コロナ禍が一段落し、観光の動きも盛んになってきた。国内観光も復調しているが、中でも急速に回復・増大を見せているのが訪日外国人数(訪日客数)である。日本人出国者数と比較した訪日客数は2・5倍強に至っている。
原因が〝円安〞とされることもあるが、現在と為替レートがほぼ同じであった1980年代後半を振り返ると、当時〝日本観光は高い〞と敬遠されていたことを思い起こしてしまう。しかし〝費用が安い〜〞は、今はあまり無さそうである。コロナ禍前から日本は既に〝行ってみたい国〞であり、規制が取れ吸引力が現実化したと言うのが、妥当な理解だろう。では〝行ってみたい国〞とはなんだろう。
今でも、日本は、国際的な観光情報サイトにみる観光地の分類に当て嵌まるが、実際に世界の観光地を訪れてみると、日本のグローバルな観光イメージは、それらとかなり異なっていることに気づくであろう。そこに訪日客増加の要因理解と観光振興のポイントがありそうである。
現在の訪日期待は、半世紀強に及んで輸出されてきた日本製品が世界に創り上げてきた〝生活の質の高さ〞というイメージ(製品価値に基づく生活イメージ)と、近年の日本観光を経験した旅行者たちに身体化した日本イメージ(滞在生活の質を創り出すサービスの価値)の相乗作用から生まれたものでは無いだろうか。とくに、後者(その様に語られる投稿も含めて)がSNSで表す日本の印象が、物語性を持っていることに注意する必要がある。多くが高品位な日本の社会アメニティについて語り、その理由を観光ビジネスにおけるシステム化された施設や人的接客サービスばかりか、市民の丁寧で親切な対応、街の清潔さや安全を守ろうとする行動においている。これは、かつての近代観光がステレオタイプ化してきたパーティのように騒々しく和気藹々とした雰囲気と大きく異なる点である。
さらに訪日客が、そこから自国で営む生活の一歩先を、訪日経験から思い描くように見える投稿も多くある。そしてそのイメージの舞台には、世界で活躍するミレニアムやZ世代の文化を支える〝個人化した社会〞の存在もあって、それを踏まえつつ訪日経験をメタに評価し利用していることが窺えるのである。個人化しているとは言え、コンプライアンスの効いた社会アメニティの上に想起される新しいが深い社会関係の連想(表現)がそれを示唆する。
SNS情報の一部が事実とは異なるフェイク情報であるとしても、要は文脈であり、それらは日本政府観光局や観光産業が発信している観光資源やビジネス中心の情報とは異なっている。既存の観光タイプと整合するには情報提供の方法に間違いは無く、この日本経験のレトリックが創り出す評価の二層性が、日本らしい〝メタツーリズム〞の特性なのである。そう理解することに寄って、アニメ視聴や漫画講読が日本訪問の初期動機を形成したと語る彼ら世代の「聖地巡礼」型の訪日行動も理解できてくる。
現在の訪日客の動向は、単に計測統計的なエビデンス志向からみるだけでは十分ではない。デジタル世界における観光の性格やシステムとの関係で、レトリック重視の個人化した視点からも検討する必要がある。そのためには、世界の観光地を訪問し、そこに滞在する観光者の嗜好と発信、観光地の運営主体によるパーソナル情報の活用とDXなどを調査する必要がある。先の訪日客理解の仮説は、現地での交流を通じ検討課題を明らかにするベースであり、日本の役割を検討する手がかりでは無いだろうか。