④…❹ インタビュー 唐桑町の10年
観光を通じて地域の人が自信を持った。それが一番嬉しい

〈観光の現状〜コロナ禍前まで〉

-震災後から、コロナ禍前までの唐桑町の観光の状況を教えてください。
三上
 震災後は、正直何をしていいのか手付かずの状態でしたが、2012〜2015年度にかけて実施された環境省の復興エコツーリズム推進モデル事業(以下「復興エコツーリズム事業」)で大きなきっかけをいただいたと思います。また、2013年には唐桑半島を含む三陸地域が三陸ジオパークに指定され、2017年に唐桑半島を一周する環境省みちのく潮風トレイルの気仙沼ルートが開通しました。復興エコツーリズム事業を通じて発足した唐桑観光ガイドの会もメンバーが増え、今は8名で活動しています。
三浦 唐桑で震災前から観光に夢中だったのは、気仙沼市の観光ガイドをずっとやっていた私くらい(笑)。今、震災の語り部の活動に対するニーズは気仙沼市内はないに等しいくらい減りました。市内中心部から車で20分の場所に、被災した高校校舎を改修した「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」という施設ができたので、そちらにお客さんが行くようになって、唐桑でも語り部を聞きたいという方は減っています。
熊谷 震災伝承館は結構規模が大きいこともあり、そこを見ると「お腹いっぱい」になっちゃうので、さらに市内や唐桑まで来て、震災のことを学ぶ気にならないのではと思います。
三上 唐桑のビジターセンターにも「津波体験館」という施設があります。気仙沼の震災伝承館は3.11に特化した施設ですが、ここは明治や昭和の津波も紹介していて、その違いは我々としても強調したいところです。
 子ども達が唐桑半島をトレッキングしながら、津波体験館も見学するといった体験学習のグループは結構来ています。三浦さんのようなトレッキングのガイドも、震災の話を当然避けて通れないので、語り部といえば語り部と言えます。地元の植物、動物、地形の話に震災の話を含めてガイドをしています。

三浦 お客様がどういう目的で来ているかを見て、事務局で羊ちゃん(熊谷さん)がニーズに合ったガイドを割り振りしてくれています。
熊谷 お客様の目的は色々ですが、ガイドを依頼するお客さんはトレッキングなどを目的で来ていて、被災地を見に行くという感覚ではなくなってきていますね。被災地の見学だけが目的という団体はほとんど来ていませんし、個人も減っています。
三浦 2018年10月、唐桑半島に「宮城オルレ気仙沼・唐桑コース」という、ビジターセンターを起点とする10キロのウォーキングコースが整備されました。「オルレ」とは、韓国済州島の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味ですが、歩く道やトレッキングコースという意味で使われています。宮城県にはオルレが今4コースありますが、第1号が唐桑半島です。オルレができたことで、お客さんが増えました。
三上 オルレも復興エコツーリズム事業がきっかけで生まれたものの一つで、その遺産が綿々と今につながっていると思います。

〈オルレとみちのく潮風トレイル〉

--トレイルとオルレ、2つのルートには棲み分けのようなものはありますか。
三上
 基本的にトレッキングに変わりはないです(笑)。トレイルのコースも一部オルレのコースになっています。オルレは、私たちが子供の頃に浜に通っていた畦道や民家の軒下など、洗濯物を干してある脇を通るとか、大根畑の脇や浜を歩くとか、本当に生活感を感じてもらうのが売りです。手前味噌ながら結構評判はいいですよ。
 「オルレ」という名前が耳慣れないので、それがとっかかりになって覚えてもらえて、入口としても大変効果的です。
熊谷 最初は「トレイルがあるのだから、オルレは全く違うルート設置にしよう」と言っていたのですが、韓国のオルレ本部が決めていることとして、コンクリートの道路はダメ、土の道路が6割、7割を占めることという決まりがあり、そういうところを探すのがちょっと大変でした。でも、韓国のオルレは結構アスファルトの道が多かったりするんだけど(笑)。
三浦 宮城県内でのオルレコース第1号となるために、三上会長をはじめ、私たちも何度となくルートづくりのために歩きました。ちょっとでも工場が見えるところはダメとか、我々がここを通りたいと言ってもダメだったり、本部から認定を取るまでに大変苦労しました。
熊谷 トレイルは2ヶ月かけて1000㎞以上のルートの踏破を目指す、ハイカーもたまにいらっしゃいますが、登山などが好きな中高年の方が「今日はここからここまで歩いてみます」という感じも多いです。トレイルが目的で来た人がここでオルレを知り、こっちも歩いてみようかなとなることもあれば、逆もあるので2つルートがあるのは、結構いい感じかなと。
三上 元気な中高年が結構、真冬でも来ていますよ。オフシーズンの冬も歩けるというのが大変ありがたい。山の木の葉っぱが全部落ちて見通しが良くなり、山から浜が見えるので、「なるほど、これは冬もいいな」と思いますね。
 唐桑半島は花が咲いたり、カモシカなどの動物がいたり、春夏秋冬、いろんな自然が楽しめます。オルレのルートづくりは「こんなところに俺は70年住んでたのか」と改めて地元を見直すきっかけになりましたね。

〈ガイドの会は自発的な活動を展開〉

三上 オルレ導入には韓国の事務局と協定が必要でしたが、そのための予算を県が出してくれました。地域からの要望などが県や市にきちんと声が通りやすくなったことはありがたいですね。
三浦 オルレの遊歩道の階段なども今、県の予算で直しています。
三上 何よりも、トレイルやオルレ、いろんな事業を興す時に沿道の住民の皆さんの協力があることが大変ありがたいです。最初は「前を通るな」とか断られるんじゃないかと思ったけど、観光客に声をかけてくれたり、話し始めると30分くらいその場から離れられない名物のじいちゃんもいますし(笑)。
 小中学生の子どもたちもコースに案内板を作ってくれたり、高校生のボランティアが掃除してくれたり、ある意味教育にもつながっていて、非常にいいなと思っています。
熊谷 地元の皆さんは歩いている人がいたら「オルレですか」と声をかけてくれたり、バスがなかったら車に乗せてあげたりもしています。
 お客さんには関係ないのですが、トレイルは国、オルレは県の事業なので、地図を一緒に作れないなどの悩みがありました。すると「ば!ば!ば!プロジェクト気仙沼」という気仙沼の市民団体が両方のルートが載っている地図を作ってくれたんです。使いやすくて、すごくありがたかったですね。
--現在の唐桑観光ガイドの会の活動内容を教えてください。
三浦 ガイドは観光協会からの依頼をメインに受け、夏場は主に遊歩道の雑草管理をしています。労力も要るし期間も長いので、観光協会から委託を受けて有償で活動しています。

 3年前には赤い羽根共同募金会から助成を得て、遊歩道に撒く木材チップを製作する機械を買いました。全国の観光ガイドの会でもこの機械を持っているのは珍しいと思います。実は今日も、私以外の7人はその作業をしています。
熊谷 以前は「お茶っこ飲み」と呼んでいた定例会を毎月しています。大体2時間くらいで、「今度こういうことやりたいんだけど」と誰かが言ったら「いいね、じゃあこの日に」という感じで、自然に物事が決まっていきます。
三浦 誰がリーダーとかではなく、とにかく会員みんなで話していて、いつも話題いっぱいという状態です。ウッドチップ作りの時も、作業中は皆夢中ですが、休み時間に世間話するのも楽しみなのかなと。ガイドはそれぞれ個性があるので、羊ちゃんがお客さんの依頼内容に合わせてガイドを選び、我々は与えられたコースをガイドしています。

熊谷 後から手紙を送ってくださったり、お土産をもらったりしますよね。
三浦 そういうのが嬉しいですよね。毎年12月に1泊2日でガイド研修を行なっていて、4年間続いています。最初の年はみちのく潮風トレイルの青森県八戸市の種差海岸や岩手県田野畑村の北山崎ルートを歩きました。2年目は宮城オルレ第2号の奥松島コース、3年目は第3号の大崎鳴子コース、去年は第4号の登米コースなどに訪れて、お昼時におやつをもらったり、おもてなしを受けて嬉しかったですよ。
熊谷 環境省の復興エコツーリズム事業で得られたガイド技術やプログラムづくりのノウハウは今もガイド活動に生かしています。当時私も傍で聞いていましたが、未だに教わった話を思い出しますね。私たちもガイド活動を長く続けているので、唐桑の後にできた宮城県内のオルレコースの地域の関係者の皆さんが来て「こんな風にやってます」と教えたりするようになりました。こちらからも現地に行って、ガイド候補の方と一緒に歩いて交流したりしています。
三浦 コロナ禍前は、ここ4、5年で実績も積んできて、じゃあ民宿と連携して1泊2日のガイド付き宿泊プランも組んでみようかと観光協会と話を進めていたところでした。
熊谷 コロナ禍が収まるまでは、新しくガイドになった方などのためにも、案内するコースなどをある程度まとめたマニュアル作りをしようという話が出ています。
三浦 令和2年度の環境省の「国立・国定公園への誘客の推進事業」で三陸復興国立公園の事業者の一つとして唐桑観光ガイドの会が選ばれ、9月から2月末まで事業を実施しています。ガイドプログラムの開発や環境整備などの内容からなり、今はそれが忙しいです。

〈コロナ禍を含めた近況〉

--今も少しお話に出ましたが、唐桑町や気仙沼市内の、コロナ禍を含めた最近の状況をお聞かせください。
三浦
 気仙沼市の仮設住宅はすべてなくなりました。3月6日に三陸沿岸道路の唐桑を含む気仙沼地区の残り7.3キロも開通し、気仙沼湾横断橋を通じて、仙台から宮古まで直通で行けるようになります。
熊谷 国民宿舎のからくわ荘が廃業し、今解体工事中です。跡地に新しい建物を作るという話ですが何を建てるかは調査中です。気仙沼市がアウトドア用品メーカーのモンベルに調査を委託し、もうすぐ構想が出ると思います。
三上 旧からくわ荘に隣接する唐桑半島ビジターセンターも、県が改築を決定しました。「ビジターセンターも改築ではなく、新築にしてくれ」と要望するなど、津波体験館の今後も含めて、我々から市へ色々希望を出しているところです。オルレのゴール地点近くにある半造レストハウスもお客様が休憩できるように、改築を計画中です。
 町の基幹産業である漁業に関しては、震災前に匹敵するくらいの生産量に戻りました。防潮堤などの工事も一区切りついたので、民宿に長期宿泊していた事業者もそろそろいなくなります。
三浦 たくさん工事関係者が入っていた時は大手会社の飯場などもあったけど、既に解体され、みんな引き上げていますよね。三陸沿岸道路が開通したら、ますますいなくなるだろうし。
三上 観光客にお出しする料理はやはり気を遣いますが、工事関係者の方はそれほどメニューにこだわりがなく、食事のあとはお風呂に入って寝るという毎日のパターンなので、正直にいうと受け入れが楽な面もあります。ただ、それに慣れてしまうのはよくないということで、観光客の迎え入れを真剣に考える時期に来ていたのがコロナ禍前です。
 ただ、うちの宿を始め、唐桑の宿泊施設はキーを渡して「部屋へどうぞ」で終わりではなく、地元の説明をしながらお客さんとお酒を飲んだりといった、いわば「密」が売り。コロナ禍はそれが「できない」じゃなくて「するな」だから、そこは一番影響が大きいです。
 しばらくの間、遠くから来る関東圏のお客さんはしばらくお断りしていました。もしうちの宿から感染者が出たら、観光協会のみんながコロナにかかってると言われかねないし、そしたらオルレとかいろんなことに影響があるのが怖かった。でも、そろそろ受け入れていこうと、今年に入って初めて昨日、関東からひと組受け入れたところです。
熊谷 このあたりは感染者が少ない分、「どこどこで感染者が出た」みたいな噂がばっと広まりやすく、それが本当に根も葉もなかったりします。それで苦しんでいる方も多いので、どっちかというと、病気の怖さより田舎の怖さみたいなのがあります。
三浦 ガイドの依頼もコロナの影響で全くない状況です。普段だったら、イベントでもやろうかとなりますが、それも難しいですし。コロナ禍による変化としては、ビジターセンターのそばのキャンプ場に、冬も毎日欠かさずお客さんが来ていることですね。
熊谷 他のキャンプ場が満員だったり休んでいたりで、消去法で来ているようですが、一回泊まった方は「また来ます」と言ってくださいますね。
三上 ただ悶々としてても面白くないので、次の矢をどう放つか、今休んでるのはむしろ幸いと思ってコタツで酒飲みながら毎晩考えてます(笑)。観光が開放された時には、当然皆さん待ちきれなくて移動するだろうから、そのための受け入れ準備をしておかないといけない。
 例えばオルレのコースも、三陸沿岸道路が開通すると環境が激変するでしょうし。10年目の節目として、道路ができるのは便利でいいですが日帰りできてしまうので、トレイルのコースと絡ませたりして1泊してもらいたいと考え中です。
三浦 5月17日から気仙沼を舞台にしたNHKの朝ドラマ「おかえりモネ」が始まり、高速道路も開通するので、かなりお客様が来ると思います。

〈被災地での観光の役割、今後の展望〉

--震災から10年を振り返って、観光は被災地の復興にどのような役割を果たしたと思いますか。
三上
 間違いなく、観光は地元の復興に通じていると思います。観光を通じて地元の人たちも元気になっているし、地元の皆さんにもトレイルやオルレをよく理解いただいています。唐桑という報道が新聞やテレビに出るとやっぱり嬉しくて、住んでいるところを見直して自信が持てるし、子どもたちもそうだと思います。
昔は自分も「こんな田舎は嫌だ」と思っていましたが、「こういういいところがあるんだぞ」と地域の人が自信を持つというのは、一番嬉しくてね。皆さん協力してくれるし。それが何よりだと思います。
熊谷 震災前から比べると明らかに、いろんな人がたくさん入ってきて、地域の人たちもいろんな視点を得て、前とは地元の見え方が変わったのではと思います。よそから人が来たら「こういうところがあるよ」とか、地域の紹介をみんながしてくれるのがいいなと思っています。
三上 唐桑でも観光を別にして、自治会や防災集団移転地区の単位ごとに、住民が昔小学校への通学に使った山道などを、オルレやトレイル以外でも歩いています。地元を見直すいい機会だと思います。
 オルレを通じて韓国と民間レベルでつながり、韓国の方々はすごくフレンドリーだと感じました。世界には他にも色々なトレイルの団体や、トレイルやフットパスを持つ地域があるので横のつながりをもっと充実させたいですね。世界のトレイル好きの人たちとも、つながりができたらいいなと思っています。
 先日、名取のトレイルセンターにいる方がアメリカのアパラチアントレイルに歩きに行った時の話を聞かせてもらいました。沿道の人たちが歩く人を手厚くサポートしているそうで、四国のお遍路さんに近いものがあるなと感じました。そういう形なら、むしろ丁寧にコースを作り込まなくても、ある意味大雑把なほうがいいのでは、なんて思っています。
 震災から10年間、全国で災害がいろんな形で起きています。直接観光に結びつくかはわからないけれど、我々は大きな災害の経験者なので、防災やいざとなった時のことも含めて、伝えていきたいと思いますね。

 

三上忠文(みかみ・ただふみ)
唐桑町観光協会会長。1951年唐桑町生まれ。リアス唐桑ユースホステルオーナー。大学卒業後、横浜市での会社員を経て帰郷。実家のユースホステルを継ぎ、国内外からの旅行客を受け入れている。震災復興に関わる方々への感謝とおもてなしの心を常に持ち、地域住民も観光客も楽しめる小さなイベントを自ら企画、実施している。2012年から現職。

 

三浦正和(みうら・まさかず)
唐桑観光ガイドの会副会長。1952年唐桑町生まれ。気仙沼市の老舗漁具屋を定年退職後、気仙沼震災復興語り部ガイド等に所属し、ガイド活動を始める。「環境省復興エコツーリズムモデル事業」では中心的メンバーとしてエコツアープログラムの造成や勉強会等に積極的に関わり、今に至る。現在はみちのく潮風トレイルや宮城オルレのコース整備にも力を入れている。

 

熊谷 羊(くまがい・よう)
唐桑町観光協会職員。唐桑観光ガイドの会事務局。1979年長野県生まれ。中学生より唐桑町に住む。2013年から「環境省復興エコツーリズムモデル事業」等の担当として働き始める。主に唐桑半島ビジターセンターで観光客と地元ガイドや事業者、場所とをつなぐ受付窓口を担当。

 

聞き手:菅野正洋
(上席主任研究員)
編集協力:井上理恵