観光地づくりオーラルヒストリー<第3回>前田 豪氏
4.「観光」の計画とその実現 

概要

観光地づくりオーラルヒストリー<第3回>前田 豪氏<br />4.「観光」の計画とその実現 

(1)私が関与した「観光計画」は実現したか

 
●観光施設としては、盛岡手づくり村を除いて反省点も多い

観光施設については、「盛岡手づくり村」「寒河江チェリーランド」「南陽クアパーク」「棚倉スポーツランド」、千葉県大網の「季美の里」、静岡県のリゾートホテル、宮崎県の「ハイビスカス・ゴルフ場」などは実現していますが、「盛岡手づくり村」を除いて反省点も少なくありません。

「南陽クアパーク」については、前出したように多々反省しているところですし、「寒河江チェリーランド」については、我が国のサクランボがアメリカから伝わったものの、そのルーツはトルコのギレスンというところにあり、それがヨーロッパに伝わり、かつアメリカに伝わって日本に伝わってきたという“物語”をコンセプトにして、和風の施設を提案したのですが、計画作成後手を離れ、洋風なテーマパークが出来、なんと観光客が殺到したとのこと。かなり評判になり、その“仕掛け人”という方がマスコミの寵児になり、おやおやと思いました。今はどうしているのでしょうか。「棚倉スポーツランド」は、計画通りにほぼ出来ましたが、途中からまったく係わらなくなったため、その後の様子はよく解りません。東北大震災と原発の事故で苦労されていると推察されますが、一日も早い再興を祈っています。

千葉県大網の「季美の里」は、民間企業の事業で、その構想計画をお手伝いしました。その計画作成のため、ボカ・ラトンやダラスのフェアウェイ・フロント・ハウス(ゴルフコースに面した住宅)を見に行き、「これはゴルフ好きにはたまらない住宅だな」と思い、我が国もそういう時代が来始めたのか、と感慨深いものがありました。しかし、ゴルフ場とセットになった全体の施設名は和風でしたが、住宅の名称にアメリカの有名な住宅地の名前を付けたのはいささか予定外で、バブル崩壊に伴い、超高額の日本初のフェアウェイ・フロント・ハウスは、千葉の地名に引っかけていろいろ揶揄され、あえなく“新しい時代”の扉は閉まってしまいました。

こうした小生が手掛けた観光関係の施設計画が実現した理由は、殆どのケースがやる気十分で計画づくりに取り掛かったことによります。そのやる気も、時代の風をしっかり受けていましたから、開業まで漕ぎ着けられたわけです。しかし、時代の風はいつも同じように吹いてくれませんので、この辺の見通しが難しいところです。

●観光からのまちづくりは、結構実現していますが…

前述しているように、観光からのまちづくりは、結構実現していると思います。例えば、西伊豆町の沿道修景や山梨県早川町の基本コンセプト「自然の恵み・人のふれあい・南アルプス邑」は今も使われていますし、観光案内所兼物産館「南アルプスプラザ」や「白籏史郎山岳写真館」などは計画案通りに実現しています。

また、福島県広野町の「東北の春を告げる町」も、ミカンの北限を告げる各戸にミカンの木を植える運動など一部実現しており、このコンセプトは東日本大震災まで使われてきました。前述した宮崎県の旧南郷村、綾町、西米良村は、いずれも(社)日本観光協会(当時)の「優秀観光地づくり賞」を受賞しており、一時的に宮崎県で“一番注目されるまち”になりましたが、残念ながらその後旧南郷村のまちづくりは失速してしまいました。

「観光からのまちづくり」が実現した要因は、地方自治体においては首長の意欲とリーダーシップに寄るところがきわめて大です。首長さんのカリスマ性がさほど強くないところにおいては、担当課長さんの手腕が鍵になります。ただ、担当課長さんは数年で替わるため、優秀な課長さんが担当されているときに、一気に進めておくことがポイントかと思います。

(2)(一般的に)観光計画はなぜ実現しないのか

●発注者に「実現させる強い意欲」に欠けること 

観光業は、昔から「三気(人気・景気・天気)商売」と言われ、人気に左右されるところが大きな商売です。現在は、これに病気、狂気(テロや戦争)もあり、「五気商売」になり、ますます変動の大きな商売になってきました。ともあれ何処かで人気を博した施設が出来れば、必ずそれを真似た施設が出来てきます。最初に博した人気の度合いが大きければ、真似をするところが増え、初期段階の摸倣施設はさほど手間を掛けずに実現します。この類の施設計画は、大規模リゾート施設で懲りましたが、いわゆる観光施設では、その土地ならではの固有性が問われますから、“産みの苦しみ”を伴います。楽しては出来ません。それゆえ「今、流行だからうちも造りたい」といった“願望的な計画”はともあれ、創造的な観光施設の場合、財源確保、事業性などが曖昧な計画は、ほとんど実現していないようです。つまり、観光施設は、発注者の本気度が実現を左右すると考えています。

「観光からのまちづくり」も同じです。具体的に何がしたいかはっきりしないままで、体裁を整えるような市町村観光計画は、殆ど実現しないと思います。名前は出せませんが、小生的には同じような想いで取り組んだ市町村観光計画の中には、大きな賛同が得られなかったのか、継続的に支援する機会が得られず、その後の整備状況も聞こえてこず、“お蔵入り(?)”になっているケースがあります。

おそらく、何処の市町村観光計画も同様で、首長さんの本気度如何にかかっていると思われます。その意味で、「クライアント・アナリシス(核となる発注者の意向調査)」を事前にしっかりやることが大事なのではないかと思います。その一方で、発注者にあっては、プランナーをしっかり見極めることが大事なのではないかと思います。

●観光をよく知らない人が計画していること

西米良村における例です。超有名な大学の先生にキャンプ場の再整備計画を依頼したことがあります。小生はその調査を発注した時点でまったく知らず、リポートが出来た時点で村長さんが見てくれないかと送ってきました。一読して絶句しました。コテージの施設配置図の、コテージがまともな図形ではなく、斜めになったりしており、パース(と言える代物ではないのですが)を見ますと、やはりコテージが垂直に建っていないのです。イメージを伝えるための先進事例のコラージュもあまり知らないのか、音痴なのです。30頁ぐらいのリポートで、お値段は200万円です。村長さんも怒って、「金を払うな!」と言っていましたが、恐らくその先生を担ぎ出した担当者は、彼の講演か何かを聞き、肩書きと併せて選んだのでしょう。

今、観光関係の大学で、図面を描かせる講義があるところは、殆ど無いのではないでしょうか。老舗の立教の観光学科にも無い(?)と思います。図面が画けない、もしくは読めませんと建設費の算定が出来ませんから、事業費も算定できません。したがって、収入の予測が出来ても、費用対効果が判定できないことになり、まともに事業決定が出来ないということになります。しかし、言うことは達者ですから、仕事を引き受けるところまで行くものの、流石にそれだけでは実現しませんが、先生方は実現にはさほど固執しないようで、懲りずに受注を繰り返すようです。

まちづくりにおいても、お粗末な例は少なくありません。宮崎県の例です。県内のある大学の先生方が宮崎県の観光に対して提言した本を出され、著者のお一人と知り合いだった関係で贈っていただき、読んでのけぞりました。デザイナーだったかの方が先生に転職され、書いた提案に「宮崎スペイン化計画」というのがありました。季候が似ているからだそうです。そして県都宮崎市に対しては「ワシントン化計画」なる提案をしています。公的施設の構成等が参考になるからだそうです。こういう先生に教えていただいた生徒はどうなるのでしょうか。こうした例をみますと、残念ながら「観光三代」の道は、先行き大分遠い感じがします。