これからのわが国の観光、観光地づくりに必要なことは何か ●研究アプローチを振りかえってみて 私は、生活空間計画としてレクリ―ション地域、とくにオープンスペース利用とその配置計画からはじめました。過密で閉鎖的な都市空間に開・・・
わが国の観光政策は有効に機能してきたか ●「ホスト」と「ゲスト」の関係に着目 1975(昭和48)年頃、地中海のキプロス出身で、英国で地理学を学んだロシディス・ニコスという研究者が、三村研究室に所属する博士コースの留学生・・・
観光分野で何をやってきたのか ●過密・通過型レジャーへの疑問 大学院を出た後は大阪府の技師として就職し、千里ニュータウンの設計に3年間従事しましたが、1960(昭和35)年に西山先生から新しい講座の助手として呼んでもらえ・・・
ホスト・ゲスト論で語る観光 京都大学名誉教授 三村浩史氏 1934(昭和9)年和歌山市生まれ。1959年京都大学大学院工学研究科修士課程修了。大阪府企業局技師を経て1960年京都大学工・・・
●『座標軸』を持ってアプローチすること 社会正義の転換が激しいと感じています。地方救済の切り札として20世紀末に登場した通称「リゾート法」によって、地方の山野は地上げされ、切り刻まれて、目的を達成できないままに放置さ・・・
●観光計画の体系 観光計画という分野が確立しているという前提で、この質問項目が立てられているのだと思いますが、私は観光計画だけをやってきたわけではありません。思い返せば、持続的な地域のありかたを、主に市町村行政の現場の方・・・
(1)我が国の観光のなにが問題か ●縦割り行政の限界 役所がどれだけ縦割りの世界であるかは、いろんなところで体験しました。由布院に関わり始めた頃、住民サイドはポスターやパンフレットでの宣伝をしないでと役所に申し入れてい・・・
●定年直前で広島市役所へ 58歳の時に、たまたま広島市が女性助役を募集していると新聞で見て、特に縁がある土地ではなかったのですが、軽い気持ちで応募したら最終候補までいっちゃいました。助役選任は市長の選任事項ではあっても、・・・
●地域総合研究所を設立 2つの助成金による仕事を抱えて東京に戻り、地域振興を支える東京の拠点を作ろうということで、1980(昭和55)年に株式会社シーエスケイ(地域総合研究所)を設立しました。最初の数年は地域総合計画研究・・・
(1)観光分野で何をやってきたのか ●日本観光協会(調査部)への入協と業務 1965(昭和40)年に、日観協の調査部に入れていただきました。私が入ったときは小谷達男さんという、後で立教大学社会学部観光学科教授になられた方・・・
【PDF版(1.10MB)】 現場での体験を通じてプランナーとしての『座標軸』を求め、 持続可能な地域社会形成への貢献を目指した -都市・農村計画 猪爪 範子氏 東京生まれ。東京農業大学農学部造園学科卒業。同年(社)・・・
(1) 良い観光地とは、どうすれば「よい観光地」が出来るか 単純に「できあがった観光地の印象」という視点にとどめれば、私は金比羅宮や伊勢神宮、宮島、国東半島の宇佐などを挙げたいと思います。 いずれも宗教的な観光地ですが、・・・
(1) 実現した観光計画 沖縄のブセナリゾート、中国・海南島の牙龍湾(現・亜龍湾)リゾート地区、美ら海水族館の観光施設計画などですね。1990(平成2)年の和歌山県・野迫川村も実現しました。高野山の奥の村で平維盛の伝説の・・・
(1) わが国の観光の何が問題か 財団に入って3年ほどの頃、津和野の自主研究チームに参画しました(図7)。昨年、35年ぶりに調査で再び訪れたのですが、大きな様変わりを目の当たりにしました。 1975(昭和50)年当時の津・・・
(1) 観光分野で何をやってきたのか 私は29年間、この仕事をしてきましたが、その中でいくつかターニングポイントになる仕事にめぐり合いました。仕事だけでなく、印象的なクライアントや刺激を受ける計画仲間とも出会います。その・・・
【PDF版(1.72 MB)】 独自の観光リゾート計画論を確立 -海外プロジェクトで築いた経験とノウハウを生かす (元)財団法人日本交通公社 観光計画部長 小久保 恵三氏 (現 流通科学大学 サービス産業学部 教授) ・・・
(1) これからのわが国の観光、観光地づくりに必要なことは何か ●地域とつきあうスタンス 私は、常に何か頼まれたら受けるというスタンスであり、こっちから口を出すことはほとんどしないんです。 地域に通うのも、相手から頼ま・・・
●行政の計画論と個人の企画書をつなぐ 行政の計画論って何だろう?個人の計画論、観光カリスマみたいな地域を動かしている人たちは特定の計画論という考え方を持っているでしょうか。理念は強く持っています。きっと、個人の場合は計画・・・
●市町村合併が与えた観光地づくりへの影響 利賀村は、当初からお付き合いがあり、観光地づくりは上手く進んだ事例だと思っています。ただ、当時利賀村のやる気から様々な省庁が補助金をもってくるといった状況もありました。それに任せ・・・
(1) 観光分野で何をやってきたのか ●日観協への入協 1972(昭和47)年に大学を卒業して日観協に入りました。高橋進さんが業務部長、奈良繁雄さんが調査課長で、私はその下に配属されました。私の観光の計画や調査に関する・・・