❺東京都 小笠原村

小笠原のルールの流儀
〜オガサワラオオコウモリの自主ルール作りから振り返る〜

吉井信秋(マルベリー代表)

「ルール」と「ガイダンス」を常に意識して

 僕が小笠原・父島で陸域ガイドをはじめたのは2000年。早いものでそれから20数年経ちました。当初、陸域でガイドをする業者はごく少数でしたが、その後数年の間に増加。そうすると、現場では、ガイド間の認識の違いが顕在化したり、フィールドの管理者から要望やクレームが聞こえてくるようにもなります。その対策としてガイドたちが集まっていくつかのルールを作っていきました。僕は小笠原村観光協会に所属するガイドとして、特に、オガサワラオオコウモリの自主ルール作りには主導的にかかわりました。その時の経緯を簡単に振り返りながら、小笠原における利用のルールの一端を紹介したいと思います。
 2004年に小笠原が環境省エコツーリズム推進モデル地区に選ばれたこともあって、その関連の会議や打合せなどに何度か顔を出しました。そうした中で、ある会合で聞いたのが、エコツーリズムの本質的要素は「ルール」と「ガイダンス」、という環境省職員の言葉です。この言葉が強烈に印象に残りました。エコツーリズムの概念をとてもシンプルにまとめていると思いました。他の内容はほとんど覚えていませんが、僕がガイドとしてやるべきこととして、この二つの要素が頭に焼き付きました。その後もこの言葉をずっと意識しています。

ガイド自らが調整・制御する自主ルール作り
 冒頭に触れた状況下、実際にルール作りの必要に迫られたのが同じく2004年頃です。ナイトツアーにおけるオガサワラオオコウモリのウォッチングフィールドとして、頻繁に使う東京都亜熱帯農業センターの展示園の一部に地面の陥没が起きていて、管理者から夜間の立ち入りは危ないということで夜間立入制限を打診されたのが発端です。この時、僕はナイトツアーの会の代表役となっていました。
 オガサワラオオコウモリのウォッチングには東京都亜熱帯農業センターは必須の場所でした。閉鎖になっては困るので、ガイドから夜間利用の ルールを提案することによって認めてもらおうと考え、検討を始めたのです。オガサワラオオコウモリに詳しい研究者にもアドバイスを頂き、何度も協議を重ねて、ルールをつくりました。その結果が小笠原村観光協会の自主ルールという形でまとまり、東京都亜熱帯農業センターと協議した結果、ナイトツアーでの夜間利用が認められました。それからは、利用する事業者は、毎年、年度初めに、年間利用の申請をしています。
 ルール作りの過程では保全側の研究者のアドバイスを受け、利用側である自分たちの思いとの溝を埋めるべく、協議を重ね、落としどころを探りました。その成果として、ガイドが自分たちの行動を自ら調整・制御する自主ルールをつくることができました。結果として、オガサワラオオコウモリへの影響の少ない、いいものになったと思います。

 議論の争点は、ライトや撮影時のカメラのフラッシュ使用の可否でした。研究者のアドバイスや他の事例を参考に、赤いフィルターか弱いライトならいいだろうということになりました。それまでは、まぶしいぐらいの明るい光を使用している事業者もいました。写真撮影については、当時はまだフィルムカメラの時代だったので、フラッシュをたかないと撮れませんでした。なので、全くなしにはできないので、妥協案として、状況のいい時に1カットという、ややあいまいなルールにしました。ちなみに、現在はデジタルの時代になり、フラッシュなしでの撮影は可能です。ナイトツアーの現場を見ていても、フラッシュ撮影はほぼ見られなくなっています。
これが発端となり、立て続けにナイトツアーにからんだアオウミガメ、ヤコウタケ(グリーンペペ)のルールも決めました。

 自主ルールは拘束力がない、もしくは弱いのですが、所属団体で決めているのと、周りの目もあるため、実質は効力が発揮されています。小笠原村観光協会の自主ルールのため、それ以外の村民などへの強制力はないのですが、このルールのおかげで、村民も同じようなやり方でウォッチングしていただいているようです。団体の自主ルールが地域のルールとして扱われています。
 また自主ルールを決めたことで、より強制力の強い行政からのルール制定の動きはありません。これでうまくいっていれば、民間にとっても、行政にとっても、都合がいいのだと思います。行政が決めたルールだと変更するにはかなり時間がかかりますが、民間の自主ルール変更なら自分たちで臨機応変に対応が可能です。加えて、行政の立場からすると、民間のルールであればルール設定、維持、変更のための費用がかからない、矢面に立たなくてすむなどの利点もあるでしょう。もちろん民間主導であっても行政にはご協力いただいています。
 日本でエコツーリズムが知られるようになった頃から、小笠原ではすでに利用に関するいくつかのルール(法律、制度、自主ルール)が制定されています。最初のルールは、1989年にできた「ホエールウォッチングの自主ルール」です。これはホエールウォッチングを始める前に、関係者がハワイに視察調査に行き、ハワイの事例を学び、作った自主ルールです。僕たちみんなが誇りにしているルールです。これがあるからこそ、小笠
原は日本におけるエコツーリズム発祥の地の一つだと言われるのだと思います。
 僕がかかわってきたルール作りは、どちらかというと、自然資源を利用する事業者の危機感が発端となったもので、決して褒められたものではありません。ホエールウォッチングのルールのように、予め負の影響を想定して、ルールを作るのが理想だと思います。しかし、現実はなかなかそうはいかないものです。

自主ルールをまとめた『小笠原ルールブック』発行
 自主ルールの制定そのものはいいことだと思うのですが、自主ルールが増えた結果、島民にも、観光客にも、どんなルールがあるのかわかりにくくなってきました。そこで、ある会議で僕が提案したのが、自主ルールをまとめた「ルールブック」の作成です。これは屋久島で同様なものを見ていて、小笠原でも役に立つと思ったものです。その提案が小笠原エコツーリズム協議会(当時は小笠原エコツーリズム推進委員会)で生かされて2005年に、『小笠原ルールブック』が編集されコンパクトな冊子として発行されました。その後、何度か改訂されて今も存続しています。現在はデジタルデータが公開されていますが、冊子の発行が減ってしまい、島民や観光客の目につきにくくなっているのが残念なところです。
 こうした利用者が主体的に取り組むのが小笠原スタイルだとすれば、今後も(自主)ルール作りは、ガイド(利用者)、研究者(保全)、行政(管理者)が、互いに協力し、議論しながら、設定していくのがいいと考えます。
 僕はもう若くないので、この先は次世代のガイド事業者にしっかり引き継いでいってもらいたいと思います。これまでの事例にかかわったものとして、小笠原の流儀をきちんとアドバイスできれば幸いです。ただし、時代は変わっていくのが常なので、過去に縛られすぎるのも困ることがあります。柔軟に対応していってほしいです。そこは次世代の人が判断していくことになるでしょう。

吉井信秋(よしい・のぶあき)
北海道大学農学部卒。民間企業で数年勤務ののち、退職し、小笠原に移住。2000年に陸域専門ガイド「マルベリー」を代表として立ち上げ、現在に至る。小笠原ホエールウォッチング協会など地元の複数団体の役員を経験。環境省登録環境カウンセラー(個人部門)。