⑥…1 東日本大震災、三陸鉄道の10年

中村社長インタビュー
東日本大震災当時は、岩手県沿岸広域振興局長、その後は岩手県復興の陣頭指揮を執る復興局長を務められ、2016年6月に三陸鉄道の社長に就任された中村一郎氏に、岩手県の復興状況、三陸鉄道の取り組み、三陸地域における観光の可能性などについて伺った。

三陸沿岸の復興には、息の長い取り組みが必要
 
吉澤
 中村社長は、岩手県沿岸広域振興局長、復興局長を歴任され、現在、三陸鉄道にお勤めでいらっしゃいますね。震災から10年が経ちましたが、岩手県の復興の状況をどうご覧になっていますか。
中村 前半5年は県の職員として、後半5年は三陸鉄道を通じて復興に関わってきましたが、被災された方の住宅や道路、防潮堤などのハード事業はほぼ終了という段階に来ています。ただ、それで復興が終了かというと、被災された皆さんの中には、たくさんの課題を抱えながら、生活されていらっしゃる方が多い。個々の生活と、沿岸被災地の生業、産業の部分がまだ十分に復興を果たしていないと感じています。
 いくつか要因があり、岩手の沿岸部は水産、漁業が基幹産業のひとつですが、ここ何年かは地球温暖化の影響か、海水温が平年よりも高めで、それが漁獲高の減少につながっています。サケやサンマ、イカなどの漁獲高がかなり落ち込み、漁業者だけでなく、水産加工業にも大きな影響を与えています。観光もコロナ禍にあって観光客数が大きく落ち込み、苦戦を強いられるなど、特に三陸沿岸の復興には息の長い取り組みが必要であると感じています。
吉澤 地域の産業が元気にならないと、地域自体の存続にも関わってきますね。
中村 これは日本全体の問題でもありますが、人口減少がいろんなところにボディブローのように効いているというか、産業面にも影響が出ています。

乗車人員、年間100万人を目標に
 
中村
 三陸鉄道(図1)の利用は、高校生の通学が大きなシェアを占めていますが、毎年定期券の販売数が減少しています。子供の数の減少に連動しているわけですが、我々としてはなんとか別の形で利用者を確保する取り組みをしていかなければなりません。
吉澤 今のお話は乗車人員の推移にも表れていて、開業年度(1984年度)は268万人だったのが、2016、17、18年度は開業年度の約2割程度に減少しています(図1)。これは少子高齢化、人口減少が一番の要因ということでしょうか。

中村 そうですね。三陸鉄道は今年(2021年)で37年目を迎えますが、開業初年度(1984年度)より乗車人員が年々減少しているのは、人口減少に加えて、道路の整備が進むとともにモータリゼーションが進展し、車で移動する方が増えてきたことが要因かと見ています。
 もう一つの要因が、沿線にあった県立病院や高校の移転です。例えば、昔は宮古駅前にあった県立宮古病院が郊外に移ってしまったことで、お年寄りの利用が減少しました。また、高校は生徒の減少で統廃合が進み、廃校となると一気に利用者が減るということもありました。
吉澤 震災の年度(2010年度)の乗車人員は85万1千人でした。それが震災で大きく落ち込み、その後、2013年度上半期のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の放送により回復に向かい、2019年度に90万8千人と、2010年度を上回る規模に戻っています。将来的に乗車人員はどのくらいを目標にされていますか。
中村 2019年3月にJR山田線(宮古・釜石間)の移管を受けて、新たに「三陸鉄道リアス線」として開業しました。従来の南リアス線、北リアス線に加えて宮古・釜石間が加わったことで、当初より、相応の利用者の増加を見込んでいました。
 マスコミにもかなり取り上げられ、全国各地からお客様においでいただきました。2019年度は、県も「三陸防災復興プロジェクト」など様々なイベントを沿岸部で実施。9〜10月には「ラグビーワールドカップ2019」が、鵜住居駅のすぐ近くに新しく整備した釜石鵜住居復興スタジアム」で開催される予定でした。
 しかし、2試合目が予定されていた10月13日、台風19号が襲来し、東日本を中心に大きな被害が出て、三陸鉄道も7割の区間で運行ができなくなりました。9月までは1ヶ月に10万人ペースと好調であった乗車人員が、10月は7万人、11月は5万人強と落ち込むことに。
 2019年度は110万人を見込み、ほぼクリアできる予定でしたが、台風被害により90万8千人に留まりました。それでも前年度に比べれば大幅に伸びていますから、そういう意味では100万人を一つの目標としていきたいと考えています。
吉澤 台風被害後、三陸鉄道は半年ほどの早いうちに復旧しましたよね。
中村 非常に多くの皆さんにご支援・ご協力いただき、台風から約5ヶ月後の2020年3月に全線で運行再開を果たせたので、それはすごくありがたかったです。というのも、東京五輪の聖火が3月20日にギリシアから飛行機で宮城県の松島基地に到着し、まず「復興の火」として被災地3県を走ることになっていました。3月22日からは岩手県の沿岸部を、宮古から釜石間は三陸鉄道に乗せて運ぶことが決まっていたんです。
 ですので、3月22日には復旧させようと取り組み、3月20日に運行再開を果たすことができました。工事事業者の皆さんにも全面的にご協力をいただきました。また、復旧の財源は国から多大なご支援をいただくなど、多くの皆さんのお力添えのおかげです。
吉澤 三陸鉄道は、沿線住民にとってどのような存在なのでしょうか。
中村 通勤や通学、通院や買い物などに日常的に使われていて、走っている姿が当たり前の光景というか、走っていないと「あれ、どうしたのかな」と。人によっては、三陸鉄道が走る音を聞いたり、見ることが日常の時計がわりとおっしゃる方もいますね。
吉澤 「当たり前」というのは最大の誉め言葉かもしれませんね。
中村 はい。生活に溶け込んでいるというか、馴染んでいるということかと思います。
 2019年度の台風被害の時も、宮古・田老間は被害が少なく、すぐに再開しました。並行して走る国道45号が土砂崩れで不通でしたから、普段は車で通勤していた方が三陸鉄道にかなりシフトしたんですね。地域に2つの交通手段があることは、災害時には強みになると思いました。

あまちゃん、リアス線開業が、大きな変わり目に

吉澤 2019年度の他に、この10年間で、何かの変わり目になった年はあったのでしょうか。
中村 震災からの全線再開が2014年4月で、マスコミでもかなり取り上げていただきました。その前年の2013年上半期の「あまちゃん」はかなり大きな影響があったと思います。番組の冒頭で、三陸鉄道が走るシーンが毎日登場し、皆さん、印象に強く残ったようです。全線開通後、「一度乗りに行ってみよう」という方が多くいらっしゃったことで、2014年度の乗車人員がぐっと伸びたと。その後、あまちゃんブームも落ち着きを見せて乗車人員は減少、横ばいが続き、2019年3月のリアス線の開業でもう一度来てくれたということだと思います。

 2020年の4、5、6月頃は、かなり厳しい経営が続いたものの、夏から秋にかけては観光客を含めて結構盛り返してきていたんですね。国のGoToトラベルキャンペーン事業などはかなり大きな効果があったと見ています。12月に入るとコロナの感染者が増え、キャンペーンも停止となりましたが、状況が落ち着いたら再開していただければ大変ありがたいと思っています。
 もう一つ、これもコロナ禍の間接的な影響になるのでしょうが、これまで県内の中学や高校の修学旅行先は東京や関西方面でしたが、近場に変更した学校が増えました。また、実施時期も春から秋に変更となりました。そうした修学旅行が三陸沿岸に来ています。三陸鉄道は、震災後、「震災学習列車」を運行していますが、その利用が少し伸びました。今年は県外からの利用もありますが、県内の学校の利用が増えているのが一つの特徴と言えます。
吉澤 そうすると、2020年度は観光に関しては、県内の利用者が比較的多かったということですか。
中村 県外からの個人客は少し来ていました。しかし、首都圏の旅行会社が取り扱う団体ツアーでの利用が、コロナ禍で軒並みキャンセルになり、その結果、県内のお客様が増えてきたと言えます。
 今後のコロナ禍の状況次第ではキャンセルになるかもしれませんが、今は、旅行会社からは列車の予約が入ってきています。

沿線市町村への貢献も、三陸鉄道の役割

吉澤 先ほどの「震災学習列車」をはじめ、三陸鉄道の企画力はすごいですね。
中村 ある程度、継続的に長く取り組んでいるものと、アイデアを出し合って単発で行っているものがあります。様々なことにトライしながら、皆さんに喜んでいただける、乗ってみたいと思っていただける企画をやっていかなければと。
 もう一つ、これまでの「楽しむ」ことに加えて、「学び」の部分を大切にしていきたい。スタディツーリズムという言葉がありますが、「震災学習列車」もその取り組みの一つです。
 2020年10月、試行的に宮古市の中学生を対象として「海と希望の学校on三鉄」という、三陸の海や魚を列車に乗って楽しく学ぶという企画列車を運行しました。これは大槌町にある東京大学国際沿岸海洋研究センターにご協力いただき実現したものです。2021年1、2月にも何回か運行する予定でしたが、コロナ禍で中止としたので、新年度(2021年度)には再開したいと考えています。
吉澤 地元住民の利用促進策の「新たなマイレール運動」という取り組みも興味深いですね。
中村 三陸鉄道沿線の10市町村ごとに、貸切列車で旅行を楽しんでいただきたいという思いがあります。また市町村からは「自分のところにお客さんを連れてきてほしい」という要望があります。この両方を実現していきたい。住民や観光客を列車で沿線市町村を目的地としてお連れし、観光ポイントを回り、昼食も地元の美味しいものを食べていただくと、市町村にお金が落ちることにもなりますから。
 うちは経常収支でかなり大きな赤字が出ていて、最終的には県や市町村から支援をいただいています。「三鉄が頑張って、うちらのためにやってくれている」と思っていただきたい。お金を出しているのに効果が見えないとなれば、市町村の支援する気持ちをそぐことにもつながりかねない。私たちは地元のためにできることを、しっかり取り組んでいきたい。単に乗車人員を増やして、会社の収入を上げればいいということではなく、各市町村への経済効果の創出など、貢献できる取り組みをしていきたいと考えています。
吉澤 「新たなマイレール運動」は、市町村がお互いの良さを知るきっかけにもなりますね。
中村 今までも類似した取り組みは行っていて、三陸鉄道の一番北にある久慈市では9月に秋祭りがあり、立派な山車が何台も出るんですね。でも宮古の人たちはほとんど見たことがないんです。2年ほど前にうちで特別列車を仕立てて、宮古の人を久慈に連れて行く日帰りツアーを催行しました。そしたら「初めて見たけど、すごい」という感想をたくさん頂きました。
 三陸は意外と縦の行き来が少なく、隣町くらいは行ったことがあっても、その先はあまり行ったことがないとか。三陸鉄道を使って、お祭りやイベントを見に、相互に行き来できるような提案をし、もっと縦に動いていただけるようになれば、地域にとっても三陸鉄道にとっても経済的にもプラスになります。
 宮古市の南にある山田町には、陸中山田駅があり、駅前にスーパーや飲食店などがかなりコンパクトにまとまって整備されています。そこにある飲食店4軒を飲み歩くという取り組みを一昨年(2019年)にしています。参加費は3500円のチケット制で、1軒につきワンドリンク・ワンプレートで、30分くらい滞在したら次へという形です。「はしご酒列車」と名付けました。
 山田の人だけを相手にしていると、飲食店もお客様の数が限られますが、その時には宮古や釜石からも参加者がいて、山田の夜の街がすごく賑わったんです。通りにも、店にも人がいっぱいで、地元の人も「こんなの見たことなかった」と。
 コロナで去年(2020年)は企画を見送りましたが、今年(2021年)は5月か6月に是非やりたいと、地元でも言ってくれていて、私たちも是非復活させたい。また、山田だけではなく、宮古や釜石などでも企画して、お互いの町に飲みに行くようになると、交流の幅がより広がるかなと思っています。
吉澤 そういう企画をすぐ組めるのは、日頃のお付き合いや信頼関係があるからですね。三陸鉄道はそれだけ、地元に愛されているんだなと感じました。
中村 いろんな取り組みを行っていますが、市町村や商工会議所や商工会の皆さんに、ご協力いただけるのは本当にありがたいことです。

観光が地域の復興に果たす役割

吉澤 三陸沿岸地域の復興に、観光はどのような役割を果たしたと思いますか。
中村 三陸では漁業、水産業がなかなか厳しい状況とお話ししましたが、観光では、三陸復興国立公園をはじめ景勝地も多いですし、産業面でも結構大きなウェイトを占めていると思っています。
 震災があって一度人の流れが止まってしまったわけですが、まず被災地にボランティアで入る方、そして状況を心配して見に来られる方がいらっしゃるようになりました。
 私たちも地域の実情をお知らせしていく必要があると、震災後は「フロントライン研修」という、列車だけでなくバスも仕立てて現地をご案内するツアーの企画にも取り組んでいました。ツアーを実施することで、経済的な面ばかりではなく、被災地の皆さんには、こうして自分たちのことを心配して来てくれていると、励まされる効果も大いにあったと思います。
 ただ、観光は水物というか、浮き沈みがあり、ずっと安定的に同じ方が毎年来られる訳でもないので、如何に継続的にお客様に来ていただけるか、新たなお客様を獲得できるか、工夫していかなければなりません。
吉澤 地域の活性化に観光が多少なりともお役に立てたということでしょうか。
中村 かなり大きな役割、効果があったと思います。特にリアス線開通(2019年3月)の時には多くのお客様に来ていただきましたが、地域の宿泊関係者や飲食店など多くの方から、「三鉄のおかげでお客さんがすごく増えました」、「三鉄様さまです」と感謝の言葉をたくさん頂きました。
 私自身も大変ありがたく感じていました。今後も多くの方々に是非来ていただきたい、地域への経済効果を考えると、できれば宿泊して、三陸を楽しんでいただきたいと強く思っています。
吉澤 三陸鉄道は交通手段ではあるけれど、ある意味観光資源でもありますね。
中村 そうです。交通手段としての役割はそんなに大きくはないと私は思っています。三陸鉄道と並行する「三陸沿岸道路」(三陸縦貫自動車道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)という高速道路が、もうすぐ全てつながります。単に移動手段として考えれば、車の方が時間的にも早く料金的にも安く、競争してもなかなか勝ち目がありません。別の魅力というか、三陸鉄道に乗りたいと思わせる仕掛けが絶対に必要です。例えば、高速道路は目的地には早く到着しますが、走行中に景色を楽しむ余裕はあまりありません。車窓の風景を楽しむなど、鉄道ならではの魅力を感じていただける取り組みをしていきたいと思っています。
 企業や個人を問わず、熱烈な〝三鉄ファンがいらっしゃって、支えていただいた力も本当に大きかった。そうした方々の想いを大切にしながら、私たちは、今後も取り組んでいかなければと思っています。

今に通じる、三陸鉄道開通顕彰碑に刻まれた想い

吉澤 最後に、「三陸鉄道開通顕彰碑」について教えていただけますか。
中村 三陸鉄道の本社は宮古駅の隣にありますが、この碑は駅前広場の西の端に立っています。三陸鉄道が開通した1984年4月に当時の岩手県知事中村直氏と宮古市長千田真一氏の連名で建立されました。

 この碑文には、三陸の先人が、津波にもめげずに立ち上がり、フェーン災害、ヤマセの悲風等幾多の悪条件に抗しつつ、明治以来の悲願を達成したことが綴られています。
 最後には「後進よ この業の上に 更に三陸の未来を創建せよ」と刻まれています。先人たちが苦労して作ったこの鉄道をしっかり生かし、輝かしい三陸を作ってほしいという熱い想いが託された碑だと思っています。碑の前を通る時には、碑文を眺め、鉄道建設にかけた先人の苦労と熱意に思いを馳せながら、私たちに託された「三陸の未来の創建」のために改めて全力で取り組んでいかなければならないとの思いを新たにしています。また、機会があればいろんな場で皆さんにも伝えています。
吉澤 碑には、先人たちの連綿と続く鉄道への想いが込められていますね。苦難はあってもその度に鉄道を復活させ、さらに地域の未来を創建せよという、大きな志しのようなものですね。
中村 そうですね。私たちが鉄道事業に取り組んでいく上での一つの大きな指針というか、時折振り返り再確認して、今取り組んでいることがこれでいいのか、違う取り組みをしていくべきなのかなどと考える時にも、この碑文が頭に浮かんできます。
吉澤 今後の三陸鉄道のますますのご発展を祈念しております。本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

聞き手・文:吉澤清良
編集協力:井上理江

 

中村一郎(なかむら・いちろう)
三陸鉄道株式会社代表取締役社長
1955年、岩手県生まれ。
1979年 東京大学法学部卒、同年岩手県に入庁。
総務、企画分野を中心に、地域振興、福祉、商工等の業務を経て、2010年 沿岸広域振興局長、2012年政策地域部長、2014年復興局長、2016年3月に岩手県を退職し、6月より現職。