観光地づくりオーラルヒストリー<第1回>三田 育雄氏
2.「観光」における取り組み

概要

観光地づくりオーラルヒストリー<第1回>三田 育雄氏<br />2.「観光」における取り組み
<写真>(株)ラック計画研究所のメンバー(昭和40年代末期)

-元(株)ラック計画研究所 代表取締役社長 三田 育雄氏

1939(昭和14)年東京生まれ。造園学をベースに実践から学術の領域まで幅広く活躍。造園から観光計画、そして地域計画へ。

(1) 観光分野で何をやってきたのか

●ラック計画研究所の設立

道庁をやめて東京に戻って来て、東工大の鈴木研究室に顔を出すと、鈴木先生から、以前から主張していた「これからは人的なストックのある集団を作っていかないとだめだ。人材をストックすることが大事なんだ」という持論をふっかけられました。

その頃、研究室には渡辺貴介さん*5や毛塚宏さん、大橋清二さんもいて年度末の仕事をやっていました。そして、東北全域の仕事だったかな、とにかく仕事がたまっているようで、みんな青息吐息で非常に苦戦しているのを横目で見ながら、鈴木先生の持論にあまりリアリティを感じることはありませんでした。しかし、2月ぐらいに学園紛争が勃発して、翌日大学は全部閉鎖され、立入り禁止になって、それぞれ抱えている仕事ができなくなって事態は急転したのです。鈴木先生の「グループで独立してやることを考えろ」を受けて、急遽、自由が丘に部屋を借りて研究生5人を受け入れて、とにかく年度末の仕事をしのぎました。

そして新年度をむかえた時点(1969年(昭和44年)4月)で、ラック計画研究所(以下、ラック)を設立しました。鈴木先生の持論が図らずも実現したわけです。設立メンバーは私を入れて6人でした。

その後、1969年(昭和44年)の夏くらいに東大の学園紛争のあおりを食らっていた菊池武則さんと前田豪さんが入ってきました。学園紛争で行き場のなくなった連中が集まってきてラックが生まれたということです。

<写真>(株)ラック計画研究所のメンバー

<写真>(株)ラック計画研究所のメンバー(昭和50年代初め)左から菊池(故人)、菅原、安島、小林、楠、三田、南、長屋、前田、大橋、毛塚の各氏(敬称略)

●相模湖ピクニックランドが最初の仕事

ラックの最初の仕事は、三井物産の相模湖ピクニックランド(現「さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト」)でした。私が北海道にいたときに林学の1年後輩が三井物産の札幌支店にいて交流していたことが縁で「三井物産がこういう土地を取得したので考えてくれ」と言われたのです。それが財務的なことも含め、いろいろなベースになりました。第2期の計画も含めると、1970年(昭和45年)~1980年(昭和55年)までやりました。

また、当時は需要予測がかなり重視された時代でしたが、東工大の助手の森地茂さん*6や院生の永井護さん*7などの外部の人的サポートを得ることができたのは幸運でした。仕事は設計業務より調査や計画業務が多く、分野ではだんだん観光のほうに比重がかかるようになりました。

走り出しの頃のラックのメンバーの大半は20歳代で、組織としては駆け出しでしたが、売り手市場という時代背景があって順調に成長することができたのは幸運だったと思います。

相模湖に続く設計業務は原村ペンションビレッジ中央公園(現「八ヶ岳自然文化園」)の仕事で、1973年(昭和48年)~1977年(昭和52年)に携わり、基本計画から設計、施工管理までやりました。クライアントはペンション・システム・ディベロップメント(PSD)です。

当時の観光計画は、観光診断とはだいぶ違いました。観光診断はどちらかというと直感的で定性的な話が多かったのに対して、論理的な積み上げを求められる状況が出て来ていたと思います。

その頃の自治体の観光計画で最も多く手がけたのが岡山県でした。

そして、40歳ころまでは観光計画の方法論の構築に、それ以降は農山村における観光むらづくり、特に「観光を通した農村・農業振興」に強い関心を寄せて取り組んできました。

(2) 観光分野での業績、功績は何か

●脱規範型計画手法

自分としては、「脱規範型(脱ブレークダウン型)計画手法」に手応えを感じています。

手法という点で、現在の地域計画のお手本になっているのは全国総合開発計画で、規範としての目標を掲げ、それを達成するための手段を列記するという手法が規範型とよばれるもので、目標→手段というブレークダウンの構造をとっていて、ボトムアップやフィードバックはほとんど行われていないです。しかし、地域計画のレベルで、この手法を使うとどこも同じになってしまいます。例えば、「人に優しい・・・・」といった目標がどこへいっても顔を出すことになってしまう。

ですから私は、逆に具体的な施策から発想するとか、頻繁にフィードバックしながらストーリーを再構築する作業が必要だと思っています。地域の個性をきちんと見て、そこから目標を発想したり、PDCAのような形で計画自体を途中で修正するような取り組みが必要じゃないかなと思います。

●柔軟性のある計画管理の重要性

プロジェクトを進めていく上では、まず計画ありきではなく、プロジェクトの進行状況に応じて計画を見直して行くべきだと思います。

こういうことに気づいたのは川場村の仕事をやってからで、実践の状況によっては計画なんて途中ですっ飛んでしまうことも出ていましたが、それでもいいのではないかなと実感しました。

そのように考えると、計画づくりの過程で全体の論理性、他との整合性、一字一句の表現などにエネルギーを注ぐことよりも、実践過程で計画をきちんとマネジメントすることがより重要であると考えるようになりました。

 

<注>

*5:渡辺 貴介氏-元東京工業大学教授
*6:森地 茂氏-政策研究大学院大学特別教授
*7:永井 護氏-宇都宮大学教授