❷福島県 相馬市(松川浦地区)

地域への「気づき」を通じた震災からの「再生」
管野貴拓(ホテルみなとや/ホテル飛天)
久田浩之(亀屋旅館)
井島順子(ホテル飛天/元 相馬市観光協会復興支援員)

エコツーリズムへの取り組みの現状

―相馬市観光協会のウェブサイトにエコツアー(体験コンテンツ)のリストが掲載されていますね。2年前(観光文化249号の取材執筆時)にお話を伺った時にはなかった夜間のツアーなど、内容が充実している印象を受けますが、いかがでしょうか。

井島 「2年前にはなかった夜間のツアー」というのは「ムーンロード・カフェ」ですね。言ってみれば、星を見て、月を見て、お茶するだけの内容なんですよ。
私たちとしては、絶対それは売れないだろうと思っていたら、逆に都会の子どもたちがハマったんですよね。何もなくて、ただ波音を聞いているだけで癒やされると。ただ価格設定は難しかったです。安過ぎても手間だけかかるし、持ち出しにならない値段にしつつ、どこまでガイドの力で面白くできるか、というのが肝ですね。
久田 「ムーンロード・カフェ」に関しては特殊でしたね。仲間と新しい体験コンテンツを作ろうと、地域に宿泊している大学生に話を聞きに行きました。はじめは、「映(ば)える夜景を撮ろう」のような内容を考えていたんですが、あっさり「夜景は東京に負けます」って言われて(笑)。で、逆に何が体験できたらいいのかと聞いたら「波の音を聞きながら寝袋に入って、夜空を見たい」って言われたんです。はじめは何を言ってるのかなと思いました(笑)。というのも自分たちは毎日、空や星は見えるし、波の音は聞いているし、正直それの何が良いのか分からないんだけど、都会から来るとそれが新鮮に感じるらしいんですね。デトックスですと言われたんですよ。それなら一回やってみようかとなって。水平線から月が出る瞬間を見せるツアーを一回やってみたら、思いの外きれいだったんですよ。正直言うと、90分のツアーの中で30分ぐらいはほったらかしなんです。ただ、参加者の皆さんは満足した顔で帰ってくるっていうことがあって、不思議だなと思って見ていました。
 実は、明日も、相馬市が企画するモニターツアー(「相馬藩第34代当主「相馬行胤」氏と巡るプレミアムツアー」2023年7月1日〜2日開催)があります。今回、お客様には私たちの経営する旅館にお泊まりいただくのですが、旅館のバスでの送迎や、浜焼き体験のガイドとして協力させていただきます。
井島 相馬市の伝統行事である野馬追の総大将である相馬藩の当主の方がガイドになって、お客さんに説明しながら相馬を巡るっていう内容です。そういうのもここ2〜3年、私たちが浜焼きなどの体験を提供してきているのを行政の方々が見て、うまくそれと関連させて相馬に人を呼び込めないか、泊まらせる仕組みができないかっていう観点で実現したことですね。皆さんが今まで頑張ってきたのを行政も認めてくれたのかな、と感じています。

エコツーリズムと出会って変わったこと
―「エコツーリズム」に取り組んだことによって、皆さん自身はどのように変わりましたか。

久田 自分は環境省に支援してもらった「復興エコツーリズム」の取り組みに、他の人から少し遅れて参加したんです。最初は訳も分からず参加して、正直、自分が本格的にガイドすることになるとは思っていなかったです。ただ、震災後に復興事業の関係者などが数多く地域に宿泊する、いわゆる「特需」がありました。
それが終わって、環境省の事業も終わって、いざ観光に取り組もうとなったときに、お客さんも来ないし、何も武器がないみたいな感じになったんです。
2016年とかその辺りですね。管野 そのタイミングで、環境省の事業の中で形として立ち上げた「ガイドの会」をきちんと動かしていこうとなりまし
た。ただ、その時点でも、まだ何をやればいいか明確でないし、コンテンツも定まっていないという状況で、言ってみれば「赤ちゃん」のレベルでしたね。
久田 その中で取りあえずできることをやらなくちゃと思ってガイドをやったんですよ。そうしてお客さんと直接話をすると、自分の思いに共感してくれたりすることが初めて面白くなってきたんですね。それで、コンテンツの数が増えてくると、あれ、松川浦ってこんなに魅力があったんだっていうか、あまりにも身近過ぎて何とも感じてなかった部分が商品になるんだっていう、その驚きもあって、これすごく面白いじゃんって思ったんですよね。あと、ガイドをやって動きが大きくなっていくと、いろんな人とつながっていくんですね。加えて、知識も技術も増えたし、なので自分の中で今ガイドは面白いんですよ。やり方次第なんでしょうけど、自分がここまで変わるとは思わなかったんですけど。
管野 震災と原発事故が起こった時点で私たち個々人も地域も絶対的に「変わった」んです。私たちみたいに商売やっている人間は生活が成り立たないから尻に火が付いたんですね。ただ原発事故の影響も収まらなくて、どうしようって時期が1年ぐらいあったんですよ。という中で一番初めに何かやりませんかって働きかけがあったのが、環境省の事業だったんですね。
その意味では、一つの道しるべだったと思っています。それまで漁師が魚を取って、仲買人が値札入れるだけで、本当に何に価値があるのかとか全然知らなくて、私のような旅館の人間も、取りあえずおいしい魚があるから来てくださいとお客さんを呼んで、泊まってもらって、はいさようならっていう感じでした。それが、魚にもどんな価値があるのか、本当はもっと価値があるんじゃないか、と気づいたら、全く値段が違うわけですよね。

―別の視点として「地域」はどのように変わったでしょうか。

久田 地域としては、ガイドの会の活動の中の「浜焼き」が、ある意味バズってるというか、活動が地域の中で注目されている感じはありますね。頑張ってるな、松川浦のことちゃんとPRしてるな、みたいな声をもらうこともあります。そういう風に応援してくれるんだなっていうのを知った感じですね。あとは、ガイドの会の活動で、いろんな人と関われますね。例えば、町の人、漁師、農家、建設業とか、それまであまり連携がなかった人たちと出会うので、改めて相馬市って広いなって思っています。普通にいろんな職業の人がいると。当たり前なんですけど、井の中の蛙で知らなかったので、それを知ることができたのはかなり大きいですね。
井島 やっぱり震災を経た中で、それまで浜、街、山と別々だったのが、つながりは深くなったのかなと思います。あと、年配の方々が下の世代に委ねていくのが上手だったのかもしれません。築き上げてきたものをうまく渡して、下の世代がそれを超えようとするパワーがある相馬市になってきてるかなって思います。
それを絶やさないで、さらに下の世代につなげられるようになるともっといい地域になるのかな。

自分たちにとってのエコツーリズムとは
―これまでの皆さんの活動を仮に「エコツーリズム」という言葉を使わずに説明するとしたら、どのような表現になるでしょうか。
井島 一言で言えば「地元を知る」ですかね。自分が知らなかった地域の良さを知るという意味で。
管野 そうだね。本当に地元の魅力、価値を分かって、それをきちんと地元の力にしたり、商売に生かしたりするっていうことなんだと思いますね。
井島 あるいは「気付き」なんですかね。
管野 「気付く」っていうのは第1段階で、そこから何かするわけだよね。
井島 気付いて、それを有効活用するとか、価値をそこに生み出すことかな。小さいものから、ぼんっと一回り大きくなるようなイメージなんだけど。
久田 「気づく」にはやはり外の目ってとても重要で。自分たちにとっては、地元の物事は当たり前過ぎて、「これに価値があるんだ」って気付くのが結構大変なんです。正直「ムーンロード・カフェ」に関しては、なぜ売れるのかまだ分かってないんですよ。でもそれにちゃんと気付いて初めて見せ方がうまくなって、お客さんも喜ぶんですね。そのレベルになるまでが大変ですけど。
管野 ここは、最近流行りのAIに回答してもらいましょう(と言ってノートPCを取り出し入力する)。
 質問はこんな感じです。
 「地域の危機があったことで、それを脱却するために地元の資源をよく知り、地域の人間がまとまり世の中が良くなる現象をなんといいますか?」
 回答は「そのような現象は、地域振興または地域再生といいます」だそうです。
一回震災や原発事故である意味「壊れた」
地域をもとに戻すという意味では、この回答の中だと「地域再生」っていうのが一番近いですかね。(談)
 聞き手:菅野正洋(JTBF)

管野貴拓(かんの・たかひろ)
会計事務所勤務を経て、震災以前に父が経営するホテルみなとやに入社。2020年10月からは浜の駅松川浦の食堂・浜の台所くぁせっと店長、2022年3月からはホテル飛天の代表取締役も務める。

久田 浩之(ひさた・ひろゆき)
亀屋旅館4代目。相馬の海、浜をこよなく愛し、旅館経営のかたわら、松川浦ガイドの会会長としてエコツアーを中心的に実践している。祖父の代が復活させた松川神楽の継承・普及にも尽力中。

井島 順子(いじま・じゅんこ)
大学卒業後、旅行会社の営業や添乗員等を経て浪江町の旅行会社で勤務。震災後に幼少から高校までを過ごした相馬市で復興支援員として活動。2023年4月からはホテル飛天の従業員として相馬の魅力を伝えている。