特集②-❹ スイス・オーストリア方面への視察を終えて
観光研究部 上席主任研究員
菅野正洋
1.スイス・オーストリア方面への視察の背景と目的
筆者は、過去2号の本誌『観光文化』において、概念としての「デスティネーション・マネジメント」(234号:2017年7月)、あるいは「デスティネーション・ガバナンス」(245号:2020年4月)の研究動向をレビューしてきた。
これは、観光地のより良いあり方を希求するための諸概念の理論的系譜を把握・整理することで、我が国における観光地づくりの実務においても、一種のフレームワークとして参考にし得るという認識のもとで行った試みであった。
上記の「デスティネーション・マネジメント」の研究動向のレビューの際には、いくつか副産物的な知見も得られている。その一つが、「『デスティネーション・マネジメント』に関する論文の著者の所属先は、欧州あるいはオセアニア地域に偏在している」というものであった。
今回、組織的に実施した3つの海外視察の方面の一つに欧州のスイス・オーストリアを選定した背景にはこのことがある。
これまでのレビューの結果、「デスティネーション・ガバナンス」は、観光地における多様な関係者の存在と不確実性を背景として、「デスティネーション・マネジメント」と「並立」あるいは「拡張」する形で、地域関係者間の「意思決定」や「合意形成」のあり方をとらえる概念であることを確認している。
この度のCOVID‐ 19によって、我々が住むこの世界には常に「不確実性」が内包され、時にはそれが現実の危機として現出することがあるという事実が改めて認識された。そのCOVID‐19がようやく収束を見た現下のタイミングで、観光地をマネジメント/ガバナンスの対象としてとらえる研究的な土壌がある欧州の現状を改めて確認することが、今後の我が国の観光地のあり方を考えるうえで大いに参考になるのでは、と考えたわけである。
2.「デスティネーション・マネジメント/ガバナンス」に関する研究の動向
ここで、上述した過去2回のレビューに続き、2020年以降(COVID‐19発生以降)の「デスティネーション・マネジメント/ガバナンス」に関する研究の動向を確認しておきたい。
例えば、Bichler ら(2021)は、地元住民が観光ガバナンスにどのように関与し、その関与が観光地の持続可能性と発展にどのように影響を与えるかを理解することを目的として、観光地における実地調査やインタビューを行い、地元住民の観光ガバナンスへの関与を調査し、さらに、文献レビューや国際的なベストプラクティスの分析を通じて、観光ガバナンスの設計における地元住民の役割について考察している。
また、Thees ら(2020)は「リビングラボ」がデスティネーション・ガバナンスにおいて住民の参加を促進するためのツールとしてどのように機能するかを検証している。リビングラボとは「国民、政府、業界、学術界(いわゆるQuadruple Helix Model)の主要な関係者間での共創とオープンイノベーションを促進する実際のテストおよび実験環境」(European Network of Living Labs )とされているが、それが住民との協働や意思決定プロセスの改善にどのように寄与するかを理解し、住民の参加を促進するための効果的な手法を提案することを意図したものである。
一方、Volgger ら(2021)は、観光地デザインの概念や手法を探求し、従来のアプローチに加えて、より継続的で持続可能な目的地の開発を促進する新たな視点を提案する試みの中で、観光地デザインは、持続可能性、コミュニティ参加、地元文化の尊重などの要素を重視することで、観光地の継続的な成長と発展を促進する手法となることを指摘している。
以上3編は論文として発表されている数多くの研究のごく一部ではあるが、いずれの研究にも共通しているのは「マネジメント/ガバナンスにおいて住民との関係性を改めてとらえ直す視点」が含まれているという点である。
デスティネーション・マネジメントのフレームワークとして知られているVICEモデル(対象を来訪者(Visitor)、観光産業(Industry)、地域社会・住民(Community)、地域環境・文化(Environment and Culture)の4要素としてとらえるモデル)に見られるように、もともと「デスティネーション・マネジメント/ガバナンス」の概念には「住民」という視点が組み込まれているともいえる。
その「住民」との関係性が、この度のCOVID‐19や、あるいは従前から広範な関心事項となっていた「オーバーツーリズム」などの諸局面を経て改めて認識され重要視されるようになっているのではないか、という仮説が想起されるわけである。
今回の海外視察では、デスティネーション・マネジメント/ガバナンスに関わる研究者および実務者とも意見交換を行っている。実際にその中でも、
●パンデミック以前からオーバーツーリズムなどの状況に関連して、住民との新たな関係性に関する議論はされていたが、観光が停止したことで、研究者にとっては改めて観光について考えるための最良の瞬間であると認識されたことで、研究テーマとして対象となるようになったのではないか。
●COVID‐19の後、コミュニティの“well-being”についての意識が高まっている。また、ステークホルダーとして住民自身も、自らが関わる局面で何が起きているのかを注意深く観察する必要があることを学んだという事情がある。
といったコメントが得られており、右記の仮説を支持するものとなっている。
3.各論考にみるガバナンスの様相
那須、小川、江﨑による各論考は、それぞれ、欧州の自然環境や景観、歴史、文化という多様な地域資源を、
①保護地域制度によって「保全」し、
②非動力系交通ネットワークによって「接続」したうえで、地域の観光というシステムを、
③DMO・財源制度によって「駆動」させるという、総合的・複合的な取り組みを、各断面から評価する試みであるともいえる。
ここで、各論考で紹介された事例から、本稿の主たるテーマである「ガバナンス」(関係者間の「意思決定」や「合意形成」のあり方)に関する事項を抽出し、横断的に評価してみたい。
①保護地域制度
●スイスでは、国立公園の認定にあたって、保護管理体制の構築、予算確保を含めた持続性の確保、管理者の設置や管理計画の作成などを、認定前に地域として行う制度設計となっており、このプロセスによって関係者間の合意形成がなされる。
●逆に計画や体制を作りきることができるレベルの、高い水準での合意形成がなされていなければ、そもそも公園認定に至らないともいえる。
②非動力系交通ネットワーク
●スイスでは国家だけでなく、各連邦州、民間の各分野の団体等が参画し、垂直、水平の両方向に広がりを持った連携体制により「スイスモビリティ」が整備、運営されている。
●その中心主体となる財団では、非動力系交通の発展、質の向上などを目的としたワークショップを全26州等で開催するなど、ルートの見直しや標識の点検、管理に取り組んでいる。
③DMO・財源制度
●スイスを中心とする欧州各国では、直接民主制を維持する社会制度から「自分たちの力や制度でどのように地域の価値を高めていくか」「正しい政策決定にコミュニティが納得するか」といったことを考える土壌が古くからある。
●また、「州や連邦政府の政策に文句を言う文化がある」とも言及されており、税の使途の納得感にも厳しい目が向けられてきた結果、宿泊税の使途の条文による明確化につながっている。
これらの事項からは、スイス・オーストリアの各種の取り組みの背景にある社会的な特性として「高いレベルのガバナンスを要求し、自ら実現していこうとする自治意識の高さ」に想像が及ぶ。
我が国では政策的に登録された「観光地域づくり法人」(DMO)が、地域の関係者の合意形成の舵取り役となることが期待されている。それに加えて、今後の「不確実性」を内包しつづける状況下においては、観光地域づくりに関わる主体間で、さまざまな検討課題を「自分事」としてとらえ、高い自治意識を持って対応していく一種の意識変革が必要になるのではないだろうか。そしてそれは、かつて「寄り合い」と呼ばれたような、自律的なガバナンス(自治)のシステムを内包していた我が国の地域社会(コミュニティ)においては、その復権を十分に期待し得る目標像なのではないかと考える。
〈参考文献〉
1)菅野正洋.(2017). 海外の学術研究分野における「 デスティネーション・マネジメント」 の概念の変遷(特集 デスティネーション・マネジメントの潮流).
観光文化= Tourism culture: 機関誌, 41(3), 4-14.
2)菅野正洋.(2020).「 デスティネーション・ガバナンス」 の研究動向. 観光文化= Tourism culture: 機関誌, 44(2), 4-9.
3)菅野正洋. (2020). 視座 「デスティネーション・ガバナンス」 の概念整理と我が国における方向性.
観光文化= Tourism culture: 機関誌, 44(2), 24-28.
4)Bichler, B. F.(2021). Designing tourism governance: The role of local residents.
Journal of Destination Marketing & Management, 19, 100389.
5)European Network of Living Labs WEBサイト(https://enoll.org)、2024年1月12日最終閲覧
6)Thees, H., Pechlaner, H., Olbrich, N., & Schuhbert, A.(2020).
The living lab as a tool to promote residents’ participation in destination governance. Sustainability, 12(3), 1120.
7)Volgger, M., Erschbamer, G., & Pechlaner, H.(2021). Destination design New perspectives for tourism destination development.
Journal of Destination Marketing & Management, 19, 100561.