⑤…❸ 「高校生が伝えるふくしま食べる通信」

ふるさと福島を、自分の言葉で自信を持って語る高校生たち

東日本大震災後のボランティア活動中に、被災者の「子供たちのために何かを」のひと言に心を揺り動かされた、半谷栄寿氏が設立した(一社)あすびと福島(2012年4月設立、2016年1月名称変更)。同団体が人材育成事業の一環として、2014年4月から手掛ける「高校生あすびと塾」から生まれた社会事業が「高校生が伝える ふくしま食べる通信」(以下、こうふく通信)※1。創刊(2015年4月)の背景には、当時、高校2年生だった初代編集長・菅野智香氏の「大好きな福島が誤解されて悔しい」との想いがあった。以来、年に4回、高校生が福島県内の農家等を取材して、震災との関わりや震災をどのように乗り越えてきたか、また生産に対する想いなどをまとめた情報誌と食材を読者に届け続けている(購読料:1号2850円)。約7年にわたり同事業に関わってきた事務局長の椎根里奈氏、そして、現役高校生の熊谷惇乃氏(安積高校2年生:取材時)、伊藤英聖氏(福島高校3年生:取材時)に、「こうふく通信」のこれまでとこれから、今、伝えたい想いをお伺いした。

 

出席者 ○ 椎根里奈(一般社団法人あすびと福島企画マネージャー)(高校生が伝えるふくしま食べる通信事務局長)
伊藤英聖(福島高校3年)
熊谷惇乃(安積高校2年)
構成・進行 ○ 吉澤清良(公益財団法人日本交通公社観光文化振興部長)

発刊の想いは変化、福島のことを知りたい、語りたい

吉澤 熊谷さんは、「こうふく通信」をどこで知り、なぜ関わりたいと思ったのですか。
熊谷 私が小学生の頃、「こうふく通信」が発刊され、両親が購読していました。入部のきっかけは、「こうふく通信」の高校生が自分たちの考えや福島への想いを全国に発進している姿にすごく〝憧れ〞を感じ、高校生になったら自分もぜひやってみたいと思ったことです。
伊藤 私は震災があったことで、小さい頃から漠然と、福島に何か貢献できる人になりたいとの想いがありました。高校1年生の時に、福島県外からの視察者と交流する機会があったのですが、15年間も福島に住み、震災も経験していながら、思っていたよりも話せなくて。自分は福島のことを全く知らないのではないか、福島をもっと知りたい、何か福島に関わる活動をしたいと強く思いました。そんな時、「こうふく通信」に関わっている先輩に話を聞いて入部しました。
吉澤 創刊当時と比べて、皆さんの「こうふく通信」発刊への想いに変化はあるのでしょうか。
熊谷 創刊から7年経った今では、復興に焦点を当てて伝えたいから入部したという想いよりも、一人ひとりが何かしら福島の魅力を伝えたいという想いを持っています。
椎根 発刊への想いは変化していくものだと思います。初代編集長の子は、「福島が誤解されて悔しい」がモチベーションになり、当初はそこに共感したメンバーが集まりました。最近は、復興とか風評被害払拭という肩肘を張るような感じよりも、自分自身が福島をもっと知りたい、あるいは自分の言葉で自分のふるさとを語れるようになりたい、そういうピュアな想いを持った高校生が多い気がしています。
 福島だからどうこうといったことは、いい意味で昇華されてきたと思います。
福島が誤解されて悔しいという言葉が、どうしても一人歩きしがちですが、実はその後に、「いい意味で、福島が意識されないような形になれば」と、初代編集長だった子はずっと言っています。現役メンバーは、いい意味で誤解されることがなくなってきた福島を感じながら取り組んでくれていると見ています。
 初めは風評の払拭から始まりましたが、今では高校生の人材育成の手段としての位置づけが高くなっています。読者の皆さんも、私と同じでこの子たちの成長を楽しみにしています。
 創刊時の読者は230人ほどで、「あすびと福島」の志や取り組みに共感いただき、ご寄付や企業研修の企画などでご縁をいただいた方たちが中心でした。どちらかというと福島の農産物を積極的に食べて応援したいという気持ちで、「こうふく通信」に触れた読者さんが多かったです。
 一方、生産者の皆さんは大変な思いをされていても、県民性なのか、自力で乗り越えてきた苦しさを前面には押し出さず淡々と話します。ですから、高校生たちはあまりセンセーショナルに描くことはせず、聞いたまま、受け取ったままを真摯に書いていました。当初から現場の大変さばかりではなく、福島の農家の日常や前進する姿を一貫して伝えていたように思います。
 段々とメディアにも取り上げられて、そこから高校生を応援したいという読者さんやファンが増えていきました。当初から福島県産のものは絶対に食べないと思っている方よりも、態度を決めかねているような方への判断材料になればというスタンスでしたね。

活動を通して感じたこと生産者の熱さ、自分自身の変化

吉澤 現役編集部の熊谷さんは、生産者の方と向き合う時に、大切にしていたことは何ですか。
熊谷 私は生産者のことを予めインターネットで調べて、どのような人かを把握した上で取材現場に向かいました。人柄を知った上で話を聞くと深く感じることできます。自分の気になった話題については、どんな話をされるのかワクワクして聞いています。現場で得た感動を、私たちというフィルターを通してそのまま読者に伝えたいと思いながら、毎回、記事を書いていました。

伊藤 高校生ということで、農家の方も話しやすいというのはあったかもしれません。
吉澤 子供や孫のような皆さんに真剣に話を聞いてもらえることが嬉しかったのかもしれませんね。たくさんのお話が聞けたでしょうから、一冊にまとめていくのは大変な作業だったのではないかと。

椎根 この1年はコロナ禍で取材もオンラインで行わざるを得なくなりました。現場を見ずに取材するのは酷ですが、それでも工夫を凝らして、コロナ禍だからこそできることは何なのか、自発的に考えている姿が事務局にも伝わってきました。
 これまでの6年間で「こうふく通信」に関わってきた高校生はのべ37名。編集は人数が多いと、誰かに任せてしまい主体的に取り組めなくなりがちです。そうなると取材でも質問が少なくなり、もったいないなと感じることもあります。あくまで有志の活動ですので、そこには自分の意思が必要です。質問を重ねることで、自分の感性を高めていくことができると、彼らには伝えたいです。
吉澤 実際に取材されて、どんなことをお二人はお感じになりましたか。
伊藤 福島で熱意を持って働いている方々を取材していくうちに、自分も福島に関わっていきたいとの気持ちがより強くなり、どのように関わっていくか、モヤモヤしていたものが明確になりました。実は小さい頃から医師を目指したいと思っていたのですが、取材で方々に足を運び、お話を伺う中で、過疎地での医療の必要性・重要性を感じ、福島に関わっていきたいとの想いと、徐々につながってきたところはあります。
 また、同じ想いを持った高校生同士がつながったことも大きな収穫です。活動を通してたくさん刺激を受けました。
吉澤 伊藤さんが出会った人たちはどんな方が多かったですか。
伊藤 福島にとても愛着を持ち、自ら生業を営み生活している方たちです。自分も福島で生まれ育ったので、その想いに共感でき、印象に残っています。この活動を通じて、普段の高校生活では得られない経験ができたと思っています。
椎根 農家の方は頭が良く、数字にも強いです。そこはいい意味で高校生たちの期待を裏切ります。農家は土を耕すのできつい、土で汚れてきたないというイメージががらりと変わります。これだけのことを成し遂げてきたという実績があって、取材中の会話のキャッチボールもテンポよく、それは衝撃的です。
吉澤 熊谷さんはいかがですか。
熊谷 初めて取材した方が一番記憶に残っています。その方の畑を見学後、農家を始めるまでの自分の人生について2、3時間ほど熱くお話してくださったのですが、私がこれまで何気なく食べていた野菜には、こんなに多くのストーリーがあるのかと、衝撃で泣きそうになりました。その想いを受け取った時に、このストーリーを伝えたい、これを知った上で野菜を食べたら感じ方が違うのではないかと。
吉澤 食は観光においてもすごく大切な要素です。そして、つくり手の顔や想いといった情報がその美味しさを何倍にも増すことがあります。伝えることは容易ではありませんが、「こうふく通信」を拝見し、皆さんの伝え方にはとても訴えるものがあったので驚きました。

震災が気づかせた、福島県民としての自負

吉澤 お二人の活動を、友達や学校の先生、ご両親など周りの方はどのように見ていらっしゃるのでしょうか。
熊谷 同じクラスに一人「こうふく通信」のメンバーがいます。二人で話していると、他の友達からは「福島のために活動しているなんてすごい」と言われますが、皆、どこかに福島県民の自負のようなものがあるのだと思います。
 先生の中には読者になってくれた先生も。毎回コメントをくれたり、温かく見守ってくれています。家族は読者でもあるので楽しみにしてくれています。
吉澤 今、「福島県民としての自負」とおっしゃいましたが、具体的にはどのようなことでしょうか。
熊谷 これは震災があったからこそなのかなと。震災後、福島県が危険視され苦しんだ過去があったからこそ、福島県民として「そんなことはないし、私たちの故郷は素敵なところだと知ってほしい」という自負が生まれたのでは、と私は思っています。
椎根 私は、福島の子たちが福島にいたからと差別されたり、危険だと思われることがあっては絶対にいけないと思い、この仕事を始めました。それが、今では福島にいたからこそ経験できたと、前進する原動力に変わっていることは、伴走してきた者としても何よりもの成果だと思っています。
 復興という言葉は軽々しく使いたくないですが、自然にそう思える風土が生まれてきたことこそが、復興のひとつの姿なのかもしれません。
吉澤 伊藤さんはいかがですか。
伊藤 編集部の高校3年生4人は、全員が福島高校です。放課後、話し合いをしている時には、周りの友達とも、例えば先週このような所へ取材に行って来たという話もします。こうした会話が、「こうふく通信」の活動や福島の農家のこと、知らなかった場所を知るきっかけになっているのではと感じます。先生からは、このような機会があるので「こうふく通信」のことを発表してみないかと誘ってもらったこともありました。家族にはこの活動に参加してから変わったと言われます。恐らくは地元愛や、先ほど話したような将来の夢に関することなども含めてのことだと思います。
 実は、私には2学年下に弟がいるのですが、「こうふく通信」に入部してくれています。
椎根 創刊当時のメンバーは安積高校一校でしたが、これまでに県内7校の生徒が参加しています。英ちゃん(伊藤)世代の仲良し4人組はいいチームワークを発揮。このメンバーは、ある意味、「こうふく通信」の第二創業的なことをしてくれたようにも思います。

「こうふく通信」継続の意義、福島だからこそ生まれた想いと取り組み

吉澤 ところで、熊谷さんは今回発行の「2021年冬号(23号)」をもって引退されますね。今後は、どのように関わっていかれますか。
熊谷 この10年で風評被害もあまり感じなくなって、何のために自分たちが活動しているのか、目的意識を持てなくなってきています。私自身も、これでお金を頂いていいのだろうかと感じることもありました。その時は、私は編集部メンバーの何人かにこうふく通信を続ける意義を問い掛け、皆と話し合う中で答えを見つけることができました。
 これからの編集部メンバーにも、なぜこれからも「こうふく通信」を続けていくのかを話し合い、それぞれにその意義を見つけていってほしいと思いますし、私自身も、編集部メンバーがどんな思いを持って記事を書いているのかOGとして見守っていきたいです。もし、熱い想いが伝わって来なかったら、口うるさい先輩になりますよ(笑)。
吉澤 どういった意義があるという話が出ましたか。
熊谷 私が問い掛けて、すぐに返信をくれた子は、「自分は中学校まで福島に何の想いも持っていなかったし、人から誘われて入部した。でも活動するうちに、福島のこと、また特に農家の方々の素晴らしさに気づき、純粋に感動した。私たちが成長していく場として続けていく意義はあるのではないか」という意見でした。

吉澤 今回の号(23号)の冒頭で、熊谷さんの書いた「福島の10年〜ここで生きる者のもがきと希望」という文章は、本当に見事でした。

椎根 私は、この原稿が上がってきたときに度肝を抜かれました。「今も汚染処理水などの問題は解決していない。解決しようとするたびに、再び風評被害にあうかもしれない。だからこそ、福島のこれからについて一緒に考えていただければ」と、非常に彼女らしい視点で、編集部ばかりではなく読者さんにも課題を投げ掛けています。「こうふく通信」に関わった1年で、彼女はどれだけの事を見てきたのだろう、その吸収力と想像力のすごさを感じました。
 私は、導入の文章は「取材の中で、五感で感じたことを書こうね。畑の空気感や匂いや音を読者さんが感じられるように言葉に表そうね。そこに行かないと分からないことを、みんなの感性をフルに生かして書こうね」と言っています。今回はオンライン取材でしたので、不安もありましたが、それを遥かにしのぐ答えを出してきたので驚きました。
 これが、まさに福島県民としての自負です。編集部ではなく、福島県民としての自負を彼女はしっかり持っています。
吉澤 伊藤さんは一足早くOBになりましたが、「こうふく通信」はどうあってほしい、あるいはどう関わっていきたいと考えていますか。
伊藤 震災から10年が経ち、「福島が誤解されて悔しい」と思う高校生は少ないです。ただ当初の想いは絶対に心のどこかに持っていなければと思っています。今は「ふるさとである福島のことをもっと知りたい」という想いに変わってきていますが、それは悪いことではなく、良いことではないかと。
 私は引退してある程度時間が経ちましたが、頼もしい後輩たちが頑張ってくれています。弟も編集部にいますし、私は大学も福島なので、何か機会があれば関わっていきたいと思っています。
椎根 彼らが引退後も何らかの形で関わりたいと思える存在であり続けたい。つまらなくなったと、この子たちに思われたくありません。その分、私が高校生たちに発破を掛け続けて、先輩たちの想いがあったから、今の皆さんがあるということを伝えていかなければなりません。
そして、福島だからこそこうした想いや取り組みが生まれたのだと、全国に発信していきたい。私たちが行ってきたことが、さらに意味を持つと思います。

観光との接点、実体験として人に伝えることへのチャレンジ

吉澤 伊藤さんの話を聞いて、「ふるさと福島のことをもっと知りたい」という想いは、それこそ観光振興の根底に絶対必要なものだと改めて感じました。
 観光との接点についても伺っていきたいと思います。先ほども、農業、食は観光にとっても大切な要素だとお話ししました。福島に観光客を来てもらうために、何かお考えがあれば教えてください。
伊藤 他の地域で、「こうふく通信」の活動を伝える機会があります。その時、よく言われるのは、「農家や取材している私たちを通して、福島の魅力がよりリアルに伝わってくる」ということです。「こうふく通信」が実際に訪れてみたいというきっかけになるのではないかと。実際、他県の高校生と交流した時に、次は「福島に行ってみたい」となり、「来てくれたら案内するよ」と盛り上がったことがあります。
吉澤 その地域に行ってみたいと思わせる最大の魅力は、やはり人だと思っています。伊藤さんが案内してくださるのであれば、行ってみたいと思う方も多いでしょうね。
椎根 福島県に住んでいながらも知らない場所はたくさんあります。今までは、「福島でお薦めの観光地は」と聞かれた時に、会津や猪苗代湖などの有名観光地しか思い浮かばなかった子たちが、「二本松市の旧東和・岩代地域に羽山という山があって、そこのリンゴが絶品で」と、ある意味マニアックな話を、自分の経験から自分の言葉で語れるようになるのは素晴らしいことだと思います。
吉澤 伊藤さんも熊谷さんも、お話が上手ですね。例えば、農家と旅行者の間に立って、両者をつなぐ役割が期待できるのではないかと感じました。
椎根 取材だけではなく、実体験として誰かに伝えることをさせたい。「こうふく通信」でも取り上げた、孫の手トラベル(福島県郡山市)のフードキャンプ(食の現場を観光資源として各地の生産者を訪ねるツアー)のようなものを、彼らに企画させたいですね。チャレンジしたいことがたくさんあります。
吉澤 熊谷さんはいかがですか。
熊谷 海外では福島はまだ誤解されているでしょうから、インバウンドはどうだろうかと。福島は田舎のイメージが強いですが、だからこそ経験できる自然を、ぜひ海外の人にも経験してほしいと純粋に思います。例えば、農家民宿などに滞在し、そこでの体験や農家さんとの会話を通して感動してもらえたら嬉しいです。福島への理解も高まるのではないかと。
吉澤 特に欧米からの旅行者は長く旅行されますし、比較的ゆっくり過ごすことに意識の高い方も多いです。福島には豊かな農村風景があちこちに広がっています。楽しく快適に過ごせる仕掛け・仕組みがあれば、滞在の可能性もあるかもしれませんね。
 また、日本人にも長期滞在して福島を楽しんでいただきたいですね。コロナ禍で日本人の働き方も変化してきています。ワーケーション(リゾート地や地方等の普段の職場とは異なる場所で働きながら休暇取得等を行う仕組み)も注目を集めています。そのためにも福島を正しく知ってもらうことは大切です。皆さんの取り組みに今後も期待しています。

人は、福島の光、もう福島はかわいそうだとは言わせない

吉澤 時間が迫ってきました。最後に一言ずつお願いします。
熊谷 私は、福島という言葉を聞いた時にマイナスのイメージを持ってほしくありません。私は、福島の福を勝手にハッピーと訳していて、福島はハッピーアイランドというイメージが広がればいいなと思っています。
伊藤 福島と言うと、震災や原発事故のイメージがどうしても付きまとってきました。震災から10年間の節目を迎えて、過去にそうした出来事があったことは心に刻みながらも、福島は前に進んでいるんだということを、しっかり伝えていきたいと思います。
椎根 私からも一言申し上げると、「こうふく通信」の活動を通して、こうした子たちが37人も生まれたことが福島の光だと思います。「高校生あすびと塾」を始めた時には、スーパー高校生や高校生起業家のような子が生まれるかもしれないと思いました。しかし今は、一人ひとりが「ふるさと福島」を自分の言葉で自信を持って語れることが、スーパーな高校生になる以上の価値があると思っています。このことをぜひ伝えたいです。「福島はかわいそうだ」などとは、もう言わせません。
吉澤 自分のふるさとを自分の言葉で語ることは、大人でもなかなかできることではありません。本日、皆さんのお話を聞いて、改めてその大切さを感じました。
ありがとうございました。

編集協力:井上理恵

 

椎根里奈(しいね・りな)
一般社団法人あすびと福島企画マネージャー(高校生が伝えるふくしま食べる通信事務局長)。福島県郡山市生まれ。不動産・建築のコンサルティング業務に携わり、震災を機に退職。2012年4月、あすびと福島の創業時より事業全般を支える。「こうふく通信」では、創刊から事務局長として高校生編集部に伴走し、育成・事業マネジメントにあたる。

※1:食べる通信〜食のつくり手を特集した情報誌と収穫した食べものがセットで定期的に届く「食べもの付き情報誌」。高橋博之氏が、「世なおしは、食なおし」のコンセプトのもと、2013年にNPO法人東北開墾を立上げて「東北食べる通信」を創刊したことに始まる。