みちのく潮風トレイル
〜地域の暮らしを守り、震災を語りながら、少しずつ育てる100年、200年と続く道〜

 私は、活動の拠点を東京におきつつ、災害専門の媒体の取材を東北で行いながら、被災地支援を願う国内外の企業と被災地をつなぐ仕事をしていました。その過程で縁があって「みちのく潮風トレイル」に関わるようになり、トレイル全体の管理・運営を担う「NPO法人みちのくトレイルクラブ」を仲間と設立しました。いまも、東京と東北を行き来しながら、トレイル運営を通してハイカーと地元の人たちをつなぐ仕事に取り組んでいます。

全線開通から今日までの利用動向

 2019年6月の全線開通以降、「みちのく潮風トレイル」を歩く人は少しずつ増えてきました。海外からの訪問客、国内在住の外国人からの問い合わせも多くなりました。ところが、その年10月の台風19号により、200か所以上の不通区間できました。年明けには40か所ほどにまで復旧し、ようやく、という雰囲気になった時に、今度はコロナ禍により利用は停滞しました。
 トレイル周辺の方々から不安の声が聞かれたので、4月に歩行を控えていただくようお願いをだしました。トレイルの管理は沿線の関係者らと広域連携のもとで行っています。自治体の意見を聞いたうえで、民間で運営している6つのサテライト施設とも相談し、6月にはこのお願いを解除しました。ハイカーたちは理解を示してくれていたと思います。現在も感染拡大防止のためのお願いは継続していますが、全線を通して歩いていただくことができます。
 トレイルを歩く人には、公式マップを見るよう伝えています。各サテライトにおける公式マップの配布数と、郵送による部数を合わせると、全線開通直後は月6000部でしたが、秋の台風時は1500部に減少。その後、1月と2月は3000部まで回復したものの、4月から6月にかけては1000部にとどまりした。6月から7月には3000部、10月には4000部を超えるまでになりました。
 今年に入り、全線踏破を目指したいという方からの申し込みは多くなり、100名を超える方が「全線踏破挑戦者」に登録してくれています。30名以上の方から既に歩き切ったという報告を受けました。登録せずに歩いた人も10名以上はいます。長いルートなので、ひとりひとりの情報は得にくいのですが、コロナ禍で登山道の閉鎖などもあり、盛岡などの内陸から沿岸部に訪れたという人もいたようです。

ロングトレイルを楽しむ

 トレイルの歩き方として、一気に全線を歩き切る「スルーハイカー」と、何度かに分けて歩こうとする「セクションハイカー」がいます。セクションハイカーも、全て歩けばスルーハイカーと呼ばれます。一気に歩くスルーハイカーの中には、海外のロングトレイルの経験者もおり、多くはキャンプ場などでテント泊をしながら歩いています。一方で、セクションハイカーは、ほとんどが民間の宿に泊まります。スルーハイカーも食料の調達や洗濯のために、数日に1度は宿を利用しているようです。ロングトレイルを歩くには、とにかく長い時間が必要です。全線歩くとなると40日から60日ほどの滞在になります。東北観光というくくりでみると60日はとても長い。
 加えて、通しで歩くと少なくとも一人20〜30万円はかかるようです。その間、東北で生活しているわけですから、食べて、飲んで、寝ての日常生活分の支出が伴います。また、トレイルを歩くだけでなく、時々周辺観光も楽しむので、薄く広くその地域に消費を重ねていくことになります。2か月程度の生活費が現地で消費されるので、経済効果は高く、特定の場所だけでなく、まんべんなく波及していくと思います。
 私の18歳の娘もテントを背負い歩き切りました。貯めたお小遣いの中から30万円ほど使ったそうです。2ヶ月分の体験談の全てを聞き終わるには、しばらく時間がかかりそうですが、とても多くの方に親切にしてもらったようです。トレイルから町まで車で送ってもらったり、おうちに泊めていただいたり、食事をご馳走になったり。東北の方々にとても感謝していました。
 転職の合間に70日かけて歩いた人の話を聞いたところ、何よりも地元の人たちとの交流が心に残ったと強調していました。結果、彼は三陸に移住しました。私たちの職員のうちの2人もトレイルを歩き、移住してきた者たちです。今後、東北への移住促進にもつながるのではないかと期待しています。
 歩き終えたハイカーたちの話には、どの風景が素晴らしかったということより、誰と会い、どのような出来事があったか、という「地元の方との交流」の話題が多いです。ハイカーを好意的にむかえ、サポートする地元の人たちは、米国東部を縦断するアパラチアントレイルなどでは、「トレイルエンジェル」と呼ばれています。みちのく潮風トレイルでも、自然発生的に「トレイルエンジェル」が生まれているようです。

トレイルエンジェルとの交流

 2012年の取り組みから8年。ハイカーの姿が増え、地元の人たちからも徐々に受け入れられるようになってきたと感じます。地域の方には「大きなバックパックを背負っている人たちを見かけるようになった」と聞くようになりました。震災直後、復興初期には、ボランティアの人たちが多く訪れてくれましたが、いまは少なくなりました。かわって徐々に、東北を歩く旅人が増えています。国道や町なかの道もルートに指定しているので、ハイカーは目につきやすい。みちのく潮風トレイルの広告塔の役割を担い、地域に徐々に浸透してきたと感じます。
 地元の人たちが協力的であることは、とても嬉しいことです。これこそロングトレイルの醍醐味だと思います。クレームはあまり聞こえてきません。「台風時に危険なので引き留めた。それでも行ってしまった。危ないから地元の行政に伝えた」「道迷いする人が多くて自分の敷地に迷い込んでくるから、目印をつけたほうがいい」などの声がありますが、クレームではなく、ハイカーを心配しての連絡ばかりです。安全は自己管理が前提のハイキングと、親切心からくる管理側への進言の間にある出来事ですが、地域の目があることはとても大事なことだと思います。地域のみんながトレイルやハイカーを気にかけ、安心安全に楽しく地域を歩いて欲しい、と願うことが、ロングトレイルが地域計画としてその地に根付くことにつながります。
 ハイカーの中には、「震災直後に、自分はなにもしなかった」ことが潜在的に心の負い目になっている人もいるようです。「道ができたから歩きにいける。歩くことで少しでも東北を応援できるかもしれない」という話をハイカーから聞いたことがあります。
 一方で、ハイカーを温かく迎える地元の人たちが増えて、親切な「軽トラのおじさん」がたくさんいるようです(笑)。お茶っこをだしてくれるおばちゃんもいます。ビニールハウスを宿所として提供する人もいます。ハイカーが歩いてくると、つかまえて「よっていけ!」と言い、プレファブに案内し、冷蔵庫のビールは無料。周辺の自慢の景勝地を案内してくれたり、お風呂に連れて行ってくれたり。他のハイカーが遊びに来たりするので、うっかり数週間滞在してしまうハイカーもいるようです。住民の方が、自分流のトレイルエンジェルになっています。有名になったエンジェルたちの噂話も広まってきました。そしてハイカーたちは、歩き終わるとまたその場所に遊びに行くようになります。
 こうした背景には、復興過程で多くの方が訪れたので、外部の方との交流に慣れている、ということがあるかもしれません。トレイルは海岸線を通っていますが、オープンマインドな漁業者の方も多く、外来者との交流には抵抗がないと聞いたこともあります。「震災後にいろんな人が来て、復興を手伝ってくれた。その恩返しだ」という方もいるようです。もともと親切な人も、すごく多いと感じます。

震災を語り継ぐ

 「震災の記憶を残すことは大切だと思う。でも、地域の中だけで語り継ぐのは難しい。ひとりひとりが、全く異なる体験をしているし、捉え方も違うので、地域の中でも、また家族とすら震災の話をすることが躊躇される。でも、外からきた旅人には話すことができる」という声を聞きました。語ることにより、心が解かれることもあります。かつてはボランティアが聞き役になってくれてもいました。いまはその役割の一端をハイカーが担えるかもしれないと思います。トレイルを歩いた一人ひとりから少しずつ伝わり、全国に持ち帰られ、災害への備えが少しでも進むことを願います。トレイルの運営計画策定時に関係者でつくった「みちのく潮風トレイル憲章」には、「震災の記憶を語り継ぐ道にします」という一文があります。トレイルは震災の記憶を語り継ぐ装置のひとつであり、同時に東北の復興に貢献できると信じています。全国的に過疎・高齢化がすすみますが、トレイルは、地域振興の一旦も担える。交流人口は着実に増加し、経済効果も確実に発揮されるはずです。

 このプロジェクトが始まった頃、ロングトレイルというカタカナで未知の取り組みを進めるにあたり、環境省の皆さんがとても苦労されたことは想像に難くありません。よくここまでたどり着いたと思います。ロングトレイルづくりは、広域連携事業。みちのく潮風トレイルは4県28市町村が一本につながり協働している事業です。内外多種多様な方々が関わり得るプラットホームなのです。大手企業がトレイル全線にわたり清掃活動をしたいと申し出てくださるのも、トレイルというプラットフォームがあるからこそです。地域はありのままに、特別なことをしなくとも、単にハイカーに一言声をかけるだけで、トレイル事業に参加したことになります。旅人は、地域の人に声を掛けられるだけで嬉しいと聞きます。旅の醍醐味は人との出会いだと。みちのく潮風トレイルは、環境省さんが仕掛けてくれた地域全体で取り組む復興事業であり、持続可能な地域計画だと考え日々取り組んでいます。それが結果、持続可能な観光地として世界に認知されることにも繋がるはず。みんなで育てていく道です。ハイカー、自治体、内外の民間企業、地元住民たちが、地域の暮らしを守りながら、震災を語りながら、少しずつ育てる100年、200年と続く道。地域の方々が、自らの住う地域と、このトレイルを誇りに思えるようになることが、このトレイルの持続可能性につながるのだと思います。みんなが関わり、復興とこれからの東北の地域振興につながるみちのく潮風トレイルと、「歩く旅」の文化が、この東北の地に根付くことを願っています。(談)
聞き手:寺崎竜雄

 


相澤久美(あいざわ・くみ)
NPO法人みちのくトレイルクラブ事務局長・常務理事。一級建築士事務所主宰のかたわら、2011年NPO法人震災リゲイン設立。代表理事として防災・減災の新聞『震災リゲインプレス』の発行の他、書籍の編集、映画プロデュースも行う。みちのく潮風トレイル運営の計画策定に携わり、2017年NPO法人みちのくトレイルクラブを設立。2020年、ハイカーらと(一社)トレイルブレイズハイキング研究所を設立し、各地のロングトレイルの敷設・振興を応援している。