦後、急速に衰えてしまった。つまり、いずれの旅行形態にも「滞在」の要素が少なくなり、むしろ滞在されると困るといった日帰りや1泊2日型の観光地が多くなっていたのではないか。
2回の滞在型観光地づくりの波
わが国の戦後の観光政策で、滞在型の観光地開発(リゾート開発)を指向した時代が2度ほどあった。1つはオイルショック前の1970年代、新全総(新全国総合開発計画)の時代であり、2度目が1980年代、四全総、
バブルの時代ということになる。いずれの時代もまだ観光需要が右肩上がり、施設を整備するだけで人が来ると言われた時代である。リゾートに関する研究も盛んに行われた。特に最初の段階では、1960年代以降にフランス政府主導で開発を進め、少しずつ姿を現しつつあったラングドック・ルシヨンがモデルとして研究された。リゾートの開発・建設というハードだけでなく、1930年代から制度の充実が図られた長期休暇制度・バカンス法というソフトも研究の対象であった。
リゾートという受け皿の整備と需要安定化の制度づくり、これは両輪で機能するのに、いつの間にか後者は忘れ去られてしまった。余談になるが、いまだに日本政府はILO132号条約(図1)を批准していない。
私の「リゾート」研究・第一歩
個人的な話で誠に恐縮なのだが、私が初めて取り組んだリゾート研究は、学生時代に行った『スキー場の選択要因に関する研究』だ。東京・お茶の水のスポーツ店にスキー用品を購入しに来たスキーヤーをサンプルとして、当時ようやく大学に導入された(株)日立製作所の大型コンピューター「HITAC8300」を使って「重回帰」や「数量化理論」の計算に取り組んだ。今ではポピュラーになっているが、当時は珍しかったSPSS(統計パッケージ)が無料で利用できたのは有り難かった。とはいえ、パソコンもなければ、Lotus1-2-3もExcelもない時代、メモリーがないのでデータは紙のパンチカードだ。1枚が1サンプル。毎回、大量のパンチカードを大型コンピューターに読み込ませてから計算が始まる。夜中に仕込んでおいて朝方には打ち出しが終わっているものと期待してコンピューター室に行くと、プリンター用紙が絡んで詰まっていたことが度々あった。それでも夢中でコンピューターに向かった。昔話になってしまったが、当時のリゾートの需要側(消費者研究といってもよい)研究はそんな状況だった。
最先端だった日本交通公社のスキー場開発計画技術
スキー場のプランナーになりたかった私は、(財)日本交通公社の調査部門(以下、財団)に採用された。当時、財団には採用人事の部署がなかったため、(株)JTB(当時は(株)日本交通公社)の採用試験、面接試験を受けた。最終面接で当時の社長から前年にオープンしていた北海道のトマムについて尋ねられたことを記憶している。
当時、トマムのリゾート開発計画を財団が受託していることが耳に入っていたのであろう。
当時の(株)日本交通公社は全国にスキー場を開発・経営しており、札幌市内の札幌国際スキー場を開発し、開業したばかりであった。財団がマスタープランを策定し、(株)札幌リゾート開発公社に出向者を出して計画から運営までのノウハウを蓄積していた。特に秀逸だったのは、スキー場の需要予測モデルを構築し、科学的な計画技術を有していたことだ。スタッフの大半が社会工学やランドスケープの出身で、これまでの「勘と経験」に基づく観光振興から、データに基づくリゾート開発計画の策定というレベルに至っていた。
蛇足になるが、国鉄民営化後最初のビッグプロジェクトであったJR東日本のGALA湯沢スキー場誕生をめぐる経緯を開業時の社長である山岡通太郎氏が『GALA・ビジネス創造の物語』(情報センター出版局)の中で、「入り込み調査の権威といわれる日本交通公社に需要予測を依頼したが、タダではできないと断られた」と書いている。実際には発注ではなく、無償での協力依頼であった。
「リゾート開発研究会」の設立
我々としては2回目の長期滞在型観光地づくりのチャンスが到来したとの認識があり、四全総、そして続く「総合保養地域整備法(通称リゾート法)」の制定には大きな期待をしていた。法の目的は3つ、国民の余暇活動の充実、地域振興、民間活力導入による内需拡大である。当時、日本の自動車輸出が米国の貿易赤字の大半を占めるという異常事態下に、円高誘導のプラザ合意と同時に進められた経済政策、内需拡大政策の1つがこのリゾート法というわけだ。純粋な観光政策ではなく、経済政策から派生した観光政策は、結果として歪んだものになるということをはじめて理解した。
財団が「リゾート開発研究会(以下、研究会)」という産官学金の会員から構成される会員組織の事務局を引き受けたのは1987年6月3日。これも個人的な話となるが、当初は1年間だけと言われて担当を引き受けたが、幸か不幸か15年間も務めてしまった。
この研究会は、梅澤忠雄氏、渡辺貴介氏、原重一氏の3名が中心となって設立された。名誉顧問が伊藤善市、鈴木忠義、津端修一、八十島義之助の4名、顧問に弁護士、評論家、大学教授など16名、政策アドバイザーとして当時のリゾート法の所管である6省庁に加えて経済企画庁、環境庁、労働省(いずれも当時)などが参画していた。会員は民間企業と構想策定主体である道府県であり、最大で93+9会員の102会員(1990年)を擁する大組織であった。
ハード優先、利益優先の民間企業に対して、いかに「適切」なリゾート開発を推奨するか、その指南役を果たすことが組織の目的であった。
創設から約1ヶ月後、7月20日に開催された第1回シンポジウムは特に記憶に残っている。「民間活力とリゾート開発」をテーマに、顧問の東京工業大学渡辺貴介氏(故人)が「今、なぜリゾートか」と題して講演を行った。そのときに提示された10の期待(図2)は今でも通用すると考えている。
「リゾート研究」のメインストリームは海外研究に
研究会の活動は、2ヶ月に一度の定例研究会と年に一度のシンポジウム。リゾート研究のメインストリームは「海外から学ぶこと」であった。最初の国内視察は、当時日本に初めて導入された地中海クラブ(現在のクラブメッド)・サホロである。オールインクルーシブのシステムやG・Oと呼ばれるスタッフのシステムなど学ぶ点は多かった。第2回は会員でもある三菱地所(株)が開発した宮城県のオニコウベスキー場である。
スキー場だけでなく、ホテル、ゴルフ場を備えた総合リゾートで、特にホテルは財団も基本計画策定に参画したが、チロル地方を参考にしたもので施設水準の高さと快適空間についてを学んだ。
そして、最初の海外視察は、「北米のスキーリゾート」であった。ユタ州のパークシティ、ディアバレイ、コロラド州のアスペン・スノーマス、ベイル・ビーバークリーク、ブリッケンリッジ、キーストン、カナダのウィスラー・ブラッコム、レイクルイーズ・サンシャインビレッジなど。グルーミング技術やスキーイン・スキーアウト、スキーセンターの設計、年間パスのシステム、ベースタウンの機能配置など学ぶべき点が多く、日本にはスキー場は数多くあるが、スキーリゾートはないに等しいということを実感した。
こうした海外研究は機関誌『リゾート開発』の記事(図3)にまとめられている。
注目された3つのリゾート研究
80〜90年代、私はリゾートに関する調査や計画策定など実務面の業務に追われていたが、次の3つのリゾート研究は記憶に残っている。
①東京工業大学
渡辺貴介研究室による一連の「リゾート研究」
国内では関東周辺の別荘地に関する研究、海外ではリゾート都市に関する研究である。前者では安島博幸氏や十代田朗氏、後者では大学院生が修士論文として取り組みカンヌやニース、ブライトン、フロリダなどのリゾート都市がどう発展、展開していったのかが明らかとなった。
②都市計画家
梅澤忠雄氏による「大規模リゾート開発」
東京大学都市工学科を首席で卒業し民間の都市計画コンサルタントとなった都市計画家・梅澤忠雄氏のリゾート研究は、フランスのラングドック・ルシヨンやアメリカのラスベガスやオーランドなど大規模リゾート都市開発がメインであった。海外研究をベースにリゾート開発ブームを巻き起こした仕掛け人として記憶されている。
③大規模リゾート批判
としての農村リゾートと『リゾート列島』
1990年、熊本大学佐藤誠氏が刊行した『リゾート列島』(岩波新書)は、社会に大きなインパクトを与えた。空前のリゾートブームと言われた時代に金余り現象、巨大開発、自治体による誘致合戦などの社会病理性に警鐘を鳴らした意義は大きかった。さらに日本型リゾートのあり方として農村リゾートを提示し、理想のリゾートライフのあり方を模索した。
学術研究としてのリゾート研究
「科学技術情報発信・流通総合システム」で「リゾート」を検索してみると、2024年8月現在、全776件がヒットする。「ジャーナル」6952、「会議論文・要旨集」520、「研究報告・技術報告」267、「解説誌・一般情報誌」380、「その他」3。著者のベスト5は、十代田朗( 39)、宇多高明( 36)、呉羽正昭( 20)、渡辺貴介( 18)、砂本文彦( 15)。資料名のベスト5は、都市計画論文集(183)、農業土木学会誌(169)、日本建築学会計画系論文集(145)、農村計画学会誌(112)、人文地理( 98)。発行年では2017年(269)、1991年(268)、2018年(263)、2019年(263)、1993年(254)となる。
「国立国会図書館デジタルコレクション」から「リゾート」を検索してみると、12824件がヒットする。その中で博士論文は35件、その概要は(図4/P 18)の通りであり、工学が多いものの、農学、経済学、法学、文学、環境科学、理学など多彩な分野で研究されていることが分かる。
終わりに
観光に関わる研究領域は、全般的に「学術」と「実践」が相互に影響し合う関係にあると認識している。その1分野である「リゾート」は、その必要性は理解されても、開発のあり方や手法に批判が集まり、バブル崩壊以降30年近く「リゾート」という言葉自体、使いづらい時代が長く続いてきた。その間に行われてきた学術研究(「博士論文」)が先述のわずか35本である。一方、実践の方ははるかに進んだものと推察している。少なくとも海外で「リゾート」という言葉自体が使いづらいなどということはなく、需要に応じたリゾート開発、リゾート投資が進められてきた。
観光立国を標榜し、国際水準の観光地づくりが目標とされる中で、改めてバブル以降の失われた30年の「リゾート」、「リゾート開発」に関する研究が行われることを期待したい。特に遅れていると感じる観光地の外部環境の整備、観光地全体の快適空間性、具体的には植栽や景観、看板・サイン、照明などのデザイン技術、あえて古くみせるエイジングや土地が持つバナキュラーな雰囲気づくりの技術などリゾートでの知見が、観光地の「空間の質」を高める方向に寄与するものとなることを望みたい。
梅川智也(うめかわ・ともや)
國學院大學
観光まちづくり学部教授
(公財)日本交通公社で約40年近くリゾートと観光地の活性化や再生に取り組む。2018年、理事退任後、立教大学観光学部特任教授を経て2020年4月から現職。観光計画、観光政策、観光地経営、観光まちづくりが専門。東京女子大学非常勤講師。観光庁、文化庁、三重県、神奈川県などの委員を務める。著書に『観光まちづくりの展望』、『観光地経営の視点と実践』、『観光まちづくり』、『観光計画論』など。技術士(建設部門/都市及び地方計画)。