観光地づくりオーラルヒストリー<第8回>三村 浩史氏
4.これからの「観光」・「観光地づくり」・「観光計画」への提言

概要

観光地づくりオーラルヒストリー<第8回>三村 浩史氏<br />4.これからの「観光」・「観光地づくり」・「観光計画」への提言

これからのわが国の観光、観光地づくりに必要なことは何か

●研究アプローチを振りかえってみて

私は、生活空間計画としてレクリ―ション地域、とくにオープンスペース利用とその配置計画からはじめました。過密で閉鎖的な都市空間に開放性、快適性、戸外活動の機会を確保することは近代都市計画の条件の基本だと思っていました。ところが、実際に各地を訪れてみるとそれぞれの地形や気候が違う、景色も、吹いている風にも味わいがある。まして観光地といわれる生活空間では地域の味わいを演出することが大切だということに気が付きました。そこで、昔からの旅行案内や景色由来などをみていると、名所、景勝地、史跡、八景などの由緒、あるいは浜、川や湖、城と町、台地、渓地、岬と島嶼などに住み着いてきた人々が愛着をもって名づけ、大切にしてきた土地柄も含めて考えたいと思うようになりました。

オランダの広大な緑地でも海抜ゼロメートル地帯を干拓して水路網と風車でシンボライズされる村落を築いてきたヒストリーがいっぱいです。琵琶湖の湖岸公園化調査を始めたときは、公開緑地の保存調査で目いっぱいでしたが、しだいに湖岸の景観、漢詩由来の琵琶湖八景の現地確認などをと思うようになりました。何が人々を観光客としてそれぞれのご当地に引き付けるのか。その土地でなければ体験できないような特色とはどうセッティングされるのか。景勝(名勝)、史跡、名所、名所、・・・など、これらは建築家が創設するものではありません。自然の地形や気象、村や町の定住、信仰、芸能、地場産業、名物、そして温泉、それらは何世紀もかけて注目され尊敬され語られてきたものです。昔話が脚色され物語や地域づくりにまで歴史が広がってきたのは人々の執着で、これを観光客誘致の資源としてきたのです。宗教町、温泉町、春秋の行楽地、島や半島など、日本の国土はきめ細かくそれぞれにユニークな地域形成を現代に伝えており、それを観光資源にすることで集客効果が得られてきたのです。あちこち旅行してこのことが分かってくると、時代嗜好もありますが、何が観光客誘致の資源となるのか、まだまだ発見、再発見する潜在資源がいっぱいあることが想像できます。現代の名所づくりはいかになされているでしょうか。

●伝統的町並みの観光資源価値

新しい価値の再発見・継承について私にとって最大の体験は、「伝統的町並み」「歴史市街地」への関心の高まりでした。1970年代に成人した世代の多くは、大都市の団地で育ってきたので、旅に出る田舎の風景は感激的だったと言えます。これをJRが「ディスカバージャパン」という旅行需要キャンペーンに言い当てたのは優れた企画だったと言えます。民家建築の造形はよく学んできたのですが、伝統的町並みが保有しているのは建築物単体だけでなく、そこで営まれてきた生活文化を内包するものであり、民俗や年中行亊、仕事体験などと一体として演出されることで価値が浮かび上がるのです。この経験は、観光のテーマだけでなく、1980年代頃に伝統の家屋と現代の家族の暮らしやまちなかの中小企業の仕事をふくむ都市計画デザイン全般の方針としても大切だと考えるようになりました。古くなったストックをスクラップしてピカピカの建造物にしてしまうよりは、活かせる中古ストックはリノベーションし、新しいものはそれとアンサンブルするか対置するか何らかの関係を持たせて作る方が地域の時間を感じさせると思います。

この時期に重要なテーマがつぎつぎと出てきました。それらがまさに破壊され失われようとしていました。私がかかわったのは、河川上流の乱開発に起因した水害からの対策としての河川拡幅の犠牲になろうとしていた伊勢河崎のまち並みや長崎の眼鏡橋。琵琶湖総合開発にともなう湖岸環境の破壊、さらに復帰にともなう本土からの土地買占めとたたかっていた沖縄竹富島があります。さらにもう1件、大阪の中之島一帯の高層化プランで失われようとしていた市公会堂・府立図書館・市役所・日銀大阪支店の近代建築資産群の保存運動があります。

●都市のシンボル 大阪中之島を守る会への参画

中之島で参加した取り組みは、1971年の「日本建築学会近畿支部」が市に提出した保存要望書にはじまり、建築家や市民有志による「中之島を守る会」の粘り強いキャンペーンによって、やがて市民がうねりのように参加する「中之島まつり」へと盛り上がりをみせました。

結果としては、文化財指定、耐震補強と改修、大阪近代の由緒を大切にするデザインが実現できました。私は学会のメンバーとして参加していました。相手方との交渉にもいきました。大阪市役所に抗議に出かけたときは、正面の営繕課長が京大出身だったので、帰り際「私の授業の単位は取っていましたね?」と、つい余計な念押しをしてしまいました(笑)。また、保存要望書を提出していた日銀からの応対も得られませんでしたので、建築学会近畿支部としては、大阪市民の盛り上がりをバックに本店に直訴することにしました。単なる要望文書ではなく、現本館を保存活用するとともに西側の予備地に内庭をへだてて新館を新設してはというアイデアプランを持参しました。前日から夜を徹して設計図にまとめました。その後の扱いはわかりません。いまでは本館は保存され、内庭と西側の新館が新設されました。新館は中之島の場所性と歴史的様式と調和しつつ現代デザインにとりくんだ名建築として現出しています。私たちのアイデアプランに日銀からの設計料は頂いていませんが(笑)、まちづくりにおけるいろいろな要望ベクトルをイメージとして合成して説明する手法が役だったのかなという自己満足が残っています。

1970年当時、中之島一帯の流れはドス黒く濁り悪臭が漂っていました。地盤沈下対策として水辺はコンクリート護岸で固められていました。大阪近代のシンボル建築群の保存にあたって中之島祭りが組織され、その市民体験が、同時に水辺や公園環境のアメニティ回復を誘発し、さらに今日の「水都フェスティバル」の賑わいのような大阪の新名所づくりにつながったわけです。関わった多くの市民がその場所性に気づき、ゲストとしても自覚を高めたのは大きな成果だったといえるでしょう。

なお、新規の投資がすべて都市景観を破壊するとは断定できませんね。たとえばエッフェル塔と京都タワーですが、建設時は猛反対を食らいました。でも今日では都市のランドマークとして承認されています。それ自体の時代をシンボルとして表現するデザイン、都市の軸線にのっている位置が馴染まれてきたものです。それが場所のシンボル性というものでしょう。

ここまでが、空間計画に関わってきた私の体験です。

ホストとゲストどちらかといえば受け入れ地域の特色やサービスで観光客を誘い、もてなすサイドへの関わりであります。生活空間計画学という私の学問ジャンルから展開してきました。

京都の都市景観や京町家の保存計画については、改めて述べる機会を持ちたいと思います。

左図:「中之島 よみがえれ わが都市」まもる会1974年         右図:「中之島・公会堂 蘇る都市の鼓動」大阪都市環境会議(高田 昇 監修)1990年

左図:「中之島 よみがえれ わが都市」まもる会1974年
右図:「中之島・公会堂 蘇る都市の鼓動」大阪都市環境会議(高田 昇 監修)1990年

●観光旅行を設計する、企画する

話は飛躍しますが、私が紹介したホスト&ゲスト論では、観光客を客として迎えるホスト=もてなし手、ゲスト=迎えられる客という関係がありました。ここに観光地という地域の広がりを持ち込むと、交通や宿泊事業体だけでなく住民や自治体も広い意味のホストになります。たとえば景観や歴史記念物、年中行事や名物などの維持運営などいろいろです。ゲストは誰に迎えられるのかというと、マスな観光産業と強く連携しているところもあれば、地元依存という場合もあるでしょう(東京ディズニーリゾートクラスの大規模で主張のハッキリした施設ではホストもゲストも明快ですね)。

これからの観光を考える場合の課題の一つは、「自分の観光の内容を誰が設計デザインするか」であろうという点です。かつてのような寺社参詣、季節行楽、温泉休養など旅の類型が幾つかであった場合と違って、現在はゲスト(観光客)の方の趣向も行き先も楽しみ方も多様化しつつあります。また、マス・ツーリズム団体時代と違って小規模グループ化しています。またホスト側も、これまでの通り一遍のガイドにとどまらない、特定のテーマについての街歩きやモノづくり体験などメニューを増やしてきています。

トラベルの語源にはトラブルなど労苦の意味も込められていたようですが、こんな一節を読んだことがあります。「対象から隔離されたような駆け足的パック旅行なら別だが、創造的な旅を志向するならやはり郷に従うべき。かれらのライフスタイルに合わせて行動しそれが身についてくる頃には、旅の収穫もずいぶん大きくなっているだろう。」(インドに触れる旅/ブルーガイドブックス1988年)。安全で快適な旅とは逆で、受け入れ意識もないコミュニティに押しかけて実地体験する。ウヒャーッと毎日驚くことばかり、何が生じても自己責任といった見知らぬ世界への探検には興奮しますが、ポピュラーではありません。

それでも、日本のいまの中高年世代はかなり旅慣れています。自分の趣向を満たすために役立つ旅行パックはどれか、商品を見分ける力をつけています。そこで、改めてトラベルエージェントの働きを見てみる必要があると思います。トラベルエージェントは旅行デザイン(企画、斡旋、販売、品質管理、価格管理・・)などを担当しています。実のところ私はトラベルエージェントのパッケージツアーを体験したことがあまりありません。たいてい研究室の調査グループで、海外から留学生がやってくれば向こうの先生や院生との交流に出かける。時には学会の前後の単独行もある。観光を研究していればどこへ行っても公務出張といえるのでなかなか純然たる物見遊山になりにくいのです(笑)。ただ、いろんなトラベルエージェントの広告を見ていると近年の新しい傾向がうかがわれます。興味や目的別の行先、訪問先やルートもタイミングよくセットしています。乗り物、宿泊サービス、現地訪問先・コース、オプション、料理にわたるかなり詳細な情報が入手できます。ガイドも重要なはずですが、あまり詳しくありません。

人びとはこれらの要素情報から自分に最適の旅行を組み立てているでしょうか。ITを駆使してできる人も増えています。でも、たいていはトラベルエージェントで相談してセットで購入します。とくにテーマ、季節、乗り物、宿泊施設、お料理、ガイドまで適切なサイズに組み合わせ、そして、かなりミドルアッパー向けの仕様で、この価格でといったパッケージなメニューとして商品化するのはすごい能力だろうと思います。デザイナーのサインを付けておくとか、年間コンクールで表彰してみると、メンバー構成が判ると思われます。

普通の工業製品や日常消費財であれば、生産から流通そして消費までの流れが分かりやすいのですが、旅行商品ではそれがあまり分かりません。旅行パッケージの製作者、製作スタッフと能力、品質管理、特に顧客の満足度など、現代の「御師」※5の役割を果たすトラベルエージェントの姿についてもっと知りたいと思います。

これからの観光について人々がどんな観光活動をしたいのか、どういう観光であれば満足度が高いのかを考えてみると、その一つの側面に、旅行者自身が旅行パッケージの企画段階から参加し、提案するという旅行も多くなるのではないかと思います。いわゆる業界のプロが考え抜いたパッケージなどはよくできているのですが、何を活動のテーマにするか、観るのか、どんな経験をしたいのか、どんな人に会いたいのか、そういうオプショナルテーマをツアーとして具体化するためにゲストグループとホストグループとが事前にテーブルを囲むような場を作り、その設営や助言サービスできれば、もっとユニークな旅の商品化や良好な品質の管理もできると思います。

私のさらなる提案は、こうした旅行デザインの実務とは別に、ホスト側もゲスト側も色々な人々や組織が参加するガイド研修のネットワークをつくることです。注文メニューにも応じられるようにしたいものです。観光客サイド=ゲスト側は、この数十年間の旅行経験から目が肥えていますし、事前情報も手に入れやすくなっています。観光客はいわゆる名所めぐり=通り一遍の見物では満足しません。テーマや季節を選んだ少人数のツアーや、滞在先で選択できるオプショナルツアーも工夫される時代に入っています。TV放送でもブラタモリや家族・住まい探訪など、ちっちゃいテーマで60分番組をもたせるような深い読込みもあったりして地域発見の旅は更に複雑に広がりそうです。

●国土スケールで観光を考える:人口の定住配置移動

これは、これからの観光流動を考える基本となる課題です。大都市圏への労働人口の集中、地方小都市農山村圏への休養旅行の流出という在来パターンがこれからも続くのでしょうか。あちこち海外を旅してきて、日本列島を見返してみると、じつに国土がきめ細かく形成されていることに気付きます。島嶼や半島、湾、海浜、山と谷と河川のバランス、豊富で美味しい水、はっきりした四季の気候、それぞれの区分に発展してきた小都市とその文化、伝統が受け継がれてきていることに感謝します。地質構造などからしてあらゆる災害の多発国で国土の運営は困難を伴っていますが、そこに生きる姿も含めて風土の緻密さがあります。それゆえ、世界の観光ゾーンから見ても大変貴重な資源だといえましょう。それがいま危機にあります。

きめ細かい景観はそれぞれに定住してきた人々によって培われてきたものです。これが過疎から限界集落、居住放棄などによって崩壊しないかどうか心配です。今後、海外からの投資を含む大規模な土地買占めによるリゾートゾーン開発(別荘、遊戯施設、ゴルフ、スキー、マリーン…)が進行しそうですが、どうすれば定住人口を維持できるでしょうか。国土交通省が示唆しているグリーンツーリズム構想では、農林漁業生産や地方産業を維持してくためにUターンIターンの定住人口を最小限確保しようとしているようですが、さらに、イタリアの農村のように、中長期・季節滞在の住民を迎え入れたり、また地域づくりを域外から支援する新たな郷友会会員、支援ボラティア、地域事業出資者なども募集するなどして、新しい地域作りのシェアホールダーを増やすのはどうでしょうか。その場合の魅力要素の一つは観光活動の活発化です。これらの人々も参加する地域型ツーリストエイジェンシーを組織し、ゲストサイドと応答できるようになれば、行楽ツアーや滞在も充実するでしょう。

●高齢化社会と観光

一般に高齢化に伴い、旅行活動は鈍くなると考えられがちですが、団塊世代、団塊ジュニア世代は旅慣れています。限られた日数での早周りよりも滞在日数を長く取ることも大切です。ここで、滞在型住民といったコミュニティ縁故を培っておく意味があります。彼らはホストとゲストをつなぐコンシェルジュのように活躍してくれるでしょう。またそれなりに仕事を分担するといった滞在型定住パターンが注目されるでしょう。大都市圏外にも滞在場所を持つ、複数居住地住民とか地域交流縁故関係者も観光の一形態となるかもしれません。観光とリゾートと居住の組み合わせも考えてみるべきでしょう。

国土各地において、大都市圏内でも小都市農村圏内でも、それなりの定住が継承されるように、その地域の魅力発見と発信のための多彩な観光活動オプションの提案が待たれます。

●人類のツーリズム学を

結びとして、世界における日本の産業や文化、学問を考えるとツーリズム現象は国や民族の相互交流と理解の重要な機会です。そして地域づくりにおいても自らの特性を知りユニークな役割を果たす可能性を探る機会であるといえましょう。

観光庁はやっと発足したばかり。自治体にいくと観光担当は商工経済課のひと隅にあるだけのところさえありますね。観光に関する会議も、衛生や安全、宿泊や土産物、観光施設関係業界の人たちだけの集まりに留まっていることもあります。自然環境や景観、歴史文化財、地域ヒストリー、地域の魅力を支えている人々や組織、ガイドと博物館、またローカルルートで連なる近在自治体との連携などが協議されていないようです。観光客分析についても入り込み客数の増減だけに注意が払われているようで、滞在日数や行動パターン、旅行後に持ち帰った印象などの把握と分析、現在のパッケージプランの評価など、もっと正面から旅行に対する関心を払ってほしいです。

近年、高等学校に観光コースが設けられている自治体もあり、大学でも本格的に観光学科が創設されるようになりました。さらには北海道大学のように観光学大学院や高等研究センターを設けているところもあります。北海道大学では、JICAと協力して発展途上国における世界遺産指定地域周辺=バッファーゾーン地域の町並み保存と環境整備の住民ワークショップを開催し続けています。そこには人々の相互理解をいっそう促進しようとする心意気を感じます。

観光地域の研究としては、定住人口、社会文化、経済効果、新しい資源の開発、観光客の受け入れと適切なガイドヘルプ(接客様式)、観光経済の地域循環パターンなどしっかりしたデータも欲しいところですね。

ツーリズム政策はもとより、これからのツアー・観光旅行の基本形や多様な展開を設計するにあたって、観光客サイドや受け入れホストサイド、地元地域、そして旅行情報を提供し旅行パッケージを具体化する旅行会社=サービスエージェントの新しい研究サークルが必要な時だと感じています。また海外の地域旅行連携組織とはどうつながっているのか、そういった略図研究もどなたかにお願いしたいところですね。

少々まとまりに欠ける語りとなりましたがフォローしてくださりありがとうございました。

2015年10月6日 京都市景観・まちづくりセンターにて

取材者:公益財団法人日本交通公社観光政策研究部 梅川智也、西川亮

※5 御師(おし/おんし):社寺への参拝者を案内し、参拝や宿泊などの世話をする人のこと。伊勢神宮では御師が全国を巡り、神社信者の檀家を拡げ、全国に伊勢信仰を広めた。 

この研究・事業の分類

関連する研究・事業
関連するレポート
発注者 公益財団法人日本交通公社
実施年度 2016年度