視座 VUCAを切り拓く観光研究

公益財団法人日本交通公社
理事・観光研究部長・旅の図書館長
山田雄一

1990年代後半に生じた社会変化

 私が、公益財団法人日本交通公社に入職したのは1998年。すでにバブル景気は崩壊していたが、国内旅行市場は横ばいの状態が続いていた。
 その後、国内旅行市場は減少へと転じ、バブル期に投資されたリゾート施設、大型旅館などの倒産が相次ぎ、金融機関の信用不安も拡がっていった。バブル期に地域振興の手段として注目され、輝いた存在だった「観光」や「リゾート」は、社会的に忌避され社会の停滞を招いた元凶として扱われることもあった。
 一方で、同年、韓国では当時の金大中大統領が文化大統領宣言を行うとともに、自らが観光PRのコマーシャルにも出演し、観光や文化を経済開発の主軸におくことを宣言していた。現在、「韓流」は、国際的なコンテンツとなっているが、その源流は、この大統領宣言に求めることができる。
 また、同時期の米国は、1970年代後半に始まった不景気からいち早く回復していたが、その回復に合わせ経済の主軸をITや金融といったサービス産業にシフトさせていた。それには、ホテルやレストランといった観光事業(ホスピタリティ・インダストリー)も含まれており、その経営技術は飛躍的に向上した。
 これは世界的なホテルチェーンの競争力を高める原動力となったが、日本国内では、1998年に「資産の流動化に関する法律」、いわゆるSPC法が制定され、その後、2000年には「投資信託および投資法人に関する法律」が制定され、いわゆるファンドによって、所有と経営を分離した宿泊事業が国内でも展開可能となった。
 さらに、欧米において1995年頃にはオープンスカイ政策が進み、海外ではサウスウェスト航空、ライアンエアーが登場。日本でも1998年にスカイマーク、AIRDO、2002年にスカイネットアジア航空(現在のソラシドエア)が就航し、移動環境に劇的な変化がおきた。
 同時期は、インターネットへの接続機能を標準装備したWindows 95(1 9 9 5 年)、W i n d o w s 98(1998年)の発売とも重なる。当時は高額であった通信回線も旧日本電信電話公社による1988年のINSネット64のサービス開始、2001年の光ファイバーによるFTTH・メタル回線によるADSLの双方の家庭向けサービスの開始により、インターネット時代が幕開けした。ネットが全世界に普及したことで環境や人権に対する意識は高まっていくことになる。
 また、この時期は、起きると期待されていたことが起きなかった時期でもあった。それは、第3次ベビーブームである。第2次ベビーブーマーの年齢から、2000年前後に第3次ベビーブームが起きると推測されていたが、全く起きなかった。日本の総人口が減少に転じるのは、2000年代後半になってからだが、それはすでに2000年前後には確定していた。
 もし、歴史に転換点というものがあるとするならば、2000年前後は、まさしく、そのタイミングであったと言えるだろう。
 ここで生じた「変化」は、その後、四半世紀をかけて、様々な形で社会を変えていった。

VUCA時代の到来

 軍事用語であったVUCA(Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性))がビジネス用語として使われるようになったのは2010年代である。
 これは、社会経済をとりまくパラダイムの「変化」の余波によって、社会がどんどんと変わっていき、将来展望や意思決定を従来からの延長線上で行うのではなく、ゼロベースで行う必要が出てきたことを示している。
 これは観光領域においても同様である。
 例えば、2000年頃まではIATAによって航空事業は制御されていたが、オープンスカイ政策による自由化によって、競争環境は激変した。それまでは政府との関係性が重要であったが、自由化された後は顧客からどれだけの支持を得ることができ、集積をどれだけ確保できるかが経営の重要な課題となった。これによって、価格設定は大きな変化を起こしただけでなく、航空券の流通も代理店を介さない直接販売へと切り替わった。さらに、LCCの台頭は、従来のハブ&スポーク型の航路設定ではなく、ポイントtoポイントのダイレクト便を増やすことになり、地域では、都市部と繋ぐダイレクト便の確保が重要となった。また、不動産証券化に伴う投資ファンドの登場と、オペレーションに特化した事業者の登場は、宿泊事業を特定地域に依存する事業から、横展開可能な事業へと転化させ、個社の経営力が競争力を規定するようになった。
これによって、人気の観光地には多量の投資が行われ、短期に大量のベッドが供給されるようになったと同時に、「宿泊事業者は地場の事業者」という構図は崩れ去った。宿泊費は、観光費用の中でも高額であり、宿泊施設の雇用や原材料調達などは、地域に大きな経済波及効果をもたらすものとされていたが、地域外の資本が所有し、運営するようになることで、この図式も変わっていくことになった。
 さらに、ネットの普及がもたらしたSNS時代の到来は、旅行商品の流通も大きく変えた。物理店舗を持ち、旅行パンフレットを使って商品販売を行っていた旅行代理店のウェイトが減り、代わりに個人がネットを介して事業者と直接、または、ネット上の代理店(OTA)を介して繋がるようになった。これによって、地域や事業者も、個々に顧客と繋がる必要が出てきた。
 その顧客においては、高い旅行経験値を持つ人々とそうでない人々の格差が増大していったためで、観光の多様化が進み、様々なツーリズムが求められるようになった。さらに、国際的な人流が増大したことで、訪日客も急増し、様々な文化、風習を持った人々への対応も必要となり、そのうえLGBTQや環境問題など、人権や国際課題も観光に関係してくることになった。
 総じて見ると、それまで国や団体によって、一定の枠のなかで予定調和的に推移していたものが、個々人の意思や行動を主体にしたものに移っていったことで、社会の様々な断面が多様化してきている。しかも、その多様化した各系統はさらなる分派や変容を常に繰り返しており、その変化が玉突きとなって、様々な社会事象に連鎖的な変化を及ぼすようになっている。
 そのため、少し前の常識や、それに基づいた法制度、行政施策では、現状課題に対応できない状態となっている。
 例えば、北海道の倶知安町は、海外からの不動産投資が盛んな地域として知られ、同時に、乱開発、バブルと呼ばれることが多い地域である。現状、投資に伴う不動産開発がスプロール化していることは事実であるが、同時に、その制御をできない理由もはっきりとしている。それは、投資が行われている地域のほとんどすべてが、準都市地域であり、都市計画的な手法(規制及び誘導)がほとんどできないからだ。
都市計画法は、都市の健全な発展のために制定された法制度であり、都市の現状に合わせて様々な改良がなされてきたが、あくまでも、その対象は「都市」となっており、リゾートは、その対象ではない。倶知安町の場合も、駅周辺の市街地は都市計画区域であるが、リゾートエリアであるヒラフなどは、準都市地域にとどまっている。そのため、一定規模以上の投資となると、開発行為となり倶知安町を飛び越え、北海道に判断を委ねることになるが、明確な違法事項がなければ許可は出されることになる。
 こうした構造は、「都市」ではないところに多大な投資が行われ、擬似的に都市化していくということを、現行の法令が想定しておらず、地方自治体も予測していなかったということを表している。
 そもそも、都市と地域という二元的な整理は、産業革命以降の発想、常識である。産業革命以前の農業社会においては、都市は支配層の居住地として政治や経済の中心ではあったが、多くの人々は地方部に居住していた。多くの人々には居住や職業の選択権は無かったから、都市部への人口流入も起こり得なかった。それが、産業革命と同時に進行した民主化の動き(市民革命)によって、我々は居住や職業選択の自由を獲得すると共に、都市部に工場などの集積が進んだことが、都市への人口流入に繋がっていった。しかしながら、ネットによる情報革命の到来は、就業や就学の場所と居住地とを一緒にしなくても良い時代の到来を告げている。

特集との関わり

 特集1の熊谷氏は秋田県に若者の移住や、訪日客の来訪が増えていることを指摘し、その需要を持続的に取り込んでいくことを地方の課題としている。また、特集3の中島氏は富士吉田市という観光要素を備えた地方中小都市での取り組みを事例に「小さくて、柔らかくて、分散的な」まちづくりを提唱している。また、特集4の梅川氏は「リゾート」を取り上げ、その概念の変遷について整理しながら、今後の都市でも地方でもない滞在空間づくりを提言している。いずれも、「人」を中心とした時に、人が集まる「都市」の定義が変わっていること、その定義の変化を「観光」が支援する、または、媒介する可能性があることを示している。
 この「人」を介した地域との関わりについて言及しているのが、特集2の西山氏である。西山氏は、観光と地域との関わりの変遷を整理しつつ、今後、観光は、さらに公益性を高めていく必要性を指摘し、それに対応したデスティネーション・マネジメントの深化について提言している。需要となる「人」も、受け入れ事業者のビジネスモデルも、地域が置かれている状況も大きく変化しており、今後も変化を続けていく。当然、デスティネーション・マネジメントも変化させていくことが必要となるだろう。
 これらの変化を科学的に捉え、因果関係を整理していくことでデスティネーション・マネジメントおよびマーケティングの強化を図っていくことの重要性に言及しているのが、特集7の守口氏である。同氏は、個々人で反応が異なる事象であっても、しっかりとした検証を行っていくことで効果的、効率的な取り組みを実践していくことが、観光のみならず社会全体にとって重要な課題であると指摘している。多様化し、捉えづらくなっている人々の行動を、科学的に捉え、事業に活かしていく取り組みは、サービス・マネジメント、ホスピタリティ・マネジメントといった学術的な領域として拡がりを見せている。我が国においても、学術的な知見の蓄積と活用が求められる領域である。
 デスティネーション・マネジメントに関わる残る主体である環境・文化について言及しているのが、特集5の愛甲氏、特集6の山本氏である。山本氏は、人々の営み、空間への働きかけが風景を創造し、それは社会文化の形成にも繋がっていくことを指摘している。また、特集5の愛甲氏は、観光対象にもなっている自然環境や温暖化(気候変動)との関係に注目し、社会的に関心が高まっている観光と組み合わせることで、研究を深化させていくことを提言している。

VUCA時代の観光研究について

 改めて、VUCA、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)について考えてみよう。
 ここまで述べてきたように、情報社会の到来によって、人々の行動や、それに対応する企業、地域の対応はどんどんと変化してきている(変動性)。
その変化は、マスとしての変化ではなく、SNSによる玉石混交の情報を参考にしながらも、人々の個々の価値観、経済力、経験などによって異なるため、予測したり誘導したりすることが難しい(不確実性)。さらに、その変化は、周りにいる人々や、対応する事業者、地域といったステークホルダーにも影響を及ぼし、様々な化学反応を生じさせる(複雑性)。その結果、世の中に従前にはない、因果関係が不明な事象が突然変異のように現れたりもする(曖昧性)。
 例えば、観光においては、マスツーリズムからFITへと変わっていった(変動性)。この変化に対応するために、地域や事業者は、様々な◯◯ツーリズム(形容詞観光)を提示してきたものの、必ずしも、需要を取り込めてはいない(不確実性)。さらに、観光が地域との関係性を深めていく中で、民泊事業や、6次産業化に関わる農業者といった新規事業が創造されたり、観光客が通常の生活空間に入り込むことで住民とのハレーションが発生したりするなど、ステークホルダーが増大した(複雑性)。その結果、旅行形態が個人化(FIT)したにもかかわらず、特定の地域や時間に多量の人々が集中するオーバーツーリズム問題が生じたり、統計上、観光消費額は増えているのに目に見える経済効果が確認できないといった問題が生じている(曖昧性)。
 こうした多様で複雑な問題の解決手法に「システムズアプローチ」と呼ばれるものがある。部分ではなく全体、要素だけでなくその繋がりや関係性をふまえた分析手法であり、観光計画や研究でも活用されていた。しかしながら、観光に関わる要素が膨大に増え、かつ、変化の度合いが大きくなったため、要素間、主体間の関係性を定義づけることが難しくなっている。次元の異なる「システム」となった観光について、新たに全体図を描いていくことが求められている。

最後に

 巻頭言において、家田氏は「未知と不誠実の魅力」について述べている。
問題解決や目的達成のために計画立案を行う立場からすれば、VUCAは、とても厄介な存在ではあるが、観光の本質、観光の可能性という点で言えば、定まっていないからこそ、様々な未来を展望できるとも言える。
 壁が高いほど、山が高いほど、困難度は高まるが、それを乗り越えた時の感動も大きい。
 当財団としても、楽しみながら、難しい課題に挑戦していきたい。