【座談会】❶

エコツーリズム
普及と定着にかけた思い

〜環境省エコツーリズム推進会議・エコツーリズム推進法を振り返りながら〜

2003年秋、環境省は「エコツーリズム推進会議」を設置し、エコツーリズムの推進に本格的に着手。
2007年には「エコツーリズム推進法」が制定された。それから20年が経過するが、いまもエコツーリズムに取り組む地域は増えている。なぜ、エコツーリズムはいまも支持されるのか。
日本でエコツーリズムが普及・定着する出発点となったこの政策に深く関わり現場を動かした中島慶二さんに、その頃を振り返りながら、エコツーリズムへの思いを語っていただいた。

環境大臣のリーダーシップで始まった
寺崎 日本にエコツーリズムという考え方が伝わり、エコツアーと銘打ったツアーが見られるようになったのが1990年頃。屋久島では、専門ガイドが案内する森歩きやカヌーツアーが参加費1万5000円ほどの商品として誕生し、徐々に広まっていきます。小笠原では返還20周年(1988年)をきっかけにホエールウォッチングツアーを開始。この時、ハワイの事例を参考にクジラへの接近方法などを盛り込んだ自主ルールを導入。その後の地域資源の利用と保全に配慮した枠組みづくりのお手本にもなりました。日本のエコツーリズムの黎明期からおよそ10年が経過した2003年11月12日、小池環境大臣(当時を座長とした第1回エコツーリズム推進会議を開催。いよいよ環境省がエコツーリズムの普及と定着に本腰を入れることになりました。
中島 私はその年の夏に出向先から環境省に戻り、直後の9月に小池さんが環境大臣に就きます。小池大臣はとても前向きで、就任早々いくつかやりたい項目を挙げたそうです。その中に「エコツーリズム」が入っており、早速やりましょうということになりました。
それで自然環境局長から、自然ふれあい推進室長に着任したばかりの私に、その役割が降りてきたのです。
寺崎 僕は、小泉内閣の「観光立国」宣言と直接的なつながりがあったのだと思っていました。
中島 気運としては、政府の中で観光が盛り上がりつつありましたが、政府全体の政策パッケージの一つとしてエコツーリズムが出てきたわけではなく、小池大臣のリーダーシップで始まった個別の動き、というのが正しい見方です。
寺崎 担当することになり、何を考えましたか。
中島 元々、私はエコツーリズム施策をやりたかったんです。1990年代の初め、国立公園課にいたときに、西表島で、エコツーリズム調査事業の予算をはじめてとりました。
寺崎 推進会議はものすごく大規模で大がかりでした。構成メンバーがすごい。しかも委員27人と幹事会委員24人の2階建てです。
中島 中身だけではなく、外面も大事。
ちゃんとしたことをやるのだから、形も整えなければダメだというのが、小野寺自然環境局長や盛山総務課長(現衆議院議員)の考え方でしたね。また「ツーリズムなのになぜ環境省が」と言われるのがわかっていますから、他の役所もいっしょにやるという体制にしました。環境省ではそれ以前にも関連施策を打っていましたが、自然を守るところに重点があり、そのための方法の一つとしてエコツーリズムを考える、という思考でした。環境省がやるのだからこうなんだ、と。しかしこのときは、「環境省だから」というのはやめよう。他の役所といっしょに一つのことをやり、観光振興を環境省が頑張って支える、ということで構わないんじゃないか、という空気でした。

定義ではなく概念、それもざっくりな
寺崎 一般には、あらたな政策に取り組むにあたり、例えばエコツーリズムとはどういう考え方なのか、定義をどうするかということを厳格に決めてから進めると思いますが、会議が始まった頃の打ち合わせでは環境省側から「体験観光の総称」といった発言も出るなど、ざっくりとした形でスタートしたことが印象に残っています。
中島 世の中全体に対してアピールするものでないといけない。それなら、従来のやり方にこだわる必要はないんじゃないか、という考え方でした。
寺崎 当時、事務局の中心だった中島さんや僕は、概念論争よりも、普及と定着に向けて具体的なアクションを起こすことが重要だということをよく話していましたよね。「理念の先行、定義の乱立、理念に合致していないツアー実態に対する批判が阻害要因だと考えた」ともおっしゃってます(『国立公園』2023年4月号(一社)自然公園財団刊)。
中島 局長らが、エコツーリズムを狭い概念で捉えずに、広くやろうと考えたことは、その課題を解決するひとつの入り口だと思っていました。私自身の中でも、なにか小難しいイメージがありました。こうじゃなきゃいけないと理想を追い求める姿勢みたいなものが、いいことなんだけど少し重いのではないかと思ったのです。特に現場で取り組む人たちには、もう少し気軽にできるようにした方がいいと感じたのです。
寺崎 「エコツーリズムはこうなんだ」というようなことを言い合うばかりで、時間だけが過ぎていくのを懸念しました。
中島 そのあたりは当時、寺崎さんとか海津ゆりえさん(当時NPO法人日本エコツーリズム協会理事)とか、現場をよく知る人たちからいろいろ話を聞いて、わたしも同感でした。いくら推進会議をやって新しい概念などをつくっても、現場でツーリズムの旗を振る人がどんどん増えて、それを楽しむ人が増えていかない限り、意味のない政策なんですね。現場が動くということがいちばん大事なポイントだと考えていましたから、定義論争に巻き込まれるのはやめようと。
寺崎 そのためエコツーリズム推進会議では定義ではなく「概念」という言葉を使いましたね。第1回エコツーリズム推進会議の配付資料には、
エコツーリズムとは、
① 自然の営みや人と自然との関わりを対象とし、それらを楽しむとともに
② その対象となる地域の自然環境や文化の保全に責任を持つ観光のありかたである。

と書かれています。「楽しむ」という言葉が入っていること、対象に「文化」も加えていること、そして「責任」という言葉を入れたことに、はっとしました。
中島 そこは一人で悩んで作りました。
まず、「文化」がないと、日本の場合はうまくいかないだろうというのが直感的にありました。自然だけだと、世界自然遺産のようなところしかやれないと考えてしまう。そこに、何か文化的なものを入れたいなと。また、楽しむことが大事なのだけれど、楽しむだけではさすがに環境省がとりくむ施策として広げていくのは難しいのではないかと思い、あまり厳しくない言い方で、少し前向きな感じを出す言葉が何かないかと考えていたところ、どこかの国の定義に「責任」という言葉があったので、これがいいと使ったのです。
寺崎 エコツーリズムとは何かを考えるには、他の同類のツーリズムと比べてみるとわかりやすいと思いますが、例えば、サステナブルツーリズムとエコツーリズムとの違いはどのように説明したらいいでしょう。
中島 サステナブルツーリズムまでいくと、完全に概念だけになってしまい、現場の話が抜けてしまう。最終的にはサステナブルツーリズムを目指そうと
しているわけですが、そこまで広げてしまうと、楽しみのようなものがなくなって責任だけが残ってしまい、「楽しむとともに責任を持ちましょう」というバランスが悪くなってしまいます。だから、あまりサステナブルだけに寄らないようにしないといけないと考えて出てきたのが、「ルール」と「ガイダンス」です。

ルールとガイダンスの2つのワードが鍵に
寺崎 エコツーリズム推進会議では、
エコツーリズムを成立させるために必要なものは、
① 地域の自然や文化に対する知識や経験の案内=ガイダンス
② 地域の自然や文化を保全・維持するための取り決め=ルールである。

としましたね。
中島 ルールとガイダンスの二つは、エコツーリズムを語る上で本質的な要素です。実際に現場で活動する中ではそれ以外にもいろいろあるのですが、利用者の立場で考えたら、本質的なのはこの二つです。
寺崎 そこが大きなキモになったと思っています。例えばサステナブルツーリズムという考え方や概念は地域の管理モデルであって、「こういう管理手法が必要だ」と主張しているのですが、具体的な行動や行為がぼけて見える気がします。
中島 結局、サステナブルツーリズムというのは理屈なんですよね。
寺崎 それに比べて、エコツーリズムは現場で何をするのかが先にあります。ガイドの案内付きのツアーをする。
ガイドがいなければ、これを見ながら歩けばよいといった解説道具を用意する。こうしたガイダンスによって、知識や興味が広がり、深まり、楽しめるようにしよう。さらにルール、つまり資源を保全するために人々の行動を調整・制御する方法をみんなで決めなさいということです。

中島 その当時、毎週日曜日に家の近くのファミレスに行って、悩みながら鉛筆で手書きのメモを取って概念図を作ったりしていたのですが、そうするうちに行き着いたのが、ルールとガイダンス。この二つしかないと、頭の中を整理しました(図1)。

寺崎 その頃、研究者らと「資源管理」がないとエコツーリズムにならない、合意形成の場となる「協議会」がないとエコツーリズムは成立しない、というようなことをかなり激しく議論したのを覚えています。
中島 局長と課長からは、施策の細かな内容はほぼ全権委任されていたような状態だったので、なんとか自分の思いを入れたものをつくりたい、考えたことを実現するんだという思いが強かったのです。
寺崎 ルールとガイダンスという言葉がすごく端的で、知り合いのガイドらは今も「エコツーリズムというからにはルールとガイダンスが必要だ」と言っています。この二つの言葉、アクションに絞ったことが、エコツーリズムの普及を支えてきたと思います。

エコツーリズムは元々経済的に難しい
寺崎 この時点で、中島さんの日本におけるエコツーリズムに対する評価はどうだったのでしょう。環境省主催のシンポジウムでは「エコツーリズムの理念は気高く尊いが、実現は簡単でない。高い理念を最低基準として現実を評価すると、ほとんど不合格である」と、だいぶ厳しいことを言っていました。
中島 誤解されてしまったかもしれませんが、言いたかったのは、理想を当てはめようとするとほぼみんな不合格になってしまうから、もうそういうふうには考えないようにしましょう、ということなんです。一歩でも二歩でも理想に近づけばそれでいいというように思いました。
寺崎 そこがスタートでしたね。
中島 国立公園の行政をずっとやっていましたが、国立公園のような優れた自然環境、自然景観は守りましょうという社会的合意は既にできているのだけれども、実際に地域の人たちが本気でその自然を守ろうと思っているかというとそうでもない。現地にレンジャーとして赴任していろいろな人たちと話をしてみると、結局のところ、本気で国立公園を盛り上げていこうという人はほとんどいない。それはなぜかというと、結局、経済的なところに行き着くのです。国立公園があることでみんなが潤えば、もっと大事にしてくれるはずです。いいことだからみんなでやりなさいというだけではなく、やれば儲かるんだからやろうよ、というところもついていかないと社会は動いていかないと、若い頃からずっと思っていました。
寺崎 気になったのは、「人件費の高い日本でエコツーリズムを成立させるのは難しい」と話されたことです。観光事業のもとは人によるサービスなので、人件費の高いところから、そうではないところに行くから成り立ちやすいというのが観光産業のベースにあるように思えます。
中島 特にエコツアーではたくさんの人を一度に相手にできないから、限界があるわけですね。そういう意味ではもう、最初から相当難しいことをやろうとしているわけです。だから、日本全国で参入事業者がどんどん生まれるということは想定していませんでした。財務省の主査説明のときに、「本当にこれは全国に行き渡りますか」と言われたので、「いや、そうは思っていません」と。
寺崎 言ったんですか。
中島 ええ。「だけど、うまくマッチするところがあるはずなので、そういうところがこの仕組みを使って元気になればいいじゃないですか」という説明をした覚えがあります。そうしたら、「そうですか、わかりました」と(笑)。

三つの類型を設定したモデル事業
寺崎 2004年6月2日に開催された第3回エコツーリズム推進会議で「5つのエコツーリズム推進方策」を打ち出しました(図2)。まず「エコツーリズム憲章」。次に、エコツーリズムの優れた取り組みを表彰する「エコツーリズム大賞」。これは2022年度で18回目になり、これまで約160件もの取り組みが受賞している息の長い施策です。「エコツーリズム推進マニュアル」では、エコツーリズムの考え方、地域における協議会づくり、ルールとガイダンス、モニタリングの手法などについて、関係者みんなで執筆しました。書籍にして、誰でも見られるようにできたのがよかったです。そして中核事業となる「モデル事業」。対象地域を三つの類型に区分したのが秀逸でした(図3)。類型Ⅰはわかりやすい。類型Ⅱとして従来型の大規模観光地を対象にしたのには驚きました。それに類型Ⅲの里地里山です。こうした整理の背景は。
中島 一つは、モデル事業をあまり少ない数でやるのはよくないと思ったんですね。3件4件だったら、それまでにもやっていたところがもう少し頑張るという程度にしかならない。そうではなく、いろいろな人たちがエコツーリズムに目を向ける形にしたい、というのがありました。モデル事業の数を多くするために類型化するというのは、予算要求上のテクニックでもあるのです。一つのことを10件やりますと言うと、5件でいいでしょうと言われてしまう。いや、類型ごとに数件ずつ必要なんですと言わないと、10件以上にできない。それで3類型にしたわけです。
寺崎 結局、初年度には13の地区が選定されるのですが(図4)、募集期間が1カ月しかなかったのに、全部で53件の応募がありました。その中でも類型Ⅲには30件以上の応募がありました。類型Ⅲは、環境省とはあまり関係のないエリアですが、何か思惑があったのですか。
中島 それまで環境省は、法律の規制を根拠として国立公園のような保護地域の中でしか自然環境保全施策の展開ができていなかったのですが、エコツーリズムは国立公園の外でできるいいチャンスだったのです。だから絶対にこの里山のパターンはないといけなかった。「白地地域」と我々の言葉で呼んでいるところに出て行って、自然の大事さをいろいろな人たちといっしょに語り合うことができるというのは、私にとってはわくわくする話だったのです。
寺崎 類型Ⅲは見た瞬間にインパクトがあるようなものではなく、背景に物語がないとそのよさがわからないもの、人との関わりの中で作られた生活文化のようなものが多い。
中島 それは想定していました。日本の場合、自然そのもののインパクトの強さだけで人がたくさん来るということはあまりないでしょう。既に国立公園なり世界遺産になっているところにしか、経済的なインパクトをもつ資源はありません。それなら自然そのものではなく、自分やお客さんとの関係で、感動だったり、感激だったり、新しい気付きのようなものを生み出す資源でないと、エコツーリズムはできないんじゃないかと。だから概念に「文化」という言葉を入れました。自然そのものの資源価値だけではなく、自然と人間との間で紡がれてきたものを対象にしない限りは、広がっていかないだろうと考えたのです。
寺崎 例えばブナ林の解説は、どこも似ているなあと感じるのですが、そこに人の暮らしが結びつくことによって地域の固有性が出てくる。人がそこでどうやって暮らし、歴史をつないできたかという話を聞くとわくわくします。
ボトムアップ型の法律が成立
寺崎 2007年には「エコツーリズム推進法」が成立しました。法律を作ろうという話は、どのタイミングで出てきたのですか。
中島 最初は、エコツーリズム推進会議を終えた頃です。ここまでやったのだから、法律を作ったらいいじゃないかと。その後、盛山さんが国会議員になって、改めてやるぞと言ってきたので、覚悟を決めました。
寺崎 どういう法律を作ろうという話だったのですか。
中島 とにかくエコツーリズムという名前をメジャーにするんだということ。もう一つは、エコツーリズムには理念がある。それには難しい側面もあるが、それを調整するための仕組み作りをしよう、ということでした。
寺崎 議員立法ですが、実際には中島さんも深く関わられたわけですね。その時工夫された点や、この法律ならではの特徴、自分の中で実現したかったことはありますか。
中島 まずどういう法律にするかという「形」ですが、一般的に私達が慣れ親しんでいる法律は、基本的には枠組みを規定し、国全体にとって価値が高い重要なものを守るために規制などの仕組みをつくるのが目的です。みんなが大事だと思っているものを守るためには我慢しなければ、という流れで昔の法律はできています。それがトップダウン型の法律です。国立公園も世界遺産もそうです。しかしエコツーリズムは地域の人たちがどうやって盛り上げていこうかという話だから、トップダウン、上意下達みたいなものは、話が逆になります。
寺崎 エコツーリズム推進法の大きな枠組みは、地元で協議会を作って、そこで自分たちのやりたいこと、すべきことを考えなさい、それを国が認めますというものですね。

中島 とにかく地域で話し合って合意形成をしていくというところがスタートだという仕組みをつくりました。それともう一つ私がやりたかったのは、利用の制限です。
寺崎 「特定自然観光資源」の指定ですね。
中島 それは「法律事項」といって、法律を作る必要があるかどうかという根拠となるからです。法律というのは憲法で保障されている大きな意味での自由を、理由をつけて制限するものですから、制限がないなら法律でなくてもいいことになる。それで、みんなが大事だと思う資源を、自分たちだけではなく他の人たちにも大事にしてもらうために「特定自然観光資源」の指定をし、制限をかけよう、という内容を入れたのです。自主ルールを罰則つきのルールに格上げすることができます。

寺崎 当時、法律名にカタカナを入れるのは難しかったとも聞きました。
中島 それは相当言われました。しかし盛山さんが絶対に入れろと法制局に掛け合って、「エコツーリズム」はカタカナのまま法律名に入りました。
寺崎 この法律で現場に求めているのは地元の総意による「全体構想」の策定です。それが法律の基本方針に合致していれば、大臣が認定しますよ、という枠組みです。これが中島さんのおっしゃる、究極のボトムアップ型の法律ですね。先日、この法律に基づく特定自然観光資源を指定した「てしかがえこまち推進協議会」と、「竹富町西表島エコツーリズム推進協議会」の関係者に、なぜエコツーリズム推進法による利用制限を取り入れたのかを聞いてみました。自然公園法の利用調整地区制度も念頭にはあったはずですが、「やはりルールは自分たちでつくらなければいけない。みんなで考えたルールを、みんなで守っていこうという枠組みが活動方針に合致した」とおっしゃっていました。これこそがエコツーリズム推進法の本質的なところですよね。ところで法律によらなくても条例等でも立ち入り制限をすることはできるのでしょうか。
中島 やろうと思えばできます。ただ法律がない中で、市町村が自分のところだけの条例で立ち入り制限までやるのは、相当ハードルが高いのです。法律の枠組みさえあれば、その中で自分たちはプレーすればいい。そういう、精神的な後押しができればいいと考えたのです。
寺崎 いろいろな地域に出向いて話を聞くと、最もメリットを実感しているのが「自家用有償旅客運送」の活用です。いわゆる白ナンバーの車でお客さんを最寄り駅や宿泊施設からエコツアー実施場所まで送迎することが、諸条件を満たせば可能となりました。
中島 エコツーリズム推進法をつくった時点ではまだなかったのですが、その後、国交省で規制緩和してくれたのは非常に大きいことでした。そういう話がもっと出てきて、役所同士が協力して規制緩和が進んでいけばいいですね。そうすれば、もっともっといい政策になると思います。

でも、もうやめちゃえばいい!?
寺崎 中島さんは、これまでのエコツーリズム推進政策をどう評価していますか。
中島 エコツーリズムという名のもとに、いいことをやろう、地元を盛り上げようという形でたくさんの人を巻き込めたという意味では、一つの成果でした。具体的にそれぞれの地域で、それがうまく実を結んだのかどうかは、私自身しっかりフォローしていないのでなんとも言えませんが。でももう20年ですので、やめちゃえばいいのにね。
寺崎 えっ、そんなこと言うんですか!
中島 法律ができてからでも、もう15年経つわけですよね。政策にしても法律にしても、これだけ長い間やっているのに、新しいことが付け加えられたというようなことはなく、法律も変えていない。それってどうなんだろうかと思うんですよね。問題点が出てくるほどの盛り上がりはなかったこの20年間、というような気もして。
寺崎 そういう捉え方もあるのか。
中島 みんなが期待して、どんどんやろうということだったら、ここはこういうふうに変えてほしいというような要望が必ず出てくると思うのです。
寺崎 一方でこの20年、エコツーリズムで地域を元気にしようというところが増えています。全体構想の認定地域は23カ所になりました(図5)。法律ができた当初より、むしろ最近の方が勢いがあるように感じます。

中島 まだ法律ができていなかった当時、エコツーリズムが諸々のツーリズムの一つになってしまうのは、あまりに惜しいと思いました。他のとは違う。
エコツーリズムには理想を追い求めるということがある。みんなが理想とか未来への希望のようなものを描きたくなるような魅力があると思うのです。
最初の頃私は、そこをあまりやりすぎない方がいいと思っていましたが、そういう要素こそが長続きする理由になっているのかもしれません。もう一つは、法律にしたということ。法律にすれば、少なくとも予算要求上の根拠にはなり続けます。そこが、他のツーリズムとの違いです。
寺崎 それは政策として続く一つの理由になりますが、そこに賛同する地域が続いたということもありますね。大がかりな支援事業や補助金があまりない。それでも地域の関係者らを巻き込んで、苦労しながら全体構想を考えて、諸機関との調整を図る。結構たいへんなのに、こうした動きが絶えない。そこに何かものすごく大切なことが潜んでいるような気がします。
中島 当時考えたことの一つに、国の役割と地域の役割はどう違うのかということがありました。国の役所が政策をつくってみんなを巻き込んでいくというような昔風の行政のあり方は、画一的になりがちです。これからは違うだろうと。そうではなく、国はアイディアをいろいろ出して地域に提示し、その中で地域として「使える!」と思ったものは残るし、使えないものは廃れる。だから本当に使える制度だったら地域の方から「もうちょっとこう直してくれ」というようなコミュニケーションができて、もっといいものになっていく。ダメな政策はどんどん淘汰されていくというふうにならないといけない。自分のやったこともダメだったら、そのうちなくなるんだろうなと思っていたのですよ。この政策もね。
寺崎 その政策が、地域にとってもよかったのです。
中島 やはり、自分たちで決めるっていうところですね。
寺崎 そこです。自分たちで決めて、国が認めますという枠組みです。地域主体です。もう一つ、いろいろな形があるという多様性。画一的である必要はない。だから三つの類型があり、エコツーリズムはこうじゃなきゃいけませんとは言っていませんしね。
中島 今から考えると、三類型すら要らないです。地域が自分たち主体で考えてやればいいだけの話なのだから、類型なんて国に決めてもらう必要なんかないということです。

稼げるエコツーリズムに
寺崎 さて、エコツーリズムはこの先どう進んでいくのでしょう。あるいは、どう進めていけばいいのでしょうか。
中島 やはり、経済的なところがうまくいかないと、廃れていくと思います。
そういう意味では、円が安いのでインバウンドにはチャンスかなと思います。外国語ができる人たちがもう少し参入してくれるといいと思いますね。
それから、価値が下がりにくいツアーをめざしてほしい。国立公園の美しい景色だって、最初は見たこともない景色だったのが、1回見てしまえば次はそれほどの感動はないですよね。しかしエコツーリズムで提供しようとしている体験は、そこに少し工夫を加えることで、価値がどんどん下がるということにはなりません。どういうガイダンスをするかによります。
寺崎 この先に大切なことは、ガイド事業が地域や観光市場においてしっかり認知され、さらにエコツーリズム産業として規定されていくことだと思います。
中島 「産業」という言葉がピッタリくるかどうかわかりませんが、経済的な魅力のある事業あるいは仕事になっていかないと、将来はないと思います。
そのために何が必要かというのを、ガイドだけでなく、地域社会も、あるいはそこが国立公園であれば関係している行政の人たちも、ちゃんと考えていかなければいけません。
寺崎 平成時代に芽生え、普及し定着しつつあるエコツーリズムですが、令和時代では魅力ある仕事として子供たちが憧れる職業となり、地域経済を支える産業となるような流れができるとよいと思います。
中島 アメリカでは国立公園で行われる環境教育をインタープリテーションといっています。日本では国立公園の認知度がどんどん下がってきている中で、どうやって国立公園制度の地盤沈下を防ぐかというと、国民との間のコミュニケーションがいちばん大きなテーマだと思います。コミュニケーションの主要な要素がインタープリテーションだとすれば、日本でそれを担う主なプレイヤーはエコツアーガイドなので、ガイドにもっと頑張ってもらわなきゃいけない。そのためにある程度公的に支援しなければならないという流れができていくのが理想的です。
寺崎 地域や産業側だけでなく、それを楽しむ人たちの中でエコツアーやエコツーリズムが定着していくことも重要な課題ですね。日本のエコツーリズムがどのような考え方で始まり、広がり、地域に受け入れられていったのか。
渦中の視点から、20年の経緯を振り返ることができました。ありがとうございました。


中島 慶二(なかじま・けいじ)
江戸川大学社会学部現代社会学科教授・国立公園研究所所長/小学6年より探鳥活動、山野跋渉。京都大学農学部林学科(及び探検部)を卒業後、環境省で主に国立公園管理、野生生物保護を担当。
本省ではエコツーリズムのほか、野生生物保護等の制度にも関わった。

聞き手:寺崎竜雄
(公益財団法人日本交通公社・常務理事)