❸宮城県 塩竈市(浦戸諸島)
人とつながりながら、これからも島の魅力を伝えていく
遠藤 勝(遠藤マリンサービス/野々島感動支援隊)
エコツーリズムへの取り組みの現状
ー漁船を使った浦戸諸島の島めぐりツアーや、みちのく潮風トレイルのハイカーのための渡船運航などの取り組みをされていますね。最近の動向はいかがですか。
みちのく潮風トレイルの渡船運航に関してはデータがありまして、2019年6月に全線開通してから2022年10月までの3年4カ月の間に、150回近く渡船を出して280名以上のハイカーを乗せています。この期間はちょうどコロナ禍と重なりますので、この数には結構驚いています。今後コロナが落ち着いたら、もっと数は増えてくるのではと期待しているところです。私を含めて4名で分業して渡船を運航していますが、それでもそこそこの数だと思います。
一方で、漁船を使って浦戸諸島の景観を楽しみながら解説を行う「だんべっこ船ツアー」は、コロナ禍の期間中は、数回実施したかどうかという感じです。こちらももっとお客さんが参加してくれるとよいと思っています。
エコツーリズムへの取り組みのきっかけ
ー震災前からこういった活動はされていたのでしょうか。
元々自分がやっていきたいのはこういう観光だなという思いはあって、震災前から構想を練っていました。漁船のメンテナンスを仕事にしていて、漁師の皆さんの高齢化には敏感だったんです。まず、後継者がいない。当時も「今年でカキ養殖辞めるんだ」と言う人もいたし、今後の先行きがどうなっていくんだろうっていう思いを持っていました。自営業なので退職というものがないわけですが、だったら一番好きなことをして生きていきたいなという思いを持っていたんです。
そんな中、震災が起きて、私は当時消防団員だったんですけど、10メートル後ろまで津波が迫って、追われながら逃げて助かったんですよ。島の高台まで走って逃げたんだけど、家はつぶれてしまいました。
ー構想していた観光のアイデアは震災でいったんなくなってしまったということですか。
そうです。そのときからしばらくは消えてしまいました。家もなくなったし、全てゼロからっていう状況でしたから。
でも、なぜか希望は持っていたんだと思います。そのような中で、塩竈市役所経由で、環境省の事業の話をいただきました。先進的に取り組んでいる地域に視察に行ってみないかといった感じです。震災前からの考えもあったので、じゃあ行ってみようかなという流れだったと思います。まさに「渡りに船」という感じですね。
事業に参加してみたら、1人で考えるよりも、周りに仲間がいるとやりやすいなというのはありましたね。震災前は誰にも相談できるような状況でもなかったので。
ー震災前に考えていた事業と、環境省が進めようとしていた「エコツーリズム」は、大体一緒のイメージでしたか。
私はそんな難しいことまで考えられる人間じゃないので、とにかく自分の船に人を乗せて、自分が思いを持って生きてきたこの浦戸の自然について話しながら、お客さんに少しでも喜んでもらえばいいっていう、そんな単純な考えだったですね。好きなことをやって、それで少しでもお金がもらえたら、そんなに良いことはないねという感じでした。
だから2013年ごろでしたか、環境省の事業で岩手県田野畑村で実施されている「サッパ船ツアー」の視察に行ったときには、「これだよな」とぴんときました。当時実際に参加して思ったのが、田野畑村とは、その風景から何から松島湾とはまるきり違うということでした。
それでも「松島湾には松島湾の魅力ってあるよね」と思いました。そこで生まれ育ってきた人間だからこそ、出た言葉だったと思います。やっぱり浦戸には浦戸の魅力を見せられると気づいて、良いところに連れてきてもらったなと思いました。
エコツーリズムと出会って変わったこと
ー「エコツーリズム」に取り組んで、自分はこう変わったという点はあるでしょうか
これは何と言ってよいか難しいですね。先ほどのとおり、私はいつも好きなことをやって、その幸せ感いっぱいで毎日を過ごしてきたので。ただ、人と関わることがこんなに勉強になるんだというのは、日々感じてます。観光客やハイカーは日本全国から来るわけなんです。船上ではその人たちと話すのはせいぜい1時間ぐらいですが、基本的にこちらから話します。どこから来たんですかとか、お仕事何なさってるんですかとか。そうすると、お客さんの側も気持ちが通じてきていろんなことを話してくれるんですよね。
正直言って、みちのく潮風トレイルが全線開通した2019年ぐらいまで、自分の中では復興は終わってなかったんですよね。住んでいる人間じゃないとたぶん分かんないと思うんですけど。逆に言うと、やっと復興が一段落した今、これからが大事な仕事になっていくなというのを、ひしひしと感じてます。
もちろん、まだ終わってないですよ、われわれにとっての復興は。でも、こういった取り組みに携わらせてもらって、希望っていうと大げさになるのかな、でも、こんなにいろんな考えを持った人がいるんだな、自分も頑張ってみようかなっていう思いを持ったのは確かです。
トレイルが開通して4年が過ぎたところですが、トレイル、だんべっこ船、そのほかにもカヌーなど、離島だからなのか分からないけれど、こういう田舎の地域に熱い視線が寄せられているような感じがしますね。
今後の展望と次世代に伝えたいこと
ー今後お考えになっているアイデアなどはありますか。
しばらくは現状維持ですね。自分はこれを本業にしているわけではないので。夏場は結構、本業の漁船のメンテナンスのほうが忙しくて。トレイルの渡船を何人かで分担してやろうという話になったのも、そういった事情があります。
島の高齢化率は7割を超えて若者がいない。だから、誰かやってみたいという人には積極的に教えていきたいという思いも持っています。自分たちの世代ができることは、レールを敷くまでだろうなとは思ってます。ただ、レールを敷くにもいいかげんなものではいけないので、島の歴史だったり、生物であったり、日々勉強はしてますよ。
島の美化運動を行っている「野々島感動支援隊」という任意団体があり、私が中心になって活動していますが、そちらには新しいメンバーが入ってきています。そういったつながりをもっと強くして、島の魅力を伝えていきたいとも思っていますね。(談)
聞き手:菅野正洋(JTBF)
遠藤 勝(えんどう・まさる)
塩竈市浦戸野々島出身。中学校卒業後、島から仙台市内の高校に通学。塩竈市内に就職した際にも島から通勤していた。1992年船舶機械の販売・修理を行う遠藤マリンサービスを設立。
無料渡船の船長、浦戸の良さを伝える野々島感動支援隊としても活動中。