特集③-❶ ニュージーランド視察の全体像と政策動向
観光研究部 上席主任研究員
中島 泰
1.ニュージーランド視察の背景と目的
今回、ニュージーランド(NZ)に視察に訪れた目的は、NZと日本が持つ共通点と違いを前提に、サステナブルツーリズム(ST)を社会実装する上でのヒントを得ることに置いた。なお、ここでいうSTは、狭義のエコ、いわゆる自然体験や環境配慮のあり方に留まるものではなく、文化資源を含めた資源管理、地域経済への貢献も含めた地域社会・コミュニティとの付き合い方等も包含した総合的な概念としてのものである。
近年、サステナビリティへの対応・対処については、観光分野のみならず、社会全体のあらゆる側面からの要請が急速に高まっている。ところが、観光分野は他領域と比しても、移動に伴う温室効果ガスの排出や自然資源の損壊から伝統文化の変容など、元来サステナビリティに対する脅威となりやすい性質を有しており、さらに近年は「オーバーツーリズム」という言葉によって観光がもたらす負の影響に対して更なる関心を集めている状況にある。そうした中、STの実現に向けたグローバルな動きとしては、国連世界観光機関(UNWTO)が2017年を「開発のための持続可能な観光の国際年」としてSTの推進に取り組んだ他、近年ではUNWTOと国連環境計画(UNEP)の支援を受けて設立されたグローバル・サステナブル・ツーリズム協議会(GSTC)によって国際基準の導入が進んでいる。このようなSTの課題と取組の「標準化」ともいえる動きは、先行ケースからのノウハウの共有による効果的・効率的な課題解決へ寄与することが期待される一方で、地域固有の自然・文化資源であったり、それぞれの複雑な背景・文脈を持つ地域社会との関係性といった「局地的」で「固有」なサステナビリティの実現にはどれほど有効であるのか、そこには議論の余地がある。
そういう点では、同じ島国という地理的条件の中で多様かつ固有な自然生態系と独自の特徴的な文化を有し、互いに温泉といった観光資源を持つNZと日本。その両国がどのようにSTの「標準化」と向き合い、どこまでを受け入れた上で、同時に「局地的」で「固有」なサステナビリティを実現してこようとしてきたのか。今回の視察では、その過程と成果、課題に着目しながら、各研究員の視点でNZ観光の今を見ていくこととした。
2.パンデミックを経て
各研究員による視察報告に入る前に、基本情報としてCOVID‐ 19のパンデミックがもたらしたNZ観光への影響と回復状況、加えてNZ観光に係る近年の政策動向の変化について整理しておきたい。
NZの観光は、2011年2月に発生したカンタベリー地震で一時的な影響を受けたものの、好調なインバウンド観光に支えられ、全体的には右肩上がりの成長を続けていた。その半数以上は隣国オーストラリアからの訪問者であったが、近年では中国からの訪問も増えている状況であった。そうした状況が、2020年の年明け以降、COVID‐ 19によって世界中の観光地と同様にNZの観光地も未曽有の大打撃を受けることとなる。特にNZは当初から「ゼロコロナ戦略」と呼ばれる極めて厳格な感染対策を取っていたため、その影響はさらに大きいものであった。
世界的な感染の拡大以降、まず水際対策としての入国制限については、2020年5月以降、長い期間にわたって国境を閉鎖する方針が示された。その方針が一部緩和されたのは約1年後の2021年4月で、オーストラリアからの入国者に対する隔離措置を免除することとなり、特定の国・地域との間のみで相互の移動を認める「トラベル・バブル」を世界の中でも早くに実現させた(ただし、デルタ変異株の拡散により7月に中止)。その後、ワクチン接種を要件とした入国許可や、ホテルでの隔離期間の短縮などの段階的な条件の緩和を経て、2024年1月現在、予防接種と検査の要件はすべて撤廃されている。
一方、国内移動に関しては、2020年3月から約1か月にわたって「ロックダウン」(不可欠な移動以外は自宅待機)が行われ、その後もゼロコロナ戦略に基づいて、感染者が確認される度に全国あるいは都市単位でのロックダウンが繰り返されるなど非常に厳しい感染防止対策が取られた。しかし、2021年10月、新たな感染増加への対応が困難となってきたことでゼロコロナ戦略の継続を断念し、COVID‐19との共生へと方針転換が図られた。
以降は、国内移動に関しても段階的に規制が緩和されていった。
こうした状況を受けて、インバウンド、国内観光ともに観光客数は一度は基本的に0(ゼロ)にまで落ち込んだ。
その結果、2019年度時点でNZ全体のGDPの5.5%を占めていた観光業による収入は、2020年度には2・9%まで減少、労働力(観光業直接雇用)は33%減少、観光収入全体の43%を占めていたインバウンドからの収入は91%減少することとなった。
その中で政府は観光業界への幅広い支援を提供した。具体的には従業員に対する賃金補助や戦略的プログラムに対する資金提供が行われた他、国内観光の再興を図るなど、観光産業の存続と復興のための政策支援を実施。
国内観光客による支出額は既にパンデミック前の水準を上回った他、インバウンドに関しても日本及び中国からの観光客の戻りが遅れているものの、全体としてはほぼ戻りつつある状況と言える(図1)。
3.近年の政策動向の変化
2019年以前のNZでは、全般的には好調なインバウンド観光を好意的に受け止めつつ、一部地域においては過密状態が生じ、観光客の体験の質、環境、地域社会に悪影響を及ぼしつつあることが問題となっていた。そうした状況を受けて検討、策定されたのが、NZの観光分野における上位計画である「政府観光戦略(NewZealand-Aotearoa Government Tourism Strategy」(2019年5月公表)である。NZの政府観光戦略では、以前の戦略から通底するビジョンとしてSTの追求を掲げてきたが、本戦略においても改めて、持続性には環境、社会、経済的側面が含まれており、相互にトレードオフされるものではなく、連携して機能させる観光システムの重要性を強調している。
その上で今回の戦略では、最優先の課題として、「観光システムの最適化のための関係者間の調整(コーディネート)」、「長期で持続可能な資金調達メカニズムの確保」、そして「地域(デスティネーション)でのマネジメントの実施」の3つが挙げられている。最後のデスティネーション・マネジメントの強化方針では、ST推進における課題の解決策を「カスタマイズ」して各観光地の観光におけるメリットを最大化させるため、地域単位でデスティネーション・マネジメント計画を策定することを盛り込むように求めており、地域の自律性をより高めることで、局地的かつ固有のSTの課題解決を図る動きとしても理解できるのではないだろうか。
今回訪問したカイコウラ地区においても、同方針に基づいてデスティネーション・マネジメント計画を策定しており、パンデミックで観光がフリーズした期間において関係者間の徹底的な議論や住民ワークショップを繰り返し、「従来型観光」の存続から「新しいモデル」による持続可能性の追求に議論を発展させることで、復興を機会とした地域社会と観光のよりよい関係構築を目指した同地域の取組について話を聞くことができた。
4.視察を終えて
私自身は今秋で4度目のNZへの視察訪問となったが、今回は、パンデミックを経た観光事業者、地方自治体、そして観光局から改めて現在の状況及び今後に向けた思いについて聞き取ることができた。その中で、「カイティアキタンガ(KAITIAKITANGA)」という同じワードを、行政と民間事業者を通し、そして初めてNZを訪れた10年前から今回に至るまで、いずれの場面でも聞けたことは、正直驚きであった。
カイティアキタンガはマオリの言葉で、英語では「guardianship(後見・保護)」あるいは「sustainability(持続可能性)」と訳されるもので、以前の政府戦略から現在の戦略に至るまで観光推進における「KEY VALUE(重要な価値基準)」として掲げられている。こうした標語は、ともすると「掲げられて終わり」な形式的、あるいは一時的なパフォーマンスの形になりがちだが、私が話した行政職員は観光戦略を理解する上での要としてカイティアキタンガを語り、民間事業者は自社のSTの取組を説明する上で、NZにはそもそもカイティアキタンガという考え方があると語っていた。
STの社会実装を図る、つまり市場(需要側)と観光セクター(供給側)の双方にSTの参画者を増やして社会的な波及効果を生んでいくためには、需給双方の規模を一定以上に増やした上で経済原理を働かせるようなマーケティング的な視点が欠かせない一方で、国内観光地においてはそこに到達するまでが難しいという話をよく聞く。そのブレークスルーにおいて、NZ流の価値観や考え方から呼びかけて仲間を増やしていく「共感型」のプロセスは非常に参考になるのではないかと考えている。