視座「新しい出会い・心を寄せる」観光の時代へ
理事・観光地域研究部長 寺崎竜雄

 本誌の構成にあたり、さまざまな立場と視点から、多くの方にご寄稿いただき、インタビューに応じていただいた。書き足りないこと、言い足りないことはたくさんあったと思う。筆者らが表現できていないことも多々あるだろう。紙幅と時間の限りを言い訳に、ご容赦願いたい。
 ここまでの記事やレポートは、ひとりひとりの眼差しで語った実践記である。思いの詰まった文脈から一文や一語を抜粋するのは躊躇するが、当欄の役割上、印象深い表現をつなぎながら、震災からの復旧・復興における観光や交流の実情、観光振興が果たした役割を概括してみたい。

三陸沿岸部の観光動向

 最初に、津波による被災が甚大だった、主に三陸沿岸部の観光動向を振り返る。5年前発行の本誌229号にとりまとめた『東日本大震災からの復興に観光は何を果たしたか-5年間のふりかえりと今後への期待』の内容も踏まえ、当初の状況は次のように列記できる。
● 2011年度のキーワードは、ボランティアバス・復興食堂・復興商店街・震災語り部。復旧作業にあたるボランティアらが、専用バス(ボラバス)などを利用して現地を訪問した。夏季頃から、仮設の「復興食堂」や「復興商店街」の開設が相次ぎ、ボランティア、工事関係者、被災地視察の一般客らが訪れた。「震災語り部」が組織化され、ボラバスや視察ツアー対象のガイドツアーが始まった。
● 2012年度には、災害ボランティアセンターの閉鎖に伴いボラバスは減少。かわって被災地視察を主目的とした復興応援ツアーが徐々に増加。震災を学ぶスタディーツアーの企画が始まった。
● 2013年度、復興応援ツアーは最盛期を迎える。被災地の視察を主目的としつつ、行程には周辺観光地への立ち寄りも加わった。
● 2014年度になると、被災地視察・復興応援ツアーは減少する。
● 2015年度からは、一般観光客・教育旅行が中心になり、バス利用の団体客に加えて、個人客、マイカー利用者が目立つようになった。
 こうしたボラバスによる応援や視察ツアー普及の背景には、政府・観光庁などによる公的支援や、旅行会社による積極的な企画提案があった。しかし、復旧・復興が進むと「被災地の風景」「がれきの景色」がみられなくなり、ツアーが成立しにくくなったという。
 このような状況の中で、徐々に地域独自の取り組みが目立つようになる。復興状況の視察対応、海産物・海のアクティビティを活用したツアーの開発、震災学習を核にした教育旅行プログラムなどの企画が、盛んになった。「震災前以上の新しい観光の形を模索していく」という声のように、風光明媚な風景地に立ち寄る観光から、地域の中に一歩踏み込み、その地の個性に触れる仕組み作りが相次いだ。
 5年が経過した頃、「これまでは被災地女川。今は新しくなった女川。これからは立ち上がる女川をみてほしい。もはや被災地を売りものにする時期ではない」という話を聞いた。「あの人に会いたい。そんな観光があってもよい」「人に焦点をあてたツーリズムを目指す」「日常の何気ない風景や町の匂い。暮らす人と訪れる人の顔と顔をつきあわせた交流」といった、人とのふれ合いやつながりを重視する観光が必要だ、という意見を多々耳にするようになった。こうして地域が主体的に取り組む観光振興が加速する。

東北全体の観光復興

 東北全体に視野を広げると、ボラバスや復興応援ツアーに加えて、デスティネーション・キャンペーン、「東北観光博」、「東北六魂祭」などの各種イベント、複数の国際会議の誘致などが積極的に仕掛けられた。東北全体では、震災から5年を経て、震災前の訪問客数に戻ったという。
 その後も、日本全体で観光立国の推進、インバウンド増大を目指す流れの中で、観光庁・東北運輸局・東北観光推進機構らの強力なプロモーションによって、「TOHOKU」ブランドを磨き、発信した。また東北とアジアを結ぶ国際航空路線を拡充し、国際クルーズ船の寄港を増やしていく。こうした取り組みによって、東北6県全体のインバウンド宿泊数を2020年には2015年の3倍にするという政府目標を、2019年に達成する。
 震災から10年経ち、道路、防潮堤、住宅などのハード事業はほぼ終了の段階にきたといわれている。高速交通網の整備など、観光振興には好材料もでてきた。しかしながら、生活には依然として課題が残り、十分な復興を果たしていない産業もあると聞く。また、人口減少が、被災した各地にもボディーブローのように効いている。さらに、コロナ禍という脅威が襲ってきた。一方で、国の特別措置による大規模な観光振興活動は、2020年度をもって終了するという。
 こうして東北の復興は、次の段階を迎えたといってよい。依然と続く固有の課題と、異質の困難に向き合うフェーズである。ハード整備が一段落し、観光振興ではソフト面での工夫と創造が柱になる。コロナ禍の経験から、ワーケーションが注目されているように、働き方の多様化が進み、都市と地方との新しいつながり方が生まれてくる。「地域循環共生圏」の考え方も話題になるだろう。これまで以上に地域主体の取り組みが重要になる。
 そして東北には、持続可能な観光への取り組みを望みたい。そこでの暮らしには、観光・交流はなくてはならないものだということが、地域の中で広く認められるような観光振興である。

震災復興に観光や交流が果たしたこと

 ここからは、あらためて太平洋沿岸部に絞り、観光や交流が震災からの復興に果たしたことを考察してみたい。
 観光に対する直接的な期待は、観光消費がもたらす経済効果である。繰り返しになるが、被災後の比較的早い段階で、復興食堂や復興商店街がつくられ、ボランティアや復旧・復興業務従事者、視察や観光で訪れた人たちが利用した。
 また、「漁再開の見通しがたたないので漁業体験をはじめたい。早くサッパ船(小型の漁船)を手に入れて海の案内ツアーを再開したい。いち早く収入にもつながる」という声が早い時期に上がった。震災前から生業の合間に取り組んできた観光交流事業を当面の糧にしたいということだが、さらに「海を案内すると、観光客は喜び、拍手が起きる。自分の船さえあれば、もう一度快感を味わえる」と言葉は続いたという。

 「人を受け入れようとする気持ちが、立ち上がるきっかけになった」、「目の前に観光の再出発があった。無我夢中でやれた」、「頼りにされていると聞いて女将のスイッチがはいった」という発言にあるように、人を迎える、楽しいときをつくる、そして喜んでもらうことが気持ちを前向きにし、行動力を駆り立てたようだ。誘客・観光に取り組もうとする意識が、復興を駆動する力強いエンジン役になった。
 一方、訪問客からは「ボランティアをしたくても体力や体調の面からできない。訪問して直接話を聞き、そのあと食事をとり、買い物をする。そうやって復興を手伝いたい」という話があった。最近では「これまで何もしなかったことが心の負い目だった。みちのく潮風トレイルができたので歩きに行ける。歩くことで少しでも東北を応援できるかもしれない」というハイカーもいるようだ。東北を気にかけ、訪問を通して自分の心を伝え、消費による支援もしたい、と考える人は今も多い。被災された方からも、忘れないでほしいという声を聞く。こうした観光・交流を通した心のつながりも復興を支えてきたといってよいだろう。
 「観光が元気だと地域全体が活気に溢れてみえる。行っていいのかと問われると、気にせず来てください、来てもらうことが一番の支援になると答えている。多くの方に来てもらうことが復興の証明になる」という言葉に、震災復興における観光や交流の役割と貢献が集約されている。

観光まちづくりから地方創生へ

 観光まちづくりの視点で振り返ると、「震災がきっかけで浜と町がつながった。若い人たちが協力し、同じ目線でイベントなどに取り組むようになった」、「旅館、飲食店、建設業、幼稚園の先生、漁師も含め、多種多様な人が業種を超えて連携した」、「プレハブという一つの空間に、観光協会、商工会、他の産業団体の事務所が寄り合った。事務局同士のコミュニケーションが密になり、産業界の結束が強くなった」とあるように、復興過程において地域の中のつながりが強まり、観光まちづくりの方向性が共有され、復興が加速したという事例が複数みられた。
 また、「熱意を持って働いている方を取材するうちに、農家の方々の素晴らしさに気づき、感動した。ふるさとのことをもっと知りたいと思った。福島県民としての強烈な自負が芽生えた」という若者がいる。「おすすめの観光地をたずねられても有名観光地しか思い浮かばなかったが、こんな山があって、そこのリンゴが絶品だ」と、潜在する地域固有の魅力を見いだし、自分の言葉で語るようになったという。復興活動を通して地元と向き合い、そこに暮らす意義を感じ、自信が芽生える。自分で気づいた地域の誇りが外から人を呼び、素晴らしさを確認しあうことを通して、あらたな観光・交流が生まれていく事例もあった。
 一方、観光産業界には、「つらい思いをしている人たちの心もいやせる旅館になる。災害時に温泉地は疎開先になる。生活産業なので誇りをもって続けていく」という声がある。地域社会における課題解決の手段、セーフティネットとしての役割、交流のプラットフォームといった、新たな役割の気づき・動機づけがあったようだ。こうした意識がつながることによって、観光産業は、生活交流産業としても、地域社会の中でいっそう重要な役割を果たしていくだろう。
 観光まちづくりでは、従前から多くの地方が抱える高齢化、人口減少という課題に向き合うことも必要になる。復興過程で観光・交流が進み、「空き地や空き家だらけだったが、若い人が入ってきて新しいお店ができた。ここは住みやすいと選んでくれた」、「民泊、漁業体験、お祭りなどに取り組んできたが、若い世代への引継ぎが課題だった。震災をきっかけに交流事業に価値を感じる若い人が増えた。大きな課題が一気に解決した」ということが起きている。
 外部から人を呼び込み、頻繁な往来、移住、定住につなぐという取り組みには、結局のところ、働く場・仕事が不可欠である。観光・交流の核となる商業施設群の再構築にあたり、地域住民、外来者を問わず、新たな事業にチャレンジする気運・仕組みづくり、創業の場づくりが具体化された事例もあった
 このように復興過程における連携と協働による観光まちづくりの実践を通して、地方創生につながる好事例が複数創出されている。本来の仕事が軌道に乗ると協働の意識が薄れがちになるようだが、この先もこれまでの経験をつないでいくことが大切である。

「出会い」と「つながり」

 これまでに多くの人たちが被災地を訪ね、そこには新たな出会いがあったという。こうした「出会い」こそ、東日本大震災からの復旧・復興過程における象徴的なできごとではないだろうか。
 みちのく潮風トレイルを歩くハイカーの間では、風景の話より、地元の人との出会いや、親切にしてもらった体験談の方が、よく話題にのぼるという。逆に、地元の人から、「震災の記憶を地元の中だけで語り継ぐのは難しい。いろんな経験があるからだ。しかし旅人には話すことができる。語ることによって心が解かれることがある」という声が聞かれるようだ。
 また、今回の聞き取り調査を通して、
● 震災はとても悲しい出来事だが、震災がなければ来なかった人たちが来てくれ、出会えたことは大きな財産になった。
● 地域外の人と交流する中で、地域資源、取り組み、産業が認められた。見てもらいたい、食べてもらいたい、広めたいという思いがうまれた。
● 多くの人が来て、震災前に描いていたふるさとづくりは間違っていない、やれるということを確証してくれた。一緒に伴走してくれ、村づくり、まちづくりが一気に進んだ。一流の人たちの考え方に触れ、未来を感じた。
● いまは少し間をおいてみてくれている。この感覚が大切。見ているよ、応援しているよという人たちがいると、生きていくうえで心強い。
 というような発言を頻繁に聞いた。また、「これからは恩返しだ」という声もあった。
 一方で、復興支援に訪れた人たちからは、「私たちが勇気づけられた」「人と会い、話すことが自分の生きる力にもなった」「人と出会うことの価値に気づかされた」という話を耳にする。
 また「ボランティアらの貢献活動は、被災した地域を癒す活動だ。この先は地域を再生・活性させていく取組みとして続けていくべき。主役は地域に住む人々、地域を訪れるよそ者だ」という意見がある。もはや、観光・交流は、まちづくり・地域づくりの基盤だという主張である。
 これまで観光振興を考えてきた中で、人との「つながり」の重要性を、これほど意識したことはなかったと思う。東日本大震災からの復旧・復興を通して、観光・交流の大切さにあらためて気づかされた。大雑把にいうと、観光への注目は、「見る」から「体験」に受け継がれてきた。この経験を通して、これからは「新しい出会い・心を寄せる」観光の時代になるだろう。

最後に

 本号の企画を進めるにあたり、ためらいがあった。これまで現場には何度も足を運んだものの、自分に何ができたのだろう。そうこうするうちに「10年の節目に、記録を残すことが重要だ。現場の人の振り返りを聞きたい。こうすればよかったということを書き留めておくべきだ」という意見に、背中を押された。
 作業を進めると、「観光客が来て、喜んでくれることが地元に元気をもたらす。苦しい時でも、楽しいよ、ここは凄いねといってくれると、心から元気が湧いてくる」という言葉を頻繁に耳にした。「観光が心の復興に大きく寄与した。立ち上がった被災者が、今度は支援者やボランティアをお世話する立場になる。こうした観光が自立の一歩だ」という話もあった。東北を気にかけ、訪ねるだけでも、意義あることだと教わった。
 この間に、いくつもの印象的なメッセージをいただいた。その中でも「こうすれば良かったという後悔はない。その都度、仲間たちと話しあいながら方向性を決め動いてきた。悔いたりするのは、10年間一緒にやってきた仲間に失礼になる。とにかく誰もが一生懸命やってきた」という発言が強烈に心を突いた。この言葉が本稿の締めくくりにふさわしいと思う。