観光地づくりオーラルヒストリー<第7回>猪爪 範子氏
3.「観光」に関する失敗と反省

概要

観光地づくりオーラルヒストリー<第7回>猪爪 範子氏<br />3.「観光」に関する失敗と反省

 (1)我が国の観光のなにが問題か

●縦割り行政の限界

役所がどれだけ縦割りの世界であるかは、いろんなところで体験しました。由布院に関わり始めた頃、住民サイドはポスターやパンフレットでの宣伝をしないでと役所に申し入れていました。由布岳や温泉の湯けむりだけのきれいな風景だけ宣伝しても、しょうがないだろうという主張でした。そのころ、観光行政と称して、役所が何をやっていたかと言うと、キャンペーンでした。キャンペーンに欠かせないのがパンフレットやポスターの作成。県の先導で、やまなみハイウェイ関連自治体が構成する協議会に予算を組み、役人だけで都市部にキャンペーンに行っていました。旅館経営者を中心に、そんなこと必要ないというのが住民サイドの意見。本当にやってもらいたいことは、河川の3面張りをしないでとか、駅前を緑の環境にしてとか、放牧している牛が登山者の落とすジュース缶のプルトップを食べて死ぬので落とさないでとか。こうした要求は、管理責任者が違うとか、所管事項が決まっていて観光サイドが口を出せないとかの理由で却下されるばかり。当時の清水町長が、キャンペーンやパンフレットによる宣伝が観光行政のすべてだからやらせてと公言していました。このあたりは、中谷健太郎さんが執筆された『たすきがけの由布院』に詳述があります。昔の本ですが、ぜひ参照ください。

広島市役所では、議会で「学齢前の子どもたちが朝ごはんを食べないのは問題」という質問が出たときの対応に驚きました。議会の質問は、事前に企画課長が議員からヒアリングして文書化し、内容を精査して所管課が答弁書を同じように文書化します。この時は、答弁書が2つ出ました。保育園は厚生、幼稚園は教育委員会と所管が違うので、それぞれから答弁書が出たのです。

今は幼保一体でどうなっているかわかりませんが、内容にほとんど違いのない二つの文書を前に、この割り切りはどこからきているのかと考え込みました。そもそも、学齢前の子どもの朝ごはんはどうあるべきか、行政はどう関わるかなどの議論などどこにもないのです。

議会前になると、市長、助役、収入役、それに私を含めた2人の局長の5人で、全部の回答書を、執筆した部署の人たちから直接説明を受けます。つまり、このレベルにならないと、役所の仕事の全体像が見えてこないのです。全体が見えないということは、他の部署とのつながりが見えないと同じです。広島市役所には、1万2千人の職員がいます。全員決められた所管事項以外を知らなくてよいし、知っていても口を挟むなどしないのがルール。言われるところの、根深い縦割り行政の弊害とはいえ、こんなバーチャルな政策が役所から出て、市民生活や企業活動はよくなるもんですか。

ツーリズムおおいたに勤めた時は、農家民泊が始まったところでしたが、農家のサイドは地域の観光協会に入っていないんです。「入ればいいのに」というと、「役所の管轄窓口が違うから」と。今は変わったかもしれないけど、農家民泊は農政であり、観光とは所管部局が違うということでした。

福井県で百景を指定するという委員会に参加した時も「もし景観を指定するなら、指定した百景が今後10年、20年存続するために下支えできるよう、文化財保護や河川改修などいろいろな行政部局と組まないといけない」と言ったけれど、全然相手にしてもらえませんでした。観光部局としては、とにかく百景を指定して紹介するパンフレット作って宣伝すればいいということでした。

観光行政って、所管という小さな枠組みにとどまってしまうと、お宝である地域資源の破壊者になっていまいませんかしら。一時期、文化行政がはやって、総合行政を目指したことがあったでしょう。「文化の1%システム」といって、あらゆる予算から、1%は文化にあてようと。観光行政においても、所管事項を越え、組織を横断する工夫が絶対に必要です。私は「おもてなし」という言葉が好きになれないのです。そこに、地域の持続性を担保するニュアンスが感じられないからです。

 (2)観光分野で何を失敗し、反省しているか

●悲しい成功事例

日本全国には、観光で発展した地域が多くあります。観光客が増え、描いていたことが実現し成功事例として紹介されることもあるようですが、必ずしも地域の持続性が保証され、そこに住む人が当事者として果実を得たかどうかわからないですからね。各地の現状を見て敢えて言うなら「悲しい成功事例」とでもいいましょうか。そんな光景が見られます。開発は人間が生きていく上の、避けられない、むしろ喜ぶべきプロセスかもしれませんが、掛け替えのない地域のストックを破壊してしまう観光の威力を、怖いと思います。