⑥…❷ インタビュー宮古市の10年
宮古市の観光復興〜観光は基幹産業、観光で地域の元気を発信!

再び立ち上がる原動力とは?〜自分たちが観光を盛り上げて来た

吉澤 東日本大震災(以下、震災)の被災地の中でも、宮古市の観光復興は他の市町村に比べて早かったというお話を聞くことがあります。そういったことはお感じになりましたか。
松浦 観光復興は、町の復興がある程度進まないと難しいですが、宮古市は町の復興自体が早かったと思います。
吉澤 観光でも、震災の数ヶ月後には、「浄土ヶ浜レストハウス」の営業再開(2011年6月)、「みやこ浄土ヶ浜遊覧船」運航再開(2011年7月)、また様々なイベントなどを、一早く手がけていますね。震災で甚大な被害を受けても立ち上がる、その原動力は何なのでしょう。
松浦 宮古市は陸中海岸の中心地、三陸沿岸を代表する観光地です。国立公園に指定されて60年以上経ちますが、「宮古は観光の町なんだ」と、観光を生業にしている方がたくさんいます。観光関係者には「自分たちが宮古の観光を盛り上げて来た」という自負があって、「誰かの助けを待つのではなく、自分たちでもう一度始めよう」という想いが強かったのではないかと思います。元々の「やる気が違う」ということでしょうか。震災直後も、「観光で盛り上げるしかないだろう」という声をいっぱい聞きました。

吉澤 そうすると、みんな自分が自分がと、なかなか結束できないこともあると思いますが。
松浦 いや、結束はしていないですよ(笑)。皆さんライバルなので、震災直後もそれぞれ取り組んでいく中で、相乗効果が上がっていったということかなと。
 自分たちでやろうという方が多いので、市や(一社)宮古観光文化交流協会(以下、観光協会)は、個々でやるのが難しいこと、例えば情報発信とか、集客イベントの開催とか、旅行会社の営業などをサポートしていました。
吉澤 比較的行政が担うことが多いこと、例えば、ハード整備ではどんなことをされてきましたか。
松浦 市が所有する施設は立て直しましたし、道の駅(2013年7月:道の駅みやこ、2016年7月:道の駅たろう)を整備したりしました。また、「学ぶ防災ガイド(表1)」で使っている「たろう観光ホテル」を津波遺構として認めていただくために、施設整備も市が行っています。


吉澤 ハード面の整備はお金もかかりますし、利害調整など、すごく大変かと思いますが、非常にうまく行政の方が成し遂げて支援しているように思えます。
松浦 やはり大きな予算が絡めば、議会などに説明しなければなりません。しかし、「宮古市にとって観光は基幹産業」という思いを皆さん持っていますので、何のために、どれくらいの予算で取り組むのか、国や県など使える補助金は全て使って、市の復興を成し遂げていきますと、しっかり説明すれば理解してもらえます。
吉澤 宮古市は「観光振興ビジョン(計画期間:2016〜2019年度」も策定されていて、非常に戦略的に進められてきた印象があります。
松浦 「観光振興ビジョン」、上位計画には「宮古市総合計画」がありますが、元となる計画がしっかりしていれば、私たちはそこに枝葉をつけて進んでいくだけですから。
 本当は2020年度に新たな計画を作る予定で、2018年度から動いていました。しかし、2019年10月の台風19号の襲来で大きな被害が出て、まずその復旧を最優先しました。その後、計画策定を再開しようとしたら、今度はコロナ禍に。今は、2021年度に策定して、2022年度から新計画をスタートさせるという方針が決まったところです。

団体客から個人客にシフト、〜民間事業者の意識の高まり

吉澤 震災前の2010年度の観光客数は約108万人ですが、主にどのようなお客様がいらしていたのですか(表2)。

松浦 震災前、個人客は二次アクセスの問題もあって来訪が容易ではなく、比較的遠方から来る団体旅行や旅行会社が企画するツアーが多かったですね。
吉澤 そうした状況にあって、震災で2011年度には観光客が約33万人にまで落ち込むわけですが、その後は比較的順調に回復しているようです。観光客の増加要因は何だったのでしょうか。
松浦 観光客が団体客から個人客へシフトしていく中で、宮古市では、比較的早いうちから「道の駅」を整備したり、津波遺構(たろう観光ホテル)を使った防災教育などを行ってきたこと。また、三陸沿岸道路(宮城県仙台市〜青森県八戸市)の一部区間の開通によるアクセス面の向上が非常に効果的だったと思います。
 車で来られる個人客も段々と増えてきました。特に多いのは八戸、仙台、あとは県内の内陸部で、中でも八戸がだいぶ増えているようです。これは八戸から宮古が片道3時間くらいで来られるようになったこと、日帰り旅行圏内に入ってきたからなのかなと。
吉澤 団体客から個人客に変わり、お客様は近場の方が増えたわけですね。どういう客層が多くなりましたか。
松浦 震災後は、自分たちで情報を仕入れて、自分たちで訪れる個人客が増えていると思います。特に家族、それも40、50代の両親とお子さんという形態が多いです。そのようなご家族の来訪目的で一番多いのは、浄土ヶ浜のような名所を見ること、夏場なら海水浴。その次が三陸の美味しい海産物などの食です。宮古市には温泉がなく不利な点もありますが、その分、景色とか食に興味を持って来られる方が多いです。
吉澤 お客様が団体客から個人客へとシフトしていく中で、民間事業者に課題や変化はあったのでしょうか。
松浦 課題としては、宮古は古くから観光で栄えていた町なので、時代の変化についていけない観光施設などがありました。例えば、今まで団体客がメインだった宿泊施設だと、個人客のネット予約への対応が追いつかないといったことですね。市では、様々な講習会を開催するなどして、サポートしています。
吉澤 宿泊施設には「変えていかないと」という意識の変化などはあったのでしょうか。
松浦 意識は変わったと思います。団体客は旅行会社からの送客が多かったので、営業面でも旅行会社とのつながりが重視されていました。しかし、個人客は「このお宿に行きたい」との思いを持っていらっしゃいます。しっかりとお客様に向き合っておもてなしすれば、感激されて、感謝の声が宿に届いたり、SNSなどで発信されたりするので、励みになっているのではないかと思います。また、個人客の方が利幅は大きい、そういったことへの気づきもあったようです。
 ただ、団体客に来ていただくことで経営が安定する部分もあります。どのように売っていくべきかを、より考えるようになってきたのではないかと感じています。

防災教育は観光素材、体験学習のひとつとしてPR

吉澤 先ほど、お客様の来訪目的を伺いましたが、宮古市では「学ぶ防災ガイド」などの防災教育プログラムにも力を入れていらっしゃいます。参加者の状況は、この10年でいかがでしょうか。
松浦 震災で津波の被害を受けた宮古市の映像が全国に流れましたが、あれだけ甚大な被害を受けた地域が今はどうなっているのか、訪れることが少しでも被災地のためになればという方が、徐々に増えてきたという印象はあります。
吉澤 
松浦 正直に申し上げると、一旦増えてそこから緩やかに下降しています。ピークは2013年度が3万1400人、2014年度が2万8000人、2015年度からはだいたい2万人でほぼ横ばいです(表1)。参加者は、「学ぶ防災ガイド」では学校が多いです。県内の小中学校、高校のほか、首都圏や北海道からも多く来ています。東京から西になると数は少ないですが、全国から訪れます。

 震災前にも、ほぼ毎年、修学旅行で宮古市に来られる学校がありましたが、震災後は、これまで来たことがない学校も訪れるようになりました。それまでは岩手県の内陸部までしか来なかった学校が、宮古市まで来て、「学ぶ防災ガイド」に参加したり、沿岸部を見て回るといった行程がプラスされるようになりました。
吉澤 防災教育を目的とした修学旅行の誘致は観光協会が戦略的に仕掛けたのでしょうか。
松浦 そうですね。「学ぶ防災ガイド」を利用する団体へのバス代の一部助成などを、旅行会社にPRしたりしています。
吉澤 これまでの宮古市の来訪目的に、防災を学ぶことが加わったと。
松浦 そうですね。私どもは完全に「学ぶ防災ガイド」も観光素材と捉えています。体験観光、体験学習の一つとして対等に扱ってPRしています。

宮古版DMOの立ち上げ〜観光協会が観光のかじ取り役に

吉澤 ところで、松浦さんは2016年度から3年間、観光協会に出向されていますが、その時は主に何をされていたのでしょうか。
松浦 一番の任務は、観光協会内にDMO組織を立ち上げることです。観光協会が宮古全体の観光のかじ取り役になることが、市と観光協会の共通認識でした。観光協会が実働部隊で、市はそれに必要な補助金を出したり、人的サポートをするという形がいいのかなと。
 DMOとは何なのか?というところから始まって、2017年度に「宮古版DMO」を立ち上げ、2019年8月には観光庁の「地域DMO」に登録されました。
吉澤 宮古版DMOの運営はうまくいっていますか。
松浦 私が市役所に戻った後も、人的サポートなど支援を継続しています。これまでも市(観光課)と観光協会の距離感は近かったですが、人事的交流はありませんでした。今はより密接につながったというか、連携が強化されたかなと思います。
吉澤 今、宮古市、観光協会では、ターゲットをどこに置いているのでしょうか。
松浦 三陸沿岸道路が2021年内には全線開通するので、大きなターゲットは仙台で、客層は家族です。家族単位だとある程度の人数も確保できますし、仙台からだと1泊旅行になると思うので、家族の宿泊旅行を増やしていきたいですね。
吉澤 インバウンドについてはいかがですか。
松浦 宮古まで来られるインバウンドは、台湾が多数を占めています。花巻空港には今でこそ上海便が就航していますが、国際定期便は長らく台湾だけでした。台湾のように日本に何回も訪れているハードリピーターが、宮古にも目を向けてくれればなと思っています。コロナ禍でしばらくインバウンドは見込めませんが、ターゲットは変わらずに台湾、あとは徐々に増えつつあった中国、韓国ですね。
吉澤 特にインバウンドの誘致となると、広域連携も重要になりますが、他団体や周辺地域との連携を強化しているところはありますか。
松浦 いくつかの観光の外郭団体の事務局を観光課で持っていて、その中に「三陸復興国立公園協会」があります。青森の八戸から宮城の気仙沼までの市町村に会員になっていただいて、三陸鉄道、岩手県北自動車も入っていただき、広域での観光PRを行なっています。

コロナ禍、独自の支援策で宿泊客を確保

吉澤 2020年度は、コロナ禍に翻弄された年となりました。観光への影響はどうだったのでしょう。
松浦 個人旅行が主流になったとはいえ、ある程度の数を稼いでいた団体旅行が全て止まってしまいました。東北の感染者は少なかったのですが、東北の人もあまり出歩かなくなってしまったので、宿泊施設の稼働率は、本当に壊滅的な落ち込みとなりました。
吉澤 秋口には、「Gotoトラベルキャンペーン」などもあって、多少は回復した感じでしょうか。
松浦 確かにGoToトラベルキャンペーンで、遠方から来られる方が徐々に増えてきた印象はあります。さらに、市では岩手県民が宮古市の宿泊施設に泊まった時に助成する制度を作りました。外から呼べないのなら、多少なりとも安全な岩手県内から誘客しようと。宿泊施設は本当に厳しい状況でしたので、県民でも宿泊客が増えたのは、良かったのではないかと思います。
 2021年1月8日に首都圏で緊急事態宣言が出されると、また宿泊客は落ち込みましたが、市では県民を対象とした宿泊支援制度を継続するともに、東北と新潟まで対象者を拡大して、首都圏の減少分補っていくという取り組みを行っていました。

観光は地域の元気を発信する〝最前線〞

吉澤 宮古市では観光の位置付けが高いことが、今回のお話でよくわかりました。最後に、地域の復興に観光はどんな役割を果たせたとお考えですか。
松浦 観光が元気だと地域自体に活気が溢れるというか、そう見てもらえる。どんなに辛い時期でも観光に携わる者や観光施設は常に元気に、外に向けて情報発信していくことが非常に大事だと思います。観光は宮古の情報発信の〝最前線〞です。発信し続けていくことで、「宮古では、何かしらいつもやっているよね。楽しそうだよね。」というイメージが定着するとよいのかなと思っています。
吉澤 震災直後もですが、今もコロナ禍で、「こんな時期に観光なんて」と地元の方に言われるのではないかと考えた時もあります。「観光は地域の元気を発信する〝最前線〞」というお話を伺って、勇気をもらった気がします。同じようなジレンマを、この10年間で感じたことはありませんか。
松浦 私が観光課に戻ってきたのは、震災から5年後です。その頃は、観光が盛り上がり始めていた頃だったので、個人的に感じたことはなかったですね。
 逆に、お客様から「観光に行っていいのだろうか」との声を聞きますが、観光事業者の皆さんは、「気にせずに来てください。来てもらうことが一番の支援になるので。」とおっしゃっていますね。
吉澤 そういう言葉を伺うと、行きやすくなりますね。最後に何かお話ししたいことがあれはお願いします。
松浦 震災は、おそらく皆さんの記憶から消えることはなく、震災の傷跡が残る場所はまだまだ宮古市内にもありますが、それでも、「宮古は元気な町」であることをPRしていきたいと思います。
 多くの方々に宮古に来ていただきたいですし、そうなることが一番の復興の証明になると思っています。
聞き手:吉澤清良
編集協力:井上理江

 

松浦宏隆(まつうら・ひろたか)
宮古市産業振興部観光課もてなし観光係長。岩手大学人文社会科学部卒業後、2000年に宮古市役所へ入庁し商業観光課へ配属。2004年から2年間、旅行会社クラブツーリズムへ出向し、その後は総合窓口課、福祉課を経て、2016年から3年間(一社)宮古観光文化交流協会へ出向し宮古版DMOの設立、宮古市国際交流協会の設立、地域ブランド「瓶ドン」(注1)の企画・開発などを行う。

※1 瓶ドン:昔から宮古市では6月頃から牛乳瓶入りのウニが販売される。この牛乳瓶の中に真鱈や鮭、イクラなど、宮古市で水揚げされる魚介を詰め込んで、どんぶりの温かいごはんの上に、自分で盛り付けて味わうという体験型海鮮丼。松浦氏が宮古観光文化交流協会に出向時に発案し、2018年10月からスタートした新・ご当地メニュー。