座談会❷
日本型エコツーリズムを語る
〜復興エコツーリズムからの気づき〜
海外から学んだエコツーリズムという概念は、日本の実情に応じてカスタマイズされ、独自の展開をみせた。
この「日本型エコツーリズム」は、2011年3月に発生した東日本大震災後には「復興エコツーリズム」として被災地の復興に活用された。
これまでの30年、そして「復興エコツーリズム」の経験を通じて、わが国での普及と定着のカギとなった「日本型」とは何なのかを語り合った。
地域が元気でないと希少種を守れない
寺崎 今もエコツーリズムに取り組もうとする地域が増えている背景には、「日本型」といわれる特質があると考えています。エコツーリズムは東日本大震災後の復興にも生かされました。
そこにこそ日本型エコツーリズムの「らしさ」が発揮されたのではないでしょうか。この場では、そもそも「日本型エコツーリズム」とは何かを探っていきたいと思います。まずはエコ、ツーリズムとの関わりも含め、自己紹介をお願いします。
菅野 2004年に入社した当時、私はエコツーリズムという言葉も知りませんでした。同年に環境省のエコツーリズムのモデル事業を担当し、2007年にエコツーリズム推進基本方針を作るため、文案を作成する作業に関わりました。
2008年から3年間、小笠原諸島で環境省が進めるエコツーリズム推進事業に関わり、2011年からは環境省の「復興エコツーリズム推進モデル事業」に4年間関わりました。2012年にエチオピアの国立公園の自然保護のため、園内の住民に移住してもらい生計手段としてエコツーリズムを推進するJICAのプロジェクトに参加しました。振り返ると、それぞれ性格の異なる地域でエコツーリズム推進の支援に携わることができました。
山本 1999年に研究者となり、2004年に富士山と青木ヶ原樹海の入域に関するガイドラインを作ったのが、最初のエコツーリズムとの関わりでした。
また、東日本大震災が発生した2011年から17年まで岩手大学に在籍し、最初は学生とボランティア作業をしていましたが、翌年から地域を元気にしたい、復興について考えたいという地域が現れて、大学への支援依頼が増え、観光という言葉を使った計画づくりや勉強会の機会が増えました。
私が岩手大学に在籍した6年半のうち、前半はコミュニティの維持形成が大きなテーマでしたが、後半は地域資源の発掘と外に伝えることに注力しました。例えば、久慈市では漁業の後継者育成のワークショップを行い、宮古市で休暇村を拠点に宿泊客に震災遺構を見てもらう仕組みづくりをしました。宮城県石巻市では語り部ガイドツアーが旅行体験に及ぼす効果について検証しました。
堀上 私は1989年、環境省に国立公園のレンジャーとして採用されて支笏湖に赴任した後、北海道庁に勤務して野生動物の保護を担当しました。
本省に戻ってからも野生動物の保護を担当しましたが、対象がミヤコタナゴという農村に棲息する希少種の小さな魚で、保護地域を作る時に「地域が元気にならないと希少種も保護できない」と感じました。
その後に石垣島に赴任して、西表島にイリオモテヤマネコの保護区を作ろうとして地域の方から強く反対され、その時も地域の活性化と希少種の保護は表裏一体だと感じました。エコツーリズムに出合ったのもこの頃です。その後に本省に戻り、2009年に自然ふれあい推進室長に着任して、菅野さんが担当された「復興エコツーリズム推進モデル事業」に関わりました。
海津 エコツーリズムという言葉を知ったのは1980年代後半で、関わりを持ったきっかけは1990年度に始まった環境省の自然体験活動推進方策検討調査です。5つの国立公園がモデルとされましたが、このうち西表国立公園はサブテーマをエコツーリズムとし、調査を担当した私は西表島に5〜6年通いました。
島の人にエコツーリズムというカタカナ言葉は伝わらないので、意訳し、これは島おこしだと説明しました。自然保護の人からは叱られたりもしましたが、西表島で地域づくりとエコツーリズムはすぐに馴染みました。そこからエコツーリズムは地域主体の観光という認識が伝わり、他の地域にも展開されたと思います。
日本でエコツーリズムを推進する枠組みを作ろうと私を含む4人が仕掛け人となり、今の日本エコツーリズム協会の前身にあたるエコツーリズム推進協議会を1998年3月に設立しました。2002年に東京都が東京都版エコツーリズムを推進していた際には委員会のメンバーを務めました。
1999年から毎年、ガラパゴスに通っています。現地の人たちはコントロールが必要な状況を憂えており、国立公園関係者に小笠原や西表島にも来てもらっていますが「地域を巻き込むことができている日本から学ぶことはとても多い」と言われます。
寺崎 堀上さんの「地域が元気にならないと希少種が保護できない」、海津さんの「エコツーリズムは地域主体の観光」という言葉がとても印象的でした。1990年代に、すでにそうした気づきがあったということですね。早くも結論が出た気もしますが(笑)。
堀上 日本の国立公園は集落が丸ごと入っていたり、人の手が加わっているところもあるので、地域との関係や人の暮らしを尊重しないと地域の光として存在するものを維持できないわけですね。ですから環境省も管理というより、継続するための仕組みがどうあるべきかを重視していると思います。
地域の誇りを見直し、経済も活性化させる
寺崎 それでは、復興エコツーリズムに話題を移したいと思います。震災の発生直後、私は現場を見ることが今後の観光を考える上で重要と考え、研究員と手分けして現地に入って観光資源の被害状況をレポートにまとめました。当時、自然ふれあい推進室長だった堀上さんにも見ていただき「ハードの状況把握も大事だが、震災以前から活動していた運営組織などがどうなっているのか知りたい」と言われました。
堀上 我々も記録することが大事と思っていたので、調べてまとめていただいて非常にありがたかったです。エコツーリズムや自然体験活動を行っていた地域がどういう状況にあるのかは大事だと思っていました。復旧の次に来る復興で経済活動を興す時に、観光や体験活動は起爆剤になり、地域を活性化する「芽」になると思ったからです。
それまで自然ふれあい推進室は総務課にありましたが、震災後すぐに国立公園課に席を移しました。それは、陸中海岸国立公園を核に、自然体験活動の復興も併せて考えていく必要があるという考えからでした。
寺崎 復興エコツーリズムの肝は、地域を元気にするということですね。
堀上 経済的な面ももちろん大事ですが、地域の誇りをもう一度見直すことが大事だと考えました。地域の方たちに、津波で被害を受けても、地域には誇るべきものがあることにまず気づいていただきたかったのです。核になる国立公園が被災はしても自然の状態はそんなに変わっていないことがわかったので、それを生かして何かできるのではというのが最初の考え方でした。
寺崎 山本さんは当時、岩手で現地の様子をどう捉えていましたか。
山本 被災後の浄土ヶ浜に足を運ぶと道路こそ破壊されていましたが、自然はあまり傷んでおらず、震災前と変わらない風景がありました。被災地に足を運びたいという機運が高まると、沿岸部の観光資源を生かして産業に結びつけたいという動きも活発になったと記憶しています。
岩手大学でも産業をどうやって取り戻すかということで、学内では私が主に観光産業の支援をしていましたが、観光復興を図ろうとする地域の様々な取り組みでは地域を元気にすることが目指されていました。
寺崎 海津さんは震災前から東北にずっと通っていますが、どういう観点で復興に関わってこられましたか。
海津 震災後、観光は二の次三の次などと言われていましたが、それ以前からエコツーリズムの観点で地域の宝探しなどを行っているとそんなはずはないと思いました。むしろ、被災地を支援したい人がたくさんいるこのタイミングで、地域に人が来る仕掛けを作らなければと思っていました。
私は1992年から岩手県内陸の二戸市で「地域の宝探し」のプロジェクトに関わっていましたが、震災後に当時の小保内市長に相談したら「宮古に行きなさい。地域の人たちの精神的支柱になる神楽などの伝統芸能もあり、文化の力が強いから」と言われました。
何ができるという確証はありませんでしたが、とにかく地域の方が誇りを取り戻すことを目指し、2011年5月から調査を始め、8月から学生たちと毎日ヒアリングに入りました。現地に行ってみると、自然は壊れておらず、歩くことができるとわかったので、2012年に内陸部の黒森神社参道と海岸部の田老地区の2つのモデルツアーを作りました。40人ほどの参加者がすぐ集まったので、ここから需要が戻ると思いました。
理論立てて復興ツーリズムに取り組んだというより、人と人が出会う機会を作ることから取り組んだ形ですが、自分たちより現地の人の方が明るくて、行くたびにこちらが元気付けられ、感動することばかりでした。
エコツーリズムという言葉は敢えて使わない
菅野 私を含め社内の数人が、2012年度から4年間かけて行われた環境省の「復興エコツーリズム推進モデル事業」に関わりました。東北の5地域が対象で、私が最初から最後まで関わったのが宮城県気仙沼市の唐桑地域、途中から関わったのが宮城県塩竈市の浦戸諸島と福島県相馬市の松川浦です。「地域自立型」ということで、地域の農林漁業や語り部の活動などとも連動し、地元の方が自分で地域の魅力を発見し、それを外の人たちに向けて伝えることを目指していました。
最初はとにかく手探りで、どんな人がどんな活動をしているのか、人探しからスタートしました。まず、説明会を行って地元で魅力探しをしようと呼びかけ、地元の魅力に詳しい先生を呼んで勉強会をしたり、松川浦では自分たちも干潟に入って、学んだことを外に向けて自分の言葉で伝えるモニターツアーを催行したりしました。
寺崎 地元の皆さんは、それまでエコツーリズムという言葉を知らなかったと思いますが、どう受けとめられたのでしょう。
菅野 最初の説明会は、地元の行政から呼ばれたからとりあえず集まったという感じで、エコツーリズムという言葉を聞いても、「それ何?」という反応でした。言葉の定義を説明するよりも、海外の事例の写真などでどんなものかをイメージしていただき、とりあえず動いてみましょうという形でスタートしました。
山本 私も岩手大学で、みちのく潮風トレイルの路線選定の検討過程などに関わっていましたが、やはり最初はエコツーリズムという言葉をなかなか理解してもらえませんでした。
しかし、勉強会で古い写真や地図を見せると一気に議論が盛り上がり、地域を外に紹介したいという意欲が湧いてくる場面を目にしました。
昔、遠洋漁業に出た一家の主を迎えに行った古い道があるのですが、それを見て「昔ここを歩いたね」と感動し、草に覆われていた状態を手入れして復活させようという議論があったり、震災を契機にもう一度地域を見直す機会になったことは、エコツーリズムのプロセスそのものだと思います。
菅野さんから最初、人材発掘が難しかったというお話がありましたが、岩手には昼に女性が集まってお茶をする「お茶っこの会」があり、夜には主に男性とお酒を飲むお酒の席がありました。そこに参加すると地域の歴史を語れる人、お世話好きな人などと知り合うことができ、実はかなり人材が豊富だと思いました。
寺崎 海津さんも宮古で活動されて、エコツーリズムに対する地域の受け取り方はどうでしたか。
海津 ツアーが完成した時は「これはエコツアーというんです」と伝えましたが、エコツーリズムという言葉からは入っていないんですよね。呼び方はどうでもいいかなと。「地元の料理を教えてください」といった形で、宝の掘り起こしという文脈でずっと話を聞いていました。最初からエコツーリズムというと、難しくなってしまうのではと思います。
菅野 私たちの説明会も、冒頭はエコツーリズムという言葉を使いましたが、それ以降はなるべく使わないようにしました。
寺崎 環境省は予算をつけた関係上、エコツーリズムという言葉を推さないといけないということはなかったのですか。
堀上 特にエコツーリズムを前面に押し出そうということはなかったです。
とにかく、国立公園を核にして地域を元気にしたい、それにはトレイルを装置として人が何度も来る仕組みを作ろう、歩いた地域を紹介する仕掛けはエコツーリズムでやろうと考えました。
地域の特産物も、文化、歴史を紹介できる人も、場所も作る必要があると考えました。
菅野さんが関わったプロジェクトの対象地5ヶ所は、エコツーリズムにまだ取り組んでいないけれどいい資源があり、トレイルを通したら地域の核になるだろうと思われるところを選びました。例えばトレイルの起点となる松川浦は、原発の影響で漁ができなかったのですが、地元の漁師さんが見た自然を漁師さんたちが紹介できる形を目指しました。
明確に定義しないから継続、拡大した
寺崎 そうすると逆説的ですが、日本型エコツーリズムの特徴は「エコツーリズムではない」ということになるのでしょうか。
海津 トップダウンの計画概念ではないので、懐が深いと思います。社会システムのさまざまな要素が絡まり、循環する地域づくりの姿を日本ではエコツーリズムと呼んでいると思います。
山本 今の話はすごく興味深く、研究者の視点では明確に限定する定義を求めがちですし、その方が楽なのですが、定義によって狭めることなく、大きく方向性を示すことで、ずっと続いていることは面白いと思います。
海津 きっちり定義や概念づけをしたり、商標登録されていたら、多分ここまで広がらなかったと思います。いろんな人がいろんなことを言っていいけど、最後に目指すところをちゃんと持っていればいいというのが良かったのではないでしょうか。
堀上 エコツーリズム推進法の定義もすごく幅広いですよね。地域の宝を持続可能な形で生かしていくにはどうしたらいいかを考えるためのものであり、それにはいろいろな形があり、地域の違いもあるので、「こうだ」と決め付けるとなかなかうまくいかないと思います。
余談になりますが、環境省では国立公園とそれ以外の保全地域を合わせ、2030年までに陸と海の30%以上を保全する「30by30」という目標を立てています。エコツーリズムの考え方と似ているのは、人の手が入っていたり、生活している場所も含まれていて、自然を経済の糧にしている形が持続可能でいいと捉えている点です。
海外から見ると違和感があるようですが、自然との共生を地域の経済活動にも生かそうということで、「日本型OECM(注)」と言っています。
寺崎 今までの話で多く聞かれたのが「地域」「人の暮らし」「経済」といった言葉ですが、僕が改めて問いたいのは、なぜ日本ではエコツーリズムが今までずっと支持され続けてきたのかということです。
菅野 先日、復興エコツーリズム推進事業で関わった東北の方々と意見交換をしたのですが、松川浦の方たちに聞くと、もともと「ふくしま遊学」というJR東日本が主導した地元の良さを発見する取り組みに関わっていたので、復興エコツーリズムの話があったとき、ふくしま遊学みたいなものという感じで受け入れられたというお話でした。
唐桑はユースホステルのご主人が観光協会長を務めていて、昔から宿泊者を近隣に案内したりしていたので、「そういうことをやればいいんだよね」と理解が早かったです。もともと人をもてなし、案内する素地が東北にはあったのかなと思います。その中にエコツーリズムの話が来て、言葉としては理解しにくくても、自分たちが今までやってきたことの延長線上にあるから、取り組みやすかったのかなと思います。
海津 先日行った箱根では、旧街道に一軒だけ茶屋があって400年間、ずっと甘酒とお餅を出しているんですね。営みが続いている理由は、訪れた人との一期一会がお互いの喜びになっているからだと思います。
先ほど紹介した宮古の黒森神社ツアーは2012年から今も続いていますが、そこで行われているのは「誇りの共有」です。地域の人たちは自分たちが守ってきた大事な宝を伝えたい、教えてもらった相手はそれが嬉しい。
そういうシンプルなやりとりが経済を循環するという大小のサイクルが回っていて、それが各地域でエコツーリズムが途絶えない理由かなと思います。
勘違いしてはいけないのは、エコツーリズムは政策や事業オリエンテッドではないということです。エコツーリズム推進法がずっと続いているのは、いろいろな地域のシンプルな循環を、国が支えるしくみだと関係者が皆、思っているからだと思います。
寺崎 国の政策ありきではなく、主体的に取り組もうとする地域を国が応援する構図だということですね。
海津 エコツーリズム推進法も「規制法」ではないというのが重要で、地域が頑張るように後押しするから続いているのであり、歯車を回しているのは、政策ではなく地域ということだと思います。
堀上 私もそう思います。なぜ協議会で決める形にしているかというと地域主体だからで、規制なら国がやればいいわけです。国立公園は守るべき場所を傷つけないように規制するけれど、一方で経済推進の面も切り離せない面があり、国立公園の中でもエコツーリズム推進法をかぶせることができます。
そういう意味で、エコツーリズム推進法はいろんなところに関わっていますね。だから地域による自分たちが伝えたいことや守りたいことの宣言が続いているのだと思います。エコツーリズム推進法では規制もできますが、弟子屈と西表島の2地域程度となっています。
山本 エコツーリズム推進法は、地域の意向が働きやすいというのが私の理解です。地域の協議会が主体的に検討できるので、地域がやりたいことができる制度かなと思います。
堀上 地域が観光と管理に関わる場合は、国主導よりも地域主体の方が関わりやすいと思います。一方で、地域協働型の国立公園管理を模索していて、どっちがいいかは一概には言えないのですが。
寺崎 日本型とは地域の意向や誇りを大切にする、地域のためのエコツーリズムという方向に議論が集約されてきました。海津さん、世界のエコツーリズムはどういう状況でしょうか。
海津 コスタリカやガラパゴスはエコツーリズムを推進していますが、国立公園のあり方が日本と異なり環境保護の色合いが強いですね。コスタリカではトップダウン型で観光庁がルールを作っています。民間の自然保護地区もあり、そちらの方が経済的にはうまく回っていますが、事業者の過剰参入も起きています。
そうせざるを得ない面がありますが、日本は協議や合議をベースに自然を守りながら利用する仕組みを作っていて、そこが海外との大きな違いだと思います。
ただし、海外のガイドは制度や法律で守られていますが、日本でそのように守られているガイドはごく一部に限られます。ガイドの位置付けも海外と日本では異なりますね。
寺崎 冒頭で堀上さんがおっしゃった「重要な希少種を守るためには地域が元気にならないとできないことに気づいた」というお話に再び戻るというか、地域が守るのか、国が規制で守るのか、両者の比重に日本型の特徴がありそうですね。
堀上 国有地や、人の手が入っていない地域に希少種がいる場合は国が管理すればいいのですが、そうではなくいろんな開発が行われているので、もっと自然と共生した暮らしに戻さなければいけない。そのことが地域や地域経済にとって問題なく、うまく循環する形になるなら一番いいというのが、エコツーリズムの一つのあり方なのかなと思います。
山本 国が取り組むプロジェクトなどでは、例えば情報系だとI T、ICT、DXと次々に新しい言葉が生まれますよね。観光の世界では地産地消、循環型経済、地域独自の財源確保などがありますが、これらの言葉は「手法」を指すと思います。
一方、エコツーリズムという言葉は「器」であり、考え方であり、社会システムづくりであり、その言葉の持つ大きさが、今までずっと続いている理由かなと思います。この先、どこまで膨らむか、陳腐化しないためにどこに限界を設けるかは気になるところですが。
海外のエコツーリズム先進国は自然保護という目的が明確ですが、それに比べ日本はいろんなものを吸収しながら地域振興を図るという一つの流れがあり、世界でも独自の立ち位置にあると思います。
先ほど堀上さんのお話に出た環境省の「30by30」も、海外のIUCNの研究者はアジアのモデルになり得るか注視しています。日本の自然との付き合い方はユニークですが、あまり独自の方向に進んでしまうと世界に普及しないのではという懸念もあります。しかし、ここ20年ぐらいずっと同じ考え方で推進されている点で、日本型エコツーリズムは成功事例ではないかと思います。
堀上 地域の経済にも活性化にも広く資する地域づくりの側面が、日本に合っていると思います。海外のエコツーリズムはガイド業で経済を回す形が主体だと思いますが、日本はガイド業以外の観光業や地域の製造業なども含んでいて幅があります。
日本では野生動物観光などの体制が十分ではないという状況もあり、野生動物の保護と地域経済との関係がうまくいくことも重要な課題だと思います。
自然との共生の一つのありかたとして日本全国に広まっていくと、環境を保全しながら経済が回る流れが作れるのではないでしょうか。
関係性の輪が広がる大きな「器」の役割
寺崎 今後、日本型エコツーリズムはどこに向かっていくんでしょうか。
菅野 先日伺った松川浦の方が「今までは浜のことしか知らなかったが、復興エコツーリズムに取り組むことで、町や山に住む人たちとつながるようになった」と言っておられ、新しい地域内のつながりを作るきっかけになったのかなと思います。
唐桑では復興エコツーリズム事業を機に地元ガイドの会を作り、定例的に集まるきっかけになったそうです。地域で人々が集まって何かを決めたり、物事を進める場を作るのに適しているのも、エコツーリズムが定着したきっかけかなと思います。
海津 宮古と関わって13年目ですが、宝探しをしながらツアーを作ったりしている間にエコツーリズムとしての形が見えてきたと思います。今、宮古は文化庁の文化財を活用した地域計画に向けて計画書を作成中です。地域の宝を探すという取り組みから始まって、いろんなところを巻き込み、文化を見直すという動きにつながっているわけで、エコツーリズム認定地域からさらに広がりを見せる可能性を持っていると感じます。
寺崎 今の話を聞いて、エコツーリズムの取り組みは関係性の輪が広がっていくことも一つの特徴なのではと思いました。成功事例がいろんなところに伝わり、「自分たちもやってみよう」というところが増えているのでしょうか。
堀上 そう思いますね。屋久島は多分その典型で世界遺産に登録されるまでは、高校を卒業したら外に出ていくのが当たり前だった若い人たちが島に残るようになったと聞いています。それはやはり周りが注目し、そうすると地元に誇りが持てるからだと思います。
東北もトレイルがうまく機能して海外からも注目され、国立公園以外の地域も歩いて通るようになるとさらに発信力が増すのではと思います。そういう意味で、ロングトレイルとエコツーリズムの組み合わせは、今後の発展性があるのではと思います。
エコツーリズムの事例については継続していないものも含め、20年経って一度整理しながら次につなげる時期に来ているのではないでしょうか。
山本 自然保護というと保護対象がかなり明確で、湿原や農地など資源の性格によって分けられますが、エコツーリズムは空間的にもつながる考え方なので、応用が効くというか非常に実践的だと思います。そういう意味で、エコツーリズムは自然だけではなく文化や生活、生業も伝える非常に総合的な「器」だと思います。
ガイドの話も出ましたが、日本ではなかなかプロ化できないという問題があり、今後はプロガイドの育成も期待したいところです。そうなると資源と資源をつないで地域を紹介するプログラムが充実すると思います。
菅野 エコツーリズムは「器」という言葉が、非常にしっくりくると感じました。簡単な形だけは決まっていますが、料理の盛り付け方はいろいろで、その中でいろんなことが起き得る懐の深さがある考え方なのかなと思います。
海津 だからこそ、定義の論争が今も続いていて、これでいいという最終ゴールに至っていないところがあるのでしょうね。
寺崎 もっと斬新な理論が出てくるかと思ったのですが、当たり前のことを現場で体現して地道に活動してきたからこそ、日本でエコツーリズムが受け入れられたのだと思いました。今日はありがとうございました。
出席者
海津ゆりえ(かいづ・ゆりえ)
文教大学国際学部国際観光学科教授。立教大学理学部卒、農学博士(東京大学)。専門はエコツーリズム。フィールドは岩手県宮古市、鹿児島県奄美群島、東京都八丈島、ガラパゴス諸島、フィジーなど。著書に『エコツーリズムを学ぶ人のために』(世界思想社)など。
堀上 勝(ほりかみ・まさる)
環境省大臣官房審議官。1989年に環境庁に入庁。
2009年から4年間自然ふれあい推進室長としてエコツーリズム等の業務を担当し、その間に三陸地域のグリーン復興プロジェクトにも関わる。
山本清龍(やまもと・きよたつ)
東京大学大学院農学生命科学研究科森林科学専攻森林風致計画学研究室准教授。1973年高知県生まれ、50歳。東京大学大学院農学生命科学研究科助教、岩手大学農学部准教授を経て、2017年10月より現職。東京博士(農)。専門領域は、国立公園等の保護地域の計画管理と観光地計画論。
菅野正洋(かんの・まさひろ)
公益財団法人日本交通公社
観光研究部 地域マネジメント領域 上席主任研究員
進行:寺崎竜雄(JTBF)
座談会撮影○村岡栄治
構成・文○井上理恵
注)OECM(Other Effective area-based Conservation Measures)
保護地域以外で生物多様性保全に資する地域