❾鹿児島県 屋久島町
屋久島エコツーリズムのこれまでと将来への課題
小原比呂志(一般社団法人屋久島アカデミー)
屋久島の自然破壊を問題視し、アンチテーゼとして日本初のエコツアーを展開
1980年代後半、筆者が移り住んだ当時の屋久島では、ヤクスギの伐採が依然進行していた。島は中世の頃から林業に依存しており、島民の大半は「自然を保護したら食っていけなくなる」という感覚が強かった。残された原生林を損なうことに危機感を覚えた筆者らは、これに対し「自然を残して食ってゆく」方向に価値観の転換をするためにはガイド観光が有効ではないかと考えた。これがちょうどユネスコが主唱し世界的に動き始めていたエコツーリズムの考え方と合致しており、日本最初期のエコツアーガイド会社YNAC(屋久島野外活動総合センター)を作る契機となった。
エコツアーガイドを始めるにあたり、魅力だったのは屋久島の自然の多様性と質の高さだった。縄文杉と国内最大のスギ天然林、「日本百名山」宮之浦岳はすでに知名度を高めていたが、その他にも豪壮な花崗岩の渓谷や、魚種の多様性が全国でも最高クラスであることが見いだされ、一続きの生態系として保護された山・森・谷・海のいずれもが、景観も自然の質も極めて優れたものであることが明らかにされており、このことは世界遺産(自然遺産)に登録される理由ともなった。この小さな一つの島で自然の多様性を活かし、YNACは多様で品質の高いツアーを多数制作して高い評価を得た。
屋久島のエコツアーが知られるにつれ、それぞれの分野に特化したガイド業者が増加し、2000年代には全島で世界遺産にふさわしい多様なエコツアーが展開されるようになった。
エコツアーは産業に成長したが、ガイドの品質の保証が課題となった
そうした活発な動きのなかで、地域としてガイドのロールモデルを確立する作業は難航していた。
屋久島エコツーリズム推進協議会は2006(平成18)年度に屋久島ガイド登録制度の運用を開始したが、ガイドの資格が問われる認定制度を作ることには失敗していた。2013(平成25)年に環境省の調整によって協議会は検討を再開し、大変な難産ではあったが登山、カヤック、ダイビングのいずれかのガイド技術と「屋久島学」試験合格とを条件とした屋久島ガイドの認定制度がスタートした。屋久島町はこの認定資格を取得した者に対し、町が推薦できるガイドとして公認するという主旨の「屋久島町公認ガイド利用推進条例」を採択した。ただ町はこの制度に強制力を持たせることには踏み込まず、しかもガイドにどのような水準を求めるかを具体的にしなかったため、不徹底なものに留まった。
またリーマンショックや東日本大震災、コロナ禍などによって需要の波が激しく上下するとガイド数は不安定になり、その後Go To トラベルなど急激な需要増加があると、エージェント的な位置で集客する業者が「誰でもいいから」ガイドを探すという状況に陥り、トレーニングを積んでおらず接客技術も身につけていない低質なガイドが一部で目立ち始めた。このことは屋久島観光の評価を著しく低下させ、ガイドたちが自主的に積み上げた信頼感を損なうことになった。つまり強制力のない公認制度は機能しなかったということになる。
この状況において、ようやくガイドに必要とされる職能を明確にし、その取得を義務付けることの必要性が語られるようになった。
エコツーリズムの定義が変動し、その主体は自然から地域に変わった
エコツーリズムは息の長い政策である。
2019年、筆者がガイド、宿泊、物販など関係者に呼びかけて開催した屋久島エコツーリズム懇話会の席で、エコツーリズムって何でしょう?との問いに、なんとほとんどの参加者が答えられないという事実が露見した。唯一の発言が「地域のためになる、みたいな観光?」だった。エコツーリズムの先進地と目される屋久島での、比較的意識ある集まりにおいて、である。
実はこの問いには、専門家でもスムーズに答えられないことが少なくない。逡巡しながら「定義にもいくつかあって」とか、「立場によってさまざまな意味が」などとあれこれ挟んでしまうにちがいない。無理もない。なにしろ国内には主なものでもNACS-J、JES、環境省、日本エコツーリズムセンターなどによる定義が4つもあり、いずれも文言の主体が管理者、旅行者、事業者などさまざまである。つまりそもそもエコツーリズムの意味は視点や立場によってけっこうバラバラなのである。
加えてその意味するところが2000年代半ばを境に国内で大きく変わったように思う。つまりエコツーリズム推進法の成立以来、その主体は「地域」とされた。
エコツーリズムの看板は同じだが、意味するところが地域おこしに変えられたのである。エコツーリズムは20年も続けられている息の長い政策だが、実は国内でその意味が流動してきたため、なかなか社会的に定着できず軌道に乗れなかったという言い方もできる。
ガイド資格はより普遍性を持つ必要がある
筆者は、屋久島のエコツーリズムという言葉に確固たる実質を見出しており、その役割に困難はあっても疑問はない。
しかしこの意味の流動を考えると、屋久島のようなウィルダネスが確立すべきエコツーリズムと、あらゆる地域が主体となり得るエコツーリズムとでは、その果たすべき役割はかなり立ち位置の異なったものとなるだろう。しかしその実際を大きく担うガイドの職能に関しては、共通するものがあり、普遍性のある資格制度が必要かもしれないと考えている。目を見張るような自然や建築物のない地域でも、インタープリテーションを活用した優れたツアーは可能であり、それはむしろエコツーリズムの背後に必要とされる教育的効果を考えれば重要かもしれない。各地域での特殊性や貴重性への配慮と磨き上げはもちろん重要だが、接客技術やインタープリテーション技術のような基礎技能を整えることがエコツーリズムの底力につながるような気がする。
小原比呂志(おばら・ひろし)
北海道十勝出身。鹿児島大学水産学部卒。
1987年屋久島に移住。屋久島野外活動総合センターの創立メンバー。NHKドキュメンタリー「伝説の超巨大杉を追う」捜索隊長。2022年一般社団法人屋久島アカデミー設立、代表理事。
屋久島大学プロジェクトを主導する。著作に「屋久島のコケガイド」(共著)「屋久島野外博物館フィールドガイドブック」(共著)等。