⑤…❶ 面白い、楽しいが、原動力!

相馬市松川浦の取り組み

相馬市観光協会で復興支援員を務める井島順子氏、相馬市松川浦にて旅館を営むかたわら〝浜〞の活動にも尽力する、久田浩之氏に、相馬市の観光動向、観光復興に向けた取り組み、取り組み継続の秘訣、続将来への想いなどについて伺った。

〝復興エコツーリズム〞、その後の展開

吉澤 久田さん、井島さんとは、2015年度まで、環境省の「復興エコツーリズム推進モデル事業」でご一緒させていただきました。まずその後のエコツーリズムの取り組みについて教えていただけますか。
井島 亀屋旅館の久田さんが、「松川浦ガイドの会」の会長として、エコツアーに取り組まれています。ガイドとしての腕前もさらに上がり、新聞などにも取り上げられるようになりました。観光協会でもホームページで紹介するなど広く告知しています。リピーターもいて、口コミでお客様が来たりもしているようです。
久田 エコツアーは、2016年度以降、皆、それぞれに忙しくて、しばらくは何もできなかったんです。でも、あそこまでご支援いただいたのにもったいないと、自分一人でもできること、まずはカニ釣りから始めてみました。

 再開から2年になりますが、参加者は日帰りがほとんどで、日帰りの方には旅館に直接お電話で申し込みいただいています。一回あたりの参加人数は、2人から14人までが多いですが、1度に100人というのもありましたね。
井島 車好きの皆さんの集まりから、海岸清掃で伺うが、親子で参加するので、何か体験もしたいとの問い合わせがあり、「じゃあ、カニ釣りはいかがですか」と提案したんです。近隣の方は料金が高いと敬遠するので、料金は1人500円、ワンコインとしました。久田さんに料金的に安すぎるかと確認したら、大丈夫とのことなので実現しました。
久田 東北デスティネーションキャンペーン(2021年4月1日〜9月30日)でも、提供する予定ですが、キャンペーンの担当者からも安すぎると言われました(笑)。実績を積んで、参加者に楽しんでいだける、満足いただけるスキルも身についてきたので、料金設定をちょっと高くすることにしました。
 今度、カニ釣りに「SDGs(持続可能な開発目標)」の要素を加えようかと考えています。カニ釣りをする人工磯をよく見ると、ペットボトルとかゴミがむちゃくちゃ上がってるんです。調べてみたら、世界で年間800万トン、ジャンボジェット機5万台分のゴミが出ていて、放っておくとやがて海には魚よりゴミの方が多くなっちゃうと知り、驚きました。
 カニ釣りの時、子供たちに「海洋ゴミってどのくらい出ていると思う」と聞いてみたりしながら、こうした現状を知ってもらいたい。エコツアーを通して、子供たちに環境保護への関心を高めてもらいたいんです。今後、ガイドの会としても、いろんなコンテンツを作って活動していきたいと思っています。
 観光のスタイルが変わってきています。この間、大阪からお招きしたある先生が、「今はマスではなく個人で動くが、ガイドブックを見て歩く時代は終わった。次は地元の人しか知らない情報をほしがるようになる。そのために地元の人との関係性を求めてくる」とお話しされていました。エコツアーは、地元の人と仲良くなる一つのツールにもなる。そういう意識を持って、自分も今後エコツアーに取り組んでいきたいと思っています。

ここ5年間の相馬観光の動向

吉澤 2016年度からの5年間で、相馬に来る観光客に変化はありましたか。
井島 いわゆる一般の観光客ではないのですが、視察は順調に増えていましたね(表1)。視察では、〝天災は誰も悪くない、福島が負の遺産とならないためにも、正しい情報と頑張る人達の姿を伝えたい〞との思いで案内をしています。

 行政絡みの団体が減り、旅行会社を介した団体が増え、特に2020年度は学生団体が急増と、よい傾向が続いていたのですが、コロナ禍で激減。コロナ禍がなければもっと人の動きがあったとは思います。
 ただコロナがあって、修学旅行先が東京から福島に変更になるといったことはありました。福島県への修学旅行では会津を訪れることが多いのですが、防災教育を視点に相馬に持って来られたのは良かったです。現時点で、観光協会には2021年度の視察予定が10本入っていますが、全部、学校関係、小・中学校、高校、大学です。
吉澤 相馬は地震の他に原発事故による風評被害も受けていますが、だいぶ薄らいできた印象でしょうか。
井島 逆に、双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(2020年9月20日開館)ができてから、原子力発電所のことも学びつつ相双地区を訪れようという流れができたと思います。また、相馬に宿泊できることが段々と理解されてきて、これまでは日帰りだった修学旅行が泊まってくれるようにもなってきました。
 2021年度の予定も含めてお話ししますと、千葉、神奈川、愛知、兵庫、沖縄などの学校が関心を持ってくださっています。愛知県岡崎市には、1度、語り部として伺ったことがあるのですが、それがご縁で、是非相馬に行きたいということになりました。
 ここ数年、観光協会では特に教育旅行の情報発信を強化しているのですが、それを見て、旅行会社が興味を持ってくれて、東京から行き先を変えるということもあります。福島県内でも教育旅行に対応した震災学習プログラムを持っているのは相馬市だけのようです。
 ただ、修学旅行は100名単位なので、宿泊ができるか、食事場所があるかという問い合わせもあります。分宿が前提ですが、近隣で100名を越す宿泊ができるのは相馬くらいだと学校側も承知していて、バスやクラスごとの分宿で構わないと。バスごとにカリキュラムを分けて作り、昼食はお店は違っても同じメニューで、というリクエストを受けます。
吉澤 修学旅行を受け入れるようになったのは何年頃からですか。
井島 2018年後半から19年頃からですね。米の放射能の全袋検査が浸透しはじめて、やっと農業への理解が広まった頃から徐々に増え始めたという印象です。長崎とか広島とか原爆の被害にあった地域がまず興味を持ってくださいました。
 あとは福島県内の学校の先生方が、「10年経つと東日本大震災を知らない子供たちが入学してくる。福島県の中でも浜通りの置かれた厳しい現実を、中通りや会津地方の子供たちは知らない。県内の事をもっと理解しないといけない」との考えを持ってくださり、中通りや会津地方の子供たちが来たりします。
吉澤 久田さんの旅館では、学生を受け入れているのですか。
久田 東日本大震災の発生から5年間は、復興工事の関係者を受け入れていました。工事が終わり、いざ一般のお客様、泊まりに来てくださいとなっても、ほとんど来なかったんです。そこから井島さんとも連携して、いろんな事に取り組んで、お客様に「泊まれるよ」と認知されたのは、本当にようやく最近のこと。
 それまでは、震災の被災者で自宅を掃除するために帰ってきた人とか、仮設住宅住まいの祖父母を訪ねたが、泊まれないので旅館に泊まる人とか、そういうお客さんばかりでした。井島さんから視察時の昼食の依頼を受けたり、修学旅行生も受け入れるようになって、相馬は泊まれる、宴会もできるんだと認知されるまでには、ものすごく長い時間がかかった。
井島 私たちの発信力が弱いのかもしれませんが、相馬はまだダメなんじゃないかという考えや、修学旅行だと、子供たちは大丈夫でも保護者の不安から参加を取りやめるケースもありました。
久田 ある県から学生が福島に桃狩りに来て、YouTubeにその様子をアップしたんです。そうしたら、「何、危ないことさせてんだ」という親からの抗議の電話が、桃狩りの事業者にあったという話も聞きました。何も悪いことしてないのに、風評被害ですよね。
吉澤 そういう時はどのように対処するのでしょうか。
井島 「農産物は放射能検査の基準をクリアしたもので、地元の子供たちの給食にも提供されています」とお話しすると、多少受け止めていただけるようです。地元でさえ非常に敏感になっている親御さんもいるので、お気持ちは理解できます。

考え方に変化〜相馬に来たい人、来て!

井島 放射能は目に見えないし、放射能検査の基準をクリアしていることも知られていないので、やはり正しい情報を丁寧に伝え続けるしかないと思います。分かってもらえるまでやるしかないし、共感してくださる方の存在を、私たちの糧にするしかない。そして、その方々からも安全性を発信してもらいたい。無理強いする必要もないし、理解してくださる方をどんどん増やしていければよいかなと思っています。
 地元の高校生も相馬の事を発信しようとしています。地元の良さを再認識してくれているのかな。「知らない人には伝えないと」と、子供たちの方から言ってくれることもあるので、それは嬉しいことですね。
久田 ここ1〜2年で、誘客に関する考え方がすごく変わった。以前は、風評被害をどうしようとか、来てくれなかったらどうしようという思いがあったが、最近は、「相馬に来たい人、来られる人は来てー」と。
井島 私たち自身が地元を大好きだから、風評払拭に取り組んでいることをもっと知ってもらいたい。中でも松川浦地区を中心とした「浜」の若手・中堅の皆さんは常に前向きで、パワフル。そうした想いや取り組みを行政との連携や支援に結びつけるのは、観光協会、私たちの役目でもあると思っています。
 福島県観光交流課や(公財)福島県観光物産交流協会の方にも大変お世話になっています。福島県の中でも相馬は小さい市なので、県や国の力も借りていかないといけない。また、相馬だけでなく相双地区で連携していく必要があると思っています。

震災後に生じた変化、浜と町の連携

吉澤 いろんな方から、浜と町の連携が強まったと伺いましたが。
井島 以前は、浜は浜、街は街だったけれど、震災がきっかけとなり、浜と街が繋がり、若い人たちが協力し合って、同じ目線で取り組んでいこうとなったのは、よかったなと。
久田 浜と街の連携は強くなっていますね。2018年7月に8年ぶりに「原釜尾浜海水浴場」が再開する時に行った「そうま浜まつり」も、「浜祭り実行委員会」という、浜と街、異業種の有志からなる団体が開催しました。本来なら浜のうちらがやらなきゃいけないのに、自分と同級生で、町でホテルふたばやを経営し、当時、相馬青年会議所の副理事長も務めていた羽柴和洋君が、「イベントをやろう、有志で集まろう」と音頭を取ってくれて。
 20人くらいかな、旅館、飲食店、建設業、幼稚園の先生もいるし、漁師もいる、本当に多種多様でしたね。
 企業に頭を下げて回って、700万円もの寄附を集めました。2020年はコロナ禍で控えましたが、2018年、2019年と、大曲の花火師を呼んで花火を打ち上げるなど、大いに祭りを盛り上げました。 
井島 利害関係なく、相馬で何か面白いことをやって人を呼ぼうという、若い人たちの取り組みを、観光協会の私たちは、利用可能な補助金情報の提供、申請の手助けといった面で支援しています。

「浜の駅 松川浦」を観光復興の起爆剤に

吉澤 今、取材を行っているこの場所、復興市民市場「浜の駅 松川浦」(以下、浜の駅)も5年前にはありませんでした。こちらの施設について教えていただけますか。
久田 この浜の駅は管理者の問題で、実は2年前に1度頓挫しています。それでもやらなきゃと、行政、民間で第3セクターの会社(「相馬市民市場株式会社」)を立ち上げることになりました。浜からはホテルみなとやの管野貴拓さんと、漁師の菊地基文さん、街からは2人が出資者(株主)になっています。街の2人は、何年か前に市の企画課が「相馬市青年団体連絡会」という、建設、介護、観光、漁師など様々な業種からなる集まりを作ったのですが、そこで、管野さん、菊地さんと意気投合して応援してくださったようです。
 菅野さんは、浜の駅内のテナントで、地元の魚介類を提供している食堂「くぁせっと」(相馬地方の方言で、食べてもらうの意味)の店長も務めています。菊地さんも厨房で板前として腕を振るっています。また、漁師の奥さん方がスタッフとして働いています。私も厨房のお手伝いをしていますが、開業から想定を大きく超える忙しさです。


吉澤 漁業は4月に操業拡大が予定されているようですね。明るい話題も出てきていますが、いかがでしょうか。
久田 地元の魚介類がウリなので獲ってきてもらえるのはありがたい。今は漁獲量が少なすぎて、旅館との取り合いになっています。旅館としても、これまでコストをかけて県外産の魚を使ってしのいできたので、地元の安くて新鮮な魚が使えると本当にありがたい。
 かつて震災直後に発足した「松川浦観光振興グループ」で取り組んだ「復興チャレンジ丼」(飲食店等が独自メニューを自慢の一品として提供)が、10年かかって、やっと全て地元の魚で作れるようになりそうです。
吉澤 この食堂は地元の方の利用も多いのでしょうか。
久田 平日は地元中心ですが、土日は市外、中通りの方も多いです。
井島 東北中央道「相馬福島道路」ができたことで、福島市から40分で来られるようになりました。先日(2/13)の地震の影響で全線開通は4月24日に延期となりましたが、この効果は凄く大きい。いずれは山形県ともつながるので、山形県からのお客様も期待できます。
 昔の方々は、相馬の魚は美味しいという認識が非常に高い。中通りの方が浜の駅開業のニュースを見て、「直送してもらえないか」とか、「コロナ禍で行けないので、福島市で売ってくれたらいいのに」というお客様の声がたくさんあります。
 個人的には、築地とかばかりではなく、中通りなどで流通させてもよいのではないかと思います。通販サイトを立ち上げてもよいし、漁獲量が増えてくれば、そういうところにさける分も出てくることを期待しています。
久田 それにしても本当に今日は忙しかった。コロナ禍じゃなかったら、もっと忙しかったと思う。コロナが明けたら逆にどうなるのかと怖いくらい。開業当初から予想の3、4倍のお客様が来て、仕込みが間に合わない。真夜中までかかってたくさん仕込んでも、翌日にはあっという間になくなっちゃって。嬉しい悲鳴ですが、賑わっているのはここだけかな。旅館は悲鳴を上げています。
吉澤 こういう施設が起爆剤になって、ゆっくり泊まって楽しみたいということになればよいですね。
久田 震災後ずっと、遊ぶ場所、食事する場所、買い物する場所が少なかった。今では旅館でも「あそこに行ってみてください、なんでもありますので」と話ができます。みんな、ここができて人が増えたと言っています。
井島 浜の駅がいっぱいで入れないと、他に行くので、他の店も混んでいます。前回は入れなかったけど、次はここで食べたいと何回も来る人もいるでしょうし、相乗効果もあってよい傾向だと思います。

自信を持って言える、相馬は絶対に楽しい!

井島 浜の人は男女問わずパワーがある。管野さん、菊地さんたちが、「これがやりたいんだ」「あれがやりたいんだ」と目を輝かせながら話していると、「そうだよね、面白いよね」、「じゃあどうしようか」と、人が集まってくる。そして、ちょっと無理かなぁとも思わないで何でもやり切る。
 それを私は陰ながら応援し、色々な手段を駆使して、できる限り協力しています。私も負けたくないし、皆さんの「楽しいことしようよ」に賛同しているんですよ。楽しくないと続かないじゃないですか。
久田 管野さん、菊地さんのモットーは、「面白いから、楽しいからやる、楽しければ人は集まってくる。そして飲む」と。膝を付き合わせて飲む、これが一番大事(笑)。
井島 それがいい思い出にもなるし、次の原動力にもなると思っています。
 私は、相馬を滞在拠点に相双地区のいろんな所を見てもらいたい。そして、やっぱり相馬が一番だなと思ってもらえれば嬉しい。ファンをたくさんつくっていきたい。
 誰にでも自信を持って言える、「一度来てみて、絶対に楽しいから」と。相馬市から福島全体を元気に、そして世界に誇れる場所にするのが夢です。

進行・構成:吉澤清良(観光文化振興部長)
編集協力:井上理恵

 

井島順子(いじま・じゅんこ)
昭和女子大文学部日本文学科卒、大学の基幹理念が「世の光となろう」だったのは、今の仕事に導かれた所以かもしれない。卒業後、旅行会社の営業、接客、添乗員、海外航空のハンドリングを経て、浪江町の旅行会社で勤務。震災後、幼稚園年長から高校卒業までを過ごした相馬で福島県復興支援員として観光のお手伝いを担う。4年目から相馬市復興支援員として地元の人たちと一緒に相馬の魅力を伝え続けている。

 

久田浩之(ひさた・ひろゆき)
福島県相馬市生まれ 。亀屋旅館4代目。相馬の海、浜をこよなく愛し、旅館経営のかたわら、松川浦ガイドの会会長としてエコツアーを実践。かに釣りやナイトフィッシュキャッチは大好評。また、祖父たちが復活させた松川神楽を途絶えさせないよう鍛錬を重ねるとともに、地元の幼稚園等で披露するなど、その普及にも取り組む。