観光地づくりオーラルヒストリー<第6回>小久保 恵三氏
3.「観光」に関する失敗と反省

概要

観光地づくりオーラルヒストリー<第6回>小久保 恵三氏<br />3.「観光」に関する失敗と反省
図7 津和野 保存と町づくり、財団法人日本交通公社(表紙)

(1) わが国の観光の何が問題か

財団に入って3年ほどの頃、津和野の自主研究チームに参画しました(図7)。昨年、35年ぶりに調査で再び訪れたのですが、大きな様変わりを目の当たりにしました。

1975(昭和50)年当時の津和野は非常に人気があり、そういう中で過度の観光化が町並みを損ねるのではないかという危惧のもと、町並みの保存とまちづくりを両立させていこうという問題意識で取り組んでいました。しかし今は観光の形が一変しました。かつてはJR山口線の津和野駅が玄関口で、観光客は駅を降りたら自転車を借りて町中を走り回り、比較的行動範囲が広かったのです。

今は玄関が町の中心にあるバスターミナルに変わり、津和野駅の乗降客数が1975年当時は1日1,473人でしたが、今は252人と激減しました。観光客はバスを降りてそのあたりをぶらっと回り、買い物などしてすぐ萩に向かうので、滞在時間はせいぜい1時間と、行動範囲がすごく狭くなっています。

そうした観光行動の変化よりもっと大きい問題は住民の過疎化と少子高齢化です。昨年調査した圏内の戸数は706でしたが、そのうち空き屋は116に達しています。日常の生鮮食料品を買う店が近所から消えた今は町並保存どころではない、という空気に満たされています。過疎化を主因として生活や産業が著しく収縮してしまっています。

 

こうした状況は日本のどこでも起きています。観光地を運営する「力」がなくなりつつあると。住民の消失を食い止める計画がないまま、観光計画でしくみをどんなにうまく作っても、受け入れる人がいないとどうしようもないわけです。

これは観光を超えてしまう話ですが、どうやって人を住まわせるかを考えないといけないのではと思います。田畑はつぶれ、商店は閉じられ、祭りも消え失せ、来訪客受け入れのパワーも能力も技術もすべからく疲弊しているのに、それに触れない観光計画が多すぎるのでは。それは別の課題だ、というわけにはいかないのではと感じます。

観光計画だけでは解決がつかない問題が、山積しているというか…。これまでのように定められた土俵の中で勝負していても、解決がつかないのではという無力感がちょっとありますね。

(2) 観光分野で何を失敗し、何を反省しているか

前の話に関連しますが、観光客が来れば、交流人口の増加による経済効果や文化的刺激が期待できる、と言われてきてそう信じてきたが、どうもそれは幻想ではないかと…。

交流人口というのはやはり、あくまでゲストのままであってホストにはならないと思います。ホストの増産となると、これは国土計画あるいは国家政策の範疇だと思います。観光の世界では、受け入れ力を取り戻す根本的な処方箋を持っていないことに気づかなかったという反省があります。