特集①-❹ ホテルモラトリアム

―公共政策による環境変化への介入

観光研究部 主任研究員
後藤健太郎

1.一時的制限の導入
―観光モラトリアム

 コロナ禍前、観光業界に留まらず社会問題化したのがオーバーツーリズム(観光過剰)である。観光客の急増により、観光の正のインパクトだけでなく、負のインパクトが顕在化していた。
住民の生活の質や観光客の体験の質の低下が問題となっていたのだ。そして、新型コロナ・パンデミックが一定程度落ち着き、観光需要が回復傾向にある今、国内外の一部の地域ではオーバーツーリズムの再燃が報じられている。
急激かつキャパシティを超えた過度な利用および開発は、地域に不可逆的な影響を及ぼしかねない。恒久的【注1】な制限を導入するかは別として、利用や開発を一時的に制限し、住民や環境への負担を軽減しつつ、地域自身が方向性を見出し合意形成を図る。そうした時間の確保が必要ではないだろうか。戦略的に予防的アプローチを採りつつも、加速し押し寄せる変化に対しては戦術的な対応をせざるを得ない。万能薬がなく後手に回ってしまう中で、環境変化に対して速度調整を行い、態勢を立て直す。そのための「猶予期間(モラトリアム)」確保の手法をここでは検討してみたい。
 世界では、一時停止措置の方法として「観光モラトリアム」を導入している地域が幾つか確認される。我が国の観光分野では聞き慣れない言葉であると思われるが、例えば、森林伐採や天然資源採掘等においては、資源管理やや環境への影響抑制等の観点から「モラトリアム」が導入されている。
 観光分野では、特定区域の一時的な立入禁止やプログラムの催行一時停止等の事例もあるが【注2】、多く目に留まるのは宿泊施設の一時開発停止「ホテルモラトリアム」(hotel moratorium)である。例えば、島嶼地域では、今回視察対象候補であった米国ハワイ・マウイ島のほか、インドネシア・バリ島やジャワ島のジョグジャカルタ、スペイン・カナリア諸島やバレアレス諸島等で確認される。
 その目的は、観光政策の観点からは、過剰供給や需要減少による観光産業の収益性の低下および競争激化の回避、魅力の源泉となる環境や資源等への負の影響抑制、地域外資本による開発の制御誘導等。公共政策の観点からは、地域住民の住宅確保、地域経済の多様化、交通渋滞の解消等が挙げられよう。
 我が国においては、2000年代後半にその取り組みが紹介されたが(参考文献1、2)、観光研究の蓄積は十分とは言い難い【注3】。以降では、コロナ禍前に検討がなされ、2022年にホテルモラトリアムが導入されたマウイ島の事例を紹介する。なお、今回の視察では、2023年8月に発生した山火事を受け現地調査を取りやめたため、文献資料等を通じた紹介となることをあらかじめお断りしておく。

2.マウイ島の発展と観光の成長

 マウイ島は、ハワイ諸島主要4島のうちの一つであり、人口は約15万人、面積は1884㎢、ハワイ州5郡のうちの一つ、マウイ郡に属する。島外への人口流出抑制を目的に、1960年代以降に観光マスタープランに基づき島内複数の地区が開発された。当初から高支出額旅行者を対象としていたことに特徴がある。また、1960年代後半以降、観光の重要性を認識した上で、観光を合理的な範囲に留め、経済的ニーズとライフスタイルとのバランスを確立すること、経済の多様化を図ることを重視、模索してきた。しかし、2006年策定の『マウイ郡観光戦略計画2006‐2015』でも記載されているように、マウイ郡は他郡と比べて観光依存度が高い状況にある。
 マウイ島の訪問者数は、1990年には約200万人であったが、2019年には初めて300万人を超えた。現地では、居住人口、訪問者数ともに増加傾向にある中で、交通渋滞、駐車場不足、違法駐車、私有地への侵入、無許可の商業活動、空港混雑、一時的な民泊の増加、住宅不足・住宅価格の高騰、水不足等、多岐にもわたる問題現象が以前にも増して発生。既存のインフラを圧迫し、住民の生活の質に悪影響を及ぼしていた。新型コロナ・パンデミックにより観光業は壊滅的な影響を受けたが、2021年夏には、2019年の9割程度に観光需要が回復。適切な観光管理に向けてさまざまな対策【注4】が講じられる中で、その一つとしてマウイ島で導入されたのがホテルモラトリアムである。

3.ホテルモラトリアム
―居住人口と訪問者数の関係

●導入の経緯、意図
 マウイ島での、ホテルや一時的なバケーションレンタル(TVR)等の宿泊施設の一時開発停止(以下、「ホテルモラトリアム」と略す)条例は、マウイ郡議会(以下、郡議会)から提案され、2022年1月に成立した。
 2019年(コロナ禍前)の「環境・農業・文化保存委員会」ではモラトリアムが提案されており、2021年に再度、導入に向けた動きがなされた【注5】。
2021年7月に郡議会は、「マウイ島南部および西部における観光客用宿泊施設の建築許可を一時停止する法案」を可決したが、マウイ郡長(以下、郡長)が拒否権を発動(郡議会はそれを無効化できず)。同年12月、郡議会は、マウイ島全域を対象とした法案を再提案し可決。その後の郡長の拒否権を無効にして、翌年1月に成立させた(最長2年間停止)【注6】。この一時停止は、「観光客の来訪を阻止することが目的ではなく、むしろ新規建設の許可を停止」することにあり、これにより「郡はオーバーツーリズムを抑制し、経済を多様化し、より手頃な価格の住宅を提供する計画を立てる時間を得られる」とのことであった【注7】。
 なお、郡長が拒否権を発動(一度目、2021年7月)したのは、「一時停止は、カフルイ空港の群衆を緩和し、道路の交通量を減らし、違法な一時的な民泊の問題を解決するものではない」との理由であった【注8】。また、郡長は、「マウイ(という場所)は第一に(人々が生活する)コミュニティであり、第二に休暇の目的地である、ということを訪問者に思い出してもらいたい」(括弧は筆者加筆)【注9】と発言していたことも確認される(2021年6月)。
●導入の根拠、調査の実施
 ホテルモラトリアム導入の根拠としては、『マウイ島計画』(Maui Island Plan)の目的、行動等が挙げられる【図1】。同計画では、1日あたりの「訪問者数が住民の約33パーセントを超えないように努めることにより、望ましい人口を促進する」【図2】【注10】とされており、「いつでも島の住民と訪問者の数の関係は、重要な公共政策の論点として無視できない」とも述べられている。ただ実態としては、コロナ禍前に、既にその基準を超えた状態が続いていた【表1】。
 なお、ホテルモラトリアム導入への動きと並行して、2021年7月に郡議会の予算・財政・経済開発委員会(BFED)に「観光管理・経済開発臨時調査グループ」(TIG)が設立された。
構成員は4名、会合は計8回開催され、2022年2月に最終レポートが公表された。詳細は別の機会に譲るが、同調査および関係箇所との協議等を経て、2022年10月の郡議会において、「一時滞在に関する包括的区域条例」の改正案が可決された。これにより、同年1月に導入されたホテルの開発一時停止(モラトリアム)は終了の方向となるが、キャンピングカーの宿泊利用禁止や一時的なバケーションレンタルの上限は継続される方向に至った。

4.包括的な成長管理、環境変化への対応

 マウイ島でのホテルモラトリアムの発動と終了をどう見るかは見解が分かれるであろう。さまざまな立場からそのプロセスも含めて検証が必要となる。住民生活への悪影響は軽減されたのか。観光事業や地域経済にどのような影響があったのか。発動のタイミングや根拠は適切だったか等。また、ホテルモラトリアムは事態改善のための一手にすぎないので、包括的な成長管理を意識しなければいけない。加えて、マウイ島が掲げる地域経済の多様化の実現は非常に難しい、というのが現実である。ここでは、まとめに代えて、マウイ島のホテルモラトリアムに関する関連情報等をお伝えしておく。
 実は、マウイ島では、1991年にもホテル開発の一時的な制限が行われた【注11】。しかし、その後、米国本土西海岸や日本が経済不況に陥ったことを受けて、米国本土東海岸等からの誘客などマーケットの多様化に取り組んだ。規制策の前提となる状況の変化が起こり得ることも想定しておかなければならないだろう。また、より俯瞰的に見れば、新型コロナ禍の制限とその段階的解除(再開)も、一時的制限の一つであり、オーバーツーリズム期、コロナ禍という区分を超えて、観光の管理手法として、実践例をもとにその高度化を図らなければならない。その時重要となるのは、地域における観光に取り組む意義、意味の共有・再確認であり、バランスという点からも総合計画、地域計画の中で観光の扱いを明確にしておくことが重要だと筆者は考える。【注12】。

 マウイ島で発生した山火事により亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。そして、マウイ島の一日も早い復興とともに観光の復興を心よりお祈り申し上げます。

※注1……本稿では、制限期間が明確に設定されているものを「一時的」、制限する期間を設定予定だがまだその期間が確定していないものを「暫定的」、無期限と設定するものを「恒久的」とする。
※注2……観光モラトリアムには、債務の支払いを一定期間猶予させる金融モラトリアム等もある。
本稿ではそれらの総称を「観光モラトリアム」と呼ぶ。
※注3……一時的措置という行為を「モラトリアム」という用語で捉えていないものも多いと思われるため、研究にあたっては、対象とする事例の精査が必要である。
※注4……マケナビーチ駐車場の有料化、ワイアナパナパ州立公園での駐車料金・入場料・予約システムの導入、イアオ渓谷州立公園の入場予約制、独自の宿泊税3%を追加等。
※注5……きっかけの一つは、サウス・キヘイにおいて、あるホテルの拡張(170室)が許可されたことによる。ただし、マウイ島のホテルの客室数は減少傾向にあった(2017年7,742室、2019年7,295室)。
※注6……MORATORIUM ON TRANSIENT ACCOMMODATION PERMITS ON MAUI期間は、「観光管理・経済開発臨時調査グループ」による勧告を議会が実施するまで、または2年以内のいずれか早い方まで。
なお、マウイ島での導入前に、マウイ郡ラナイ島で、2020年に1年間のモラトリアムが導入された(MORATORIUM ON TRANSIENT ACCOMMODATION PERMITS ON LANAI)。
※注7……Hawaii News Now「マウイ郡長の拒否権を無効にし、郡議会が新しいホテル建設の一時停止を可決」
(2022年1月9日)記事より。
https://www.hawaiinewsnow.com/2022/01/09/overriding-maui-mayors-veto-county-council-passes-moratorium-new-hotel-construction/
※注8……The Maui News「郡長がホテル一時停止法案に拒否権を発動」(2021年7月21日)記事より。
https://www.mauinews.com/news/local-news/2021/07/mayor-vetoes-hotel-moratorium-bill/
拒否の理由として、マウイ郡憲章で義務付けられている適切な審査を経ていないことも指摘されている。
※注9……Independent.co.uk「ハワイ市長、パンデミック後の観光客が州に殺到する中、航空会社に航空便の「一時停止」を要請」(2021年7月7日)記事より。
https://www.independent.co.uk/news/world/americas/hawaii-mayor-flights-pandemic-travel-b1879803.html
原文は、“I want to remind the visitors that Maui is a community first and a vacation destination second.”
※注10……TIGの最終レポートでは、同記述における33%という裁量的な文言の削除が提案されていたことが確認される。
※注11……INTERIM RESTRICTIONS ON THE DEVELOPMENT OF HOTELS
対象は、ラハイナ、キヘイ・マケナ地域。
※注12……マウイ島の事例は、定住人口増加下での取り組みであることに注意が必要。
TIGの最終レポートでは、マウイ島への転入者の制限についても議論があったことが確認される。

〈参考文献〉
1)国土交通省(2007):3.インドネシア・バリ島における観光投資・開発の実態、観光投資に関する調査・研究報告書,pp.119-151
2)北村倫夫(2008):国内における世界水準のデスティネーション・リゾートの形成に向けて、知的資産創造、pp.88-101
3)下村誠氏による一連の研究:「土地利用における一時的規制と損失補償(上2008)(中2011)(下・完2012)、高岡法学
4)Mansel G. Blackford(2001):Fragile Paradise:The Impact of Tourism on Maui, 1959-2000
5)Lance D. Collins , Bianca K. Isak(i 2016):Tourism Impacts West Maui
6)マウイ郡公式ホームページ https://www.mauicounty.gov/
7)マウイ郡議会公式ホームページ https://www.mauicounty.us/
8)Dick Mayer(2018):Has Maui reached its tourism limit?,The Maui News, SEP 9, 2018
https://www.mauicounty.gov/ArchiveCenter/ViewFile/Item/26550
9)リゾート開発研究会(1992):『日本/ハワイ・リゾート開発ワークショップ報告書(リゾート開発増刊号)』
10)西山徳明(1995):4-2 ハワイ諸島におけるリゾート開発の事例分析、
「観光開発地域における文化変容と演出設計および景観管理計画に関する研究」、京都大学博士論文、pp.4.4-4.29